第064話:王宮に隠された秘密

 ビュルクヴィストとイオニアが二人きりで、難しい顔をさらにゆがめつつ、真剣に話し合っている。


 近寄りがたい雰囲気が漂っていた。恐らくは、レスティーがあえてはぶいた部分について協議しているのだろう。


 特に、ラディック王国としてどのように動くべきかの示唆しさは一切なかった。魔霊鬼ペリノデュエズが関わらない限り、主物質界の問題は主物質界の者のみで解決する。それが徹頭徹尾てっとうてつび変わらないレスティーの姿勢だからだ。


 ラディック王国にとって、ゼンディニア王国から告げられる前に、決戦場所がアーケゲドーラ大渓谷だいきょうこくと分かったのは僥倖ぎょうこうだ。今、イオニアの頭を悩ませているのは、軍をどのように配置すべきか。それ以上に、アーケゲドーラ大渓谷までいかに全軍を移動させるべきかだった。


「かの御仁は、何も語らなかった。我らは期待されていないのか。あるいは見捨てられたのか」


 それだけは断じて違う。相手が国王であろうとも、ビュルクヴィストは一切遠慮しない。たしなめる意も込めて、厳しい口調で告げた。


「イオニア殿、貴男は何も分かっていないようだ。ラディック王国の歴史一つ取っても、理解しているとは私には到底思えませんね。理解しているなら、レスティー殿に対してそのような言葉が出てくるはずもないですからね」


 レスティーは単騎で魔霊鬼ペリノデュエズを、しかも最高位キルゲテュール対峙たいじできる唯一の存在だ。


 高位ルデラリズは単体で国を、比して最高位キルゲテュールは単体で大陸を容易に壊滅させるだけの力を有している。比較すること自体、馬鹿らしいほどに圧倒的差異があるのだ。


 ビュルクヴィストも、そしてルシィーエットもオントワーヌも、あの時、レスティーと共に戦った。彼ら三賢者は高位ルデラリズを相手に苦戦を強いられた。ほぼ手も足も出なかったという状況だった。


「それもあったでしょう。レスティー殿は先の言葉どおり、この国ごと焦土にするつもりだったのですよ。私も諸手もろてを挙げて賛成しました。後顧こうこうれいを断つには、それが最も賢明な手段でした」


 リンゼイア大陸全土が救えるなら、ラディック王国の持つ一部領土を焦土と化したところで必要悪、やむを得なかったで済むだろう。


「無論、ラディック王国に住まう臣民たちをも救出したうえでのことです。レスティー殿が決意を固めたその時、ただ一人、あの方のみがレスティー殿の前に立ちはだかったのです」


 二人の視線が、ゆっくりと正面の絵画に向けられる。


 描かれているのは、ただ一人の女だ。慈愛のこもった眼差しで、遠くを見つめているようにも思えるし、すぐ近く、手を伸ばせば届くところにある何かを見つめているようにも思える。


 優しい表情とは裏腹に、悲しさも感じられる。それだけ複雑な絵画でもある。


 イオニアの三代前の国王キアレジズでさえ、己の国一つで最高位キルゲテュールを滅ぼせるなら、とレスティーに賛意を示していた。そんな中、レーナリエだけが異を唱えたのだ。当時のレーナリエは形ばかりの王妃で、差別的な扱いを受け続けてきた。


 ビュルクヴィストはなおも続ける。


死屍ししむち打つ行為は許されぬと知りつつ、あえて言いましょう。キアレジズは、私がこれまで見て来た数多あまたの国王の中でも、最低の部類に入る俗物ぞくぶつでした。ラディック王国を滅ぼしかけた要因の一つは、間違いなくあの男です」


 レーナリエの心の中に何があったのかは誰も分からない。最終的に、レスティーはレーナリエの懇願こんがんを受け入れたのだ。


「その結果として、レスティー殿は封印に留めました。結果として、この国はこうして生き残ることができているのですよ。その後の悲劇は、ここでは語りませんがね」


 ビュルクヴィストの声は、この場に残った者の耳にしっかり届いている。あえて聞かせているのだ。


 大半がラディック王国の者であり、彼らはビュルクヴィストの容赦ない言葉に戸惑いを隠せない。それ以上に、ここまで踏み込んだ内容に衝撃を受けている。


 これまでの王国史で学んできた以上のことが克明こくめいに語られているからだ。実際、歴史的に見ても、故キアレジズ・ル=グゼン・フォン・エーディエム二十世の評価は、最低と言ってよいだろう。


 ここでは触れないが、彼亡き後の王国復興は並々ならぬ苦労の連続だった。王国を支える四大貴族の信頼を完全に失い、背を向けられ続けた。再びの信を勝ち得るのは、現国王イオニアになってからだ。


「レーナリエ殿が、最後まで一人で守り抜いたこの国です。そのような彼女の深い愛を、レスティー殿が無にするとでも。レスティー殿は、決して告げませんでしたが、もはや私が黙っている必要もないでしょう」


 誰もが最も気にしているところ、すなわち最高位キルゲテュールの封印場所だ。いったい、それはどこなのか。


「そうです。今、我々が立っているこのファルディム宮の真下ですよ」


 ビュルクヴィストが真下に向けて指を差す。地下数百キルク、最高位キルゲテュールを数百に分割したうえで、積層多重封印魔術をほどこして空間を閉じたのだ。


「ファルディム宮全体を、封印のかなめとした。正面に飾られた、レーナリエ殿の絵画を鍵としてね。それゆえ、我らは監視者として、定期的にここを訪れ、絵画の状態を確認し続けてきたのです。今回の大失態は弁解の余地もありませんがね」


