第146話:対魔霊鬼の戦術案

 どうして、ここでフィリエルスの名前が出てくるのか。


 アーケゲドーラ大渓谷視察の一件以降、彼女には何かとよくしてもらっているのは間違いない。最初は敵視されていた。敵視というよりは、ほぼ眼中になしの状態だ。


 それが会話を重ねていく中で、次第に緩和されていき、今では彼女の方から話しかけてくれることもあるほどだ。だからと言って、親密な関係が築けているわけでもない。


 あくまでも、十二将という立ち位置のフィリエルスと文官という立ち位置のエンチェンツォ、その関係でしかない。


「ど、どうして、フィリエルス様の名前が出てくるのでしょうか。確かに、何かとよくしていただいておりますが。それは戦略上の相談と言いましょうか」


 ほおが紅潮していることにも気づいていない。


「噂をすれば影がさす、だな。帰還したか」


 ザガルドアとイプセミッシュは既にとらえている。遠く彼方より、王宮に向かって飛行してくる有翼獣五体の姿をだ。


 文官のエンチェンツォには、繊細な気配の変化に気づけない。ここが歴戦の猛者もさたる優れた武官と、学問に秀でた文官の決定的な差異でもある。


 普段、魔術施錠せじょうされている空騎兵団専用の巨大窓が静かに開いていく。施錠と解錠は、竜笛アウレトでのみ制御可能だ。


 五人のうちの誰かが鳴らしたのだろう。竜笛アウレトの音は、人の聴覚では決して捕らえられない。有翼獣は、いわゆる超音波を感じ取っているのだ。


 三体のラグリューヴに続き、二体のアコスフィングァが続けざまに巨大窓から飛び込んでくる。


「あら、珍しい組み合わせですわね。それに先ほど私の名前が聞こえたような気がしましたが」


 アコスフィングァから降りるなり、フィリエルスが三人のもとへ歩み寄ってくる。その表情には、いつもの厳しさがない。よいことでもあったのだろうか。どこか嬉しそうにも見える。


「アーケゲドーラ大渓谷の視察、ご苦労だったな。その表情からして、それなりの成果があったようだな。早速聞かせてくれないか」


 まずはザガルドアがねぎらいの言葉をかける。フィリエルスは戸惑いを隠せない。


 記憶が戻る前なら、威圧的な態度でただ黙って報告を聞くだけに徹していたものだ。記憶が戻った途端、これほどまでに変わってしまうとは予想できていなかった。よい意味で、フィリエルスは裏切られっぱなしだ。


「そうですわね。成果と言えるほどではありませんが、別の意味で収穫はありましたわ」


 妖艶ようえんな笑みを見せるフィリエルスを前に、ザガルドアはおろかイプセミッシュでさえ、思わず一歩後退あとずさる。逆に、女に対する免疫めんえきのないエンチェンツォだけが、なぜか平然としている。


「ちょっと、お二人そろって何ですか。どうして、一歩下がられたのですか」


 告げて、一歩踏み出すフィリエルスに対し、合わせるように二人も一歩下がる。フィリエルスの表情が、途端に能面に変わる。これはまずいと思ったか、イプセミッシュが先手を打つ。


「フィリエルス、大意はない。ないが、お前がその笑みを見せる時は、何かをたくらんでいる時だ。そうではないか」


 立ち止まったフィリエルスが怪訝けげんな表情を浮かべるも、納得したのか、小さなため息をついた。


「なるほど。無くて七癖ななくせ、ではありませんが、私もまだまだということですね。表情に出ていたとは迂闊うかつでしたわ。陛下もお気づきに」


 ザガルドアは当然のごとく、苦笑を浮かべている。


「お前とは、イプセミッシュに次いで長い付き合いなんだぞ。気づかない方がおかしいだろ。それにだ。お前は美しい。颯爽さっそうと有翼獣に乗る姿も、こうして俺たちの前で様々な顔を見せるその姿もな。まあ、見ていて飽きない、ということだ」


 間の抜けた顔でフィリエルスが、ザガルドア、イプセミッシュの二人を何度も交互に見つめている。その様子を、エンチェンツォが傍観者のごとく眺めている。


(え、いったい、何なの、これは。まさかの白昼夢はくちゅうむ、そんなはずはないわよね)


