第048話:淡き恋心

 魔術転移門から降り立つ。


 眼前には、見るも無残な光景が広がっていた。パレデュカルはただ呆然ぼうぜんと立ち尽くすしかできない。あまりの衝撃を前に身体が動かないのだ。


 ジリニエイユのことだ。シュリシェヒリの里を襲撃するのではないか。その程度の予測はしていた。


 まさか、ここまで徹底的に破壊し尽くすとは想像外だ。パレデュカルは己の認識が甘かったことを痛感させられた。


 里を護るための結界は完全に機能を失っている。銀麗の短剣スクリヴェイロが偽物だった時点で、その効果はないに等しかったのだ。元来、強固な結界ではなかったのもわざわいしただろう。


 ようやく正気を取り戻したパレデュカルは、里の内部へとけ込もうとするも、寸前で思いとどまった。通常、重力下の空間では機能を失った右脚は使い物にならない。


 魔力を流し込めるか試しもした。つけ根の部分に巨大な障害物があるかのごとく、そこから先への流入は完全に遮断されている。パレデュカルははやる気持ちを抑えつつ、左脚の力だけで進まざるを得なかった。


 異様なまでの静寂が支配している。普段なら、にぎやかに遊び回る子供たち、大樹のもとで静かに祈りを捧げる老いた者たち、訓練に勤しむ警備隊の者たちなど、老若男女問わず、そこかしこに人の姿が見られる。


 それが今や誰一人として見出みいだせないでいた。


「トゥルデューロ、どこにいる。ミジェラヴィア、いないのか」


 パレデュカルは大声を張り上げて呼びかけてみる。ただ自身の声が反響するのみだ。全く反応が返ってこない。


 こうなってはやむを得ない。辛うじて残った魔力を使ってでも探知を試みるしかない。


 里内をくまなくとなると、せっかく不味まずい液体を飲み干してまで回復した魔力が再び枯渇こかつしてしまうだろう。


 いまだ里内に敵が潜伏しているとしたら、魔力枯渇状態では対抗できない。その危険を承知のうえでの行動だった。


 薄く伸ばした魔力を広域展開していく。


「よかった。幾つかの生命反応があるな」


 ひとまず安堵するものの、生命反応にはかなりの強弱があった。つまり、命のともしびが今にも消えかけている者もいるということだ。


「これは神殿の辺りか。里の最奥まで逃げ込んだ、いや追い詰められたということか」


 パレデュカルも万全ではないものの、立ち止まっているわけにはいかない。微弱な生命反応の者が多い場所、すなわち里の最奥、厳かに建つ神殿へと急ぎ向かう。


「ダナドゥーファ」


 弱々しい声で呼びかけてきたのは、親友のトゥルデューロだった。神殿入口正面にある階段中央部に背中を預ける形で倒れ込んでいる。


 全身が血で染まっている。その色を見た瞬間、パレデュカルは全てを悟った。


「トゥルデューロ、無事か。その返り血、魔霊鬼ペリノデュエズの侵入を許したのだな」

「ああ、何とか無事だ。なりそこないセペプレが数百体だ。突然現れたかと思うと次々に里の者たちを」


 駆け寄ったパレデュカルが、トゥルデューロを抱き起こした。


 エルフ属の血は、主たる人族がそうであるように赤紅色あかべにいろをしている。今、トゥルデューロの全身の半分以上が暗濃緑あんのうりょくの血で覆われていた。返り血を浴びて、相当の時間が経過した証拠でもある。


