第247話:イプセミッシュの死生観

 氷雪狼ルヴトゥーラの攻撃が途絶えたことで、高位ルデラリズの完全再生はっている。


 四つの核を失ったとはいえ、根核ケレーネルとさらに三つの核がいまだ無事に残っている。余力は十分だった。


 ルブルコスを、氷雪狼ルヴトゥーラを相手にしていては勝利の目はない。あのまま攻撃を食らい続ければ、わずかの間に残り全ての核を破壊され、滅されていた。その苛烈かれつなまでの攻撃がうそのように止まったのだ。


 今、こちらに向かって猛然とけてくる男が視界に入る。力の上下関係はすぐに判別できた。己よりもはるかに弱い。


 肉体が強化されていようと、所詮しょせんは人のわくを超えることはできない。そこが魔霊鬼ペリノデュエズと人との決定的な差異だ。


 魔術付与された剣を手にはしている。気にするほどもない。男が有する魔力は質も量も、先ほどまでの魔剣士と比べれば、天と地ほどの開きがある。


 すなわち、高位ルデラリズは結論づけた。


「俺の勝利は揺るがない。問題はあの男だ」


 忌々いまいましげにルブルコスを見やる。もくしたまま、ただ両腕を組んで静観の構えを崩さない。


 この男が死んでも気にならないのか、あるいは何か策でもあるのか。いや、策をろうするような真似はしないだろう。実際に戦った感触からの判断だ。


 絶対的強者が持つそれに類似している。二対一などあり得ない。懸念材料と言えば、向かってくる男をほふった後だ。逃げおおせるとはいささかも思わない。命運尽きたと言っても過言ではない。知恵を働かすしかない。


「そこの魔剣士の男よ、取引をしようではないか」


 高位ルデラリズが思いがけない言葉をき出す。


 よりによって、魔霊鬼ペリノデュエズが取引を口にするなど、片腹痛い。どのみち、滅ぼすことに変わりはない。ルブルコスは無視するつもりでいた。既にイプセミッシュが高位ルデラリズまで十メルクを切っているのだ。


「止まれ、イプセミッシュ」


 気が変わったのか、ルブルコスの鋭い声が飛ぶ。イプセミッシュは躊躇ちゅうしょなく指示に従う。余計なことは考えない。何か思惑があるのだろう。


 全速力で駆けていたイプセミッシュは急制動をかけ、高位ルデラリズわずか五メルク手前で静止した。


「私が納得するだけの取引材料を出せるのか、お前に」


 左腕に装着した氷霜細降龍凍リディグニファダラを突きつけ、ルブルコスが問う。氷霜細降龍凍リディグニファダラから凄まじいばかりの凍気がき出している。返答次第では根核ケレーネルを除く残り三つの核のうち、二つを即時破壊するつもりなのだ。


 ルブルコスの変化のない表情とは対照的だった。高位ルデラリズくやしげににらみ返す。無為むいに戦いを挑むなど愚者の行いだ。既にルブルコスと高位との間では勝敗がついている。


 それをくつがえしうる方法は唯一だ。全てはこの交渉にかかっている。冷静にならなければならない。言葉一つでも間違えば、今度こそ根こそぎ刈り取られるだろう。


 それはすなわち消滅、死を意味する。これほどまでに緊張したことは一度もない。他の高位ルデラリズたちと戦った時でさえ、ここまでの恐怖や絶望は抱かなかった。


 思わず生唾なまつばを飲み込む。人の姿をまとってはいるものの魔霊鬼ペリノデュエズだ。唾液だえきなどない。その代わりの粘性液体が喉元のどもとをつっかえながら通っていく。


「俺の持てるものなら何だって差し出そう。その代わり」


 ルブルコスの鋭い視線によって言葉を切られる。透き通る青白銀ルジャネラの瞳は全てを凍てつかすかのようだ。氷霜細降龍凍リディグニファダラから噴き出していた凍気は収まり、静まり返っている。それがかえって得体の知れない恐ろしさをかもしている。


二言にごんはないであろうな」


 続きを言う必要はない。どうなるか分かっているのだから。高位ルデラリズは大きくうなづくとともに言葉でも答えた。


「ない。俺の命は既にそこもとの掌中しょうちゅう足掻あがいたところでどうにもならないだろう」


 あまりにいさぎよすぎる。ルブルコスは魔霊鬼ペリノデュエズの特性を熟知している。


 高位ルデラリズともなれば、数百にも及ぶ人を食って、依代よりしろとしている。ゆえ狡猾こうかつでもある。力だけではなく知恵も回る。


 確かに、ルブルコスがにらみをかせている以上、高位ルデラリズに逃げ場はない。いまだルブルコスでさえ見通せない切り札を隠し持っているのではないか。疑心暗鬼にならざるを得ない。


