第211話:セレネイアの思いと光陰の舞

 トゥウェルテナは、一時の師でもあるルブルコスから聞かされていた。


 ジェンドメンダは、ルブルコスの二代前の継承者によって破門されている。ツクミナーロ流の師範でありながら、己の快楽のためだけに罪なき弱き者を幾人もなぶり殺してきた外道げどう中の外道だ。


 詳しくは教えてくれなかったものの、ツクミナーロが滅びゆく流派と言われる遠因えんいんがジェンドメンダにある。本来ならば、現継承者たるルブルコスが始末すべきところだ。


≪今回はお前に譲るとしよう。一人でやれるな≫


 答えはもちろん、やれる、だ。この男だけは断じて許すわけにはいかない。今や、人でもない、魔霊人ペレヴィリディスと化した怪物なのだ。


 胸前で交差させていた湾刀はそのままに、トゥウェルテナは黒きもやの中を凝視している。


 カイラジェーネによれば、七人いるうちの最弱とはいえ、規格外の強さに変わりはない。彼女と戦ったトゥウェルテナなのだ。一瞬たりとも油断はできない。


「ほうほう、我の名を知るか。女、どこで知った。いや、お前のその顔、なるほど。カイラジェーネから聞いたか。となると、あの女は死んだのか。口ほどにもなかったということか」


 黒き靄が吹き飛び、中から姿を見せたのは坑道で攻撃してきた男だ。邪気と魔気まきが混じり合う、いびつすぎる男を見間違えるはずもない。ジェンドメンダだった。


 その姿を見たザガルドアもセレネイアも、驚きと焦りの色が隠せない。


「馬鹿な。フォンセカーロの放った氷柱つららをまともに浴びたんだぞ。いくら魔霊鬼ペリノデュエズとはいえ」


 欠損したはずの両腕、右ひざ下が完全再生、氷柱によって貫かれた無数の穴もふさがっている。


 ジェンドメンダは何事もなかったのごとく、妖刀を片手に悠々ゆうゆうと立っているのだ。


「これは傑作けっさくだ。笑いが止まらぬわ。カイラジェーネ、いい女だった。いずれ、ばらばらにきざんでやろうと思っていたが。そうか、お前たちのような弱者に敗れたか。こんなことなら、あの時に犯しておけばよかったわ」


 ジェンドメンダの嘲笑ちょうしょうは、ここにいる者全てを不快にしている。


 トゥウェルテナにとっては不快どころではない。カイラジェーネは既に己の心の一部となっている。カイラジェーネを侮辱ぶじょくした罪は万死ばんしに値する。


 トゥウェルテナは後方のザガルドアに視線を動かした。彼の様子を見るに、背中の傷は塞がっているものの、幾分苦しそうな息をしている。


 ジェンドメンダの仕業しわざだろう。目の前の男は、卑怯ひきょうな手であろうと躊躇ちゅうちょなく使う。いや、むしろそれが主でもあり、いきなり背後から襲いかかったと見るのが妥当だ。


「言いたいことはそれだけなの。知っているわよ。弱い者しか相手にできないのよね。強い者の前では、お前など無力よ。だからこそ、カイラジェーネに何もできなかったのよ。圧倒的に彼女の方が強いものね」


 ジェンドメンダの両のまなこが、濃い緑を含んだ赤に染まっていく。全身が震えている。


「女、死にたいらしいな。どうせ殺そうと思っていたのだ。下ではじじいが邪魔してくれたが、今度はそうかいかぬぞ。ああ、殺す前にたっぷり可愛がってやるからな」


 下卑げびた笑いが木霊こだまする。


 その笑いをかき消すように、しかしわめき立てるようなこともなく、トゥウェルテナは静かになぎのごとく感情を廃し、言葉をつむいだ。


「お前ごとき下衆げすが、この私に触れられるとでも思ったの。私に触れてよいのはレスティー様のみ。身も心も捧げられる唯一の御方、そして将来、私はあの御方の子供を産む定めなのよ」


 おごそかな言葉だけに、トゥウェルテナの熱が伝わってくる。


 後ろに立つザガルドアにもセレネイアにも、彼女の声は確かに伝わっていた。


 二人の好対照の反応が面白い。


 ザガルドアはまた始まったか、と言わんばかりに頭を抱え、苦笑を浮かべている。セレネイアは途轍とてつもなく重い衝撃を脳天から食らったかのごとくほうけている。口を動かすも、声にさえならない。


(え、今、何て。子供を産む定め、と言いました。誰の子供を。お名前が、私)


 セレネイアは、もはや心ここにあらずの状態だ。心の中が騒がしすぎて、何も手につかない。


 そんな姉の様子を二人の妹が興味津々とばかりに見つめている。こちらはこちらで、戦いの最中でありながら別の意味で盛り上がっている。


「ちょっと、シルヴィーヌ、私の耳がおかしくなったのかしら。確かにおっしゃったわよね。レスティー様の子供を産むって」


 マリエッタとシルヴィーヌにとって、普段は滅多めったに口にできないこの手の話題に興味津々しんしんなのだ。


「マリエッタお姉様、空耳ではありませんわ。確かに、あの方はそう仰いました。セレネイアお姉様、これは強敵の出現ですわね」


 断然、戦いよりもセレネイアの心の思いが気になる二人なのだった。

 

