第053話:キィリイェーロ対レスティー

 遠巻きに見ていた者たちに向けて、レスティーが静かに告げた。


 その言葉を合図に、樹々をうようにして大勢のエルフが姿を現す。多数が細剣や弓を携えていた。さすがに武器を構えている者はいない。


 さらに、彼らに守られるようにして最奥から背丈ほどの杖を手にした三人のエルフがゆっくりとした足取りで近づいてくる。


 三人以外は、姿を見せた場所で待機している。三人は男を先頭に、すぐ後ろに男女一名を従え、レスティーの前まで進み出た。


「レスティー・アールジュ様、ご尊顔そんがんを拝し、我らシュリシェヒリのエルフ属一同、恐悦至極きょうえつしごくに存じます」


 先頭の男が片ひざをつくと同時、この場につどったエルフたちがこぞって同じ行動を取った。


世辞せじはよい。私に膝をつく必要もない。話がしにくい。立ってくれ、キィリイェーロ」


 周囲が騒々しい。


 レスティーがキィリイェーロと呼んだ男は、シュリシェヒリを預かる長老だ。里の者ならまだしも、里外の者が長老を真名まなで呼ぶことはあり得ない。エルフ属でもない男が長老の真名を知っているはずがないからだ。


 しかも、キィリイェーロ自らが男に対して膝をついた。明らかに目上の者に対する動作だ。里の者にとって、全く理解できない状況だった。


「そなたの後ろにいる者たちは新たな補佐か。初めて見るな」


 レスティーに促されて立ち上がったキィリイェーロが答える。


「右手にいるのがミヴィエーノ、左手にいるのがチェシリルアでございます」


 キィリイェーロに紹介された二人が無言でレスティーに頭を下げた。エルフとしてはまだ若い部類であろう。二人からは、おざなりな態度が見え隠れする。


 二人の態度に苦虫にがむしつぶしたような表情のキィリイェーロが、すかさず話題を変えてくる。


「レスティー様、此度こたびは何用でシュリシェヒリへいらっしゃったのか、お聞かせ願えますでしょうか」


 この場において唯一レスティーの正体を知るキィリイェーロが恐る恐る尋ねる。


「まもなくエレニディールがここにやって来る。詳しい話はそれからだ。その前に聞いておきたい。シュリシェヒリの者にのみ与えられた異能だ。今現在、ここに住まうどれだけの者が操れるのだ」


 言葉に詰まる。嘘をつくこともできる。それは全く得策ではない。そもそも、レスティーに嘘は通用しない。キィリイェーロも重々承知している。正直に答えるしかなかった。


「あの一件以来、私とごく数名の者を除けば誰も操れません。今や、我らに与えられた異能を知らない者の方が大半でございます。私自身の判断で儀式を中止いたしました。真なる銀麗の短剣スクリヴェイロがあってこそ、成り立つものでありますゆえに」


 レスティーはキィリイェーロを見据みすえ、言葉を発する。


「あれは不幸な出来事だった。そなたたちにしてみれば、不幸の一言で片づけられないだろうが」


 なりそこない《セペプレ》の襲撃を受けた際、里に暮らす者のおよそ七割が犠牲になった。本来発揮するであろう結界が完全に無効化されていたからだ。誰も気づけなかった。


「そなた、どこまで兄を信じていたのだ」


(恐ろしい。この御方は全てをご存じのうえで私に問いただしてきているのだ。遂にこの時が来たということか。もはや、猶予はないのだな)


「長老、いったい何の話を」


 割り込むように、背後に控えるミヴィエーノとチェシリルアが問いかけてくる。キィリイェーロは手にした杖を真横にかたむけることで、彼らの言葉を即座にさえぎった。


「キィリイェーロ、そなたにレスティー・アールジュの名をもって命ずる。里の者にそなたが隠し続けてきた真実を全て伝えよ。そのうえで、シュリシェヒリの民としてすべき使命を果たすか、あるいはこばむか決断せよ」


 来るべき時が来たのだ。キィリイェーロに躊躇ためらいはなかった。


「果たすと決めたなら、そなたたちには私が力を貸そう。拒むと決めたなら、そなたたちに与えられた異能を全て剥奪はくだつ、新たな結界を構築したうえでこの里内に永遠に封じ込める」


 即答だった。逡巡さえ見せない。覚悟を決めた目をしている。


「レスティー様、承知いたしました」


 ここにやって来た者たちが長老と同じ思いとは限らない。そもそも、レスティーの居丈高いたけだかな言葉に、ほぼ全ての者が反感を覚えているところだ。レスティーの正体を知らない者からしてみれば、当然ともいえる感情だ。


