第055話:キィリイェーロの覚悟

 プルシェヴィアの涙が収まったところで、エレニディールが話題を切り替える。


「話を戻しましょう。サリエシェルナ、ジリニエイユ、パレデュカルという主役がそろいました。さらには、三百二十四年の周期をて、まもなく刻が満ちるということです。すなわち、全ての条件が整ったということに他なりません」


 誰からも異論はない。エレニディールがレスティーに視線を向けるも、ただうなづくだけだった。続けて話せということだ。


「この三人の他に忘れてはいけない存在があります」


 言われるまでもなく、魔霊鬼ペリノデュエズだ。間違いなく、ジリニエイユはそれらを支配下に置いている。


 パレデュカルもまた同様だと思われる。なぜなら、カルネディオ城を魔霊鬼ペリノデュエズの力を用いて破壊し尽くしているからだ。


 キィリイェーロが確認の意を込めて、言葉をはさんでくる。


「エレニディール殿は、兄とダナドゥーファ、パレデュカルが裏でつながっているとお考えなのですな。それならば、パレデュカルが魔霊鬼ペリノデュエズの力を扱えるのも納得です」


 確かに、ジリニエイユとパレデュカルはかつて師弟関係にあった。そう考えるのが妥当なところだ。


「いかなる事情があろうと、パレデュカルが兄と手を結ぶなど私には想像できません。誰よりも正義感が強く、誰よりも魔霊鬼ペリノデュエズを憎んでいるのがパレデュカルなのです」


 エレニディールも確証があるわけではない。あくまで最も可能性の高い推論を述べているに過ぎない。


「繋がっていない可能性もあります。パレデュカルは優れた魔術師です。一時期ではありますが、我が師ビュルクヴィストとも師弟関係にあったと聞いています」


 パレデュカルなら独学で魔霊鬼ペリノデュエズの制御方法を見つけ出していても不思議ではない。


 結局のところ、エレニディールもキィリイェーロも、想像の域での考察しかできない。しばし沈黙が続く。


 余談だが、精神系魔術の一つに過去視かこしというものがある。この魔術を行使すれば、その者の記憶の中にある過去がられる。絶対条件は、対象者が目の前にいることだ。対象者がいるなら、まずは直接話を聞けば済むわけで、使いどころの難しい魔術でもあった。


「もう一点、気になることがあります。というよりも、私には分からないことがあります。先ほどレスティーが言った内容です。三百二十四年の周期とは、いったい何を意味しているのでしょう」

「キィリイェーロ、三百二十四年前のあの時、他に気づいたことはなかったか」


 レスティーはエレニディールの疑問には答えず、まずはキィリイェーロに問いかける。


「あの時、月が煌々こうこうと輝いていたにも関わらず、突然周囲の全てが急速に暗くなり、まもなく完全な闇に包まれてしまったのでした」


 キィリイェーロは、過去の記憶を思い出していた。彼らは慌てふためき、一瞬ではあったものの、行動不能におちいった。やがて何もなかったかのように闇が過ぎ去り、月の光が戻ってきた時には、サリエシェルナの姿が忽然と消えてしまっていたのだ。


「そういうことだ、エレニディール」

「いえ、あの、全く分からないのですが。すみません、レスティー。私にも分かるように説明いただけませんか」


 ここにいる皆が同じ思いだ。答えたキィリイェーロでさえ、レスティーの言わんとしていることがつかめないでいる。


「あの時、シュリシェヒリの天頂には槐黄月ルプレイユのみが輝いていた。それが食われたのだ。短時間、太陽、主物質界、槐黄月の順で正しく一直線に並んだ。この現象を、天文学的に皆既月食と呼ぶ」


 月は主物質界の様々なものに影響を及ぼしている。人族が有する魔力もその一つなのだ。


 シュリシェヒリは結界にこそ覆われていたが、ジリニエイユによって真なる銀麗の短剣スクリヴェイロは持ち出されていた。結界は効力を十全に発揮できる状態にはなかった。


槐黄月ルプレイユの光が消えたわずかの間、魔力は無効化された。結界も同様、その効力を完全に失い、誰もが素通りできる状態と化した」

「だ、だから、簡単にサリエシェルナを連れ出すことができたというわけなのですか」


 レスティーは勢い込んで問うてきたトゥルデューロに、頷きをもって答えとした。


「皆既月食ですか。初めて聞きました。では、此度こたびもまた同じ現象が起こる。そういうことですか」


 不安げな顔つきのキィリイェーロは、そもそも天文学の知識を持ち合わせていない。主物質界において、天文学は研究者がほぼいない学問の一つで、大多数が月の運行や、それがもたらす影響などを解き明かすことに興味がないのだ。


