第294話:深い想いの果てにあるもの

 ニミエパルドの話が終わりに近づく。


 途中からマリエッタ、シルヴィーヌは棒立ち、止めどなくあふれる涙になすすべがない。邪魔をしないようにかろううじて声を押さえることしかできない。


 セレネイアも少なからず同じだった。二人に比べて抑制よくせいできているのは、夢魔マレヴモンの影響があるからだろう。


 話を締めくくる言葉が告げられる。


「彼女が最も助けを必要としている時に、私は何の力にもなれなかった。死んでも死にきれないほどの後悔だけが残りました」


 始終表情を変えなかったニミエパルドの顔がここで崩れた。そこにあるのは後悔だけではない。耐えがたい苦痛、悲嘆ひたん憤怒ふんぬなどだ。それらが複雑に混じり合っている。


 誰も声が出ない。聞かされた内容はそれほどまでに衝撃的だった。


 風がうなりをあげてけ抜けていく。ニミエパルドの心からにじみ出る怒りを象徴しているかのようでもある。


 場違いなのはケーレディエズのみだ。長話ながばなし退屈たいくつしている。しきりにニミエパルドの右腕を引っ張って、己の方に意識を向けさせようとしている。その仕草はまるで子供だった。


「彼女の心は完全崩壊寸前でした。彼女は心の奥底にある最後のとりでまもるため、最も幸せを感じていた幼少期まで退行したのです」


 視線をケーレディエズにかたむけ、優しく微笑ほほえむ。そこには深い慈愛じあいめられている。


 話を聞いてしまった以上、彼らを悪と断じることができなくなっている。


「幼児退行か。そなたたちが味わった苦痛を陳腐ちんぷな言葉で語るつもりはない。ただ、一つ聞いておきたい」


 ザガルドアは疑問に感じていた。魔霊人ペレヴィリディスになってなお今の状態になっていることだ。ニミエパルドが首を縦に振って、了承の意を示す。


魔霊人ペレヴィリディスになった今、幼児退行がけない理由は分かっているのだろうか」


 ケーレディエズを見つめ、おもむろに問いかけたザガルドアに視線を移す。その瞳の色を見ただけで答えは分かってしまう。


(深い悲しみ、いや絶望か。敵だというのに、何とももどかしいな)


「ねえ、ニミエパルド」


 いきなりケーレディエズがザガルドアを指差し、上目遣うわめづかいでニミエパルドにささやく。納得するところが多いのだろう。ニミエパルドは何度となくうなづき返している。


「貴殿の名前を聞いてもよいでしょうか」


 何ら問題ないとばかりにザガルドアが即答する。


「ザガルドアだ。ゼンディニア王国をべている。そして、ここにいる三人は俺を支える十二将のうち、グレアルーヴ、ディグレイオ、トゥウェルテナだ」


 それぞれを指しながらザガルドアが名を告げていく。


「ご丁寧に痛み入ります。貴殿、さらにはお三方の名は、記憶にとどめました」


 まだ三姉妹が残っている。もはや隠す意味もない。続けて口を開こうとしたザガルドアをニミエパルドが制する。


「必要はありません。告げたとおり、私たちの使命は三姉妹の抹殺まっさつです。名を知れば情がいてしまいます」


 納得できるのは半分のみだ。残り半分については真っ向から否定する。


「俺たちがそれをやらせるとでも思っているのか」


 ニミエパルドは怪訝けげんな表情を浮かべている。それでも納得できたのか、言葉をつむぎ出す。


「国を統べる者は人を統べる者、貴殿なら彼我の実力差を認識できているはずです」


 あえて強い言葉を発したものの、ニミエパルドの指摘どおりだ。戦力分析をするまでもない。まともに戦って勝てる相手ではない。


 ケーレディエズの攻撃方法がいまだにザガルドアには見えていない。グレアルーヴをあそこまで追い詰めているにもかかわらず、彼女は遊び半分といったところだろう。


 ましてや、ニミエパルドにいたっては攻撃姿勢さえ見せていない。異常とした言いようがなかった。


「耳が痛いな。それでもだ。この三姉妹をむざむざたせるわけにはいかぬな」


 グレアルーヴとディグレイオは、そのとおりだとばかりに強く頷いている。


 一方の三姉妹は、当然のこと一斉いっせいに反応を示した。三人から一身に、特にシルヴィーヌの熱い視線を浴びたザガルドアはわずかにたじろぎつつ、改めて断言する。


「そういうことだ。そなたたちを見捨てるなどありない。それこそゼンディニア王国の名折なおれだからな」


 武の王国、そして強者だからこそのザガルドアの言葉だった。


「とっても素敵です、ザガルドア殿」


 熱に浮かされでもしたか。シルヴィーヌはほおを染めながらつぶやく。背後から抱き締めているセレネイアにももちろん聞こえている。


 負の感情が戻ったからか、幾分厄介な気持ちを抱きつつも、シルヴィーヌの気持ちをまずは大切にする。


「そうね。いかにもザガルドア殿らしいわね」


 セレネイアはシルヴィーヌを離すと、今度はかばう形で前に進み出ていく。攻撃態勢にすぐさま入れるように、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを右手で軽く握り締めている。


