第284話:二人の駆け引き 前編

 キィリイェーロは完全に力尽き、その場に倒れ込んでいる。死んではいない。魔力枯渇による意識喪失状態だ。補佐二人も全魔力を消費したため、同じような状況にある。


 オントワーヌは視線をラナージットに向けた。ここに転移させた張本人であるオントワーヌは少なからず責任を感じている。


 事情を知ったうえでパレデュカルと戦ったシュリシェヒリの者たちと異なり、ラナージットはこの場で初めて真実を知るに至った。


 プルシェヴィアが投写魔術をもってありのままの事実をせなければ、恐らくラナージットは反対を押し切ってでも自分の中にいる精霊をき放っていただろう。


 今の彼女は両親に抱き締められ、うつむいたまま動かない。肩が震えているのは泣いているあかしだ。


 オントワーヌは先ほどまでパレデュカルが立っていた位置まで歩を進める。目的は大地に落ちた白い箱だ。しばしその前でたたずむ。去来きょらいする想いは何だっただろうか。おもむろに拾い上げる。


 キィリイェーロたちの全魔力を凝縮して創り上げたこの箱は破壊できない。封印を解くためには魔術行使者のみが知る言霊ことだまと、さらにその者が箱を手にしている必要がある。


 いずれか一方が欠けても駄目だ。あるいは、キィリイェーロの秘匿ひとく魔術の魔術式を完璧に理解し、かつ解析できる者であれば可能かもしれない。そのような魔術師が主物質界に存在するとは到底とうてい思えない。


 オントワーヌは手にした白い箱をどうすべきか思案しあんしていた。


 三つの方法がある。その中から最も危険度の高い方法を選ぼうとしているのではないか。ここまで下してきた判断に後悔はない。にもかかわらず、この段になって迷いが生じている。


 一つ目は全てのうれいをつ方法であり、賢明でありながら愚昧ぐまいな方法でもある。これは取りない。


 二つ目は最も無難ぶなんで、この先のさらなる激しい戦いをも想定すると、次善策と言えよう。


 三つ目が問題だった。どう考えても危険度が高すぎる。主物質界の問題は主物質界内で、さらにはエルフ属の問題はエルフ属内で、となれば預けるべき者は限定される。


 最優先は魔術行使者たるキィリイェーロだ。ここで問題が生じる。秘匿魔術がもたらした負の影響をかんがみれば、白い箱を容易に奪われてしまいかねない。


 となると、パレデュカルの解放は難しくなり、また最悪の事態をも想定しなければならない。パレデュカルの背後にはあの男がいるのだ。


 正直なところ、オントワーヌにも予想外だった。パレデュカルが優秀な魔術師であり、魔霊鬼ペリノデュエズの力をも行使するであろうことは分かっていた。


 そのうえで、シュリシェヒリの目をさずけられた里の者たち総がかりでなら、互角に近い勝負になるだろう。結果は完敗だ。


 犠牲者こそ少数だったものの、それはパレデュカルが手加減したからにほかならない。本気で潰滅かいめつさせるなら早い段階でできていた。それをしなかったということは、彼もまた情に流されたからだろう。


 パレデュカルの封印までの過程を振り返るに、様々な局面で歯車がみ合っていなかった。一つ一つの判断はその場における最適解を選んでいるはずだ。それでも最終結果は最善とは言い難い。


 それが厳然たる事実だ。そして、一部始終はられていだろう。だからこそ、オントワーヌは直接問う。


「貴男のことだ。抜け目なく全てをご覧になっていたのでしょう。いかがですか、ジリニエイユ殿」


 ここにいる全ての者が突然声を張り上げたオントワーヌに驚き、さらにはその口から発せられた内容に衝撃を受けている。しばしの静寂、周囲の緊張感を高めていく。


 シュリシェヒリの者にとって滅ぼすべき対象、それがジリニエイユだ。まさか筒抜つつぬけだったとは。少し頭をひねれば、分かりそうなものだろう。パレデュカルとの戦いに集中するあまり、その余裕さえなかったということか。


「さすがは先代ルプレイユの賢者オントワーヌ殿と申しておきましょう。やはり貴方たちはあなどがたい。後にも先にも、私が恐怖を感じたのは先代賢者のお三方のみですよ」


 空間を越えて聞こえてくる。まるで声帯を何かですりつぶしてしまったかのような実に耳障みみざわりな音が聴覚に、それを明瞭な言葉にしたものが脳裏に伝わってくる。


 むしろ、叩きこまれてくると言った方が相応ふさわしい。その圧だけで弱い者なら卒倒してしまいそうだ。


「さて、オントワーヌ殿、先に私から問うてもよろしいかな」


 口調だけは丁寧で承諾を求めてきているものの、居丈高いたけだかはなから自分が優先だという意識が感じられる。


 オントワーヌは意にもかいさず、ただうなづいて見せた。言葉でなくとも分かるだろう。


「では、承諾を得たということで。先ほど、貴男はゼディユグルイェに会ってきたとおっしゃった。かの者の口から出た言葉、果たして真実なのでしょうかね」


 明らかに揺さ振りにきている。


 ルシィーエットとビュルクヴィストがジリニエイユと初めて対峙たいじしたのはおよそ二百五十年前だ。オントワーヌは別任務を与えられており、彼らと同行できなかった。


 いかにジリニエイユと言えど、初対面の者に対し、一瞬で心の中まで見通すような能力はない。手探てさぐりから始めるしかない。


「貴男自身、その可能性があるとお考えですか」


 答えず、逆に質問をもって返す。


 ジリニエイユがいかなる者かはビュルクヴィストから聞かされている。信じ難いほどの知識を有し、頭脳明晰、魔術だけでなく武術や体術、話術にさえけ、容易たやすく心の隙間すきまに入ってきて籠絡ろうらくしてしまう。


 何よりも目的のためには手段を選ばす、狡猾こうかつかつ残忍な男、それがビュルクヴィストの下した評価だ。


 ジリニエイユからの返答はない。オントワーヌを相手にやりにくさを感じているのかもしれない。今度はこちらから揺さ振りをかける。


「ないでしょうね。何しろ、彼はかつての貴男の師でもあったエルフです」


 そう、ジリニエイユは一時期、ゼディユグルイェに仕えていた。膨大な知識と魔術の根底は彼から学んだものだ。


 弟子が師の力を超える。往々おうおうにしてあることだ。ジリニエイユは大地が水を吸収するがごとく、様々な知識を貪っていった。先に見切りをつけたのはジリニエイユだ。


「貴男はわずか数年で彼のもとを去りました。そこから再びシュリシェヒリに戻るまで、貴男は何をしていたのでしょうね」

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