 既にこの不遜ふそんな態度の男を敵と定め、数人が攻撃態勢に入っている。


「やめ」


 キィリイェーロが制止しようとするも、間に合わなかった。


 たまりかねた魔弓警備隊の一人が矢を放ってしまっていた。飛来する矢に魔術付与はほどこされていない。急所を狙ったものでもなかった。


「な、何だと」


 二本の指の間に矢がはさみ取られていた。たくみに半回転、レスティーに向けられていたやじりは、今や射手を標的と定めている。


「では、返そうか」

「お待ちください、レスティー様。あの者は私が強くしかりつけるゆえ、ここはご容赦いただけないでしょうか」


(この男がここまで頭を下げてくるか。あれ以来、苦労してきたのだな)


 レスティーは指の力を抜くと、足元に矢を落とした。地表に触れる寸前だ。矢が炎に包まれると、またたく間に消滅した。


「次はないと思え。私は里の外でエレニディールの到着を待つ。キィリイェーロ、それまでに里の者たちと存分に話をしておくがよい。この決定は、母上様のご意思と知れ」


 いつまでも頭を下げ続けるキィリイェーロを残し、レスティーは背を向けた。


 当然のごとく、二の矢はなかった。周囲のざわめきは完全な沈黙に変わっている。


 エルフ属は人族にあって、もっとも魔術に秀でた一属でもある。特に魔弓警備隊は里内で抜きん出た実力を有する者からる。その誰もが炎の発動に気づけず、呆然ぼうぜんと眺めるしかできなかった。


 長老のこの姿、さらには常人ならざるレスティーの力をまざまざと見せつけられた結果だった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 シュリシェヒリの里を一歩出たその先は、すっかり闇で満たされていた。


 三連月は姿を隠し、光の差し込む余地はない。聞こえてくるのは風の音だけだ。


 それでいて、レスティーの周囲だけがほのかに照らし出されている。何とも不思議な光景だった。静けさの中に、どこかしら騒がしさが感じられる。有機質な音には違いないが、人が立てるものではない。


 そこに無機質な硬質音が響き渡った。


「それらは皆、精霊ですか」


 魔術転移門から降り立ったエレニディールが驚きの声を上げている。


 精霊がここまで人に気を許し、しかも親しげに寄り添うなど、滅多めったに見られるものではない。


 精霊とは九界の一つ、精霊界に生きるものを指す。彼らはあらゆる界を自由気ままに渡って活動できる唯一の存在だ。主物質界においても、万物に宿るとさえ言われている。


 魔術師の中には、精霊魔術を専門に扱う精霊術師がいる。彼らは特定の精霊と契約することで、その力を主物質界で具現化できるのだ。


 むろん、精霊の行使には一般的な魔術語ではなく、難度の高い精霊語が用いられる。彼らはより高位の精霊と契約を結ぶことを目指し、日夜精霊研究にいそしんでいるという。


 一概には言いきれないが、高位精霊魔術は通常の最上級魔術のおよそ数倍の威力を有する。


「来たか、エレニディール」


 大樹にもたれかかっていたレスティーが精霊を引き連れて歩み寄ってくる。何とも幻想的な姿だ。彼自体が神秘的でもあるため、まわりに精霊がいても全く違和感をいだかせない。


「いったい、どれほどの精霊が集まっているのですか」

「光、闇、風、水、木、土、霧の精霊たちだ。召喚せずとも、この主物質界でよく見られる子たちだな」


 レスティーの手の動きに合わせ、様々な精霊たちが浮遊したり、駆け回ったり、楽しそうにたわむれている。


「キィリイェーロと会ったことは」


 エレニディールが首を横に振って答える。


「私の里フィヌソワロとシュリシェヒリは交流がほとんどありませんでした。それに、私は早くに里を出てしまいましたからね」


 続けざまに問いを投げかける。


「ビュルクヴィストからそなたの身に関して何か聞いているか」


 怪訝けげんな表情で、エレニディールが問い返す。


「私の身ですか。いえ、そのようなことは何も。それに隠すような秘密など持ち合わせていませんよ」


 屈託くったくなく答えるエレニディールを見て、レスティーは迷った。


(本当に知らないのだな。ビュルクヴィストが明かさなかったのは意外だが)


 レスティーが知っている事実を先に語っておくべきか、あるいはこれからのキィリイェーロとの話の中で彼に語らせるか。レスティーは後者を選んだ。


「キィリイェーロが待っている」


 それだけを告げて、レスティーはエレニディールとともに再びシュリシェヒリの結界を通り抜けていった。

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