第309話:見守る者の差異

 エレニディールの姿が消え失せた黒きおりは、何の変化も見せず、ただ宙に浮かんでいる。


 ジリニエイユが固有魔術によって創り上げた閉鎖空間は、彼にしか出入りが許されていない。仮に何らかの方法をもって無理矢理入ったとしても、黒き檻は絶対に解封できない。


 そのためにはオペキュリナの託宣たくせんが必要不可欠だ。ジリニエイユの手元にはない。ビュルクヴィストにあの時、奪われてしまっている。


 わずかな魔力の揺らぎを感じ取ったジリニエイユは、急ぎ閉鎖空間の手前までやって来ていた。黒き檻を格納している内部に入る前に周囲の状況をつぶさに確認していく。


 油断大敵だ。ここに来て、エレニディールを奪われるようなことがあってはならない。彼は絶対的な切り札なのだ。


 サリエシェルナとエレニディールとの間に、古代エルフ王国王家の血のつながりがあるとは、何という僥倖ぎょうこうだっただろうか。


 事実を知った時、歓喜のあまり、ジリニエイユは踊り出しそうになったぐらいだ。運をも味方につけたと確信した瞬間だった。


「異常はないようだな。確かに揺らぎを感じたのだが」


 納得できないとばかりに首を何度もひねっている。いくら目をらしたところで変化は見られない。


「気のせいだったか。ここまで思ったとおりには進んでおらぬ。あやつらがことごとく上を行っている。もどかしいものだ」


 ジリニエイユにとって、大きな誤算だった。要因は幾つか考えられる。


 まずは、手持ち戦力の強化が遅れたことだ。比して、敵戦力が予測よりはるかに強かった。


 上位ルデラリズの核を埋め込んだ魔霊人ペレヴィリディスも考えていた以上に弱かった。あの程度の力の者が相手なら、容易たやすほうむれるだろう。安易に思い込んでいた。


 さらには、当代のみならず先代賢者もそろみ、三剣匠まで出てくるに至り、ジリニエイユの計画は完全に狂ってしまった。


 禁書への対抗策にしてもそうだ。そのためにダナドゥーファさえ封じられてしまった。


 これら全ての背後にいる人物のことを読み違えていたのか。いや、それはない。魔霊鬼ペリノデュエズが絡んでいる以上、こうなるのは必然だったはずだ。思慮しりょが足らなかったところがあるとすれば、予想以上に深く介入されたという点だろう。


「あの御方おかたの力を決して見くびってはいたわけではない。ないが、どこまでこの主物質界に関与なさるか。それ次第で局面はさらに変化する」


 頭の中でもう一つの声が響く。


≪ならば、早々に決着をつけてしまえばよかろう。貴様の言うところの切り札とやらを使ってな≫


 最高位キルゲテュールあざけりに満ちた口調に苛立いらだちがつのっていく。


最高位キルゲテュールよ、あの御方の力をあなどっているのではなかろうな。いかな貴様とて、今の状態で勝てるとはつゆほども思っておらぬであろう」


 以前にも言ったとおりだ。いま最高位キルゲテュールは万全な状態からほど遠い。


 完全復活をげるための儀式のうち、手にしているのは一つ、すなわち高貴なる者、サリエシェルナの血のみだ。もう一つの完全なる闇はおのずと訪れる。


 問題は最後の一つ、大量のにえだ。二大国が有する総勢力を戦乱に巻き込む計画はことごとくつええてしまった。ダナドゥーファを信じて、全面的に任せたのは失敗だったかもしれない。今さらやんだところでどうにもならない。


 最高位キルゲテュールは何も言い返さず、だんまりを決め込んでいる。


 ジリニエイユは鬱陶うっとうしそうにかぶりを振ると、閉鎖空間内部に入るために手刀しゅとうをもって複雑な紋様もんようを描き出していく。


 閉鎖空間ににぶい音が響く。正しい解除紋様と判断されたのだろう。閉じていた空間に静かに亀裂が入り、人一人が内部に入れるほどの隙間すきまを創り上げていく。


 ジリニエイユはそれでも内部に入らず、様子をうかがっている。先ほどの魔力の揺らぎがなおも気になっている証拠だ。


≪やけに慎重ではないか。我には魔力も何も感じられないぞ≫


 完全復活していないとはいえ、最高位キルゲテュールが有する力は高位ルデラリズの比ではない。異質な力がまぎれこんでいたら、即座に感知するだろう。その最高位キルゲテュールが何も感じないと言う。


