第050話:エルフの里との別れ

 苦しそうな息を吐きつつ、キィリイェーロは訥々とつとつと語り始めた。


「我が兄ジリニエイユから何を聞かされたかは知らぬ。まずは私が語るべきであろうな。そなたが望む真実、さらにはシュリシェヒリのエルフ属にのみ与えられた本当の役目というものを」


 キィリイェーロ自身、目覚めたものの、回復までにはほど遠い状態だ。数十ヶ所に及ぶ全身の傷も平癒していない。とりわけ、重傷を負った胸部や四肢は未だ出血が止まらず、治癒術で何とか悪化を防いでいる状況だ。


 途中で何度も中断した。そのたびに、パレデュカルは、どうして俺がこんなことまでと思いながらも、苦しむキィリイェーロを介抱し、何とか最後まで話をさせた。


「なるほどな。妄執もうしゅうとらわれたジリニエイユの狂気が生み出した悲劇か。悲劇という言葉で片づけてほしくはないがな。お前が嘘偽りなく語ったことは分かった」


 キィリイェーロの語った全てに納得したわけではない。もはや、納得がどうこうという段階でもなかった。


「三里に分かれたエルフ属の統一、そのうえでの新たな王国の樹立を反対するわけではない。私自身もそうありたいと願っている。だが、兄とは決定的な差異があるのだ」


 言わんとしていることは分かる。パレデュカル自身、己がその立場なら同様の考えに至ることは明白だったからだ。


「姉さんを新王に迎えること。エルフ属を主物質界の頂点にした支配体制を確立すること。極めつけが魔霊鬼ペリノデュエズを従え、エルフ属の強力な武器にすること。この三点だな」


 キィリイェーロは弱々しくうなづき、言葉には力を込めて紡ぎ出していく。


「断固として阻止せねばならぬ。特に魔霊鬼ペリノデュエズだ。あれは人が関わってよいものではない。人は弱い生き物だ。魔霊鬼ペリノデュエズに容易につけ込まれ、取り込まれてしまう。絶対に手出しなどしてはならぬ」


 異論はない。魔霊鬼ペリノデュエズを支配下に置いて使役するなど、もっての他だ。


「サリエシェルナ、いやサリエシェルナ姫には王族などとは関わりなく、一人の女として幸せに生きてほしい。私は、新王国ができたとしても、かつての王族の血など不要だと考えている」


 これにも異論は全くない。サリエシェルナ姉さんには、姉さんの好きなように生きてほしいし、生きるべきだ。


 パレデュカルは、ジリニエイユに言ったとおり新王国樹立などに興味はない。どうでもよいことだ。パレデュカルにとって重要なことは、姉サリエシェルナを無事に取り戻す、その一点に尽きる。


 激しく咳込むキィリイェーロを見て、少しばかり気の毒に思いもする。ここは疑問を残さずに最後まで話をするため、心を鬼にしなければならない。


「サリエシェルナ姉さんが、かつての王国をべていた王族の血筋だとなぜ分かった」

「長老に就任した六百年ほど前になるか。神殿内には長老のみが立ち入りを許された禁書庫がある。そこで見つけた一冊の書物に詳しく記載されていたのだ。その書物には自動筆記魔術が半永久的に施されている。王家の系図も常に最新に改められていく」


 キィリイェーロが視線をこちらに傾けた。その目が、全て言わずとも分かるだろうと告げている。


「サリエシェルナ姉さんの名前があったということか。その頃と言えば、姉さんは生まれたばかりだ。それでも系図に記載されていたのか」

「お前は次期長老になるべき男だ。実際に、その目で見て確かめてくるがよい。お前の名で禁書庫に入れるよう手は回しておいた」


 何を勝手なことをと文句をつけようとした。その前に、キィリイェーロは眠りに落ちていた。長時間の会話で無理がたたったのだろう。


「キィリイェーロ、お前を死なせるのは止めた。死を迎えるその時まで、長老として命を散らしていった同胞のために祈れ。それがお前に残された唯一の責務だ」


 パレデュカルには次期長老になる気など毛頭ない。ここでの用事が片づけば、里を出て二度と戻るつもりもない。


「俺はこのダナドゥーファという名も捨てる。お前とも顔を合わせることは二度とないだろう」


 パレデュカルは静かに立ち上がった。


 キィリイェーロの表情は、カドムーザにやって来て、初めて目にした時よりもおだやかに見える。その顔は、お前の好きなようにしろと語っているようでもあった。


「世話になった、と言っておこう。一刻も早い回復を願っている。さらばだ」


 パレデュカルは振り返ることなく、風をまとうと、十メルク下の地表へと一気に飛び降りた。


「ダナドゥーファ、お前に幸多からんことを、切に願っている」


 そのつぶやきは、風に乗ってパレデュカルにしっかりと届いていた。


 以降、シュリシェヒリの里でパレデュカルの姿を見た者は誰もいないという。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「パレデュカルはシュリシェヒリでの用事を片づけた後、親友のトゥルデューロにも告げず、一人里を出ました。それからすぐですね。約束どおり、魔術高等院ステルヴィアで彼と再会したのです」


