第095話:来る戦いに備えて

 シュリシェヒリの里の最奥、神殿前には多くの者が集っていた。


 かつて、里内に侵入した魔霊鬼ペリノデュエズによって破壊されたものの、今では見事に修復されている。創建当時の壮麗そうれいさがよみがえっていた。


 シュリシェヒリのほぼ全域は大樹に覆われている。神殿の周囲二百メルク内だけが特異な環境だ。大樹は一本もない。


 上空より降り注ぐ陽光を燦然さんぜんと受け、神殿は美しく光り輝いている。


 入口、階段最上部に一人の男が立っていた。長老キィリイェーロだ。


 里を守護する魔弓警備隊を中心に、戦いにおもむく男たちが眼前に並び、彼に注目している。


 来たる戦いに向けて、着々と準備が進められていく中、キィリイェーロには不安材料が幾つもあった。その際たるものが、シュリシェヒリの一属にのみ与えられた異能だった。


 兄ジリニエイユによって銀麗の短剣スクリヴェイロが持ち去られて以来、開目の儀式ニヴィバザレは一度も行われていない。銀麗の短剣スクリヴェイロが儀式に欠かせない宝具だからだ。


 開目の儀式ニヴィバザレに挑めるのは、エルフ属としての成人を迎えた者の中から長老が認めた者のみだ。異能が付与される確率は、およそ十人に六人程度に過ぎない。


 異能は二つある。一つは魔霊鬼ペリノデュエズを認識できる特殊な目だ。もう一つは見つけ出した魔霊鬼ペリノデュエズを狩るための、その者に応じた固有の力だった。


 此度こたびの戦いにおいて、優位性を保つためには何としてでもその目が必要なのだ。


 現在、この目を有する者は長老を含めて五人にも満たない。トゥルデューロ、その妻プルシェヴィア、そしてダナドゥーファことパレデュカルだ。


 かつては百人以上いたものの、魔霊鬼ペリノデュエズとの戦いで大半が散っていった。今や残るはこの四人しかいない。


 パレデュカルに至っては敵側かもしれない。いや、確実に敵だろう。


 十二将の一人、ディリニッツでさえこの目を有していない。キィリイェーロは悩み抜いた挙げ句、ラディック王国での会談後、レスティーに懇願したのだ。


 三日後の夜にシュリシェヒリで、という言葉だけを残して、レスティーは彼の目の前から去っていった。


 今夜がその時だった。


「シュリシェヒリの精鋭たちよ、よくぞつどった。我々はまもなく命をした戦いにおもむく。その前にやらねばならぬことがある。皆にも説明したとおり、開目の儀式ニヴィバザレだ」


 銀麗の短剣スクリヴェイロがなくとも、開目の儀式ニヴィバザレを唯一、可能にする者がいる。それこそがシュリシェヒリの里の恩人たるレスティーだった。


 そもそも、この魔霊鬼を認識する特殊な目がシュリシェヒリの里のエルフ属にのみ授けられたのかは分からない。無論、レスティーならば知っているだろう。彼がそれを口にすることはない。


今宵こよい、レスティー様により目を授けていただく。かの御方は、かくおっしゃった。戦いに赴く者なら、男女は無論、年齢も問わぬと。ただし、相応の激痛がほぼ一昼夜を通してお前たちを襲うであろう。耐えきる覚悟のある者のみ、天頂に三連月が輝かしとき、再びここに集うがよい」


 キィリイェーロは告げるべき内容を告げると、背を向けて神殿内へと入っていった。すぐさま補佐の二人がつき従う。


 後ろ姿が見えなくなったところで、トゥルデューロとプルシェヴィアに皆からの質問が集中する


「トゥルデューロ殿、シュリシェヒリの目を開くには激痛を伴うと長老がおっしゃった。本当のことなのか。しかも、それが一昼夜続くとなると、痛みに耐えきれぬ場合はどうなるのだろうか」


 トゥルデューロが答えようとしたところで、別の方向から今度はプルシェヴィアに質問が飛ぶ。


「目が与えられたとして、それまでの日常と大きく変わることはあるのかしら。激変してしまうなら、子供がいる私には難しいかもしれないわ」


 質問は多種多様にわたっている。当然だろう。異能とも呼べる新たな能力が、何の代償もなく与えられるはずがないのだ。


 先に述べたとおり、開目の儀式ニヴィバザレに挑めるのは成人以上かつ長老が認めた者のみだ。強い肉体と精神を持つ者のみしか儀式に耐えきれない、という意味合いが含まれている。


「私は開目の儀式ニヴィバザレを受けて、シュリシェヒリの目を授かった。だから、今回のような特殊な状況下でどうなるかは何とも言えぬよ」


 トゥルデューロは激痛に襲われ、それこそ死にたいと思ったことが何度もあった。肉体的にも精神的にも一昼夜にわたって激痛が続くのだ。何とか耐え忍んだことで、ようやく手にすることができたのだった。


「異能を授かるということは、能力の生まれ変わりを意味する。己の目を銀麗の短剣スクリヴェイロで切り裂くのだ。切り裂くことで新たな能力が開花する。皆はよかったではないか。物理的に己の目を切り裂かれることがないのだから」


