第033話:三姉妹

 パレデュカルとイプセミッシュが会談しているその頃、セレネイアがスフィーリアの賢者に伴われて魔術転移門でファルディム宮に戻ってきた。


 夜更よふけながら、すぐさまけつけたイオニア、モルディーズ、さらに二人の妹は衝撃を受けるしかなかった。


 これほどまでに弱々しいセレネイアを目の当たりにするのは初めてだった。彼女は見るにえないほどに消耗している。今にも倒れてしまいそうな有様だ。


 妹二人が駆け寄って何とか支えたものの、とても事の顛末てんまつを語るだけの余力はなさそうだった。


 結局のところ、何が起こったのかは、彼女に代わってスフィーリアの賢者が説明することになった。もちろん、全てを詳細に語ったわけではない。割愛かつあいした部分も多い。


 それでも、内容を聞いた一同が絶句したのは言うまでもないだろう。


 説明を終えたスフィーリアの賢者は、イオニアへの挨拶もそこそこにセレネイアにだけ声をかける。


 再び魔術転移門を開く。スフィーリアの賢者はレスティーの後を追うためにこの場を後にした。


 セレネイアは、レスティーにかけられた青の羽織はおりをきつく握り締めたまま、国王であり父でもあるイオニアに一礼だけすると、一言も発することなく自室に閉じこもってしまった。


 二人の妹が寝室まで付き添ったものの、セレネイアはその場に倒れ込むようにして深い眠りに落ちていった。


 二人はいったん部屋を出たものの、セレネイアを心配するあまり部屋の前で幾度となく声をかけた。セレネイアからの応答は一切ない。


 まさかとは思うが、時が過ぎると共に最悪の事態が頭をよぎる。


 二人は無断で部屋に立ち入るべきか迷った。緊急時なら躊躇ちゅうちょはしないだろうが、紳士淑女の部屋に断りなく入室しないといった貴族の仕来しきたりには律儀りちぎに忠実だったりする。


 二人は父イオニアにかけ合うことにした。イオニアは二人の言葉にさもありなんという思いから、すぐにモルディーズを呼び出す。同時にカランダイオのもとに自ら足を運んだ。


 魔術という側面からセレネイアの様子をてもらうためだ。


 医術と魔術は全く違う。どうして、私がわざわざと渋面じゅうめんを浮かべるカランダイオを妹二人がなだめに宥めて、ようやく部屋の前まで連れてきたのだった。先に来ていたモルディーズがうなづく。


 モルディーズとカランダイオが見守る中、二人が部屋の扉を開けるやセレネイアのもとへ駆け込んでいく。


 冷涼な月明かりがセレネイアの寝顔を薄っすらと照らし出している。まるで悪夢にうなされているかのような苦悶くもんの表情だ。


 両の瞳から涙の糸を引いているのが見えた。


「こんなセレネイアお姉様を見るのは初めて。可哀相かわいそうなお姉様」


 末っ子の第三王女シルヴィーヌはまだ十歳だ。年齢以上に、しっかり者だと多くの家臣から認識されている。誰にもましてセレネイアを慕っているシルヴィーヌは、初めて見る姉の痛々しい姿に思わず泣きたくなった。


「この私の手で、あの男をずたずたにしてやりたいわ」


 あの男がクルシュヴィックを指しているのは明白だ。十三歳の第二王女マリエッタは、その忌々いまいましい名前を口にすることさえ自身に許さなかった。


「マリエッタお姉様、過激すぎます。そんなことをしたらセレネイアお姉様がもっと悲しむに違いありませんわ」

「そう、ですわね。これ以上、セレネイアお姉様を悲しませたくはありませんものね」


 二人はセレネイアのほおにそっと触れ、優しく涙の糸をぬぐった。


「ねえ、カランダイオ、そこにいるのでしょう。貴男に頼める筋合いでないのは承知しています。セレネイアお姉様のために、何か有効な魔術があればお願いできませんか」


 扉の外で成り行きを見守っていたカランダイオが仕方ないとばかりに、ゆっくり入ってくる。二人の前まで来ると、セレネイアを一瞥いちべつ、身体に巻きつけている羽織に気づく。


