第101話:パレデュカルとディリニッツ

 まばゆいばかりの光が散開、巻物よりあふれ出た魔術文字が宙をいろどっていく。


 発動は即時だった。光が銀色のおりを形成、四方から黒小球を囲い込んでいく。


「魔力遮断結界だ。もはや、お前に用はない。異界へかえれ」


 ディリニッツの声はもちろん届かない。言語体系が異なるのは当然、術者であるパレデュカルからの魔力供給も絶たれているからだ。


 黒小球のまなこは、既に半分以上が閉じられ、その力を失いつつあった。眼が完全に閉じられたその時、黒小球は消滅を迎える。


 ディリニッツは、ラナージットに向けた意識をゆるめることなく、黒小球の様子を注視している。


「ヴェレージャ、もう大丈夫だ。ラナージットを頼む」


 言われるまでもない。ヴェレージャはラナージットに向かってけ出していた。ディリニッツが魔術巻物を開封して以来、黒小球の状態を確認し続けていたのだ。


 ラナージットは立ちすくんではいるものの、意識は手放していない。気丈きじょうにも、黒小球から一時いっときたりとも視線を外さず、精霊を守るように両腕で自らの身体を抱きすくめていた。


「待てせてごめんね、ラナージット。貴女のそばには私たちがいる。絶対に傷つけさせないわ」


 ラナージットをかばうようにして立つヴェレージャを見て、声を聞いて、ようやく安堵できたか。ラナージットは大粒の涙をこぼしながら、迷わずその胸に飛び込んだ。


「お姉さん、ヴェレージャお姉さん」


 華奢きゃしゃな身体が震えている。ヴェレージャは、二つの意味で感動していた。


 一つはラナージットがこの恐怖に耐え、身体の中の精霊を守り抜いたことだ。もう一つは限りなく個人的事情というものだ。ラナージットからお姉さんと呼ばれたことにある。


 ヴェレージャに妹がいることは既に述べた。姉妹関係は複雑だった。妹にとって、優秀な姉は自慢でもあり、また嫉妬しっとの対象でもあったからだ。


 幼い頃はお姉ちゃん、お姉ちゃんと常に後ろをついて回る可愛い妹だった。それが成長するに従って、少しずつ距離を置くようになった。


 ことあるごとに優秀な姉と比較され、姉に対する劣等感はつのるばかり、そのうち物理的な距離だけでなく、精神的な距離までもが遠のいていった。


 ヴェレージャが早くにフィヌソワロの里を出た理由の一つに、自分がいなければ比較されることもないだろうという、手前勝手な妹への配慮がある。


 それは、正面から妹と向き合うことからの逃避でもあり、今なおヴェレージャの心に後悔の念を刻み続けている。


 ラナージットは決して妹の代わりではない。分かっている。妹を思い出させる彼女からお姉さんと呼ばれたことは、ヴェレージャにとって至福のひと時でもあった。


「よしよし、よく頑張ったね。貴女が無事で嬉しいわ」


 優しく頭をでながら、力強くラナージットを抱き締める。同じエルフ属というだけだ。血縁関係もなければ、ましてや実の妹でもない。ヴェレージャは、ラナージットがいとおしくてたまらなかった。


「く、苦しいです、お姉さん」

「えっ、あ、ごめんなさい。力が強すぎたわね」


 力を緩めて、ラナージットから少し距離を取ったヴェレージャが戸惑いの色を見せている。ラナージットがほほをややふくらませて、抗議の目を向けてきているからだ。


 割り込んできたのがディリニッツだった。黒小球の完全消滅を見届けて、二人のそばまでやって来たのだ。


「何だ、分かっていないのか、ヴェレージャ。お前のそれが凶器だということが」


 ディリニッツが指差すところを目で追っていく。それが何を指すのか、ようやく気づいたところで、ヴェレージャは顔を真っ赤に染めて非難の声を上げた。


「ちょ、ちょっと、ディリニッツ、何が言いたいのよ。まさか、私のこれほどまでにつつましやかなものが凶器だと言うの。絶対違うわよ。ねえ、そうよね、ラナージット」


 ヴェレージャはラナージットへと視線を動かし、否定の言葉が聞けるものと確信をもって待つ。その希望は、あえなく崩れ去る。ラナージットは首を横に振りつつ、はっきりと答えた。


