第106話:時空の王笏の代償

 口をつぐんだルシィーエットに代わって、オントワーヌが口を開く。


「ビュルクヴィスト、代償は何でしょうか。大方おおかたの想像はつきますがね。実は今の話を聞いて、私にも使ってもらいたいと思っているのですよ」


 オントワーヌ、お前もか、といった目になっている。もはや、ため息しか出てこない。こうなることは容易に想像できていた。


 ビュルクヴィストがオントワーヌに尋ねる。


「想像はつきますが、ですか。では、まずは貴男の考えを聞かせていただきましょうか」


 オントワーヌがあごに手を当て、考え込むようにして言葉をつむぎ出す。


時空の王笏ゼペテポーラスは、時を巻き戻す秘宝具ですね。では、至極しごく単純かもしれませんが、巻き戻した分の時間を奪われる。それが代償ではないでしょうか。すなわち、寿命が短くなる、ということではありませんか」


 十分すぎるほどに的を射た推量だった。ビュルクヴィストはただ補足するだけだった。


「ええ、貴男の想像どおりです。時空の王笏ゼペテポーラスが求める代償は、寿命です」


 ビュルクヴィストは例を挙げて、簡単に説明していった。


 全盛期の肉体にまで巻き戻す歳月が百年だったとすると、時空の王笏ゼペテポーラス恩寵おんちょうを受けた後、その効力が失われると、肉体はもとの状態に戻る。


 そして、巻き戻した分が、ここでは百年だ、その時点をもって奪われるのだ。


 人の寿命など、誰にも分からないし、計りようもない。もし、その者があと五十年で死ぬとしたら、どうなるか。効力が失われた瞬間、その者はただちに死を迎えることになるのだ。


「秘宝による、この摂理せつりからは絶対にのがれられません。お二人にはこれだけは言っておきます」


 ビュルクヴィストは、レスティーから、重々じゅうじゅう言い聞かせたうえで、それでも使用を望むなら、その判断は任せる、と言われている。だからこそ、二人に告げなければならない。


「貴方たちの肉体を、全盛期にまで巻き戻すために必要な歳月はおよそ二百五十年といったところでしょう。これの意味するところは、賢明な貴方たちです。即座に理解できるはずです」


 二人は黙したままうなづいてみせた。


時空の王笏ゼペテポーラスは、こういう理由もあって、過去一度も使用されたことがないのです。使用には、レスティー殿の許可が絶対条件でもありますしね。それゆえの秘宝中の秘宝なのです」


 此度こたびの戦いにおいて、レスティーは主物質界において時空の王笏ゼペテポーラスの使用を初めて許可した。そこまでしなければ勝てない戦いということなのだ。


「だからこそ、私は貴方たちにお願いをするのです。時空の王笏ゼペテポーラスを、私に使わせないでください。このとおりです」


 深々と頭を下げるビュルクヴィストを、ルシィーエットもオントワーヌもただただ見つめるだけだった。


「ビュルクヴィスト、あんたの気持ちは嬉しいよ。嬉しいが、答えは分かっているだろうさ」


 頭を上げたビュルクヴィストの目を見ても、ルシィーエットの決意は揺るがなかった。


「そんな悲しそうな目をするんじゃないよ。こうなることは分かっていただろう。私に後悔は一切ないよ。最後の戦いを全盛期の肉体をもって迎えられるんだ。何よりも、レスティー殿のために戦える。百年前のあの戦いを思い出すじゃないか」


 そうだ、あの百年前の魔霊鬼ペリノデュエズとの戦いにおいて、ルシィーエットの命は砕け散ったのだ。それを救ったのがレスティーだった。


「それ以来、私の命はレスティー殿にささげている。オントワーヌ、あんたもそうじゃないのかい」


 振られたオントワーヌが即答する。


「ええ、そのとおりです。賢者を引退してからというもの、肉体は老いていくばかりでした。そのような中、全盛期の肉体を取り戻し、あまつさえレスティー殿のお役に立てるのであれば、この機会を逃すわけにはいかないでしょう」


