第148話:玉座に開く魔術転移門

 フィリエルスの投擲とうてきした細剣さいけんが、ラグリューヴの足元から飛び出してきたつた状のかたまり、すなわち妄念塊もうねんかいに深々と突き立った。


 数にして三本だ。苦悶くもんに満ちたすさまじい金切声かなきりごえが耳をつんざく。碧緑へきりょくの液体が飛び散り、床をらしていく。


「団長、申し訳ございません」


 グリューディンが叫ぶ。彼の騎乗するラグリューヴの足元からだった。


 どのようにしてひそんでいたかは分からない。フィリエルスが見る限り、ラグリューヴそのものに問題はなさそうだ。


「謝罪は無用。ハベルディオ、ウドロヴ、グリューディン、まずはラグリューヴの安全確保、可能なら即座に飛び立ちなさい。フォンセカーロはそのまま待機よ」


 空騎兵団団長として、フィリエルスが矢継ぎ早に指示を出していく。


「陛下、この失態は後ほどおびいたします。まずは、あれを始末してから。ザガルドア、いえ、イプセミッシュ、ああ、もうややこしいわね。筆頭殿、陛下をお頼みしますわね」


 うなづきと共に言葉を返す。


「承知した。とはいえ、私が守る必要もないのだがな」


 イプセミッシュがザガルドアを指差す。いつの間に抜剣したのか、既に敵襲に備えた態勢を整えている。


「さすがですわね。ここはお任せしますわ」


 フィリエルスは竜笛アウレトに息を吹き込んだ。即座に反応、彼女のアコスフィングァが床と接するほどの低空飛行でこちらに向かってくる。


 すれ違いざま、フィリエルスは身体を反転、勢いを殺すことなく素早くアコスフィングァの背に飛び乗る。


 その様子を視認したフォンセカーロが即座に攻撃に移る。まさしく阿吽あうんの呼吸だ。長槍のやいばを下に向け、床に突き刺す。


「我がもとに集いて氷柱つららさん」


 突き立った長槍と三本の妄念塊を結ぶかのように、一筋ひとすじの道が描かれる。大気中の水蒸気が急速に冷やされた結果、その道は霜道そうどうとなり、美しくも微細びさい着氷ちゃくひょう現象が生じている。


 霜道の完成と同時、妄念塊を取り囲むようにして床面がくだかれた。冷気がき上がる。次いで無数の鋭利な氷霜柱つららが、大地を穿うがって突き上がった。


「ハベルディオ、ウドロヴ、グリューディン、やりなさい」


 氷霜柱つららが妄念塊を串刺しにしていく。フィリエルスは間髪いれず、天井近く待機している三人に命じた。


 ラグリューヴ三体がいっせいに急降下、くちばしをもって妄念塊を引きちぎっていく。苦痛から逃れようと暴れ回る妄念塊は、次第にその動きを封じられつつあった。氷霜柱つららから生じた冷気によって、凍結が始まっているからだ。


「フォンセカーロ、上空へ」


 フォンセカーロにも、アコスフィングァをって飛び立つよう指示を出す。フィリエルスは油断なく状況を冷静に分析、最適な指示を選んでいる。


 三本ともが完全凍結には至っていない。フォンセカーロの氷霜舞柱疾刺撃ラグスティユルでは、威力不足ということだ。


 フィリエルスは振り返り、ザガルドアとイプセミッシュに視線を転じた。


「任せろ。俺が一本、仕留める」

「陛下に負けるわけにもいかぬな。ならば、私も一本引き受けよう」


 フィリエルスは苦笑、正直に言うと愕然がくぜんとしている。明らかに、二人が自身の意図とは真逆の行動に出ているからだ。


 フィリエルスは、あくまで退避を呼びかける目的で視線を向けたのだった。それがどうだろう。ザガルドアもイプセミッシュも、フィリエルスの視線の意味を助力をう、と都合よく解釈している。


(ちょっと、何をしているのかしら。筆頭殿はともかく、陛下まで。もう、これだから戦闘馬鹿の男たちは。そんなことを言っている場合ではないわね。残る一本、私たち空騎兵団では火力不足がいなめない。有翼獣五体総がかりでやるしかないわね)


