第113話:二人の妹、セレネイアの確信

 力の入らない両手に何かが触れている。そこから温かさが伝わってくる。


 ゆっくりと目を開く。窓を通して差し込む光は柔らかい。それでも、今の目にはまぶしすぎた。


「お姉様、セレネイアお姉様」


 左右の手を握ったマリエッタとシルヴィーヌが、ようやく目を覚ましたセレネイアに抱きつく。


 同じ姿勢で眠っていたせいか、あるいは低位メザディムとの戦いによる疲労からか、いずれにせよ身体の節々ふしぶしが痛んで仕方がない。


 そのうえ、二人のこれだ。セレネイアは息が詰まりそうになりつつ、喜びも感じていた。


「マリエッタ、シルヴィーヌ、貴女たち、いつからここに」


 セレネイアの声を聞いて、二人が勢いよく顔を上げた。セレネイアはそれ以上、何も言えなかった。充血しているのだ。明らかに泣きらした跡だ。


 二人の頭を優しくでる。落ち着いた頃合いを見て、セレネイアが再び言葉を発する。


「貴女たちにも、心配をかけたわね。私は、もう大丈」


 さえぎって、声を荒げたのはシルヴィーヌだ。


「お姉様の、セレネイアお姉様の馬鹿」


 シルヴィーヌがセレネイアに向かって、このような暴言にも近い言葉を発したのは、後にも先にもこれ一度きりだ。


 マリエッタはもちろん、当のセレネイアでさえ、シルヴィーヌの剣幕けんまく呆然唖然ぼうぜんあぜんとしている。


 誰よりもセレネイアを敬愛するシルヴィーヌにとって、セレネイアを襲った立て続けの事件はあまりに衝撃すぎた。しかも、セレネイアは第一王女なのだ。


 立太子りったいしである兄ヴィルフリオは例の一件を受け、廃太子はいたいしの処分が下されるに違いない。国王であり、父でもあるイオニアはいまだ悩んでいるようだ。


 王宮内ではうわさけ巡り、もはや既定路線となりつつある。当然、後を継ぐのは第一王女たるセレネイアであり、マリエッタもシルヴィーヌもそれを熱望している。


 王国に暮らす民たちからの信頼も厚い。セレネイアが女王になることを反対する者などいないだろう。


 そのような立場にあるセレネイアが、自ら命の危険もかえりみず、剣を振るう状況をシルヴィーヌは決してこころよく思っていない。


 セレネイアに似て、シルヴィーヌも聡明だ。頭では偏見はよくないと思いつつ、心情的にどうしても理解が困難なのだ。


「セレネイアお姉様が、このまま死んでしまうのではないか。マリエッタお姉様も私も、心配で、心配で、どれほど泣いたか分かりません」


 マリエッタそっちのけで、シルヴィーヌはセレネイアの胸に顔をうずめている。離れまいとセレネイアの細い腰に両手を回して、力いっぱい抱き締めている。


 セレネイアにも少なからず罪の意識があるのか、シルヴィーヌの気が済むまで好きにさせていた。その様子を眺めながら、マリエッタが控えめに言葉を発する。


「シルヴィーヌの申したとおりですわ。お姉様は第一王女なのですよ。もう少し、お立場を考えてもらわなければ困ります。もちろん、お姉様には第一騎兵団団長としてのお務めがあることも重々承知しております」


 そのうえで、マリエッタは単刀直入に尋ねる。第一王女と第一騎兵団団長、どちらに比重を置いているのか。その点についてだ。


「等しく、というお答えは駄目ですよ。それはすなわち、いずれの責務も果たしておられないということになります。セレネイアお姉様、私の申したいこと、お分かりになられますね」


 セレネイアにとって驚きの連続だ。マリエッタがここまで真摯しんしに訴えかけてくるとは思いもよらなかった。


 三姉妹にあって、最も控えめで、弁の立つシルヴィーヌに押され気味の彼女だ。そして、マリエッタに続き、次はシルヴィーヌがさらなる追い打ちをかけてくるのは間違いない。


 奇妙な展開になってきている。予想に反して、セレネイアは二人を見つめつつ、笑みを浮かべていた。


「もう、セレネイアお姉様ったら、何がおかしいのですか。私たちは真剣なのですよ。マリエッタお姉様があそこまでおっしゃったのです。だから、私も今から苦言をていします」


 その後に、誰にも聞こえないほどの小声でつけ加えていた。私の我がままでもありますがと。


 正直、セレネイアは嬉しかった。今まさに、二人の成長を目の当たりにしているのだ。


「セレネイアお姉様、今すぐ第一騎兵団団長職から退しりぞいてください。お姉様が剣を手にする必要はありません。その責務は別の者に任せればよいのです。私たちがなぜ、このカヴィアーデ流剣術道場にいるかお分かりですか」


