第049話:長老との対面

 ひとしきり泣いたパレデュカルは、死んでいるに違いない長老キィリイェーロに目をやった。


 死者になってはその罪も裁けない。何より、死屍ししに鞭打つなど、パレデュカルにとってあり得ない行為だ。真実を聞き出せなくなったのは残念でならない。ミジェラヴィアたちとともに丁重に葬ろう。そう考えていた矢先だった。


 キィリイェーロの口から、大量の血が吐き出されたのだ。


「まさか、生きているのか」


 仰向けの状態のままでは危険だ。今、まさに吐き出している血が逆流、喉に詰まって窒息死など、冗談でも笑えないからだ。


 パレデュカルは血だまりの中に沈むキィリイェーロの身体を強引に引っ張り出すと、上半身を抱え上げ、うつ伏せに近い状態へと姿勢を変えた。


「おい、キィリイェーロ、しっかりしろ。お前には聞きたいことがあるんだ。こんなところで死ぬんじゃないぞ」


 ここから神殿の外まで連れ出すのに四苦八苦した。何しろ、右脚が役に立たないのだ。血みどろの長老を背に担ぎつつ、左脚一本で進むのは至難の業だった。


 何度も転倒を繰り返す。そのたびに長老をかつぎ直さなければならなかった。いっそのこと、このまま捨て置こうかとも思ったりした。


 真実を聞き出さなければ、ミジェラヴィアの死に報いねば、その思いだけでようやく入口までたどり着いたのだった。


「ダナドゥーファ、戻ってきたか。無事でよかった」


 少しばかり体力が回復したトゥルデューロがすぐさま迎えてくれた。背負った長老の姿に驚愕きょうがく、沈痛な眼差しを向けてくる。


「俺が代わろう。お前も右脚が動かないんだろ。長老一人ぐらいなら、どうってことはないさ」


 パレデュカルは親友の何気ない心遣いに感謝した。


「トゥルデューロ、この男は何としてでも生かしてほしい。そうでなければ、死んでいったミジェラヴィアたちが浮かばれない」


 隠しきれないほどの悲嘆に支配されたダナドゥーファに、トゥルデューロはかけるべき言葉が見つからない。


れていたのか、ミジェラヴィアに」


 長老を背負ったトゥルデューロの口をいて出たのは、さらに悲しみを増長させてしまうような、しかもこの状況で聞くべきことではなかった。まずいと思った時には、言葉になってしまっていた。


「その男を、頼む」


 その場に力なく座り込んでしまう。もはや、言葉を口にすることさえ億劫おっくうだった。


(そうだったんだな。ミジェラヴィアもってしまったのか。彼女のために、どれほど泣いたのか。お互いに辛いな)


 パレデュカルの顔には、しっかりと涙痕るいこんが残っていた。トゥルデューロは失言を悔い、口をつぐんだまま静かにうなづいた。


 階段を下りていくトゥルデューロの背を見つめながら、パレデュカルがそっとつぶやく。


「ミジェラヴィア、俺も疲れたよ」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 魔霊鬼ペリノデュエズの襲撃から数日後、生き残ったわずかな者たちによって里の復興が始まりつつあった。もともと三里の中でも人口が少ないシュリシェヒリは、今回の襲撃によって七割近くの犠牲者を出していた。