 愉快そうに笑うトゥルデューロを、妻のプルシェヴィアが横目でにらみつけている。


「貴男、そのような余計なことを言うものではありませんよ。皆が怖がっているではありませんか。本当にもう、いつもそうなのですから。少しは言葉に気をつけてください」


 プルシェヴィアにたしなめられるのが日常だ。皆が知っている。


「さすがのトゥルデューロもプルシェヴィアには頭が上がらないな。まあ、そうやって尻に敷かれているのが一番だよな。夫婦円満の秘訣ひけつ、ここにありってな」


 そこかしこから笑い声が巻き起こる。トゥルデューロは苦虫にがむしつぶしたような表情ながら、怒るような真似はしない。自身も分かっているからだ。妻には到底敵かなわないと。


「ねえ、プルシェヴィア、貴女もそうだったの」

「ええ、そうなのよ。私もほぼ一昼夜苦しんだけど、私の場合はとにかく姉のかたきつためという意味合いもあって、耐えることができたのよ」


 嫌なことを思い出させてしまった。プルシェヴィアの姉ミジェラヴィアは長老のかつての補佐として、神殿を守護していた際、魔霊鬼に襲われ命を落としている。


「ごめんなさい、プルシェヴィア。お姉さんのこと、思い出させてしまったわ」


 プルシェヴィアは首を横に振って、大丈夫よと応じる。


「日常にはさほど影響はないと思うわ。慣れるまでは周囲の映像がぼやけて見えるとか、色がなくなるといった感覚におちいるけれど、そのうちに慣れてくるものよ」


 その後も、何かと質問責めにされるトゥルデューロとプルシェヴィアだった。


 一つ、一つ丁寧に答えていく二人は、やはりこの大きな輪の中心人物たるに相応ふさわしかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 空には三連月が輝いてる。


 天頂に近い位置に見えるのが槐黄月ルプレイユ、そこから西にやや離れて藍碧月スフィーリア、さらに西に大きく離れて紅緋月レスカレオという位置関係だ。


 槐黄月ルプレイユ藍碧月スフィーリアはほぼ同じ高度、紅緋月レスカレオだけがかなり高度を下げている。三連月は各々が冷たい光を地表に注いでいた。


 神殿前には長老キィリイェーロをはじめ、戦いに赴く者がほぼ全てそろっている。キィリイェーロは先ほどとは異なり、里の者たちと同じ位置で控えている


 誰にも言葉はなかった。静寂が包む神殿前で、一同はその時を待っている。


「待たせたな、キィリイェーロ」


 魔術転移によって、レスティーがその姿を現した。


 神殿を照らす柔らかな魔術光を背に受けたレスティーの何と神々こうごうしいことか。それを目の当たりにしたキィリイェーロは、無意識のうちに片膝かたひざをついていた。里の者も同様に膝をつく。


「キィリイェーロ、それは無用だと言っておいたはずだ。里の者たちも同様だ。さあ、立つがよい。時間が惜しい。早速始めよう。これより、そなたたちにシュリシェヒリの目を授ける」


 レスティーは全員の顔を見渡した。問わぬ、とは言っておいた。やはり成人に達していない者も数多く交じっている。キィリイェーロが詳細に説明しているはずだ。レスティーは念には念を入れた。


≪成人に達していない者もいるが、覚悟のうえでつどっているのだな。一度ひとたび目を授けてしまえば、二度ともとに戻すことはかなわぬ。そして、私が主物質界に存在しない時は、そなたたちこそが私の代行者となる≫


 すなわち、魔霊鬼ペリノデュエズを見つけ出し、狩る使命を帯びるということだ。他の人族と同じようないとなみは、ほぼできなくなると思って間違いない。死と隣り合わせの危険な使命でもある。


≪私が授ける以上、確実に、失敗なく、異能を手にする。よいのだな≫


 キィリイェーロは重々承知のうえでうなづく。


≪レスティー様、お心遣こころづかいに感謝いたします。ここに集った者たちは相応の覚悟を持っております≫


 キィリイェーロの心情はレスティーにも理解できる。


 我らにしてみれば、何故なにゆえにこのような異能を与えられたのか。しかも望んでのことではない。押しつけられたも同然と考えて何ら不思議ではない。


 しかも、彼らだけが他の者たちのために命をけて魔霊鬼ペリノデュエズと戦わねばならないのだ。彼らの誰かが死んだところで、里外の者には何の影響もない。そもそも、その存在自体を知らないのだ。


 キィリイェーロは長老になってからというもの、その理不尽さをどうにか覆そうとして懸命にもがき、また努力もしてきた。


 そして学ぶ。長命なエルフ属にしかし得ない使命なのだ。何よりもシュリシェヒリの者こそ、古代エルフの王国の血脈けつみゃくつらなる正当な一属であることを知るに至り、その考えを一変させるのだった。


 神は全てを考慮したうえで、シュリシェヒリの者にのみ異能を授けたのだ。


 キィリイェーロが気づいた時には、既に手遅れだった。ジリニエイユがはるか先を行っていたのだ。あまりにも遅すぎた。


≪今、我らが立ち上がらねば、誰がこの問題を解決できるというのでしょうか。レスティー様、我らシュリシェヒリの一属はこれよりるべき姿に戻りたく、どうかお力添えをお願い申し上げます≫


 これ以上の言葉はもはや不要だった。眼前には覚悟の目がある。


 レスティーは、右手を大きくかかげた。

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