 ステルヴィアでの滞在は、わずか一旬にすぎなかった。ビュルクヴィストとパレデュカルは互いに魔術の研鑽けんさんを重ね、手合わせも行った。


 ビュルクヴィストが師でもあり、弟子でもあり、二人は良好な関係を築いたと言えるだろう。


「本来、火炎系魔術を得意とするパレデュカルには、ルシィーエットこそ適任だったのですが、ご存じのとおりあの性格ですからね」


 先代レスカレオの賢者ことルシィーエットは強力な火炎系魔術を武器に、数々の功績を上げてきたこともあり、次期院長筆頭候補に挙げられていた。


 当時の魔術高等院ステルヴィア院長オレグナンも、彼女を後継として認めていた。スフィーリアの賢者ビュルクヴィスト、ルプレイユの賢者オントワーヌも、間違いなく彼女が就任するとばかり思っていた。


 ところがだ。


「彼女はこう言い放ったんですよね。『オレグナン、お前、何言ってんだ。俺に院長なんて務まるわけねえだろ。そんなもん、あのビュルクヴィストにでもやらせておけよ。あいつなら、うまくやるだろ』。こういうことでして」


 ビュルクヴィストは当時を思い返し、苦笑を浮かべている。

 

 ルシィーエットの性格を端的に表したビュルクヴィストの言葉に、誰もが驚きを禁じ得ない。


 ここに集った者の多くが、ルシィーエットの武勇は知っている。一方で接する機会は滅多になかった。彼女の性格までは分からなくて当然なのだ。


「素敵です、ルシィーエット様」


 声に出していたのはマリエッタ第二王女だ。ルシィーエットの豪快な性格を知る数少ない一人で、熱烈な信者でもある。


「ルシィーエットのことはさておき、パレデュカルはステルヴィアを去って以来、およそ二百五十年にわたって消息不明でした。過去を含め、もっと色々と教えてもらいたかったのですが、何しろ寡黙かもくな男でした」

「それ以来、一度も接触はなかったのでしょうか」


 問うたのはモルディーズだ。ビュルクヴィストは、パレデュカルの魔力の流れを感知できると言っていた。そうならば、魔術探知を行うことで簡単に発見できるのではないかと考えたのだ。


「貴男の考えていることは分かります。何度も探知を試みましたよ。それこそステルヴィアの権限を最大限活用してね。それでも彼を見つけるには至りませんでした」


 魔力の流れを自在に変化させる魔術もある。他者に成りすましたり、目をあざむいたりする難度の高い偽装魔術の一種だ。


「他者の目から逃れ続けてきたパレデュカルが、発見されることを覚悟のうえでカルネディオを破壊したのですね。私にはまだ全容は見えていませんが、彼が欲する最終目的に近づいたということになりませんか」


 ビュルクヴィストはいきなり立ち上がると、大きな拍手を送った。


「素晴らしいですよ、セレネイア第一王女。パレデュカルはもはや正体をさらすことに何ら抵抗を感じていないのです。それはつまり貴女がおっしゃったとおりです。彼にとっての最終目的がすぐそこにあるからです」


 パレデュカルの最大の目的は、何度も言うように姉サリエシェルナの奪還だ。そのためにはジリニエイユの懐深くに入り込まねばならない。


 彼はまさに今、手を伸ばせばつかめるところにまで近づいているのだ。


「決着のときが迫っている、と考えてよいでしょうね」


 熱く語るビュルクヴィストに対し、今度はイオニアが疑問を投げかける。


「カルネディオ破壊の一件で、このジリニエイユという男も関与しているのだろうか」


 ビュルクヴィストはただ首を横に振るだけだ。言葉はない。


「イプセミッシュ殿はパレデュカルと手を組んでいるのだろうか。さらには、依然不明のままの決戦の場だ。魔術での勝負ならば昼夜に関係ないであろう。だが、我らが敵対するのはゼンディニア王国であり、パレデュカルではないのだ」


 皆が頭をひねる中、ビュルクヴィストとセレネイアだけが確固たる考えを持っていた。


 披露するのはどちらが先か。イオニアの疑問が氷解するのは、もうまもなくだ。

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