第147話:エンチェンツォの告白

 ザガルドアはエンチェンツォを見つめ、さらに目を丸くしているイプセミッシュとフィリエルスに視線を動かした。大きなため息を一つつくと、言葉を繰り出す。


「俺が知らなかったとでも思ったか。まあ、そうは言っても、知ったのはつい最近だけどな」

「誰から聞いたんだ」


 イプセミッシュの問いに、ザガルドアは顔をゆがめつつ素っ気なく答える。


「決まってるだろ、ビュルクヴィストだよ。ステルヴィアの権限を振りかざして、俺たちを監視しているぐらいだからな。何でもお見通しと言わんばかりだな。当然、イオニアのところも同じだ。奴のところはさらに厳しいが」


 さもありなんといった表情でイプセミッシュがうなづく。続いて、言葉を発したのはフィリエルスだ。


「エンチェンツォ、今の話は本当なの。モルディーズと知り合いだったとは初耳よ。まさかその資料の代償として、ゼンディニア王国の情報を流したりはしていないでしょうね」


 冷たい目だ。フィリエルスが自分を見るその目は、初めて出会った時のものだった。


 エンチェンツォは正直に告げたことをなかば後悔しつつ、一方で嘘偽りのない自分でいたいとも思っている。ザガルドアやイプセミッシュ、他の十二将たち、国のために共に働く文官仲間たち、中でもフィリエルスの前では、かくありたいと強く願っているのだ。


「はい、本当です。私はユルゲンディオ大陸の出身です。父を早くに亡くした私は、母や姉妹を養うために、このリンゼイア大陸に渡ってきました。そして、最初に訪れた国こそがラディック王国だったのです」


 単純な理由からだった。大陸の盟主と呼ばれるラディック王国が優秀な頭脳を求めていると聞きつけたからだ。うまくいけば、要職に就いて大金がかせげるかもしれない。


 エンチェンツォは淡い夢をいだきつつ、文官登用試験を受けたのだ。想像を絶するほどの倍率だった。老若男女問わず、周囲の者が全て自分より優秀だと思ってしまった。


「世の中、そうそう甘くはありませんでした」

「どこまでいったの」


 フィリエルスが端的たんてきたずねてくる。


「最終の一つ手前です。口頭試問であえなく落とされました。その時は、私も知らなかったのです。モルディーズ様が偶然居合わせ、私の論述をお聞きになられていました」


 エンチェンツォは大きな失望感を味わいつつ、ラディック王国を後にしようとしていた。その時だ。モルディーズが彼に声をかけたのだ。


「モルディーズは何と言ったの」


 ザガルドアやイプセミッシュに口をはさむ余地を与えない。せっかちなフィリエルスがすぐさま問いかける。


「試験の結果は残念だった。君には、どこか光るものがある。それをさらに磨くためにも、私ならゼンディニア王国を推薦すいせんする。かの大国は、いずれ我がラディック王国と肩を並べるほどの力を有するだろう、と」


 フィリエルスが、その言葉を受けて目をいている。


「こうもおっしゃいいました。武を最優先にする国だが、現国王イプセミッシュ様は優れた才能を持つ者を集めていると聞く。物は試しとも言う。行ってみてはどうかね、と」


 ザガルドアは笑いが止まらない。その笑いに、どういった意味が込められていただろうか。


「まさか、あのモルディーズがそんなことを言ったとはな。予想外すぎるな」

「ああ、よもや、だな。私が想像するモルディーズとは大きくかけ離れているが、才能を見抜く目は間違いないということか」


 たまたまエンチェンツォが試験を受け、たまたまその場にモルディーズが居合わせた。どちらかが欠けても成り立たない。


「何とも不可思議な縁があるものだな」


 人の縁とは、まさにそういうものだろう。きっかけが何であろうと、出会うべくして出会う。


 天の配剤はいざいとはよく言ったもので、敵国たるラディック王国宰相に導かれた若者が、今こうしてゼンディニア王国を頭脳で支えるべく、若きはぐくみつつある。


「エンチェンツォ、こう言っては悪いがな、よくぞラディック王国の試験に落ちてくれた。おかげで、我らが王国はお前という頭脳を手に入れることができた。今のお前を見たら、イオニアもモルディーズもさぞくやしがるだろうよ」


