第035話:セレネイアの決意

「皆の者、少し落ち着くのだ」


 厚みのある低音は、不思議と沈静化に役立つものだ。


 場を見渡した後、イオニアはセレネイアの真意を問う前に、まずはクルシュヴィックがなぜ欠席しているかの説明から始めようとした。


「お前たちも気になっているであろう。第一騎兵団副団長クルシュヴィックについてだが」

「父上、いえ陛下、お待ちください。それは私から」


 いくら父娘とはいえ、ここは公の会議の場だ。国王の発言をさえぎるのは、異例のことだった。


 イオニアは何か言いかけようとしたが、娘セレネイアの強い意思を感じ取ったのか。その言葉をみ込んだ。


「昨日のことです。我々、第一騎兵団はディランダイン砦内でウーリッヒ、そしてクルシュヴィックと戦闘になりました」


 椅子を倒すほどの勢いで立ち上がったのはタキプロシスだ。


「そんな馬鹿なことが。ディランダイン砦は戦闘禁止区画ではありませんか」

「そのとおりです。ですが、実際に戦いが起きてしまった。しかも、第一騎兵団の仲間によってです」


 セレネイアはいったん言葉を切ると、タキプロシスを見つめ、それから理解が追いついていないであろう他の騎兵団の一員にも視線を動かした。


「クルシュヴィックもウーリッヒも、自らの意思で戦ったわけではないのです。私は、そう強く信じています」


 騎兵団の皆が互いに顔を見合わせている。


「セレネイア王女、申し訳ございません。私にはおっしゃっている意味がよく分かりません。もう少し詳しく説明していただけないでしょうか」


 丁重に申し出たのは、第三騎兵団団長のハクゼブルフトだ。身長が二メルクを優に超える彼は、身体を小さくして椅子に腰かけている。物腰も柔らかで、とても騎兵団を預かる団長には見えない。彼の槍術そうじゅつにおける腕前は、ラディック王国随一と言われている。


「セレネイア殿、貴女に全てを語らせるのはこくというものです。私が説明しましょう」


 たまりかねたカランダイオが言葉を発した。カランダイオはディランダイン砦の顛末を完璧に把握している。レスティーから全てを伝えられているからだ。


 セレネイアにも、さらにはスフィーリアの賢者にも、説明しづらい幾つかの要素がある。特にセレネイアに至っては、クルシュヴィックからはずかしめを受けている。彼女の気持ちをおもんばかったのだ。


 セレネイアはカランダイオに対して、ただ無言で首を横に振った。


(ほう、強い娘ですね。ここまでとは思っていませんでしたよ。少しばかり認識を改めないといけないかもしれませんね)


 カランダイオはセレネイアの目の光を見て、それからうなづきをもって返した。


「ハクゼブルフト、私もまだ気持ちの整理ができていません。説明がうまくできずに申し訳ないのですが、疑問があれば私の言葉を遮っても構いません。その都度、質問をしてください。皆も同様です」

「承知いたしました。セレネイア王女、ご配慮に感謝いたします」


 セレネイアは二度、三度と深呼吸をして心を落ち着かせると説明を続けた。


 先に結論から切り出す。騎兵団の皆には最大級の衝撃を与えることになる。やむを得ない。


「ウーリッヒとクルシュヴィックは、魔霊鬼ペリノデュエズにその身体を乗っ取られていました。最初はウーリッヒ、何があったのかは分かりませんが、その後にクルシュヴィックに乗り替えたとスフィーリアの賢者様はおっしゃいました」


 人はあまりに強烈な衝撃を受けると、言葉が出なくなると言われる。今がまさにその状況だった。


 初めて聞かされた者には、あまりに残酷な事実となって心に突き刺さった。昨夜のうちに事実を知ったイオニアやモルディーズでさえ、動揺を隠し切れないのだ。


「そ、それでウーリッヒは、クルシュヴィック副団長はどうなったのでしょうか」


 いかにも不安げに問うてきたのは、第四騎兵団副団長のギジェレルモだ。彼もまた平民から副団長まで最短で成り上がった逸材中の逸材で、ウーリッヒとは同期の間柄だった。


魔霊鬼ペリノデュエズの影響を受けたクルシュヴィックは、幸いにも同化に至っておらず、今はディランダイン砦で治療を受けている最中です。ウーリッヒは、残念ですが」


 セレネイアは悲哀ひあいに満ちた瞳をギジェレルモに向けた。


 二人が公私ともに強い信頼関係でつながっていることをセレネイアは知っている。失って悲しいのはセレネイアだけではないのだ。


「ああ、ウーリッヒ、俺より先にってしまったのか。なぜなんだ、なぜ魔霊鬼ペリノデュエズなどに」


 ギジェレルモの目には大粒の涙がたまっている。肩を震わせ、声が出ないよう必死にえている。その姿には誰もが心を打たれた。


「こういう時は泣け。誰に遠慮することもない。涙が枯れるまで思い切り泣けばいいんだ」


 第四騎兵団団長のホルベントがギジェレルモの肩を抱いて慰める。騎兵団最年長で心根の優しいホルベントは、これまでにも多くの部下を戦場で失ってきた。その苦痛は誰よりも身に染みている。彼の言葉にはそれだけの重みがあるのだ。


