第317話:もう一人の敵の正体

 モレイネーメは、テルゼイによって心臓を奪われ、同時に魔霊鬼ペリノデュエズの核がめられたことを認識している。


 心臓は完全に破壊されてしまった。もはや、人としての生をまっとうすることは不可能だ。


 体内では、既に核の力による浸食が始まっている。最後の力をもって、凍結界とうけっかいを行使したものの、いずれは完全にみ込まれ、魔霊鬼ペリノデュエズと化すだろう。


 自我じがが残っている間に、最善を尽くさなければならない。


(凍結界が間に合ってくれてよかったわ。私ではビュルクヴィスト様のようにはいかない。この力をできうる限り持続させるためには、今以上に氷を活性化させなければ)


 そのための絶対必要条件を考える。モレイネーメは過去の記憶をさかのぼり、これまでに行った場所、聞いた場所を頭の中に引き出していく。


 氷の世界だ。ならば極北しかあるまい。そうとなれば、シャラントワ大陸だろう。死地を求めて彷徨さまよっている時、一度だけ踏み入れた地だ。


 大陸の北の果て、極寒ごっかんの地と呼ばれる小さな村があったはずだ。確か、瑠璃るり色の髪と瞳を持った可愛い少女がいたと記憶している。


 そして、その少女から内緒で教えられた。地下深くに根を下ろした、決してけない、くだけない氷で造られた要塞ようさいがあると。イエズヴェンド永久氷壁と呼ばれる聖域だ。


 そこしかあるまい。その聖域こそ、己の身体を氷棺ひょうかんに封ずるに最適な場所だ。核の浸食をおさえこみ、最小限の魔力循環じゅんかんのみで生を保つ。


 凍結界を行使するに当たり、ほぼ全ての命を燃やしている。残されたわずかな生命力をもって、これを遂行すいこうしなければならない。


 かつて訪れた場所なら、魔術転移門さえ開けば移動は容易たやすい。


(無理ね。残された生命力では魔力が足りない。魔術転移門は開けない。開けたとしても)


 目の前に立つテルゼイからは不気味ぶきみなまでの魔力を感じる。魔術転移門を現出げんしゅつできたとしても、恐らく稼働かどうの時間を与えてくれるとは思えない。まさしく絶体絶命だ。


 そのテルゼイは何やらつぶやいている。かつての師たるビュルクヴィストの名が聞こえた。


 彼の姿がゆっくりと変貌へんぼうしていく。まるで脱皮だっぴそのものだ。からを脱ぎ捨てるようにテルゼイだった肉体ががれ落ち、男が真の姿を現す。


(エルフ、しかも暗黒エルフですって。先ほどとは比べようもないほどの魔力量だわ。何なの、この男は)


魔霊鬼ペリノデュエズの核の浸食は防げません。やがて貴女の全てを食らい尽くすでしょう。その時、貴女は私の忠実なる下僕しもべになるのです」


 モレイネーメは驚愕きょうがく憎悪ぞうおの最大限にめた瞳で暗黒エルフの男をにらみつける。


「ああ、これはとんだ失礼を。まだ名乗りもしていませんでしたね。私はジリニエイユと申します。これから貴女のあるじとなる者です」


 ジリニエイユ、初めて聞く名だ。エルフ、その中でもとりわけ数の少ない暗黒エルフは、主物質界でほとんど姿が見られない。もちろん、モレイネーメにエルフの知り合いなどいるはずもなく、困惑しきりだ。


「凍結界で浸食速度を遅らせていますね。時間もあることですし、では余興よきょうがてら、お見せいたしましょう。貴女のいとしい子供たちが死んでいく姿をね」


 ジリニエイユの右手が軽く振られた。空間が広範囲に切り取られ、内部に映像が浮かび上がってくる。


「こちらの準備を整いました。頃合ころあいです。やってしまいなさい」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 依然いぜんとして、ゼーランディアとガドルヴロワは魔力感応フォドゥアで会話を続けている。


 問題だととらえているのはもっぱらゼーランディアで、ガドルヴロワはそこまでの大事おおごとだとは考えていない。


≪姉さんは昔から心配性だからね。あまり気にする必要はないよ。護衛と言いつつも、この馬車には強力な魔術結界が展開されている。姉さんでさえ破れないほどの結界がね≫


 ゼーランディア自身が指摘したことだ。


 確かに、魔術結界は極めて強固に張り巡ららされている。これを破るには、高位魔術師を数人は連れてこないと無理だろう。


 そもそも、そこまでの魔術結界が張れるなら、何故なにゆえに傭兵などという護衛が必要なのだろうか。屈強な傭兵が八人そろおうとも、高位魔術師が一人いれば瞬殺必至しゅんさつひっしだ。