 相当に愉快なのだろう。ザガルドアの笑い声はなおも収まらない。エンチェンツォは感謝の意を込めて頭を下げた。


 彼もまた、今となってはラディック王国の試験に落ちてよかったと思っているからだ。ここまで来るのに色々あった。多くの人と出会い、その全てが己の成長のかてとなった。


 無論、人によっては合う、合わないがある。ただ、合わないからと言って、忌避きひしていては何も始まらない。そういった者たちの中からも、少なからず得られるものがあるのだから。


「エンチェンツォ、フィリエルスの問いに答えてやれ。俺は、お前が情報の横流しなどするはずもない。そう思っているがな。疑いが少しでもあるなら、晴らしておくべきだ。違うか」


 エンチェンツォは力強く頷くと、ザガルドア、それからフィリエルスに視線を向ける。


「フィリエルス様、陛下のおっしゃるとおりです。私は、公私混同はいたしません」


 エンチェンツォはゼンディニア王国に仕えるようになって以来、何かとモルディーズに懇意こんいにしてもらっている。時には戦術の議論などもするほどだ。


 かたや代々宰相を務める名家の出身、かたや他大陸から逃れるようにして出てきた貧乏な若者だ。そんな二人が、仕える王国という垣根を越えて、深い友情で結ばれている。まるで親子さながらでもある。


「私は、ゼンディニア王国の情報をモルディーズ様にお伝えしたことなど、これまで一度たりともございません」


 エンチェンツォの言葉は真剣そのものだ。そこに嘘偽うそいつわりが混じっているとは到底思えない。ザガルドア、イプセミッシュ、そしてフィリエルスにもそれは確実に伝わっている。


 そのうえで、フィリエルスは冷酷に切り込んだ。


「そこまで言い切るのであれば、証拠を出しなさい。モルディーズに一切の情報を伝えていないという証拠をね」


 さらにフィリエルスが機先を制す。ザガルドアとイプセミッシュに視線を向ける。


「お二人は、決して口を挟まず、黙っていてください」


(こいつ、本気だな。この目、まさしく俺と真剣にやり合っていた時のものだ。しかし、ここまでやるのかよ。全く、怖い女だな)


「陛下、今、何かおっしゃいましたか」


(俺の心を読むなよ。どいつもこいつも、俺を何だと思っているんだ。まあ、だからこそ、こいつらといるのが楽しいんだけどな)


 内心の不平不満の声は決して口にしない。ザガルドアは両手を大袈裟おおげさに持ち上げて、開いてみせた。


「何も言ってないぞ、フィリエルス。お前も心配しすぎだ」

「そういうことにしておきましょう」


 軽口を叩くように言葉を発したフィリエルスが、エンチェンツォの答えを待つ。


「フィリエルス様、残念ながら私にはお出しできる証拠はございません。申し訳ございません」

「証拠がないなら、貴男を裏切り者ととらえてもよいということね」


 イプセミッシュが、これ以上の議論は不毛だとフィリエルスを制止しようとするも、思いとどまる。


 イプセミッシュには痛いほどに分かっている。元貴族の彼女にとって、最も許せない行使、それが裏切りなのだ。


 詳しくは触れないが、彼女の家は伯爵に叙任されている有名貴族の一つだった。それが、とある大事件を発端にして、断絶に追い込まれることになる。内部の者の裏切り行為によって。


 フィリエルスが過敏かびんすぎるほどの態度でのぞむのは、やむを得ないことなのだ。


「フィリエルス様がそのように捉えられるならば、いたかたありません。しかしながら、私のこの口から出た言葉に嘘偽りは一切ございません。それだけは申し上げておきます」


 互いに無言、視線と視線が真っ向からぶつかり合い、火花を散らしている。先に折れたのは、どちらだったか。


「私としたことが、ここまで連れてきてしまうなんて、とんだ大失態だわ。エンチェンツォ、この話はまた後よ」


 フィリエルスの厳しい視線が、ザガルドアとイプセミッシュに向けられる。二人も呼応するかのようにうなづくと、ザガルドアは左に、イプセミッシュは右に、大きく飛び退いた。


 竜笛アウレトを口に当てたフィリエルスが、左腰に吊るした細剣を抜く。


「空騎兵団の責任において始末するわよ」


 矢のごとく投擲とうてきした。

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