第292話:ニミエパルドとケーレディエズ

 明らかに女の声だ。小さな子供のようにも聞こえる。もう一人、背後にたたずんでいる。


 闇に差す三連月の明かりが二つの影を長く伸ばしている。肉眼によるわずかな視界でとらえる限り、剣などの武器は手にしていない。


 姿以上に目を引くのが異様なまでの眼光がんこうだ。二人ともに深紅しんくの瞳があやしい輝きを発している。


「面白いですね。踏鳴ふみなりに続き、獣剛じゅうごうですか。体術にけた戦士とお見受けします」


 すずやかな声で男が初めて声を発した。


 グレアルーヴは胸部から腹部にかけて十文字の裂傷れっしょうっている。明らかに鋭利えいりな武器によるものだ。


「傷口が簡単にふさがっちゃったね、すごい、凄いね」


 両手を打ち鳴らしながら、無邪気むじゃきにはしゃいで背後の男を何度も振り返っている。男のうなづきをもって、同意がられたと思ったのだろう。再び視線をグレアルーヴに戻す。


 今しがたの苛烈かれつな攻撃との落差はいったい何なのか。グレアルーヴはあまりにかけ離れた女の行動に違和感をいだかざるをない。


 グレアルーヴが受けた裂傷はもっと深く、盛大に血飛沫ちしぶきき上げていても何らおかしくはない。それほどの威力をともなった攻撃だった。


 けきれないと判断したグレアルーヴは、大地に根づかせた右脚裏を起点にして、とある術を発動させた。


 獣人族ならではの動体視力をもって暗光閃テネヴィリエ軌道きどうは読み切っている。即時、くべき己の肉体を確定させる。そこから右脚裏に集中させた魔気まきを巡らせ、暗光閃テネヴィリエを受けきったのだ。


 この身体硬化術を剛獣と呼ぶ。


 元来がんらい強靭きょうじんな肉体を有する獣人族は、魔気を放出する以上に、蓄積して身体能力強化に向けることが多い。


 もちろん、獣人族からもすぐれた魔術師は輩出はいしゅつされている。その数は人族、とりわけエルフ属やヒューマン属に比べて圧倒的に少ない。獣人族にのみ伝わる秘術、血縛術サグィリギスが生まれたのも、ここらあたりに要因があるのかもしれない。


「お兄ちゃん、強いね。感心しちゃうよ。ところで、教えてほしいの。ここに、三姉妹っている」


 見た目は大人、口調はまさしく少女、それでいて深紅の眼光には狂気そのものが宿っている。グレアルーヴも戸惑いを隠せないでいる。


 知ったうえで聞いているのか、あるいは本当に知らないのか。先ほどの暗光閃テネヴィリエは、グレアルーヴたちが一塊ひとかたまりとなっていたため、具体的に誰を標的にしていたのか明確には分からない。


 言えるのは、明らかに手加減なしの殺意のこもった攻撃だったことだ。


(この女、口調はさておき、明らかに強者だ。ジェンドメンダの比ではない。さらに背後に立つ男も得体えたいが知れぬ)


 グレアルーヴの肉眼はこの闇の中でも背後に立つ男を認識できている。女同様、強者には違いない。それ以上に背筋が凍りそうになるほどの不気味ぶきみさが肌を刺激してくる。


(あのよろいのせいか)


 原因は男がまとう闇よりなお濃い漆黒で染められた鎧だ。魔気とも邪気じゃきとも異なる気が鎧を包み、まるで生き物のごとくうごめいいている。


「俺は知らぬな」


 迂闊うかつに答えるにはあまりに危険すぎる。グレアルーヴは否定の言葉だけを返す。


 聞いた女に変化はない。ただ深紅の瞳の奥で火花が散ったかのように見えた。感じた刹那せつな、女の中にある何かがはじける。


「お兄ちゃん、うそきらい。だって、だって、ジリニエイユ様が」


 聞き捨てならない名前が飛び出してきた。


 女に目立つ動きはない。にもかかわらず、先ほど以上のうねりがすさまじいかたまりとなって襲いかかってくる。


 グレアルーヴもむざむざやられるつもりは毛頭もうとうない。左手薬指の爪を伸長させ、すかさず迎撃態勢に入る。敵が空気のうねりを用いるなら、こちらも同様、大気の力を利用するだけだ。


「その攻撃は一度見た」


 左手薬指の爪には風の魔力を封じている。き放てば中級魔術程度の威力を発揮するだろう。乱発らんぱつはできない。爪が折れるまで、恐らく三発から五発程度と言ったところか。発数は攻撃範囲や威力によっても左右される。


 グレアルーヴは獣剛じゅうごうの効力をそのまま残し、風を解き放つべく爪を疾駆しっくさせた。瞬時に解放、生み出された風は大気のうずとなり、女が放った空気のうねりによる塊と衝突する。