「実際に見てみれば分かることだ」


 最高位キルゲテュールの言葉を信じるなら、己の錯覚さっかくだったということだ。いずれにせよ、鵜呑うのみにできない以上、己の目で確かめれば済む話に違いない。


 ジリニエイユは隙間を抜け、閉鎖空間内部に入っていく。内部がどの程度の広さなのか絶対に分からない。感覚を遮断しゃだんする魔術も仕込んでいる。


 他者が侵入できたとして、途方とほうもない広さだと感じる者もいれば、せまいいと感じる者もいるだろう。


 実際のところ、ジリニエイユがオペキュリナの託宣たくせんによって創り出した黒き檻はおよそ五メルクの正立方体、この閉鎖空間内部はその倍程度の大きさでしかない。閉鎖空間の維持には莫大ばくだいな魔力が要求されるからだ。


 ジリニエイユがゆっくりと足を踏み入れる。違和感はない。


 直感に従うか、あるいは錯覚だったとあきらめるか。猜疑心さいぎしんかたまりのようなジリニエイユだ。見過ごせるわけがない。


 内部の隅々すみずみにまで目をらし、魔力をもって念入りに観察していく。とりわけ、中心部で浮かび上がっている黒き檻は、その中まで確かめたいところだ。それはかなわない。


「ビュルクヴィスト殿にやられたつけがこのようなところで生じるとはな。ままならぬものよ」


 疑念を払拭ふっしょくするには至らない。諦めきれない中、ジリニエイユは強引に結論づけるしかなかった。


最高位キルゲテュールよ、貴様の完全復活には絶対的ににえが足らぬ。他の方法はないのか」


 ジリニエイユの知識をもってしても、完全復活の儀式における三要素しか見出せていない。他にあるとは思えない。たずねたのは気休めからだったかもしれない。


≪あるにはある。だが、大量の贄を集める以上に難しいだろう。時間もかかることだ≫


 最高位キルゲテュールからの返答は予想だにしないものだった。一縷いちるの望みなど持っていたわけではない。その言葉を聞いても半信半疑の己がいる。


「その方法とは。どのようにすればよいのだ」


 最高位キルゲテュールはこれ以上ないというほどの下卑げびた笑みを浮かべ、唯一の代替法だいたいほうを述べるのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 エレニディールの身体は根元色パラセヌエに包まれたまま移動している。


 平衡へいこう感覚が全くない。ただよっているようにも、全力疾走しっそうしているようにも思える。肉体そのものが急速に失われつつある。時間経過も分からない。


(私はどこに向かっているのでしょう。我が友の導きとはいえ、これでは先行き不安ですね)


 まるで心の声を聞いていたかのように、当の本人、レスティーから応答がある。


≪まもなく界境かいきょうだ。界越えを果たすまで、そなたは何もする必要はない≫


 見守ってくれていることにエレニディールは大いに安堵あんどする。


 いつもながらに思うことだ。今でこそ、レスティーと呼び捨てにしている。後にも先にも主物質界に生きる者で、彼を呼び捨てにするのはエレニディールのみだろう。


 もちろん、最初はそうではなかった。師ビュルクヴィストにならい、レスティー様あるいはレスティー殿と呼んでいた。


 魔術高等院ステルヴィアのパラティムで、当然ながらエレニディールもレスティーから洗礼を受けている。それは見事なまでに、完膚かんぷなきまでに打ちのめされた。


 スフィーリアの賢者に昇格したばかりの頃、エレニディールもまたミリーティエやコズヌヴィオと同様、少なからず天狗てんぐになっていた。先代賢者の三人にはおとるものの、その次に来るのは自分だろうとさえ考えていたほどだ。


 パラティムでレスティーと対峙たいじする直前、ビュルクヴィストからかけられた言葉は今でも忘れられない。


「全力で立ち向かいなさい。そして、たたきのめされてきなさい」


 その時のビュルクヴィストには、いつもの柔和にゅうわな笑みはなかった。真剣な表情を浮かべていた。


(ビュルクヴィストにしては珍しい表情でした。私は目の前に立つこの一介いっかいの男との戦いで、叩きのめされるはずもない。勝つのは私だ。そう確信していたものです)


 結果は言わずもがな、ビュルクヴィストの言葉どおりだ。


 魔力が完全に枯渇、ただ情けなく床にいつくばって身動きできなくなったエレニディールに、その男は声をかけてきた。


「まだまだ粗削あらけずりだが見るべきところはあった。精進しょうじんせよ。スフィーリアの賢者の名をけがさぬために。ビュルクヴィストの名を穢さぬために」


 最後の言葉に意表を突かれた。


 わずかに残った力でビュルクヴィストを見上げる。照れ隠しなのか、その顔が微妙な笑みになっている。初めて見る師の表情にエレニディールは驚愕きょうがくするしかなかった。

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