第355話:本領発揮のシステンシア

 上空五百メルク地点、アメリディオの魔術によって制止していた百本の矢が豪雨のごとく襲いかかる。


 解き放たれた全ての矢は、それぞれが明確な意思をもって魔霊鬼ペリノデュエズの左側面から迫る。その光景はさながら巨大な一本矢のごとく、一糸乱れずに空を埋め尽くしている。


 中位シャウラダーブ以上の魔霊鬼ペリノデュエズともなれば、ある程度の知能を有している。はるか上空より攻撃が来ていることは認識できている。すぐさま回避動作に移らなければならない。


 矢が急速に接近してきている。今ならまだ間に合う。即座に核からの指示が粘性液体を通じて全身をけ抜ける。


 粘性液体が不気味にうごめき、直撃を受けるであろう左側面に収束していく。同時に色も変わっていく。白濁だった液体が漆黒に染まりつつある。


「弾力性に富んだ、それでいて高硬度の堅牢けんろうさを併せ持つ特殊な液体の性質ですか。器用な魔霊鬼ペリノデュエズもいたものです。しかしながら」


 アメリディオの呟きは上空からの衝撃波によってき消されていく。


「な、なぜだ。どうして音よりも早く、俺様の身体に衝撃が」


(言葉を話しますか。相応の知能を有しているようですね)


 アメリディオは表情一つ変えない。魔霊鬼を前に油断は禁物だ。


 漆黒の粘性液体が身体をまも要塞ようさいと化す寸前、すさまじい衝撃が左側面を通じて全身を激しく揺さ振っていった。


「私とランブールグの弓操術きゅうそうじゅつめてもらっては困りますね。中でも雪華焔雷爆閃熱陣フェドゥレネジュラ魔霊鬼ペリノデュエズ戦を見据えて練り上げた戦術奥義です。何が起こったか分からないなら、所詮しょせんはその程度の力しかないということです」


 ケイランガの言葉どおりだ。


 アメリディオは交戦中のシステンシアから目を離さず、意識の半分を雪華焔雷爆閃熱陣フェドゥレネジュラの解析に振り割っていた。彼も他の魔術師同様、そのさががうずいているのかもしれない。


(なるほど、力任せの大技感はいなめませんが、魔術師でもない二人がよくぞここまで練り上げたものです。やはり血は争えない。ランブールグにも魔術師としての才が秘められているのでしょう)


 アメリディオが解析した結果だ。


 四つ色はそのまま力の種類を示し、さらにそれぞれの特性を活かした効力が現段階で二つ顕在化している。


 すなわち、一つは音速を超える速度から発生する衝撃波、一つは粘性液体の機能を麻痺まひさせる振動波だ。


 けることもできず、百本の矢をまともに食らった魔霊鬼ペリノデュエズの動きは完全に封じられている。


 今や全身を衝撃波にさらされ、特に強固な要塞と化していた左側面は、直撃を食らったことで原形さえとどめていない。


 そこにわずかな遅滞をおいて振動波が到達した。粘性液体内を小刻こきざみに震える音の波が駆け抜けていく。


 決して目ではとらえられない核からの伝達経路は、この振動波によってことごとく破壊された。結果として、魔霊鬼ペリノデュエズ最大の能力と言っても過言ではない再生は機能不全におちいっている。


雪華焔雷爆閃熱陣フェドゥレネジュラの真価はこれからですよ」


 ケイランガがプルフィケルメンを、ランブールグがジュラドリニジェを構える。各々が一本の矢をつがえる。


「興味深いですね。仕上げの矢といったところですか。異なる魔術が付与されていますね」


 アメリディオの目には明瞭にえている。矢に付与されている魔術の種類、特性、そして誰が付与したのか、までも。


(贅沢ですね。確か、ノイロイドとエヴェネローグもでしたね。私には関係のないことですが)