 ザガルドアにとって、最後の言葉は照れ隠しの意味もあった。記憶が戻る以前は、一度たりとも思ったことがない。十二将の女六人、いずれも優劣がつけられないほどに美しいのだ。無論、見る者によって好みは分かれるだろう。


「フィリエルス、お前たち十二将の六人は、たとえるなら美しく咲き誇った六輪の花だ。よくぞ、これほどまでに武と美を兼ね備えた者が揃ったものだ。俺はつくづく感心しているよ。そうは思わないか、エンチェンツォ」


 しっかり狙って、その矛先ほこさきをエンチェンツォに向けるザガルドアだった。たちまちのうちに挙動不審におちいるエンチェンツォを横目に、本題に入る。


「さて、フィリエルス、ここからが本題だ。今度こそ視察の結果を聞かせてくれ。報告次第では、お前たち十二将に俺の最後の命令を下さなけれならないからな」


 フィリエルスもイプセミッシュも言葉が出ない。ザガルドアの目がこれまでになく真剣そのものだからだ。そして、それに応えるのが十二将だ。


 フィリエルスは気を引き締め直すと、報告を始めた。


「なるほどな。極めて局所的な戦闘をいられる。空騎兵団以外は、圧倒的不利ということか。フィリエルス、お前の直感でよい。十二将の魔術巧者こうしゃをもってしても厳しそうか」


 即答だ。迷いすらない。


中位シャウラダーブまでなら、最上級魔術を行使することで何とかできるでしょう。高位ルデラリズとなると、想像すらできませんわ」


 フィリエルスは、ルシィーエットから教わったそのままを報告している。すなわち、中位シャウラダーブの少なくとも百倍強いのが高位ルデラリズだということだ。


「空騎兵団と十二将、その総力をもってしても一体倒せるかどうかでしょう。こちら側の犠牲は、考えたくもありませんわね」


 誰もが言葉を失っている。沈黙が痛い。


 エンチェンツォは、フィリエルスの報告を聞きながら必死に考えている。集めて来たアーケゲドーラ大渓谷の全ての資料を高速で分析していく。


 此度こたび魔霊鬼ペリノデュエズとの戦いにおいて、有益な情報が得られないか。一つでも見つかれば、それだけ生存確率も上がるのだ。誰も死なせたくない。


「陛下、発言をお許しいただけるでしょうか」

「もちろんだ。お前の真価が問われるところだ。妙案みょうあんはあるか」


 ザガルドアの期待のこもった目が、痛いほどに突き刺さってくる。ここで愚にもつかない案を披露しようものなら、この先の立場にも関わってくる。エンチェンツォは生唾なまつばを飲み込むと、慎重に言葉を発した。


「空と高度二千メルクの不安定な足場の大地、これ以外にもう一つだけ戦える場所があります」


 イプセミッシュが刹那せつなの思案後、その答えを導き出す。


「高度ゼロメルク地点、永久凍土で覆われているであろうアーケゲドーラ大渓谷の谷底か」


 エンチェンツォが力強く頷く。すぐさまフィリエルスの反論が飛んでくる。


「難しいわね。ルシィーエット様たちの魔術によって妄念塊もうねんかいは焼き尽くされたと思うわ。でも、完全に消滅したかどうか分からない。さらに、妄念塊の攻撃がないとしても、谷底まで無事に降りていける保証はないわよ」


 エンチェンツォが確信をもって言葉をつむぐ。


「フィリエルス様、実は谷底に辿たどり着くための唯一の道があるのです。それが、これになります」


 エンチェンツォは手にしていた資料の中から一枚の地図を皆の前に差し出す。


「なるほど、坑道こうどうか。このようなものがあったのだな。エンチェンツォ、よく見つけたな」


 隠していても仕方がない。エンチェンツォは正直に答えることにした。


「実は、私が見つけたわけではないのです。このアーケゲドーラ大渓谷に関する資料一式は、ラディック王国宰相モルディーズ様より頂戴したものなのです」


 三人がいっせいに互いの顔を見合わせる。それから興味深げな視線を個々に向けてきた。


「誠に申し訳ございません。敵国、しかも宰相の地位にあるモルディーズ様と知り合いであることを隠しておりました。この罰はいかようにもお受けする所存です」

「この馬鹿正直な奴が」


 笑い声を上げながら、ザガルドアがエンチェンツォの胸に拳を軽く叩きつける。その様子に、エンチェンツォはもちろん、イプセミッシュもフィリエルスも目を見張るしかなかった。

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