「ニミエパルド殿とケーレディエズ殿でしたね。私たちの抹殺が使命と言われましたね。ですが、易々やすやすたれるわけにはいきません」


 片手正眼せいがん皇麗風塵雷迅セーディネスティアを移行する。二人の使命が三姉妹抹殺という以上、遅かれ早かれ戦いになることは必至ひっしだ。残された時間も限られている。


「マリエッタ、シルヴィーヌ、覚悟を決めなさい」


 セレネイアの冷静でりんとした声が飛ぶ。実際、戦うのはセレネイアとマリエッタのみだ。


 シルヴィーヌは直接戦闘に全く不向き、ゆえに間接的補助に回る。とりわけ魔力循環、魔力視認にまだ不慣れなセレネイアのために働くことになる。


「ザガルドア殿、お気持ちは大変有りがたいのですが、ここは私たちだけで。手出ししなければ、このお二人のことです」


 ザガルドアをはじめ、十二将の三人にはセレネイアの言わんとするところが即座に理解できている。そして、言われたままにむなど、断固としてありない。


 確かに助力さえしなければ、ニミエパルドもケーレディエズもこちらに対しては仕かけてこないだろう。それは言い換えれば、三姉妹を確実に見殺しにするということにほかならない。


 ディグレイオがザガルドア、グレアルーヴ、トゥウェルテナへと順に視線を動かし、許諾きょだくを求める。発言は序列下位の者から上位へ、律儀りちぎに守ろうとしている。


 三人が三人とも首を縦に振ったことで、ディグレイオは心置きなく言葉を発せられる。


「セレネイア、お前の言葉をそのままそっくり返すぞ。俺たちを誰だと思っているんだ」


 後を引き取ったのは序列どおりにトゥウェルテナだ。


「ディグレイオもたまにはよいことを言うわよねえ。ねえ、セレネイア、貴女たち三人だけで本気で勝てるとでも思ったかしら。戦力差さえもえていないとしたら、おろかとしか言いようがないわよ」


 とげのあるトゥウェルテナの言葉は、柔らかなみによってかなりうすめられている。それでも聞く者にとっては相当にこたえるだろう。


 現に三姉妹以上に反応を示したのがディグレイオだった。


「怖すぎるぞ、トゥウェルテナ。お前、本気で怒っているだろ」


(女ってほんと、怖いよな)


 その言葉だけはしっかりとみ込んだ。口にしようものなら、トゥウェルテナに殺されてしまいそうだ。


「何よ、ディグレイオ。当然じゃない。私たちはゼンディニア王国の十二将よ。めすぎよ。まだ魔剣アヴルムーティオもまともに振るえないような小娘のくせに」


 すかさずザガルドアの叱責しっせきが飛ぶ。


「トゥウェルテナ、言い過ぎだ」


 セレネイアがいくら対等な扱いを望んでいるとはいえ、彼女はれっきとした王族だ。しかも、ラディック王国初の女王になるかもしれない。さすがに行き過ぎた言葉は看過かんかできない。たとえ事実はそうだとしてもだ。


「陛下、申し訳ございません。失言でした」


 いかにもトゥウェルテナらしい。まずはザガルドアに対して謝罪したのだ。本来は直接の相手であるセレネイアが先だろう。


 ザガルドアはうなづきつつも、苦笑にがわらいを浮かべている。その顔にはっきりと書いている。俺よりも第一王女だろう、と。


 トゥウェルテナにとって、いや十二将にとって、何よりも優先されるべきはザガルドアであり、そこはゆずれない部分なのだ。


「セレネイア、言い過ぎたわね。謝罪するわ」


 頭を下げたトゥウェルテナにセレネイアが言葉をかける。


「トゥウェルテナ殿、頭を上げてください。貴女の言葉はおおむね正しいのですから」


 セレネイアにとって、トゥウェルテナは何とも不思議な女だ。恐らく十歳近く年齢が離れているだろう。剣の師匠であるソリュダリアと同じぐらいか。比較はできない。トゥウェルテナとソリュダリアとでは何もかもが真逆なのだ。


(ずっと師匠を見てきたからか、トゥウェルテナ殿は未知です。どうしたら、あのような)


 そこまで脳内で思考しながら、セレネイアははたと気づく。今、自分は嫉妬心しっとしんを覚えているのか。これまでほとんどいだかなかった感情が強く芽生めばえてきている。


 セレネイアはその想いを振り払おうとして何度かかぶりを振った。姉の様子を見つめていたシルヴィーヌが心配そうに声をしぼり出す。


「セレネイアお姉様、どうかされたのですか」


 シルヴィーヌの言葉で正気に戻る。セレネイアは振り返って笑みを見せる。


「大丈夫よ、シルヴィーヌ。心配してくれたのね。嬉しいわ」


 笑みを浮かべてはいる。どこかぎこちない。これまでに姉が見せてくれていたそれとは明らかに異なっている。


 妹だからこそ気づける微細びさいな変化だった。

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