 それほどまでに実力差があるのだ。ゼーランディアは疑心暗鬼ぎしんあんきおちいっていた。


≪ガドルヴロワ、お母さんには申し訳ないけど、今からでも遅くはないわ。すぐに引き返すべきよ≫


 決断をうながしてくる姉に対して、主導権を持つ弟が首を横に振って否定の意を示す。その動作は魔力感応フォドゥアを通じて、ゼーランディアに伝わってくる。


≪姉さん、済まない。もう遅いみたいだ≫


 魔力感応フォドゥアと同時にゼーランディアも異変を感じ取っていた。


 突如とつじょとして、大量のきりが押し寄せ、またたく間に周囲を包みこんでいく。霧の中に、ただならぬ気が満ちている。


 どこからいて出てきたのか、ゼーランディアもガドルヴロワも察知さっちできないでいる。


 自然現象ではない。明らかに魔術による産物さんぶつだ。視覚でとらえられない敵がどこかにひそんでいる。相当な手練てだれなのは間違いない。


≪敵の気配がつかめないわ。それに、これはいったい≫


 打ち寄せてくる波のごとく漂う気の中に、さらに異質なものが混じっている。においがあるのだ。


≪まさか、香気、まずいわ≫


 悲鳴にも似たゼーランディアの叫びがガドルヴロワの脳内に響き渡る。よく目をらせば、既に六人の傭兵たちはそこかしこで倒れ込んでしまっている。


≪ガドルヴロワ、絶対に吸い込まないで。風を送るわ≫


 ゼーランディアが即座に魔術詠唱に入る。


 ガドルヴロワは目深まぶかかぶっていた外套がいとうで鼻から下を覆い隠す。あくまで一時しのぎにすぎない。魔術が行使できないガドルヴロワは、ゼーランディアに頼るしかない。


≪Vinskd sriek skuy avyoznieg.≫


 精霊魔術だ。短節詠唱はすみやかに成就じょうじゅした。


風麗波飛楯陣ユーシュリヴィク


 風が動く。ゼーランディアの意思に従って、姉弟をおおい尽くさんとする霧を吹き飛ばしていく。


≪きりがないわ。ガドルヴロワ≫


 なおも霧は濃密さを増しながら押し寄せてくる。ゼーランディアの魔力と敵の魔力、どちらが先にきるかの勝負だ。


≪どうにかして、敵の位置を探し出して≫


 言われるまでもなく、ガドルヴロワは霧の発生と同時、探知を続けている。この時ばかりは魔術が使えたらと考えてしまう。魔術探知なら、容易よういに敵を見つけられるだろう。ないものねだりだ。


 ガドルヴロワは剣士としての感覚を研ぎ澄ます。


≪近くにいるようで遠くにいる。遠くにいるようで近くにいる。二つの気が折り重なっているような感覚だ。姉さん、敵は一人じゃないかもしれない≫


 その時だ。


 静寂せいじゃくを破って、馬車の扉が開かれた。豪奢ごうしゃな造りに似合わない、耳障みみざわりな音を響かせる。


 対照的に、中から音も立てず、護衛対象の人物が姿を現わす。なおも立ちこめる霧は、その人物の動きに応じて、つかず離れずを保っている。


「ああ、まさか、そんなはずがないわ」


 信じられないものでも目の当たりにしたのか、ゼーランディアはそれ以上の言葉を失っている。


「母さん、モレイネーメ母さん、どうしてここに。まさか、私たちの護衛対象が」


 ガドルヴロワもまたそんな馬鹿なという思いで、姿を現したモレイネーメを一心に見つめている。


 ここまで冷静に状況を分析してきたガドルヴロワ、本能と感情で動いてきたゼーランディア、それが今では完全に逆転している。


 ガドルヴロワは、目の前に立つ人物が本物のモレイネーメであってほしいと願っている。


 ゼーランディアは、姉弟のもとに戻ってきたなら、どこにいようとも真っ先にけつけるモレイネーメが唐突とうとつにこのような場所に現れるなどあり得ないと考えている。


 いつもの立場の逆転が二人の命運を決めてしまった、と言っても過言ではないだろう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


(ガドルヴロワ、何を言っているの。そこに私がいるはずがないでしょう。いったい何を見ているの。何が見えているの。ゼーランディア、何とかしなさい)


 浮かび上がった映像を見つめながら、なかば狂乱状態におちいっているモレイネーメを、ジリニエイユが興味深げにながめている。


「モレイネーメ、何もできない気分はいかがですか。貴女には、あの者の姿が正しく見えているでしょう」


 そのとおりだ。モレイネーメには、馬車から出てきた人物の姿がはっきりと見えている。


 まぎれもなく男であり、彼もまたエルフだった。ジリニエイユと異なり、暗黒エルフではない。


 くすみがちな金色の長髪と瞳、華奢きゃしゃな体格ながらに高身長だ。ほおがこけているせいか、冷酷な表情が浮きりになっている。


「あの者もまた私の忠実な下僕しもべの一人です。の者の名はクヌエリューゾ、主物質界では数少ない香術師こうじゅつしです」


 確かに香術師こうじゅつしは珍しい。モレイネーメもうわさでしか聞いたことがない。


 香りなどが何の武器になるというのか。それが素直な考えだ。


「これだから無知な者は困るのです。香術とは、たぐいまれな暗殺術でもあるのですよ。香りは無限、術師独自の調合も可能です。クヌエリューゾは、ここまで三種の香術を用いています」


 一つ目は感覚反応を鈍化どんかさせる鈍麻香どんまこう、二つ目は眠りへと誘う睡魔香すいまこう、そして最後の三つ目こそが問題だった。

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