 魔霊鬼ペリノデュエズの血は、吹き出した瞬間は鮮血だ。それが時間と共に暗深色あんしんしょくへと変化していく。血がもたらす悪影響は様々だ。


 不幸中の幸いか。相手がなりそこないセペプレだったため、皮膚の表面が腐食された程度で済んでいる。


「腐食の進行は制御できているようだな。とにかく、お前が生きていてくれてよかった。早速で悪いが、何があった。他の者はどこにいるんだ」

「ま、待ってくれ、急に言われても俺自身、まだ整理しきれていないんだ。それに息苦しくてな。何か飲むものを持っていないか」


 トゥルデューロは完全に体力も魔力も使い果たしていた。苦しそうに肩で息をしながら、辛うじて必要最低限の言葉だけを発している。


 パレデュカルは左腰に吊るしている水筒を外すと、そのままトゥルデューロに手に握らせた。


「済まない。あいにく水しかないんだ。魔力回復薬でもあればよかったんだがな」

「水さえあれば十分だ。有り難い」


 水筒の中身を一気にあおる。トゥルデューロは口から水がこぼれるのも気にせず、一心不乱に喉に流し込んだ。


「助かった。少しばかり生き返ったよ。ダナドゥーファ、よく戻ってきてくれた。二度と里には帰ってこないかもしれない。そう思ったりもしていたからな」


 トゥルデューロの視線がわずかに後方へと流れた。ダナドゥーファが戻っているなら、サリエシェルナも。そう思っての行動に違いない。


 親友の自分を歓迎する言葉を噛み締めつつ、姉サリエシェルナを連れて帰れなかった申し訳なさがパレデュカルの胸を締めつける。


「姉さん、サリエシェルナ姉さんは、奪い返せなかった。そうだ、奴は今どこにいる。奴は生きているのか」


 何の話をしているんだとばかりに、トゥルデューロが尋ね返す。


「奴って誰のことだ。奴だけでは分からないではないか」

「奴と言ったら奴だ。キィリイェーロに決まっている。今回の一連の事件、奴が一枚嚙んでいる可能性があるんだ。今すぐ話を聞かなければ。トゥルデューロ、奴はどこにいるんだ」


 まさか長老が、そんな馬鹿なという思いが頭をよぎる。パレデュカルの言葉を疑うわけではない。にわかには信じがたい。


「長老に限ってそんなことは。直接聞けば済む話だな。長老なら神殿内だ。銀麗の短剣スクリヴェイロを守るために安置室に立てこもっているはずだ。それより、お前、その右脚はいったいどうしたんだ」

「ああ、この右脚か。ちょっとあってな。つけ根から先の感覚が全くないんだ」


 余計な詮索はしない方がよさそうだ。ダナドゥーファとのつき合いは長い。彼の性格はよく知っているつもりだ。トゥルデューロはその先をあえて尋ねなかった。


「そうか。お前も外の世界で色々あったんだな。ああ、急ぐのだったな。俺に構わず行ってくれ。俺はもうしばらくここにいるよ」


 トゥルデューロを一人残していくのは後ろめたい気もする。まずは長老キィリイェーロを見つけるのが最優先だ。パレデュカルは親友に断りを入れると、神殿内へと入っていった。


 銀麗の短剣スクリヴェイロを収めるためだけに造られた正六角形仕様の安置室は、神殿内でもとりわけ静謐せいひつかつ清浄な空間だ。


 それが今やおびただしいほどの血とよどんだ魔力でゆがめられている。むせ返るばかりの空気が押し寄せてくる。パレデュカルの歩みは完全に止まってしまった。


 安置室の床面には、六芒星が描かれている。その中心部に台座が設置されている。本来であれば、銀麗の短剣スクリヴェイロが鎮座、神々こうごうしいばかりの輝きが室内中を満たしている。この輝きはいかなる不浄な存在をもはばむものだ。


 こうも易々やすやすと侵入を許したとなれば、銀麗の短剣スクリヴェイロが偽物だったという証左しょうさになる。


 パレデュカルの目を釘づけにしているのは、折り重なって倒れている女たちの姿だった。


 身体の損傷があまりにも酷い。鋭い爪のようなもので引き裂かれた者、強力な酸や毒に侵された者、一部位ごと食い千切られた者など、あまりに悲惨な状況だった。


 犠牲になった彼女たちは、神殿巫女と呼ばれる神官たちだ。恐らくは、偽物と知らず、宝具たる銀麗の短剣スクリヴェイロを最後まで守って力尽きたのだろう。


 彼女たちの背後に、さらに別の三人が倒れていた。


 探していた長老キィリイェーロ、そして補佐の二人だった。


 キィリイェーロは自らの血だまりに仰向けになって沈んでいる。補佐の二人、とりわけ姉サリエシェルナの親友ミジェラヴィアもおびただしい出血量だ。もう一人の補佐の男は、彼女に覆いかぶさるような恰好で倒れていた。


 パレデュカルは吐き気をこらえながら、何とかミジェラヴィアが倒れているところまで近寄っていった。


「ミジェラヴィア、しっかりしろ。おい、ミジェラヴィア」


 呼びかけは無駄だった。目を見開いたままのミジェラヴィアの瞳孔は、完全に開ききっていた。呼吸も心臓も止まっている。


「ああ、ミジェラヴィア。姉さんを連れて帰るまで、どうして待っていてくれなかったんだ。どうして、先にってしまったんだ」


 言ったところで詮無せんなきことだ。


 これが最初で最後になる。パレデュカルはミジェラヴィアに膝枕すると、凝固した血で顔に張りついた長い髪を丁寧にほどき、ゆっくりと目を閉じてやった。


「ミジェラヴィア、今さらこんなことを言うのも何だがな。俺は、お前にれていたんだぞ。ああ、少しだけだがな。済まない。この状況だ。死化粧は、してやれない。許してくれ」


 トゥルデューロがサリエシェルナへの思いを告げられなかったのと同様、パレデュカルもミジェラヴィアへの淡い恋心を秘めたままだったのだ。


 ようやくの機会が、このような状況下になろうとは、いったい誰に想像できただろうか。


 パレデュカルは必死に声を抑えて、そして泣いた。

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