「ヴェレージャお姉さん、はい、間違いなくそれが凶器です。あの、ごめんなさい。窒息するかと思いました」


 屈託のない笑顔を向けられ、大いにへこんでしまうヴェレージャだった。


うらやましいです。私、今まで、お姉さんほど美しい人を見たことがありません。お姉さんの容姿は、私の憧れです。私も、お姉さんみたいになりたいです」


 ラナージットからの言葉が、電撃となってヴェレージャの体内をけ巡り、ついには脳天から突き抜けていった。そこまでの衝撃、言葉では表現できないほどの幸福感が押し寄せてくる。


 そして、いつものごとく変わらないのも、ヴェレージャがヴェレージャたる所以ゆえんだった。


「そんな、私ほど美しい人がいないなんて。もう、そんなことを言って、私をどうしようというのかしら。私の容姿のようになりたい。もう、何て可愛かわいらしいのかしら」


 困惑しきりのラナージットをよそに、ヴェレージャは独自の世界に浸っている。


「私なんて、全く魅力もなければ、これだってこんなに貧相ひんそうなのよ。だいたい、そうよ。彼女たちが異常すぎるのよ。何なのよ、あれはいったい。おかしいとは思わない」


 彼女たちと言われたところで、ラナージットには全く理解できない。ちなみに、彼女たちというのは、十二将の他の五人だ。フィリエルス、ソミュエラ、エランセージュ、トゥウェルテナ、セルアシェルを指す。


「あ、あの、ヴェレージャお姉さん」


 こうなってしまったヴェレージャは、もはや相手にできない。ラナージットに助け舟とばかりにディリニッツが声をかける。


「ラナージット、いつものことだ。ほうっておけ。そのうち、もとに戻るさ。それよりも身体は大丈夫か。魔術の影響は受けていないな」


 視線をようやくにしてディリニッツに移し、ラナージットははっきりと答えた。


「はい、ディリニッツさん。守ってくださって、本当に、有り難うございました。私も、私の中の子も大丈夫です」


 丁寧に頭を下げるラナージットを感慨深げに眺める。


 頭を上げた彼女を背後に隠すようにして、ディリニッツは身体の向きを変える。


「パレデュカル、お前がこれまでしてきたこと、これからしようとすることを、俺は絶対に許さない。お前の事情を全て知ったうえでだ」


 言いたいことが山ほどある。それらを吞み込み、同郷の者として絶対に譲歩できないことだけを告げた。


「シュリシェヒリの目を持つお前が、あろうことか魔霊鬼ペリノデュエズを使役し、主物質界を滅ぼそうとしている。目的のためには、手段も選ばないと言うのか」


 蹴り飛ばされたパレデュカルは、既に起き上がっている。憎しみのこもった目をディリニッツに注いでいる。今にも飛びかかってきそうな勢いだ。


「小僧、お前に何が分かる。俺はこの三百余年、サリエシェルナ姉さんを救い出すことだけを考え、そのためだけに生きてきたのだ。シュリシェヒリ、魔霊鬼ペリノデュエズ、主物質界、それが何だと言うのだ。俺にとって、そんなものは何の価値も持たぬ」


 ディリニッツには、パレデュカルの言葉が全く理解できなかった。パレデュカルはたった一人の女のために、ありとあらゆるものを犠牲にする覚悟でいる。


 彼の信念を曲げるなど到底不可能だろう。その一点のみに固執しているからだ。


「パレデュカル、長老キィリイェーロの代役として、今からシュリシェヒリの総意を伝える。お前がジリニエイユと手を結び、我らの敵に回るのであれば、シュリシェヒリの総力を結集してお前をつ」


 それはまさしく最終通告にも等しい。


「討てるものなら討てばよい。いつでも相手になってやる。何なら、今ここででもよいぞ」


 売り言葉に買い言葉ではないが、ディリニッツはその言葉を待っていた。この男はあまりに危険すぎる。キィリイェーロの許可は既に取っているのだ。


 彼の目的の全てを知ったうえで、ここで仕留めるべきとの判断を下す。


「お前の覚悟は変わらない。ならば、アーケゲドーラ大渓谷での決戦を待つまでもない。そして、今のお前は異界からの召喚で魔力をほぼ使い果たした状態だ。ここでお前を討つべき。それが最善の判断だ」


 パレデュカルを確実に葬り去るための魔術詠唱に入る。


 ディリニッツに一切の躊躇ためらいはなかった。

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