第356話:二つの勝利

 システンシアと魔霊鬼ペリノデュエズとの戦いは、システンシアの勝利をもって幕を下ろした。


 残りの魔霊鬼ペリノデュエズは二体だ。


 一体はケイランガとランブールグの弓操術きゅそうじゅつによって瀕死状態、半分以上の粘性液体を失い、辛うじて核をまもっているだけにすぎない。二人は最後の一矢いっしを放つための準備を整え、そのときを待っている。


「お待たせしましたね。もう大丈夫ですよ」


 アメリディオが軽く左手を挙げ、二人に合図を出す。


(さて、ようやく私の出番ですね。月蝕げっしょくの影響がまだ小さいうちにほふるとしましょう)


 アメリディオ率いる第九騎兵団は決して他団と共闘しない。なぜなら、他団と全く異なる戦術を用いるからだ。


 視線を一切動かさず、ケイランガとランブールグに意識を向ける。二人の矢には魔術が付与されている。その流れだけをればよい。それで事足りる。


 ケイランガがプルフィケルメンのつるを最大限に引き絞る。ランブールグは弦のないジュラドリニジェにただ矢をあてがい、ケイランガの射出を待っている。


「行きます」


 最大限に張られた弦がりんとした音をかなで、それが合図であったかのようにケイランガの指が静かに離れる。遅滞なくランブールグの矢も射出を迎える。豪速のうなりが断崖絶壁を削るがごとくけ抜けていく。


(私の獲物は随分と慎重ですね。この中では最も知能があり、力も抜きん出ている。それでも私には遠く及びません)


 不満げな表情は一瞬、馬上にあるアメリディオも躊躇ちゅうちょなく攻撃に移る。


 あぶみから両足を外した状態だ。下半身が不自然なまでに跳ね上がってくる。明らかに常人の動きではない。魔術による賜物たまものだ。


 右足一本が優雅に鞍上あんじょうに乗るなり、アメリディオは全身を伸ばし、大きく前に傾ける。


「ナハ・ヌフーヌ・ゾア・ピィーミィ」


 言霊ことだまが響く。


 右足のくるぶしから先がうずを巻き、凄まじい風を噴出ふんしゅつしている。右手は左腰に吊るした剣の柄頭つかがしらに置かれている。いつでも抜刀ばっとうできる体勢だ。


「サゥミ・ヌイリィ・キュリム」


 刹那せつな、風の渦は強烈な竜巻と化し、アメリディオを恐るべき速度で前方へ射出した。その様はさながら砲弾、それも強力な風嵐魔術によるものだ。


 砲弾の実体はアメリディオ自身であり、きりもみ状で標的たる魔霊鬼ペリノデュエズめがけて一直線にけていく。


 射出された二人の矢はアメリディオを瞬時に追い抜き、はるか彼方を疾駆しっくしている。そのはずだった。


 砲弾となったアメリディオは回転力によって速度を増しつつ、間髪入れずに追いつくと、矢の速度と同調して魔霊鬼ペリノデュエズに襲いかかる。


 大気を切り裂きながら突き進む二本の矢、さらには砲弾と化したアメリディオが、ほぼ同位置に立つ魔霊鬼ペリノデュエズに寸分違わず着弾した。


 衝撃音が大音響となって大気と大地を揺さぶっていく。


 ケイランガとランブールグが同時射出した二本の矢は容赦なく魔霊鬼ペリノデュエズの身体を穿うがち、付与された魔術を解き放つ。


「ここがお前の墓場です」


 ケイランガの思いは複雑だ。


 魔霊鬼ペリノデュエズから自分を庇って命を落とした父への思いが最も深い。魔霊鬼ペリノデュエズを前に人は決してあらがえないとのあきらめにも似た思いは、あの時の王宮での緊急対策会議を経て変わりつつあった。


 ここまでに数多あまたの努力と助力、そして犠牲があった。どれか一つでも欠けていたら、今のケイランガはいなかっただろう。


魔霊鬼ペリノデュエズよ、滅びなさい」


 解き放たれた魔術はすぐさまその効能を発揮、粘性ねんせい液体を爆発的な速度で凝固ぎょうこさせていく。


 既に半分の粘性液体を失った状態で核を護りきろうとしていた魔霊鬼ペリノデュエズは、なおも足掻あがき続けている。核より邪気じゃきを最大限に生成し、凝固していく粘性液体を必死に融解ゆうかいさせようと試みる。