 もとに戻った際、死ぬかいなかは、神のみぞ知るだ。


 平然と言ってのけるオントワーヌもだが、どうしてここまで命を粗末そまつにできるのだろうか。一度、失っているのだ。二度目はない。次に待つのは、完全なる死しかない。それが命というものだ。


 二百五十年という寿命が一瞬にして消え去る。その意味を、ルシィーエットもオントワーヌも十分に理解している。


 二人ともに、ヒューマン属としての平均寿命をとうに超えている。賢者として、魔力循環の力をもって寿命を制御していたからだ。その力は、引退した今の二人にはない。


 その状況で、時空の王笏ゼペテポーラスを使用すれば間違いなく死に至る。しかも、巻き戻った瞬間に死を迎える可能性が限りなく高いのだ。


 ビュルクヴィストは理解に苦しむ一方で、心情的には分かるような気もした。


(もちろん、こうなることは予想していました。もはや私にはお手上げですね。全てがレスティー殿につながっていく。あの戦い以来、ルシィーエットもオントワーヌも、レスティー殿に心酔しきりでしたからね)


 今、まさにその二人がレスティーのために命をけようとしている。当然、時空の王笏ゼペテポーラスの使用を二人が望むことぐらい、レスティーには分かっていただろう。


(そのうえで使用するか否かの最終判断を私に委ねられた。レスティー殿、ひどいではありませんか。正直に言って、私は貴男を恨まざるを得ませんよ)


 二人に背を向ける。窓の外に広がる魔術高等院ステルヴィアの光景は、いつもと変わらない。移ろうのは人の心だ。


 ビュルクヴィストは、二人の機微きびに触れ、揺らぎがないことを確かに感じ取っていた。しばしの黙考、迷いを払拭ふっしょくする。


 再びルシィーエット、オントワーヌと視線を交わした。


「よいでしょう。貴方たちの覚悟はしかと受け取りました。最後に、もう一点だけ。時空の王笏ゼペテポーラスの恩寵がもたらす持続効果時間は、非常に高い代償を支払うにも関わらず、およそ半日程度です」


 アーケゲドーラ大渓谷での最終決戦が、どれほどの時間を要するかは誰にも分からない。持続効果時間を最大限生かすには、直前に使用するしかない。


「赴く直前です。時が満ちたら、ここを訪れてください。私は、準備をして待っています」

「感謝するよ、ビュルクヴィスト。何から何まで世話になったね。改めて、礼を言わせてもらうよ。これで最後になるだろうしね」


 事実は、時に残酷すぎる。別れは必ずやって来る。それが、このような形になろうとは誰に想像できただろうか。


 ビュルクヴィストは奥歯をみ、いつもの調子でわざと明るく言葉を発した。


「いやですね、最後だなんて、いったい何の冗談ですか。ルシィーエット、全く貴女らしくありませんよ。貴女は、不死身なのでしょう」


 それ以上は、言葉が続かなかった。


「いつまでっても、子供みたいだね。泣くんじゃないよ。私まで泣きたくなるじゃないか」


 思わず顔をそむける。相槌あいづちを求めて、オントワーヌを見やるルシィーエットは絶句するしかなかった。そこには、滂沱ぼうだの涙を静かに流すオントワーヌがたたずんでいたからだ。


「はあ、全く男ときたらこれだからね。世話がかかるったらありゃしないよ」


 大の男二人が涙する姿を眺めつつ、ルシィーエットは寂しげな笑みをたたえるのだった。


 完全に蚊帳かやの外状態のエレニディールも、この三人を見つめながら心底思っていた。何と羨ましい関係なのだろうかと。


(先代三賢者、表面的に見ているだけでは分かりませんでしたが、深い部分でしっかりと繋がっていたのですね。私たち当代もこのようになれるのでしょうか。本当にまだまだですね)

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