第018話:軍事戦略家

 イプセミッシュが玉座に腰かけたまま、気だるげに陳情を聞いている。


 今日、最後の陳情者だ。彼を前に訴えているのは、このためだけに地方から出てきた女だった。王を前にした緊張からか、とつとつと語っている。


 簡単に要約すると、地方領主によるあまりに酷い搾取さくしゅで、その日の食べる物にも事欠き、もはや口減らしで子供を手放す必要性に迫られているというものだ。


 女が話を続ける間、イプセミッシュは片肘かたひじをついて目を閉じている。その姿は寝ているのか、起きているのかよく分からない。


 子供の話が出たところで、強く反応を示す。身を乗り出し、すぐさま尋ねる。


「子供を手放すだと」


 イプセミッシュの冷酷な声に、女は思わず悲鳴を上げそうになった。何とか口を押えてこらえた。続けざまに問う。


「そいつの名は。その馬鹿領主だ」

「申し、上げます。カリギーノ子爵様です」


 イプセミッシュが左手に立つ文官を一瞥いちべつ、知っているかと手振りで確認する。


「カリギーノ子爵、四十歳、妻と子供が三人います。子爵位を亡き実父より継いで十三年、国家に対する貢献度はまずまずといったところです。可もなく不可もなくの男です。納税遅延は一度もありません。搾取についての情報はつかんでおりませんが、いかがいたしましょう」


 即答だった。何を見るわけでもない。全て頭に入っているのだろう。


 女は信じられないといった表情で、その文官をしげしげと見つめている。


「すぐに調べろ。この女の言うことが本当なら捨て置けん。俺の前まで引きずってでも連れて来い」


 イプセミッシュから即座に命が飛ぶ。いささかのぶれもない。


「承知いたしました。すぐさま調査にかかります」

「一日だ」


 文官はうなづくと、背後に控える部下の者に指示を与えた。イプセミッシュはその様子を目で追いつつ、目の前の女に名前を尋ねる。


「は、はい。サヴィエンナと申します」

「サヴィエンナ、念のために聞いておくが、俺に嘘は言っていないだろうな」


 るような視線を浴びて、サヴィエンナが慌てて答える。


滅相めっそうもございません。国王様に嘘偽りを申し上げるなど、そんな大それたこと、私にはできません」


 イプセミッシュは嘘を敏感に察知する。サヴィエンナの表情をしばし観察したものの、どうやら真実を話しているようだった。


 しばしの沈黙の後、イプセミッシュは僅かに表情をやわらげる。見た目の変化は、他者からは分からないぐらいだ。


「金と食料を用意しろ。準備ができたら、この女に持たせてやれ」


 イプセミッシュの決断は常に早い。陳情に対する判断は、基本的にその場で即断即決なのだ。


かしこまりました」


 文官は再び背後に控える別の部下の者に指示を出した。


「終わりだ。金と食料を用意させる。受け取ったらすぐに戻れ。いいか、二度と子供を手放すとか言うんじゃないぞ」

「有り難うございます。有り難うございます。国王様、この御恩は一生忘れません」


 イプセミッシュがことさらに力強く言葉を紡ぐ。


「子供は俺の国の宝だ。しっかりと強く育てろ」


 サヴィエンナは何度も繰り返し、頭を下げて感謝の礼を述べている。ようやくのこと、文官にうながされて退出していった。


 見届けた文官がイプセミッシュに陳情の終了を告げる。


「エンチェンツォ、お前がやりたいことは何だ」


 唐突なイプセミッシュの言葉に、エンチェンツォと呼ばれた文官は返答にきゅうした。


 エンチェンツォは平民生まれ、貴族との大きな壁を前に挫折ざせつした口だ。他大陸から渡ってきた後、ゼンディニア王国の評判を聞かされた。


 頭脳という武をもって、国王づきの文官にまで出世した彼には捨て切れない夢がある。国軍をその頭一つで動かす軍事戦略家になることだ。軍事参謀、軍事指揮官など、呼称はどうでもよい。


 いまだかつて、ゼンディニア王国には頭脳を武器とする官職は存在しなかった。その最初になりたい。


 エンチェンツォも十二分に理解している。そこに至るには足りないものが多すぎることを。二十二歳という年齢もその一つだ。頭でっかちの若造と周囲から見下されることも多々ある。