「主物質界で天文学を知る者は少ない。今はそれを言ったところで詮無せんなきことだ。さて、キィリイェーロ、そなたの言ったとおりだ。何よりも此度の食は、誰もが大きな影響を受ける」


 月光は血の流れのみならず、魔力の流れをつかさどる。光が強ければ強いほど、体内をけ巡る魔力が活性化していく。逆に弱ければ弱いほど、魔力の流れを停滞させ、そこから力を引き出すことが困難になっていく。


「エレニディール、そなたのような魔術師にとっては最悪死を招きかねない」


 つまりは、新月の時、魔術師は一種の丸裸状態となり、満月の時、最大限の力を発揮できる状態になるということだ。


 今の時代、使い手は存在しないと思われるが、満月の際にしか発動できない特殊な魔術もあったりする。


 魔術師にとって、何にもまして魔力停滞は致命傷となる。魔術師が魔術を行使するには詠唱が絶対不可欠だ。


 その過程において、わずかの間でも魔力停滞を引き起こせば、詠唱を紡ぐことができたとしても、魔術はまともに発動しない。発動できたとしても、威力はほぼないに等しい。


 そして、そのすきを狙える敵が相手の場合、間違いなく死に直結するのだ。


「レスティー、申し訳ございません。緊急の魔電信が入りました」


 エレニディールの顔には切迫感があるものの、態度そのものは落ち着いている。


「ビュルクヴィストからか。宣戦布告がステルヴィアにも届けられたか。内容は分かるか」


 どうして分かったのかという顔つきのエレニディールは、もともと我が友とはこういう男だったと妙に納得した。改めて気を取り直す。


「ゼンディニア王国からの宣戦布告とありますが、その内容までは。至急、ステルヴィアに戻れとのことです。すぐに戻った方がよいでしょうか」


 なぜ私に聞いてくるのだという顔をしたレスティーが、少しだけ考える仕草を見せる。


「ビュルクヴィストは今どこに」

「同様の宣戦布告がラディック王国にも届けられ、彼らが緊急対策会議を行っているとのことで押しかけていったようです。迷惑行為も度重たびかさなれば、なのですが」


 エレニディールとビュルクヴィストは、今なお師弟関係が続いている。いかに師と言えども、毎度のこととなると、さすがに説教の一つもしたくなる。


 エレニディールはため息を一つつくと、レスティーの判断を待った。


「二局面から話をする必要が出てきたな。我々もこれからラディック王国に向かう。キィリイェーロ、それからトゥルデューロと言ったか、そなたにも同行してもらおう」


 有無を言わせぬレスティーの口調に、キィリイェーロもトゥルデューロも逆らうことなどできなかった。いや、はなから逆らうつもりもなかった。


 補佐の二人が自分たちもと言い出しそうなところを、キィリイェーロは先手を打った。


「私が戻るまで、その方らは里の者たちに意思を確認しておくのだ。此度の戦いがシュリシェヒリとしての最後の戦いとなろう。結果的に滅亡するかもしれぬ。逃げたい者は逃げても構わぬ。各々の決断を私は尊重する。任せたぞ」


 キィリイェーロの言葉にも、有無を言わせぬ力強さがあった。その意思は明確に伝わった。二人の補佐は何も言えず、ただ黙って引き下がるしかできなかった。


「キィリイェーロ、それでよいのか。最悪、里を二分してしまう可能性もあるが」

「レスティー様がシュリシェヒリに来られたその時に私の心は決まりました。里の者全てがシュリシェヒリに残る選択をしたとしても、私は兄と戦います。今の私に残された、そして果たすべき唯一の責務なのです」


 決然と答えるキィリイェーロの覚悟は皆に伝わっている。言葉を返す必要もなかった。


 レスティーとエレニディールが立ち上がる。


「下で待っている。準備ができたら下りてきてくれ」

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