 アメリディオは二人に向けていた視線を切る。


 万が一に備えていたものの、その必要性はなくなった。二人が仕留めんとする魔霊鬼ペリノデュエズはもはや虫の息にも等しい。二人が最後の矢を放てば、それで決着だろう。


「私も仕上げといきましょう。システンシアの体力が落ちています。これ以上、待たせるわけにもいきません」


 先ほどからシステンシアの動きが極端ににぶくなっている。攻撃を仕かけた当初は持ち前の機動力を生かした一撃離脱を繰り返し、粘性液体をぎ取ることに成功していた。


「今の攻撃はいったい。余計なことを考えている余裕はないわね」


 地面を激しく揺らす振動によって、双方ともに態勢が崩れている。


 システンシアは慌てて数歩後退すると、揺れが収まるのを待ちつつ、油断なく片刃長剣を構える。魔霊鬼ペリノデュエズも同様だった。


「きりがないわ。いくらり飛ばしても、すぐに再生されてしまう。団長の言うとおり、核を断ち斬らなければ」


 システンシアの体力は有限、対する魔霊鬼ペリノデュエズはほぼ無限だ。時間をかければかけるほど、システンシアが不利になる。彼女もそれを承知のうえで覚悟をもって魔霊鬼ペリノデュエズ対峙たいじしている。


 肩で息をしながらも、システンシアは剣を左手で握り直す。息を整える。正しい呼吸は戦いで熱くなった身体を冷ましてくれる。


(落ち着け。落ち着くのよ。ようやく副団長まで上がってきたのよ。立ち止まっているわけにはいかない。私が証明しなければ)


 突然、耳に何度も聞いている声が飛びこんでくる。


「えっ、どうして、団長の声が」


 当然の疑問だ。システンシアの位置はアメリディオたちから離れること、およそ三十メルクもある。


「システンシア、肩に力が入りすぎていますよ」


 なぜかアメリディオの声を聞くだけで心に落ち着きが戻ってくる。


「ここまで頑張った貴女に私から褒美ほうびです。核の位置をせてあげます。次の一撃をもって仕留めなさい」


 聞こえない距離ではない。静寂ならばだ。今は戦闘の最中さなか、その激しさが雑音をき散らし、周囲の声など簡単にき消してしまう。


(まるで耳元で話されているような感覚だわ。でも、核を視せてあげるって、どうやって)


 まるで心でも読まれたのか、アメリディオからの返答が即座にやってくる。


「システンシア、私を誰だと思っているのですか。貴女の上司であり、第九騎兵団団長ですよ」


 柔和な笑みを浮かべたアメリディオの顔が、目の前にあるかのような感覚だ。わずかにほおが熱を帯びている。システンシアはあえて気づかないふりをした。


「貴女の一撃必殺、せてみなさい。十フレプト後です」


 そこまで言われたら応えないわけにはいかない。


 副団長に昇格して間もないシステンシアは、いまだにアメリディオの実力、本性を知らない。むしろ、知らない方がよいとさえ思えるほどだ。


 只者ただものではない。昇格時に初めて会った瞬間、それだけは感じ取れた。あくまで表面上のことだ。


 その奥に何がひそんでいるのか全く視通みとおせないし、のぞきこむ度胸もない。踏みこめば命を取られる。そこまでの恐怖心をいだいてしまう。


 システンシアが片刃長剣のつかに両手をかけ、上段に構える。利き手の左手が下に来ている。当然、逆が正しい形だ。右脚を引いたやや半身の姿勢を維持する。


 身長が百六十二セルクしかない彼女にとって、剣を最上段に構えたとしても、対峙している魔霊鬼ペリノデュエズ背丈せたけには届かない。


 今から見せる剣技は膂力りょりょく跳躍力ちょうやくりょくを最大限に活かしてこそだ。だからこそ、利き手の左手を柄頭つかがしらに置いている。


 刻一刻と迫ってきている。


(残り七フレプト、跳躍地点まで四フレプト、跳躍後の斬り落としに二フレプト、まるで正確に測ったかのような団長の指示ね)