「必要はありませんよ。彼女が着ているその羽織をご覧なさい」


 問い返したのはマリエッタだ。


「羽織、ですか」


 続けてシルヴィーヌが答える。


「そう言えば初めて見るものです。セレネイアお姉様にとてもよく似合っていますわ」


 用事は終わったとばかりにきびすを返して出て行こうとするカランダイオを、シルヴィーヌが慌てて呼び止める。


「待ってください、カランダイオ。もう少し説明をしてくれてもよいではありませんか」


 少し頬を膨らませながら、ねたようにねだるシルヴィーヌが相手では、たとえカランダイオでも譲らざるを得ない。第三王女は、あどけなさの中にしたたかさを隠し持つ、なかなかの曲者くせものなのだ。


 またこの妹は、というなかあきれた目つきで、マリエッタがシルヴィーヌを見ている。カランダイオは渋々といった表情で説明を始めた。


「まず、私が魔術を行使する必要は全くありません。なぜなら、その羽織には魔術付与が施されているからです。彼女はそれを知ってかいなか、私には分かりませんが、大事そうに身にまとっているからですよ。我が主が彼女に与えたものに相違ありません。魔術付与そのものは我が主ではありませんがね」


 独り言のようにマリエッタがつぶやく。


「貴男の主と言えば、あの魔霊鬼ペリノデュエズを単独でいとも簡単に倒してしまわれた御仁ごじんですわね」


 シルヴィーヌが興味津々きょうみしんしんとばかりに早速口を挟んでくる。


「私も父上からお聞きしました。貴男の主様に是非ともお会いしたいですわ。きっと素敵な殿方なのでしょうね」


 カランダイオの表情がますます渋くなっている。


「お二人に忠告しておきます。我が主のことはくれぐれも公言しないよう、切にお願いをしておきますよ。我が主はこの主物質界において表舞台におになる御方ではありません。よろしいですね。努々ゆめゆめ、そのことをお忘れなきよう」


 二人にはカランダイオの言わんとするところが理解できなかったようだ。まだ何か聞きたそうにしている。


 カランダイオはこれ以上の説明は不要とばかりに打ち切った。


「身体に負った傷があるとして、それは朝までにすっかりえているでしょう。ですが、心に負った傷は簡単には癒えません。お二人がかたわらにいれば彼女も少しは安心して眠れるでしょう」


 それだけ言い残して、カランダイオは部屋を出て行った。


「よく分からなかったわね。なぜ公言してはいけないのでしょう。シルヴィーヌ、貴女は分かりましたか」


 マリエッタの問いかけに、シルヴィーヌは黙って首を横に振るだけだ。既にシルヴィーヌの関心は姉セレネイアに戻っていた。


「セレネイアお姉様、朝までこのシルヴィーヌがずっとついていますからね。安心してお眠りくださいませ」


 シルヴィーヌもマリエッタも、セレネイアの手を握ったまま朝を迎えるつもりだ。


「ねえ、シルヴィーヌ、こうしていると幼かった時を思い出すわね。あの頃は、セレネイアお姉様を真ん中に、いつも三人で手をつないで眠ったものよね」


 少し待った。シルヴィーヌからの反応がない。マリエッタは、セレネイア越しにシルヴィーヌの様子をのぞき込んだ。


「こういうところは変わらずお子様なのよね。寝顔は、こんなにも可愛らしいのに。本当にこの子ときたら」


 シルヴィーヌの柔らかな頬を指で突きながら、マリエッタもすぐに眠りに落ちていった。


 いつしか、藍碧月スフィーリアは姿を隠し、紅緋月レスカレオ槐黄月ルプレイユの二連月が輝いていた。


 冷たい光は温かい光へと変わり、三人の寝顔を優しく照らし出していた。

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