第110話:異次元の戦いとは

 先ほどとは逆だ。興味深そうに、こちらの様子を見守るもう一人に向けて、軽く手を振ってみせる。


「仕上げを頼めるか」


 仕方がないわね、といった表情を浮かべつつも、どこか嬉しそうに見える。


「フィア、こちらにいらっしゃい」


 うながされるまま、フィアは静々しずしずと歩み寄る。このままでは見下ろす恰好かっこうになってしまう。フィアは慌ててひざまずこうとした。


「駄目よ。やりにくくなるわ。そのまま立っていなさい」


 左右の腕輪に両手が振れる。細い指が、たおやかにすべり、事は一瞬にしてされた。


 他の武具と同様、紋様にも文字にも似た細かく小さなものが複数浮かび上がり、蜃気楼しんきろうのように揺らめいている。


「終わったわよ。揺らめきが収まれば、緑風の腕輪エルンディゼリは貴女の新しい力になる。貴女の大切なレスティーと共に行きなさい」


 和気藹々わきあいあいとは言いがたい。明らかに、主従関係にも近い二人のやりとりは、即座に終わりを迎える。


「効力とその使いどころは、レスティーなら分かるであろう。一度、力を解放したならば、ファレンフィアはほぼ無敵となる。その分、反動もまた大きい。気遣きづかってやるとよい」


 言外に、そこはレスティーのことだ。全く不要な心配だろうが、という思いがめられている。


「フィアは、何があろうとも私が守ります。二度と、あのような思いはしたくありませんから」


 記憶の彼方、あの時に戻れたらどれほどよいだろうか。それは無理な話でもある。


「レスティー、過去を忘れてはいけない。過去にとわわれすぎてもいけない。あの時、あれが最善だと思って力を尽くした。貴男も、そして私たちも」


 結果として、たとえようのない悲劇が起きてしまった。それでも前を向いて進まなければならない。


 この先、また同じようなことが起こりうる。その時になって、過去の教訓が活かされるかいなかは、ここにいる者たちの行動次第だ。


「悲しみで、塗りつぶされてしまわないためにもね」

「姉上、少しだけ」


 それ以上の言葉は不要だった。


「いらっしゃい、レスティー。フィア、貴女も一緒に。直々じきじきに、この姉が相手をしてあげましょう」


 レスティーは、深い愛を変わらずに注ぎ込んでくれる姉に心の底から感謝している。


 姉上、兄上と呼んではいるが、血のつながりはない。血の繋がりが何だと言うのだ。そのようなものがなくとも、レスティーにとっては何にもまさる至上の二人であり、掛け替えのない存在なのだ。


「レスティー、しばらく相手をしてやってくれ。その間に、私はそれをておこう」


 指差したのはラ=ファンデアだ。レスティーが視る以上に、はるかにに入りさい穿うがって視られるのだ。創造主たる所以ゆえんがここにある。


「兄上、申し訳ございません。過去の使い手のあまりの未熟さゆえ、ラ=ファンデアをいためてしまっております」


 当然の結果だ。


「ラ=ファンデアをはじめ、九振りの絶剣ウズロガーティオは、レスティーのためだけに創造したものだ」


 そのうちの幾振りかを、人族に下賜した際、能力を最低限に絞り、ゆえ絶剣ウズロガーティオは、魔剣アヴルムーティオと化した。


「人族が扱うには、あまりに過ぎた能力なのだ。やむを得まい」


 レスティーはラ=ファンデアをうやうやしく手渡す。


「ファレンフィアは新たな力を手にした。ラ=ファンデアも全面的に手を入れてみよう」


 そこに、なぜかフィアがやって来る。言葉はないが以心伝心だ。


「早く行ってやれ。そなたがいない時のあれときたら、だからな」


 声をひそめても関係ない。向こうからすかさず声が飛んでくる。


「何か言ったかしら」


 いつの世も女が強い。二人は同時に苦笑を浮かべた。


「兄上、よろしくお願いいたします」


 フィアと共に姉の待つ場所にまで移動する。レスティーが足を踏み入れた瞬間、周囲の光景が一変した。


 草花が咲き誇る緑の草原が一転、広大な荒野に走る断崖絶壁の地になっている。底が見えないほどに深く、切り立った峻険しゅんけんな岩石が重なり合い、人を寄せつけぬ幽谷ゆうこくを形成している。