「私とランブールグの矢には、ルプレイユの賢者コズヌヴィオ様の魔術が付与されています。いくら足掻いても無駄です」


 コズヌヴィオが最も得意とする魔術は言うまでもなく熱系だ。液体凝固は付与した魔術の前座にすぎない。


 物質の三態さんたいを三賢者の中で最もたくみに操るコズヌヴィオにとって、固体を気体に変化させるなど実に容易たやすい。


 魔霊鬼ペリノデュエズの抵抗も虚しく、粘性液体の全てが凝固を迎えた瞬間、矢に付与された主たる魔術が一気に弾けた。


 目をおおわんばかりの蒸気が噴き上がり、凝固した全ての粘性液体が瞬時に昇華しょうかしていく。


「ランブールグ、とどめです」


 魔霊鬼ペリノデュエズの身体からは粘性液体がぎ取られている。昇華した結果、残されるのは必然的に核のみだ。


 ランブールグの矢はまさにその核だけを標的にしたついの一矢だった。


「亡き団長の父上に捧げる勝利、そして魔霊鬼ペリノデュエズにも抗える我ら人の勝利です」


 ランブールグの矢はまさしく一筋の熱線にも等しい。もはや逃げ場などない。宙に浮かんだままの双三角錐そうさんかくすいの結晶を、矢が無情にも射貫いぬいていく。


 高熱による昇華をもって、断末魔さえ許さず核を無にす。


「終わりました」


 ケイランガとランブールグのささやきは、激戦とは対照的な静けさだった。


 アメリディオは二本の矢に付与された魔術の流れを感知しつつ、最後の一体の腹部に派手な穴を開けていた。


相克そうこくの心配などありませんが、待った甲斐があるというものです。久しぶりに面白いものを視せてもらいました」


 きりもみ回転の力を推進力と突貫力に変えたアメリディオは、今どこにいるのか。


 腹部の粘性液体を根こそぎ吹き飛ばされ、身長がおよそ半分に縮んだ魔霊鬼ペリノデュエズの両肩の上に立っている。


 身長百九十三セルクの彼が魔霊鬼ペリノデュエズの上に立つと、天井がすぐそこだ。だからこそ魔霊鬼ペリノデュエズの身体を削り取った。


 もう一つの目的がある。これから行使する魔術のためだ。


 アメリディオはひざかがめながら、右手に握った長細剣ちょうさいけんの鋭利な先端を頭頂部に突き刺す。


 剣身が音もなくみ込まれ、特殊なつばまで貫通したところでアメリディオはおもむろに右手を離す。


「ピィア・リュゾ・ベーレン」


 鍔から白銀しろがねの光があふれ、たちまちのうちに魔術文字を描き出していく。


 視る者が視れば、文字の種別が分かるだろう。あいにく、ここにそれを理解する者はいない。


「ソアル・ディ・カヴェルミ」


 言霊ことだまに乗って魔術文字が四散、白銀のきらめきを放ちながらアメリディオの頭上より降り注ぐ。


 白銀の粒子が魔霊鬼ペリノデュエズに付着するや、半分程度に縮んでいた身体が直上からの力によって圧縮されていく。地響きを残しながら大地が真下に沈みこむ。


 その驚嘆すべき様子をシステンシアは固唾かたずを飲んで見守っている。


「アメリディオ団長。何なの、これは。私はいったい何を視せられているの」


 さらに半分に縮み、なおも圧縮は続く。


「まさか、アメリディオ団長は重力を操作しているのですか」


 ランブールグもまた呆然ぼうぜんつぶやくだけだ。


 あまりに圧倒的すぎる。魔霊鬼ペリノデュエズなどものの数ではないとばかりにアメリディオはおのが魔術を視せつけている。


「これ以上は足場が崩落してしまいますね。少しだけ魔術効果範囲をせばめましょうか」


 圧縮速度が減速、ゆるやかになったところで大地の沈下が停止する。


 既に魔霊鬼ペリノデュエズ背丈せたけは当初五メルクほどあったものが、およそ二割にまで圧縮されている。


 魔霊鬼ペリノデュエズは力を振り絞って粘性液体を動かそうとしているものの、真上からの絶えない強烈な圧力にさらされ、何もできない状態だ。


「核の位置は、そことそこですか。残念です」


 ここまで圧縮してしまえば、核の位置を特定するのは簡単だ。粘性液体の濃度と密度が最も高い位置、それさえ把握できれば、たとえシュリシェヒリの目を持たずとも核の破壊は可能となる。


 先に倒した魔霊鬼ペリノデュエズ二体は核を一つしか有していなかった。アメリディオの見立てどおり、相手をしている魔霊鬼ペリノデュエズが最も強い。それでも核はわずか二つだ。


 普通であれば、高位ルデラリズではなかったことで安堵あんどするところだ。アメリディオははなはだ不満のようだった。


「本気の力はさらなる獲物のために取っておくとしましょう。お前にはもう用はありません。速やかにちりかえりなさい」


 魔霊鬼ペリノデュエズの背丈が一メルクを切ったところで、アメリディオは再び長細剣のつかに右手を置くと、言霊を唱える。


「サゥリィゼピエ」


 アメリディオが頭部にめりこんでいる長細剣を勢いよく引き抜く。


 噴出するはずの粘性液体は、一定方向から圧縮されるあまり、ほぼ流動性を失っている。解き放たれた魔術によって、直上からの圧力が瞬時に全方位へと転じ、外側から内側へと向かって圧縮が走る。


「決して逃れられませんよ。重力の底の墓場です。収束点で核ごと塵に還します」


 魔術による重力操作は、あらゆる方向からの力場りきばを意味する。アメリディオは魔霊鬼ペリノデュエズが護る二つの核に対して、全方向からつぶす手法をったのだ。


 核に内包される邪気が最後の抵抗を試みるも、むなしく霧散むさんしていく。


 あらゆるものが圧の一切かからない外側に逃げ出せない。いわば死の暗黒空間、まさしく墓場なのだ。


 魔霊鬼ペリノデュエズはもはや何もできない。完全に詰んだ状態だ。


 刻一刻こくいっこくと迫る核崩壊、それは一瞬でありながら、視ている者にとっては永遠にも等しいときの流れだった。


「ゾ・アリィ」


 アメリディオの唇から終焉しゅうえんを告げる言霊がこぼれる。


 極限状態の圧縮が最後の一押ひとおしを完遂かんすいさせ、二つの核は一切の音もなく塵に還った。


「終わりです」


 残心ざんしんを解いたアメリディオは長細剣をさやに納め、茫然自失ぼうぜんじしつていでこちらを見つめているシステンシアに柔和な笑みをもってうなづいてみせた。

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