 最後の一言は、魔術高等院ステルヴィアにとっての恥辱ちじょくでもある。ビュルクヴィストは、自戒の念を込めて口にしたのだ。


「私の話を聞いてなお、貴男が最初に発言したようなことを本気で思っているとしたら、私は心底軽蔑けいべつせざるを得ませんね」


 ビュルクヴィストがほぼ一方的にイオニアを叱責しっせきするのと時を同じくして、ルシィーエットがマリエッタとシルヴィーヌにいましめを垂れていた。


「あんたたちはこの国を支えていくべき存在だよ。決して一方通行で物事を見るんじゃないよ。広い視野を持って、その視線を低いところにおいて、様々な人の機微きびに触れな。あんたたちは、そこから多くを学ばなければならないんだ。人の痛みというものを肌で知るんだよ。いいね」


 王族の三人が、こぞって頭を下げている。レスティーを除けば、後にも先にも、このようなことができるのは、やはり魔術高等院ステルヴィアの者だけだろう。


 オントワーヌはこの様子を少し離れた位置から見守りつつ、柔らかな笑みを浮かべて何度もうなづいている。


「ところで、ビュルクヴィスト。最も肝心なことをイオニア殿たちに伝え忘れていませんか」


 ビュルクヴィストもルシィーエットも、たちまち唖然あぜんとした顔をオントワーヌに向けた。


 二人の顔に、はっきり書いてある。このに及んで何てことを言い出すんだ。せっかく、黙っておこうと思ったのにと。


「ビュルクヴィスト殿、大変失礼した。国王として、大いに反省すべきであり、改めて魔術高等院ステルヴィアより我が国の歴史について教えをいたい。レーナリエ様に関して、もっと深く知る必要があると痛感している」


 イオニアもまた国王という立場ながら、自らの非を素直に認め、頭を下げられる男だった。


「して、オントワーヌ殿が言った最も肝心なこととは」


 先ほどまでの威勢のよさはどこに行ったのか、ビュルクヴィストもルシィーエットも逡巡しゅんじゅんしている。告げるのは簡単だ。その影響は計り知れない。どのように言葉にするか、大いに悩むところなのだ。


此度こたびの戦場におもむく者全てが、最高位キルゲテュールにえだということです。レスティー殿が、何故なにゆえおっしゃらなかったか、私ごとき愚人ぐじんに分かるものではありませんが」


 寡黙かもくであるはずのオントワーヌが止まらない。彼はきょうに乗ると一転、延々と語り始めてしまう悪い癖がある。


「あ、おい、オントワーヌ。いい加減、その口を閉じろ。それ以上は」


 ルシィーエットの制止をあっさりと無視して、オントワーヌがなおも続ける。


「幾つかの条件、それは三つあります」

「ま、待ちなさい、オントワーヌ」


 ビュルクヴィストの制止さえも効果がない。


「一つは復活時に完全な闇で覆われていること。一つは復活に捧げるべき高貴な生血が必要であること。最後の一つは数万に及ぶ贄、すなわち死者の肉体が必要であること。アーケゲドーラ大渓谷の決戦において、これら全てがそろうのですね」


 ビュルクヴィストが天をあおいだ。レスティーが説明しなかったことを、自分たちが、主にオントワーヌだが、全て語ってしまっていた。


(こ、こいつ、とんでもない爆弾を落としやがった。ほんと、いい加減にしてくれよ)


 ルシィーエットが、恐る恐るイオニアたちの様子をうかがう。


 予想どおりの反応だった。彼らはひとしきり固まってしまっている。贄だと言われたのだ。受けた衝撃は、簡単に思考を破壊するだろう。


「ルシィーエット様、このことをゼンディニア王国の方々は、とりわけイプセミッシュ殿下はご存じなのでしょうか」


 弱々しい声で尋ねてきたのはマリエッタだ。シルヴィーヌと身体を寄せ合い、互いに震えを必死に抑えようとしている。


「十中八九、知らないだろうね。だが、すぐに知ることになるよ。レスティー殿が十二将の一人と一緒なんだ。ゼンディニアの者たちが、この話を聞いたとしてどう動くかだね」


 ルシィーエットの言葉に、シルヴィーヌが即座に反応した。


「やはり、そうなるのですね。父上、これは一度、イプセミッシュ殿下と話し合う必要があるのではないでしょうか」


 既に冷静さを取り戻していたイオニアが、じっと娘たちの顔を見つめ、強くうなづいてみせた。


「よくぞ言った。今は両国が争っている場合ではない。急ぎ、ゼンディニア王国に赴き、イプセミッシュ殿と話をしなければなるまい。モルディーズ、ゼンディニア王国王都ポルヴァートゥまで最短で如何いかほど要するか。至急調べよ」


 モルディーズが早速動き出そうとするところを、ビュルクヴィストが待ったをかける。


「その必要はありません。急ぎなら、今すぐにでも魔術転移門を開き、ポルヴァートゥまでお連れしますよ。もちろん、その時は私も同行しますがね」

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