 夢をあきらめるつもりはない。まだまだ時間が必要だということだ。


「どうした。お前には何もないのか」

「恐れながら、申し上げてもよろしいでしょうか」


 なかあきれ気味に、ぶっきらぼうにイプセミッシュが応じる。


「俺が聞いている。遠慮はらん。お前の熱意を聞かせろ」


 その言葉で踏ん切りがついた。エンチェンツォは思いのたけを正直に語った。彼が語る間、イプセミッシュは一切の言葉を差しはさまなかった。


「若造の戯言たわごとだと、どうぞお笑いください」


 イプセミッシュは黙して語らず、静寂が場を支配している。


 エンチェンツォは後悔し始めていた。馬鹿なことを言ってしまった。しかも、国王を相手にだ。やはり言うべきではなかったか。


 エンチェンツォはイプセミッシュに謝罪を述べ、退出しようと口を開きかける。


「ディリニッツ、今いる十二将だけでいい。すぐに招集しろ」


 イプセミッシュはいきなり立ち上がると、とんでもない命令を下していた。


 緊急事態でもない限り、十二将を招集することなどありない。今がその緊急事態なのだろうか。そんなはずはない。エンチェンツォは言葉を失っていた。


 ディリニッツが迷いもなく、くぐもった声で答える。


御意ぎょい


 ゼンディニア王国の国家方針は、力こそ正義だ。


 貴族や平民といった身分の概念は存在する。それが役に立つことはない。武に優れた力ある者が上に立つ。それをもって国家体制が維持されている。


 その最たるものが十二将なのだ。彼らはまさに武の結晶、他の追随を許さない。筆頭ザガルドアを中心に、ここ数年は序列にも変化が見られない。


 仮に軍事戦略家という地位が確立された場合、いったいどのような位置づけになるのだろうか。もちろん、十二将は別格としても、彼らと同等もしくはそれに近い力を持てるのだろうか。


 決定するのはイプセミッシュだ。その地位にさえ立てていないエンチェンツォが考えたところでどうしようもない。


「エンチェンツォ、お前は残れ。これから十二将の連中が集まってくる。奴らの前で、お前の考える戦略とやらを披露してもらう。それをもってお前のこれからの立ち位置を決める」


 エンチェンツォは絶句するしかなかった。


(いや、ちょっと、ちょっと待ってください、陛下。そんな無茶なこと、私には無理です。絶対無理ですよ)


 心の声を口に出すほどの勇気は、もちろんない。


 筆頭ザガルドア、彼の腹心で序列五位のソミュエラ、序列二位のフィリエルス、序列七位のエランセージュ、序列十位のトゥウェルテナ、序列十二位のディグレイオ、最後に序列九位のディリニッツが影にもぐったまま姿を見せず、ここに七将がつどった。


 ディリニッツを除く六名が御前ごぜんに控えている。


「ふむ、七将か。よくそろったものだ。ご苦労だった。これからお前たちに聞いてもらいたいことがある。まずは紹介しておこう。文官のエンチェンツォだ」


 六将の背後に立つエンチェンツォに視線が一斉に集中、彼を刺し貫く。それだけで命を奪われそうなほどの恐ろしさを受ける。すさまじいまでの圧だった。


 一様に文官ごときの戯言たわごとは聞くまでもないという表情だ。


 予想はしていた。ここまであからさまだと、さすがに落ち込む。


 ひるんでいては負けだ。エンチェンツォは気合いを入れるため、両頬を力強く叩いた。


「いい音だ。気合いも入ったか。エンチェンツォよ。俺のゼンディニアがラディックに攻め入るとしてだ。初手必勝の戦略をどう考える。聞かせろ」


 今度は六将の視線がいっせいにイプセミッシュに向けられる。


 明らかに皆が喜んでいるのだ。驚きは一切ない。ついにこの時が来たか、待ちびたという期待感が膨れ上がっている。


 エンチェンツォは改めて六将の表情を見つめ、自身も覚悟を決めた。


「陛下、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


 イプセミッシュが目でだくと返す。


「戦略の前提条件はいかがなさいますか」

「臨機応変、様々な条件をまえて考えるのがお前の役目じゃないのか」


 あちこちから失笑がれてくる。やはりこの程度のものか。時間の無駄だと言わんばかりだ。


 エンチェンツォは出鼻からくじかれていた。


「自分の甘さを呪うしかありません。それでは、私が考える戦略は」


 ここからはまさに真剣勝負だ。

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