「団長」


 もはや限界だった。涙がせきを切ったようにあふれ出す。ギジェレルモの号泣はセレネイアの心をえぐった。


 セレネイアはディランダイン砦を離れる直前に聞かされた。砦内で騒動を起こしたその時点で、ウーリッヒが助かる見込みは皆無だった。


 死の直接の要因は、セレネイアにはない。スフィーリアの賢者にも、貴女が気にむ必要はないと言われた。それは無理な話だった。


(私はこんなにも弱かったのですね)


 第一王女だから、第一騎兵団団長だから、それだけでセレネイアは周囲から等身大以上に見られてきた。自身でも十二分に承知している。そのうえで、周囲の期待にこたえるべく、努力を惜しまず日々を生きてきた。


 それが根底から覆されようとしている。戦いが起きれば、何よりも大切な命が永遠に失われていく。ウーリッヒはセレネイアが第一騎兵団を率いるようになって、初めての犠牲者だった。彼を亡くした悲しみが重荷となってのしかかってくる。


 セレネイアは心の底から大声で泣き叫びたかった。自分の置かれている立場がそれを許さない。頭では分かっているつもりでも心が全くついてこない。


 淡い青の羽織はおりを握り締め、セレネイアは願った。


(ほんの少しで構いません。どうか、私に力をお貸しください)


 いったい、誰に願ったというのか。


「許してください」


 立ち上がったセレネイアは、皆の前で深々と頭を下げた。ギジェレルモの号泣が収まるまで、セレネイアは頭を下げ続けた。


「セレネイアお姉様は何も悪くありません」

「そのとおりですわ」


 第三王女シルヴィーヌ、次いで第二王女マリエッタが勢い込んでセレネイアを擁護ようごする。二人に言われるまでもなく、セレネイアに非がないことを、ここにいる者なら誰もが理解している。


 怒りの矛先ほこさきを向ける場、ここではセレネイアしかいない、がなければ悲しみを乗り切れないのだった。セレネイアもそれが分かっているからこそ、どれだけ罵倒されようとも頭を下げ続けるしかないと判断した。


 そして、そのとおりに行動したのだ。


「セレネイア王女、どうか頭をお上げください。私こそ取り乱してしまい、大変失礼いたしました。私はセレネイア王女を憎んでいるわけではありません。それだけは断言できます」


 かすれる声でギジェレルモが明確に答える。それを受けて、セレネイアはようやく頭を上げた。


「ギジェレルモ、有り難う。皆も聞いてください。私は第一騎兵団団長でありながら、あの戦いで何もできませんでした。本当に無力でした。ある御方がいなければ魔霊鬼ペリノデュエズに食われ、この場に立つことさえありませんでした」


 セレネイアは言葉を切ると、視線をカランダイオに向ける。


「貴男の主様でしたのね。あの御方に救われた命、無駄にはできません」


 カランダイオは何も答えない。それでよかった。優しい言葉など求めてもいない。


「よく聞いてください。この戦争に絶対勝てないと言った理由、それこそが魔霊鬼ペリノデュエズなのです」

「待て、セレネイア。なぜ、ここで魔霊鬼ペリノデュエズが出てくるのだ」


 イオニア自らがすぐさま疑問をていす。


「昨晩、余がスフィーリアの賢者殿より受けた説明には、一言もそのような事実はなかった。魔霊鬼ペリノデュエズは、かの御仁によって倒されたということだったはずだ」


 イオニアの言葉にセレネイアは頷く。


 スフィーリアの賢者がイオニアに告げなかったことがある。先日、ファルディム宮にやって来たスフィーリアの賢者が、分析できたら真っ先にイオニアに知らせると約束していたあの一件だ。


 彼は自ら説明することなく、去りぎわ、セレネイアに事実を明かすかどうかを委ねたのだ。


 すなわち、カルネディオ破壊の真実だ。


「父上、実はスフィーリアの賢者様があえて説明しなかったことが一つだけあるのです」


 怪訝けげんな表情で、イオニアはまずセレネイアを、次いでモルディーズを見る。モルディーズは、何も聞いていないという意思表示を首を横に振ることによって示した。それを確認したイオニアは、最も離れた位置に座るカランダイオへと視線を動かした。


 受け止めたカランダイオが答える。


「賢者殿がなぜ告げなかったのかは知りません。ええ、そのとおりですよ、イオニア殿」


 カランダイオはあっさりと事実だけを告げ、その先の説明は再びセレネイアに任せた。


「父上、跡形も残らず破壊され尽くしたカルネディオ城から、スフィーリアの賢者様が持ち帰ったものがありましたね。あれこそが魔霊鬼ペリノデュエズの核と言われるものなのです。あの破壊を行った魔術師は、魔霊鬼ペリノデュエズの力を用いているのです」


 場が凍りついたかのように静まり返っている。


 声を上げる者は皆無だった。

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