 フィリエルスが再度、竜笛アウレトに意思を伝え、自らも上空へと駆け上がっていく。攻撃を中断したラグリューヴ三体も同じく、上空へといったん戻る。


「団長、よろしいのでしょうか。陛下もイプセミッシュ様もやる気満々のご様子、お任せしてしまっても」


 フォンセカーロの問いはもっともだ。フィリエルスは渋々といった表情を浮かべ、答える。


「あの状態になったら、もはや止まらないわよ。それよりも、残る一本をどう片づけるか。それが問題よ」


≪その心配には及びません。失態は私も同じです。責任を取って、ここは私に任せていただきましょう≫


 空中にとどまる五人の脳裏に一方通行の声が届いた。


「何者」


 フィリエルスの誰何すいかと同時、空間に硬質の金属音が響き渡る。途端にザガルドアが心底嫌そうに、その顔をしかめている。


「おいおい、ここはいったいどこなんだ。我がゼンディニア王国、玉座の間だぞ。それをいとも簡単に、しかも無断で魔術転移門を開きやがる」


 ザガルドアのなげきはいかばかりか。言ったところで詮無せんなきことだ。分かっているだけに、いっそう腹立たしさがつのる。


「まあ、そう言うな。これで残る一本、うれいがなくなったではないか。手短に片づけるぞ」


 二人のかけ合いはいつものごとくだ。若き頃より全く変わっていない。


「あのな。いずれ、お前の王国となるんだぞ。あいつらには、一度しっかり釘を刺しておく必要があるんじゃないのか」


 走りつつ、二人は会話を楽しむだけの余裕がある。


「俺は、右に行く」

「私は、左へ」


 既に剣を右手に握り締めているザガルドアが、大きく右へ飛んだ。対して、イプセミッシュはいまだ剣を抜かず、わずかに左に踏み込むだけだ。


 二人の剣術は、その性格と同じく、実に対照的だった。


 開いた魔術転移門から、一人の若き女が姿を見せる。


「では、私は真ん中の一本ということですね。うけたまわりました」


 ザガルドアの剣術は完全我流、どの流派の剣でもない。幼少期からこのかた、一度たりとも剣術指南など受けたことがない。その動きを見れば、誰もが驚くに違いない。


 剣を起点に、全身が自然体だ。半凍結で動きが鈍くなったものの、強力無比な妄念塊の攻撃を紙一重でけていく。


 周囲からは、ザガルドアは苦労しながら瀬戸際で避けているかのように見える。実際はそうではない。確実に余裕をもって、最小限の間隔で避けきっているのだ。まさしく絶対の空切くうせつ領域だ。


「あれはヴォルトゥーノ流剣術ですか。よもや、ゼンディニア王国の国王がその使い手だとは知りませんでした」


 女は一人、悠然と立ったまま微動だにしない。前を行くザガルドアとイプセミッシュの動きをその目で追っているだけだ。


「かたやイプセミッシュ殿はさすがにロージェグレダム殿の元直弟子、ビスディニアの剣術が板についています」


 二人がともに攻撃に移った。


 ザガルドアは流れるような動きで迫り来る妄念塊の攻撃を避けざま、立て続けに剣を振るう。そのたびに、千々ちぢに刻まれ、破片はへんが宙に舞う。


 イプセミッシュも負けていない。こちらは豪快そのものだ。妄念塊の攻撃を避けもしない。限界まで引きつけると、そこで初めて大きく右脚を踏み込んだ。その力強さに床面が大きく揺さぶられる。


 背に吊るした両刃もろはの長大剣を解き放つと、最上段から一気に振り下ろす。まさしく一刀両断、一撃必殺をうたうビスディニア流剣技が炸裂、妄念塊はなすすべなく、真っ二つに割断されてしまった。


「お二人ともお見事です。私も仕上げといきましょう」


 両腕を静かに前方へと突き出す。両の手のひらは妄念塊に向けられている。


「ラクセン・エレテー・メレーディア

 フルヴェ・ルクード・デオリエデ

 アーガ・ラニエイ・フィヴヌ・ラーゲ

 気高けだかき偉大なる火の力よ

 際限なく活性化せよ

 我が声に応えて敵たる存在を焼き尽くせ

 全てを灰とかえして浄化したまえ」


 両の手のひらの前で、炎の花が一輪咲いた。両手でその花を優しく包み込み、天にかざす。


業華咲焔輪灰燼獄レミネシエランテ


 手のひらが開かれる。次の瞬間、一輪の炎の花が妄念塊の先端で花びらを広げた。八枚の炎をまとった花弁が妄念塊を包む。


ぜなさい」


 女の声がりんと響く。


 業火ごうかを伴った花びらに触れられるたび、爆音が炸裂し、妄念塊を焼き尽くしていく。花びらの炎は幾重にも重なり、さらに温度を上昇させていく。すさまじいまでの熱量だった。


 大気が揺れ、震えている。天井知らずで勢いを増していく炎が、ザガルドアとイプセミッシュに刻まれた左右の二本をも飲み込んでいった。

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