第054話:ラナージットの真実
ここは長老専用のカドムーザだ。聖なる大樹を除けば、シュリシェヒリで最も高い樹木の頂上付近に設置されている。高さはおよそ三十メルクだ。
レスティーは風を
「お待ちしておりました、レスティー様」
緑の葉を重ねた弾力性に富んだ座椅子とでも言うべきものが、各人に用意されていた。明らかに、三つだけが他と異なっている。客人たる二人と長老のものだ。
二人はキィリイェーロに
「キィリイェーロ、話は終わったようだな。先に紹介しておこう。現スフィーリアの賢者ことエレニディールだ」
「はじめまして、エレニディール殿。ご高名はかねがね
二人がまるでお見合いのような恰好で頭を下げ合う。レスティーは苦笑しつつ、早速本題に入った。
「まもなく、
何の脈絡もない、いきなりのレスティーの言葉に、キィリイェーロもエレニディールも思考が停止している。残りの者も言わずもがなだ。
キィリイェーロとエレニディール、二人が目を合わせて無言のまま、どちらが尋ねるべきか相談している。
「これで理解しろ、というのは至難の
記憶を呼び起こしているのか、キィリイェーロはじっと考え込んでいる。それも束の間、勢いよく顔を上げた。
「今から三百二十四年前と言えば、そうです。サリエシェルナがこの里からいなくなってしまったのでした。なぜ、すぐに思い出せなかったのか」
「そうだ。全てはそこから、いやそなたの兄がシュリシェヒリを出た時から始まっているのだ」
キィリイェーロの肩が
「キィリイェーロ、もう一度聞く。そなたは、今でも兄を信じているのか」
言外に込められた意味を理解できないキィリイェーロではない。彼は静かに、悲しげに首を横に振ることで否定の意を示した。
「もはや、もとの兄に戻ることはあるまい。そう確信しております」
キィリイェーロの瞳に浮かぶのは、ただただ悲しみだけだ。
先代長老の意向もあり、次期長老はキィリイェーロではなく、ジリニエイユに決まっていた。ジリニエイユは聡明すぎるあまり、貪欲に知識を吸収していった結果、あらぬ
長老が語る間、彼の背後に座る者たちは、ひたすら耐え忍んでいるようにも見えた。つい先ほど、長老の口から真実を聞かされたばかりなのだ。誰もが辛そうな顔を浮かべている。
「そなたたちがシュリシェヒリの責務を果たすと結論づけたとして、その者と
そこまで一足飛びに踏み込んで、問いかけられるとは思っていなかったのだろう。キィリイェーロは
「キィリイェーロ殿、貴男の兄ジリニエイユに関連して、私にはもう一人、気になる者がいます。彼はパレデュカルと名乗っていますが、シュリシェヒリでの名は」
結果的にキィリイェーロに助け舟を出す形になった。エレニディールに被せるように言葉を発したのは、補佐の後ろに控えている男だ。
「ダナドゥーファをご存じなのですか」
すぐさま、キィリイェーロの
「
トゥルデューロは慌てて土下座に近い状態で非礼を
「これは大変なご無礼を。誠に申し訳ございません。どうかお許しください」
「いえいえ、そう
柔和な笑みでエレニディールが問うも、トゥルデューロは遠慮しているのか、まずは長老たるキィリイェーロに
「長老、私が発言してもよろしいでしょうか」
今度はキィリイェーロがレスティーに伺いを立てようとしている。これでは
「キィリイェーロ、この場にいる者たちは信頼できるからこそ同席を許しているのであろう。ならば、遠慮は無用だ。誰もが自由に発言すればよい」
キィリイェーロ座したまま深く頭を下げてくる。
「承知いたしました。レスティー様のお許しも出たことだ。その方らにも自由に発言することを許可する」
全くこの男はと思うレスティーとエレニディールだった。それをあえて口に出す必要もない。それよりも時間が
「ダナドゥーファの名を捨てたと言っていましたので、私もパレデュカルと呼びます。パレデュカルは掛け替えのない親友です。彼がサリエシェルナに連れられ、シュリシェヒリにやって来たその時からの友人なのです。彼は今も私と、横にいる妻のために」
トゥルデューロは横にいる妻プルシェヴィアの手を握り、涙ぐんでいる。
「案ずることはない。そなたたちの娘はあの男が救出、今なお手厚い保護下に置いている。ただし、回復が遅れているようだ。もう一人の男も
(レスティー様は全てを見通されている。ダナドゥーファのことはおろか、私が送り出したディリニッツ、さらにはラナージットのことまで。しかも、私以上にその詳細をご存じなのであろう。誠に恐ろしい
「そ、それは誠ですか。パレデュカルは、まもなく連れ帰ると私に言ってくれたのですが、そうですか。娘の回復が」
娘の生きた姿を見ない限り、二人には何を言っても気休めにしかならないだろう。
「それよりも、そなたたちに尋ねたい。娘に何を
レスティーのこれまでにない厳しい視線が二人に注がれる。トゥルデューロとプルシェヴィアは凍りついたように身を固くしている。
「それについては私から。彼らの娘ラナージットは、生まれた時から病弱でした。まだ一年も
トゥルデューロとプルシェヴィアは無論のこと、里の者が総出でラナージットの治療に当たった。効果を発揮しそうなあらゆる薬草を試し、魔術も行使した。
それでもラナージットは一向に回復する
「我が兄ジリニエイユが禁書庫に収められていた古書を解読、ラナージットの命を救いうる唯一の方法を見つけ出してきたのです」
レスティーが厳かに告げる。
「精霊を取り憑かせることで、その命を媒介にして娘の命を
「ま、まさか、その方法はあの方の」
誰よりも、まず
「あの時、私は知らなかったのです。まさか精霊の命を
「先に知ったとして、娘の命を
二人は絶句したままだ。レスティーの言葉は
一方で、レスティーがその善悪を判断していないことも承知している。事実だけを確認しているに過ぎないのだ。
「親として、子を守りたい気持ちは当然だ。助かるなら、どんな方法でもよいと思う気持ちを否定するつもりもない」
この方法は、命を代替にして別の命を救う外道な術だ。方法の善悪はともあれ、過去に例がないわけではない。しかも、相性のよい精霊とエルフという組み合わせだ。
「キィリイェーロの話では、娘は生まれて一年程度、自我が確立されていなかったことも幸いだった。精霊を受け入れる箱として、大きな問題もなかったであろう」
「そ、それでも、私たちはたとえ娘のためとはいえ、大切な精霊を犠牲にしてしまったのです。その罰は甘んじて受け入れます」
プルシェヴィアは覚悟を決めていた。後から聞かされた、は言い訳にならない。しかも、プルシェヴィアはトゥルデューロと違って、薄々気づいていたのだ。
彼女は、姉に劣らず優れた魔術師であり、しかも精霊術師だった。姉はキィリイェーロのかつての補佐だったミジェラヴィアだ。ミジェラヴィアを長女とする四姉妹の四女プルシェヴィアは、彼女の後継としていずれは補佐職に就くつもりだった。
しかし、あの事件が全てを変えてしまっていた。
「そなたは十分に罰を受けている。これ以上の罰を望むことはあるまい。姉のことは気の毒だった。そのうえ、授かった娘を失うなど到底耐えきれぬであろう。そなたは、そなたの信念に基づいて娘を救うことを選んだ。それだけだ」
涙が
「有り難うございます。有り難うございます」
プルシェヴィアは
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