「トゥウェルテナ、それはもういい。ここからは共闘するぞ」


 切り捨てるザガルドアの言葉に、トゥウェルテナは嫣然えんぜんをもって応じる。


「あらあ、陛下ったら、それは無理な話ですわよ。この下衆の相手は、私一人でするのですからあ。それに、私の力はご存じのはずよねえ」


 いつもの口調の中に、絶対譲れないというトゥウェルテナの主張がめられている。

 

「お前、何を言っているんだ。お前一人よりも三人で戦った方がより確実だろ」


 トゥウェルテナの気持ちが分かっていながらも、ザガルドアはあえて三人で共闘する道を選んだのだ。


 トゥウェルテナは隙を見せることなく、視線をわずかばかりセレネイアに転じた。


(このが三人目ということよねえ。陛下、大丈夫なのかしらあ。この娘が戦力になるなんて思えないんだけど。でも、手にしている剣はまぎれもなく業物わざものよねえ)


 何とも不可思議な思いをいだきつつ、トゥウェルテナはさらに言葉を発する。


「このジェンドメンダは魔霊人ペレヴィリディス、陛下のお持ちになっている剣では倒せませんわよ」


 初めて耳にする魔霊人ペレヴィリディスという言葉に、ザガルドアが怪訝けげんな表情で問い返す。


魔霊人ペレヴィリディスだと。魔霊鬼ペリノデュエズとは違うのか」


 ザガルドアの疑問はもっともだ。聞いたこともない存在に対応するのは難しい。トゥウェルテナが説明を加える。


「ジリニエイユによって創り出された怪物なの。魔霊人ペレヴィリディスとは、死者に魔霊鬼ペリノデュエズ、しかも高位ルデラリズから取り出した核を埋め込んだ特異な存在なのよね」


 信じられない。ジリニエイユとはそこまでの男なのか。ザガルドアは僅かながらも戦慄せんりつを覚えていた。


「馬鹿な。死者に高位ルデラリズの核だと。ビュルクヴィストの話では、ジリニエイユは中位シャウラダーブを従えていると聞いていたが、今や高位ルデラリズまでも手駒にしているのか。そのうえ、このような」


 ビュルクヴィストとの話の内容までは知らない。トゥウェルテナはそれには答えず続けた。


「ジリニエイユの秘術は、死者を生前の記憶そのままによみがえらせているわ。しかも、身につけていた知識や技術もそのまま引き継がれているなんてね。この男は魔霊人ペレヴィリディス最弱とはいえ、ツクミナーロ流の師範でもあったらしいの。厄介このうえないわよねえ」


 独り言のように呟くトゥウェルテナの視線は、ジェンドメンダから離れない。どんな手でも使ってくるこの敵を前に、油断はそのまま死に直結だ。


「トゥウェルテナ、お前に倒せるのか。いや、倒せるんだな。助力は無用なんだな」


 トゥウェルテナの意思は固い。彼女もまた十二将の一人なのだ。ザガルドアは確認したまでだ。


「陛下、問題ないわよ。私に任せて。だって、私には負けられない理由があるもの。それにレスティー様から授けられたこの魔剣アヴルムーティオが力を貸してくれるの。負ける気はしないわよ」


 先制攻撃あるのみだ。


 トゥウェルテナは言葉を切ると同時、激しい舞いの脚運びをもってジェンドメンダとの間合いを一瞬にして詰める。


 不規則な舞いの動きの中で、トゥウェルテナは背の湾刀を軽やかに引き抜く。音はない。静寂のままに進む。


 ジェンドメンダも、ようやくにしてトゥウェルテナをあなどれない敵と判断したか。初めて剣技の構えを見せた。


 大気を切り裂き、大きく曲線を描いたやいばが宙を走る。トゥウェルテナの一対の湾刀は、まさに彼女の身体の一部でもある。


 刃は舞いの中にひそみ、一切の剣軌けんきを相手にさとらせない。砂漠の民の中でも、巫女の踊り手シャルハストウのみに許された七舞しちぶのうちの一舞いちぶが、ジェンドメンダを確実にとらえる。


「光陰の舞熱砂塵照光射隠ネアレハネス


 見えない刃に、自身の刃を合わせることは不可能だ。ジェンドメンダの剣は空を斬らされていた。


 構え直す余裕を与えるつもりはない。このまま舞う。


 トゥウェルテナの刃が寸分違わずジェンドメンダの首と胴を断ち斬る。静寂の中に光陰の舞が終わり、初めて音が戻ってくる。


 それは、ジェンドメンダの首が大地に落ちた音だった。


 これで終わったわけではない。トゥウェルテナはすぐさまジェンドメンダとの距離を取らざるを得なかった。


 核の位置は特定できていた。自らの目で、ではない。魔剣アヴルムーティオによる剣軌がおのずと導いてくれているのだ。


「断ち切る寸前に核の位置が変わったわね。これがこの男の能力なのかしら。ちょっと、これはまずいかも」

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