 セレネイアにも予想はついている。ここにいることを知るのは三人だ。ならば、カランダイオ以外に考えられない。静かにうなづく。


「どうか、命を大事になさってください。ディランダイン砦での戦いに続き、レスティー様がいなければ、お姉様は二度死んでいるのですよ」


 シルヴィーヌの指摘はもっともだ。セレネイアも痛感している。対峙たいじしたのが人ではなく、魔霊鬼ペリノデュエズだったから、というのは言い訳にならない。


 剣を握り、要職に就いている者の定めとして、り好みなどできない。部下を守る責任もある。逃げ出したくなる場合もあるに違いない。魔霊鬼ペリノデュエズなど、その最たるものだ。


 セレネイアには逃げる、という選択肢は一切ないのだった。


「マリエッタ、シルヴィーヌ、私のために嬉しいわ。有り難うと言わせてもらうわね。シルヴィーヌ、私がみを浮かべたことで貴女は怒ったわね。私は嬉しかったのですよ」


 ついこの間まで、何をするにしても二人はセレネイアの後ろについて回る可愛い妹たちだった。それが、ここにきてセレネイアの想像をはるかに上回る成長を見せている。


「私をいましめることさえ、いとわなくなったわね。マリエッタ、シルヴィーヌ、貴女たちが妹でよかったわ。だから、もう一度言わせてね。本当に有り難う。心から愛しているわ」


 いまだセレネイアの胸の中にいるシルヴィーヌ、そこにおおかぶさるようにしてマリエッタが抱きついてくる。セレネイアも二人をしっかりと抱き締める。


 マリエッタ、シルヴィーヌともに、またもや涙腺るいせん崩壊状態なのは言うまでもないだろう。


「二人とも、泣き虫なのは相変わらずなのね」


 涙にれた顔を上げて抗議する。


「今のは、セレネイアお姉様が悪いです。あのようなことを言われたら」


 閉めたままの扉の外から、すすり泣く声がかすかに聞こえてくる。思わず三人の視線が扉に向けられた。セレネイアがうなづく。それを受けて、マリエッタが扉を開けに行った。


「師匠でしたか」


 マリエッタにうながされて入ってきたのは、セレネイアの剣の師匠ソリュダリア・ギリエンヌだ。


「ソリュダリア、大丈夫ですか。目がれていますよ」

「それは第二王女様もですよ。今のセレネイアの、いえご無礼をお許しください。第一王女様の、あの言葉を聞けば当然です」


 慌てて言い直す。剣の師匠ではあるが、身分はかたや王女、かたや平民、雲泥うんでいの差だ。


 セレネイアからは、一切気にせず常に名前を、しかもあらゆる敬称なしで呼んでほしいと言われている。剣の場以外では、多分にはばかれるし、気後れもしてしまう。特にマリエッタ、シルヴィーヌという、二人の妹王女の前ではなおさらだ。


「師匠、常々つねづね言っていますが、私のことはセレネイアと呼んでください。貴女は剣の師匠というだけでなく、様々なことを学ばせてくれる人生の師匠でもあるのです」

「いや、いえ、それはさすがにできかねます。この場には第二王女様、第三王女様もおられるのです。お二方を敬称で呼ぶ一方、第一王女様だけを名前で呼び捨てになど、できようはずもありません」


 さすがにここまで言われると、セレネイアもあきらめざるを得ない。二人きりの時はセレネイアの要望が叶っていることもある。仕方がないと割り切ろうとした時、シルヴィーヌが思いがけない言葉を発した。


 セレネイアから離れると、ソリュダリアの前に立つ。


「ソリュダリア・ギリエンヌ、私、シルヴィーヌが第三王女として、その方に命じます。セレネイアお姉様」


 一度軽く咳払せきばらい、言い直すためだ。


「いえ、セレネイア第一王女の望みのままにこたえなさい。反論は許しません。よいですね、ソリュダリア」


 シルヴィーヌの言葉を理解するまで、呆然ぼうぜんと立ち尽くす。それも一瞬だ。すぐさま片ひざをついて、シルヴィーヌの前にかしこまる。


つつしんで、シルヴィーヌ第三王女のご命令に従います」


 シルヴィーヌの何と堂々たる姿であろうか。セレネイアはシルヴィーヌ、マリエッタを見て、そして確信するのだ。


(今こそ、私が考えている秘密を二人に打ち明ける時ですね。これでようやく事を前に進められます。あとは、父上をどう説得するか、です)

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