 モルディーズが解説したとおりの地形、アーケゲドーラ大渓谷だ。


 今、レスティーたちが立つのは、谷底からおよそ八千メルクにも達する最高地点だった。平らな部分は皆無だ。その全てが分厚ぶあつい氷に覆われている。さらには吹き荒れる暴風雪で視界もかない。


 あまりに空気の密度が低すぎて、呼吸にさえ支障をきたす劣悪極まる環境だった。すなわち、ここでの人族による戦闘は不可能だということだ。


「さすがは姉上です。再現してくださったのですね。主物質界に戻ったら、この目で見ておかねばと思っていたところでした。これがアーケゲドーラ大渓谷ですか。ここならば、誰の邪魔もなく、今度こそあれを滅ぼせるでしょう」


 再現したアーケゲドーラ大渓谷は現在の姿だ。次に、今から数百万年前の姿を示す。


「この程度までなら地形を変えてしまっても構わないわ。母上に代わって、私が許可します。レスティー、今度こそ全ての核を破壊、一片いっぺんの細胞も残さず、ちりかえしなさい。母上の摂理から逸脱した存在を、絶対に許してはなりません」


 数百万年前の地形は、レスティーの脳裏に投影されている。


 お墨つきを得た今、レスティーには好都合だった。高度はもちろん、足元がどうであろうと戦闘に及ぼす影響は一切ない。むしろ、誰も近寄れないほどに不利な地形の方が全力を出せるというものだ。


 全力といっても、それは主物質界における、という意味だ。


「レスティー、始めましょう。久しぶりに、可愛い弟の全力が見たいわ。そうね、真の力、どの力を使っても構わないわよ。この姉が受け止めてあげるわ」

「姉上の胸をお借りいたします。遠慮なく、全力でいきます」


 始まった。すでに二人の身体は宙にあった。フィアは動かない。いや、動けない。


 初手はレスティーにゆだねられている。レスティーの魔術は、姉には一切通用しない。可能性があるとしたら、レスティー自身の固有魔術だ。それさえも、初見で破られるだろう。ゆえ躊躇ためらう必要は皆無だった。


 魔力が瞬時に凝縮、はじける。宙をけるは、この気象条件に最も適したものたち、数多の氷雪狼ノスファローニだ。


 三剣匠の一人、ルブルコスが愛用する氷霜降狼凍ダルカファダラによって召喚される凍狼とうろうとは似て非なるもの、凍狼の数倍の体躯たいくを有し、絶対的な攻撃手法が異なる。


 凍狼のそれは白銀の氷牙であるのに対し、氷雪狼のそれは水氷系最上級に分類される魔術、そしてあらゆるものを凍結させる吐息だ。


 十二体の氷雪狼ノスファローニがいっせいに攻撃に入る。六体が最上級魔術、六体が吐息で仕かける。


 極限に近い域での魔術戦闘だ。動作に入ると同時、魔術が即時発動する。時間の空白など存在しない。あわせて、全ての運動をほぼ停止状態にまで追い込む吐息が全方位から放射された。


「ふふ、さすがにレスティーね。初手としては、申し分ないわよ。でもね、私には通用しない」


 レスティーとの手合わせが、よほど嬉しいのか、至高しこうの笑みを浮かべたまま右手人差し指を動かす。わずか数セルク、ただそれだけだった。


 迫り来る最上級魔術、吐息のいずれもが、無にした。魔術や吐息が乗った大気の上から、別の大気を重ねて上書きしたかのようにだ。


 勢いは止まらず、レスティーが出現させた十二体の氷雪狼ノスファローニをも飲み込み、消し去っていく。


「楽しませてくれたお礼よ。今度は私からいくわよ」


 先ほど動かした指を、今度は逆になぞって、もとの位置に戻す。刹那、レスティーの周囲の空間が漆黒に塗り固められた。


 頭上に四星、足元に四星、全ての星を結ぶ軌跡がける。レスティーは一歩も動けないうちに、完璧に閉塞立体空間に封じられていた。


幽幻闇虚獄牢無リグダヴァーゼヴよ。確か、あれが得意としていたわね。同じでは芸がないから、私が新たに創造、はるか上位の域で展開してみたわ。さあ、私の可愛い弟はどれぐらいで戻って来られるかしらね」

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