 数の比だけで言えば、なりそこないセペプレに対して、シュリシェヒリで戦える者はその五倍ほどいたはずだ。にも関わらず、壊滅に近い状態まで追い詰められてしまった。


 全てはジリニエイユの策略だった。それを知る者は誰一人としていない。知っていたなら、ここまでの惨状には至らなかっただろう。


 あのような悲劇があっても、シュリシェヒリの里には変わらず心地よい風が吹いている。樹々の間を通り抜け、柔らかな緑の香を運んできてくれる。


 聖なる大樹の幾つにも分かれた根っこに腰を下ろし、パレデュカルは全身で風を感じ取っていた。彼にとって、いやエルフ属にとって至福の時でもあった。


 向こうから見慣れた顔が近づいてくる。


「トゥルデューロ、そんなに動き回って大丈夫なのか」


 神殿で長老を託して以来だ。


 久しぶりに見る親友の顔には生気が戻っていた。全身に負った傷はまだ完全に癒えていないものの、随分と精力的だ。


「ダナドゥーファ、ちょうどお前を探していたところだったんだ。ようやく長老が目覚めたぞ。いまだ寝たきりの状態だが、話ができる程度には回復しているようだ」


 朗報だった。


 トゥルデューロと分かれた後、パレデュカルは肉体的、精神的な疲労から二日二晩、昏々こんこんと眠り続けた。精神的には全快とはいかないが、肉体的には魔力も完全に回復している。


 早速、長老キィリイェーロのもとへ向かうべく、聖なる大樹に背を預けながら、ゆっくりと立ち上がる。


「行くんだな。俺もついていきたいところだが、込み入った話をするのだろ。終わったら話せるところだけでいい。教えてくれよ」


 パレデュカルには親友の気遣いが嬉しかった。


「ああ、後でな。行ってくる」


 エルフ属は樹々と共に生きる森林の一属だ。森全体が彼らにとっての家であり、屋敷でもある。それらを総称してカドムーザと呼んでいる。


 長老の寝所は樹々の上に造られていた。地表からおよそ十メルクの高さに位置している。大樹から伸びた幾本もの太い枝が複雑に絡み合い、そこに緑の葉が折り重なるようにして空中床を構成している。


 いかなる場合でも、樹々を傷つけることは許されず、伐採ばっさいなどもっての外と考えるエルフ属だ。彼らは巧みな魔術をもって樹々を強化、決して折れたりしないように維持している。


 ここのカドムーザは十余人が過ごせるほどの快適な空間に仕上がっていた。長老キィリイェーロの姿は、カドムーザの中央にあった。柔らかな葉を敷き詰めた寝床に仰向け状態で寝ている。


 補佐二人を失ったキィリイェーロのそばには、既に新顔の男女が控えていた。パレデュカルが上がってきたことに気づいたのだろう。二人が何やらキィリイェーロの耳元でささやいている。


「キィリイェーロ、話をしに来た。今すぐ起きろ。それから、お前たちは邪魔だ。失せろ」


 相手が長老と言えども、この男に対して敬意を払うつもりは全くない。


「このような状態の長老を前にしておきながら、無礼であろう」


 食ってかかってきたのは男の方だ。確か警備隊にいた見習いのような気がする。ここから見る限り、傷一つ負っていない。なりそこないセペプレと戦って、軽傷で済むなど。あり得ない。パレデュカルは納得した。


なりそこないセペプレが恐ろしくて、逃げ隠れしていたか。情けない奴だ」


 図星だった。顔面蒼白となった男が悔しそうにパレデュカルをにらんでくる。平然と受け流す。


「俺は失せろと言ったんだ。三度目はないと思え」


 苛立いらだちを抑えきれない。パレデュカルは今にも爆発しそうだった。


「お前たちは下がれ。ダナドゥーファの言うとおりにするのだ」


 ようやくのこと、長老キィリイェーロが弱々しい声で二人に退席を命じた。二人は一瞬だけ抵抗の意思を見せたものの、長老の言葉には逆らえない。一礼すると、渋々ながらにこの場から立ち去っていった。


「私に聞きたいことがあって来たのだな。その前に、サリエシェルナは」

「奪い返せなかった。それもこれもお前のせいだ。ジリニエイユから全て聞いたぞ」


 しばしの沈黙、聞こえてくるのはキィリイェーロの微弱な呼吸音だけだ。


「そうか、我が兄からな。では、サリエシェルナの正体も知ってしまったのだな」


 キィリイェーロの言葉にさらなる苛立ちが募っていく。


「当然だろう。お前とジリニエイユとの間で何があったか。お前は何を知っているのか。全てを嘘偽りなく話せ。そうすれば楽に死なせてやってもいい。あの世で多くの同胞にびるためにな」

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