 思考は刹那せつな、システンシアは心を無にして一気に魔霊鬼ペリノデュエズとの差を詰めるために駆けた。


「迷いなく行きなさい。まもなく、そのときが訪れます」


 待っていたのはアメリディオも同じだ。


 先ほど百八十度転換させた矢が遂に魔霊鬼ペリノデュエズの背を捉える。


 やじりは最も分厚ぶあつい胸部の粘性液体に食いこみ、勢いを殺すことなく貫いていく。およそ一メルクの矢の半分程度が埋まったところで、不自然なまでにその動きを止めた。


「問題ありません。これが正解なのですから」


 矢に付与した魔術の効力こそだ。様々な選択肢がある中、アメリディオは地形などの状況をかんがみて最適の一つを選び抜いている。


 粘性液体の中で鏃全体が弾け、そこから爆発的に凍結が走る。これにより魔霊鬼ペリノデュエズの動きは完全に封じられた。


 不純な液体を凍結させるには相当の魔力を要する。アメリディオもまた抜きん出た魔術師の一人だと言えよう。


魔霊鬼ペリノデュエズの哀しいさがですね。核を護らんとして邪気じゃき魔気まきを集結させてしまう」


 魔霊鬼ペリノデュエズは核を失えば一巻の終わりだ。だからこそ、核は最後のとりでであり、何としてでも護らねばならない。本能がそれをさせてしまう。


 谷底で十二将のセルアシェルが凍結の魔力をもって魔霊鬼ペリノデュエズほふれたのも、この原理を利用したからだった。


「後は任せましたよ。もう一つだけ、ささやかな褒美です」


 跳躍地点に到達したシステンシアが右脚で大きく踏みこむ。


「ここよ」


 大地に複雑な光芒こうぼうが描かれていく。


「これは。団長、感謝いたします」


 光芒は風を内包する魔術陣の一種だ。人の跳躍力など、たかが知れている。それを数倍に高めるための補助魔術によって、システンシアの身体はおよそ五メルクの跳躍が可能となった。


 魔霊鬼ペリノデュエズは凍結の効力によって動きたくても動けない状態だ。


 目だけは死んでいない。飛び上がったシステンシアをにらみつけ、何としてでもえさにするという強烈な衝動だけで凍結を破らんと試みている。


 腕がもげようが一向に構わない。凍結を阻止し、核さえ護れれば再生が有効となる。


あきらめなさい。漆黒の双三角錐そうさんかくすいの結晶、とらえた」


 せるは剛の剣術ビスディニア流だ。正確にはビスディニア流に似た我流剣技、ゆえにイプセミッシュが扱う終驟雨竜破閃虹ウ=ルズ・エクァンティオのような正統な剣技と比べるまでもなく、格段に威力が落ちる。


「私の強みは」


 五メルク上空から落下に入る。


 システンシアの目は漆黒に染まる双三角錐の結晶を捉え、最上段に置いた長剣を左腕、左手、その指先に最大限の力をめて振り落とす。


 自身の落下速度、さらに重力による加速、そして誰にも負けないと自負する膂力りょりょくをもって、核への最短の剣軌をなぞっていく。


 柄頭つかがしらにかかっているのは人差し指、中指、親指の三本のみだ。それで十分だ。いや、それが限界であり、システンシアは全身を巡る全魔力を集中してこの三本に凝縮させている。


 だからこその圧倒的膂力であり、たとえ魔剣アヴルムーティオでなくとも、正統剣技の奥義でなくとも、それらに匹敵する破壊力を生み出せる。


 凍結を破砕はさいしながら剣が進む。


 核に触れる。弾力をなおも保った粘性液体が剣をはばまんと最後の抵抗を試みる。


「無駄よ。ちりかえりなさい」


 魔力を最大限乗せた膂力によって、剣が双三角錐の結晶を断ち斬っていく。


 刹那、剣身が真っ二つに折れ、断崖絶壁だんがいぜっぺきを揺るがさんばかりの魔霊鬼ペリノデュエズ断末魔だんまつまが不協和音となって響き渡る。


「見事ですよ、システンシア。よくやりました」


 着地したシステンシアの後ろ姿を見つめながら、アメリディオは惜しみない賛辞を贈った。

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