「どちらが先だ」


 端的にしか述べない。問答は不要だ。


「俺からだ。これから、この男との一騎打ちなのであろう。そして、俺が勝ったら」

「この場を見逃せとでも言うつもりか」


 機先を制する。ルブルコスが冷酷な声音こわねで続ける。高位ルデラリズは寒さなど全く感じない。感じないながらも、その声音に全身を震わすのだった。


「こちらの条件を告げよう。お前の根核ケレーネルだ。それを差し出してもらおうか」


 ルブルコスにとって悪い取引ではない。むしろ歓迎すべき内容でもある。


 この一騎打ちでイプセミッシュが勝てば、労せずして根核ケレーネルが手に入る。イプセミッシュが負けたとしても、この場から逃れるために高位ルデラリズ自らが根核ケレーネルを差し出してくるのだ。


「分かった。それで見逃してくれるなら、俺の根核ケレーネルを差し出そう」


 根核ケレーネルを差し出す意味を理解しているのか。それ次第でルブルコスの対応も変わってくる。仮にも高位ルデラリズなのだ。無知なままでいるはずもない。根核ケレーネルを失えばどうなるかぐらい知っていて当然だろう。


(やはり裏があるな。こやつは頭の回転だけは早そうだからな)


 今は考えたところでどうにもならない。いざとなれば介入して滅ぼしてしまえばよいのだ。ここから先、ルブルコスはイプセミッシュに丸投げすることに決めた。


「よかろう。そこの小僧だ。名をイプセミッシュという。お前が勝てたなら、根核ケレーネルと引き換えに見逃してやる」


 初めて高位ルデラリズに残忍な笑みが広がった。ルブルコスは意にも介していない。その視線の先にはイプセミッシュが右手に剣を握り、戦闘態勢を整えている。


 さすがにロージェグレダムの修業を受けただけのことはある。記憶が戻る前、一度対峙たいじした際に比べ、はるかに力強さを増しているのが分かる。


「イプセミッシュ、ここからはお前と高位ルデラリズとの一騎打ちだ。私は一切手出しせぬ。修業の成果を見せるがよい」


 告げるなり、ルブルコスは瞳を閉じる。肉眼で見る必要はない。魔力を通して魔眼まがんで全てをるのだ。


 高位ルデラリズは逆に大きく目を見開き、これから狩ろうとする獲物えもの焦点しょうてんを定める。


「取引はった。イプセミッシュと言ったか。俺が生き延びるためだ。お前にうらみなどないが、ここで死んでもらうぞ」


 イプセミッシュが剣を構える。最も得意とする必殺の右八双みぎはっそうだ。高位ルデラリズを相手に生半可なまはんかな剣技など通用しない。初撃から全力で行く。行かなければならない理由もある。


 雪氷嵐せっぴょうらんが容赦なく顔をちつけてくる。ここは高度三千メルクにも及ぶ高地だ。呼吸を慎重に整える。深呼吸を繰り返しつつ、肺一杯に吸い込んでもなお足りない。


 それを補うためには魔力を燃やすしかない。魔力を燃やせば燃やすほど、体力の消耗しょうもうも激しい。だからこそ、短時間で勝負を決める必要があるのだ。


 右八双に構えた愛用の両刃もろは大長剣を最上段に移行する。右脚を半歩分引く。左手を剣の柄頭つかがしらに柔らかく添える。


 いささかのぶれもない。美しい剣姿けんしだ。ルブルコスも思わず見惚みとれるほどのイプセミッシュの構えだった。


 両腕を組んだまま、構えもしない高位ルデラリズは冷静にイプセミッシュの構えを目で追っている。揺るがない勝利への自信がそうさせているのだ。


(ウェイリンドアよ、ているか。お前の息子はここまで成長したぞ。約束どおり、私は見守ろう。お前も見守ってやれ)


 イプセミッシュと高位ルデラリズとの距離はおよそ五メルクだ。圧雪路あっせつは足場とするに十分な固さを保持している。


(ルブルコス殿がここまでお膳立ぜんだてしてくれたのだ。負けるわけにはいかない。絶対にだ)


 心を解放する。


 イプセミッシュの死生観は記憶が戻ると同時に変貌へんぼうげた。ザガルドアに指摘されたように、これまでは己を犠牲にして、そう、たとえ死んだとしても友を、仲間を守りたい。その一心だった。


 今は違う。友の、仲間のために、己も生き抜きたい。


(私の生還を待ってくれている友がいる。仲間がいる。死ぬわけにはいかないのだ。だから、私は勝つ)


 イプセミッシュは剣を最上段に置いたまま、およそ五メルクを一気にけた。

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