 相殺そうさいしきった。思ったのもつかの間だ。


 血飛沫ちしぶきが激しく舞い上がる。両の太腿ふとももが斬り裂かれているのだ。グレアルーヴは全く気づけなかった。かなり深い傷となって血があふれる。


「グレアルーヴ」


 ディグレイオのおかげで負傷をまぬかれたザガルドアが思わず声を上げる。ディグレイオは言葉をみ込むも、気持ちは同じだ。


「何が起こった。狙いは見定めていたはず」


 グレアルーヴはたまらず両膝りょうひざを大地についている。めどなく流れ出る鮮血が痛々しい。


「彼女の力を見誤っていましたね。剛獣で全身をまもるべきでした。さあ、どうぞ。止血しけつしてください」


 男の口調は平静そのものだ。侮蔑ぶべつなどの負の感情は一切っていない。淡々と事実のみを言葉にして語っている。不気味でありながら、不思議な男だった。


 この機をのがさずにたたみかければ、確実にグレアルーヴの息の根を止められるはずだ。それだけの実力を二人は有している。何ともせない行動だった。


 一方の女は満面のみをもって男に視線を送っている。彼女の顔が告げている。


「ええ、ええ。大変よくできましたよ。さすが、ケーレディエズですね」


 それだけでは不服なのか、ケーレディエズと呼ばれた女はいささか機嫌が悪そうだ。


「分かりましたよ。おいで、私の可愛いケーレディエズ」


 なかばお手上げといった表情でケーレディエズを手招てまねきする。喜んでけてくるケーレディエズが頭を下げ気味にして差し出してくる。


「ねえ、ニミエパルド、めて、褒めて。私、上手じょうずにできたでしょ」


 まるで自らの子供に接するがごとく、差し出された頭を優しくでながら、ニミエパルドと呼ばれた男はうなづいている。


 意識のある者、グレアルーヴ、ザガルドアにディグレイオの三人が三人とも呆気あっけに取られている。


 ニミエパルドは無論のこと、ケーレディエズも姿形すがたかたちまぎれもなく大人だ。決して子供ではない。それなのに彼女のこの仕草はどうしたことか。


「理解に苦しんでいるようですね。これが彼女です。身体は大人、心は子供です。成長をかたくなにこばんでいるのです」


 ニミエパルドの表情は悲哀ひあいに満ちている。他人に多くを語る必要はない。同情などもってのほかだ。


「彼女、ケーレディエズは将来を約束し合った最愛の人でした」


 グレアルーヴは呆然ぼうぜんとしながらも、過去形で淡々と語るニミエパルドに釈然しゃくぜんとしないものを感じていた。ザガルドアもディリニッツも同じのようだ。


「お言葉に甘えて、止血を優先させてもらう」


 上半身の魔気をすみやかに両の太腿ふとももに巡らせ、止血にかかる。剛獣の効力はただちに発揮、体内の深部しんぶからまずは血管を、その後にり裂かれた傷をまたたく間にふさいでいく。


「見事ですね。まさしく熟練のわざだ」


 ニミエパルドの賞賛しょうさんの声にも表情一つ変えず、グレアルーヴは軽く頭を下げるのみだ。


「止血の時間、かたじけない。そなたにたずねたいことがある。よいだろうか」


 首が縦に振られる。言葉はない。


「そなたが先ほど語った言葉、何故なにゆえに過去形なのか。最愛の者といまだに連れ合っているではないか」


 意表を突かれたのか、ニミエパルドの表情がくもる。


「そう、ですね。無意識の言葉ほど恐ろしいものはありませんね」


 他人に語る気などなかった。理解されないだろう。同情など、ことさらに不要だ。そう思っていたニミエパルドの心は確かに揺れた。


 目の前の男なら、何より獣人族のこの男なら、かつての友だったあの者のように理解し合えるだろうか。


「先に告げておきます。ここに三姉妹がいることは承知しています。ケーレディエズも私も、三姉妹抹殺の命を受けてここに来ています」


 グレアルーヴのまゆわずかに上がる。そこに驚きはない。


 狙われるとしたら、いずれかの王族に違いない。ザガルドアとセレネイアたち三姉妹を天秤てんびんにかけた時、相手にとって危険性が高いのは皇麗風塵雷迅セーディネスティアを所有しているセレネイアだ。


 暗光閃テネヴィリエによる攻撃は無造作すぎたものの、グレアルーヴが割って入らなければセレネイアたちは確実に落命していた。


 三姉妹はどうなったか。左右に吹き飛ばされたところまでは把握できている。その後、彼女たちが起き上がってきた形跡けいせきはない。グレアルーヴが素早く左右に視線を動かす。


 右やや後方に飛ばされたセレネイアとシルヴィーヌは土砂とくずれた岩石に身体の半分程度が埋まったまま微動だにしない。


 左に飛ばされたマリエッタはもっとひどい。完全に土砂に埋もれてしまっている。早く救出しなければ、そう思った矢先のこと、マリエッタを覆い隠す土砂が唐突に弾け飛んだ。


「ああ、もう、何てことをしてくれるのですか。私、本当に怒っていますからね」


 土砂の中から飛び上がってきたマリエッタの全身が炎にくるまれている。その姿はまさしくほむらのアコスフィングァだ。


「何だよ、あれは。第二王女、反則じゃねえか」


 唖然あぜんとしながらつぶやくディグレイオのかわいた声は、ザガルドアだけに聞こえている。


「ディグレイオ、気持ちはわかるぞ。俺も初見しょけん時は同じ想いだったからな。マリエッタ第二王女は炎に愛されているんだ」

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