第230話:動き出すセレネイアの心

 刻が動き出すと同時、フィアの声が次第に遠のいていく。フィアの存在そのものが消えたわけではない。声のみが意識の中から出ていったような感覚だ。


 セレネイアの心もまた動き出している。これまで心の中にあった正の感情に、夢魔マレヴモンが有する負の感情が溶け合ったことで、セレネイアの力そのものにも変化が生じたのだ。


 夢魔マレヴモンの声も、今は聞こえない。意識的な閉じ方だ。


(これほどの魔力が私に)


 魔力が体内を縦横無尽にけ巡っている。それまでのセレネイアからは考えられないほどの魔力量だ。


 マリエッタには遠く及ばないものの、人族の平均を大きく上回っている。魔力循環は異様なまでに早く、慣れていないセレネイアは身体そのものが揺さ振られている。一種の魔力酔いに近い状態だ。


 セレネイアほどの年齢ともなれば、急激な魔力量上昇は制御をいっそう困難にする。


 体内を流れる魔力は血液と同様、幼い頃からなじませることで自在に制御できるようになる。それは必然であり、無意識化の領域でもある。意図してできるものでもない。


 フィアはこの状況を注視している。助言は決して与えない。魔力制御は他者から学ぶものではないのだ。己自身の感覚でこつつかみ取るしかない。


 夢魔マレヴモンの声が途絶えている要因もここにある。フィアから釘を刺されているのだ。


 セレネイアは駆け巡る魔力を制御しようと試みている。なかば暴走ぎみの魔力をなだめ、皇麗風塵雷迅セーディネスティアに注がなければならない。


 マリエッタが失敗している以上、自分自身でやるしかない。そのための魔力は己の中にある。いかに制御しながら、適切に注げるか。セレネイアは必死に考えている。


 考えれば考えるほど、魔力の流れは安定せず、かえって不安定になりつつある。だからあせる。焦りは思考をさまたげる。自身に言い聞かせる。


(それでは駄目、もっと冷静になりなさい。落ち着いて深呼吸よ。大きく吸って、吐いて)


 不自然なまでに力強く握っていた右手から力を抜く。皇麗風塵雷迅セーディネスティアを優しく握り直し、セレネイアは何度も深呼吸を繰り返す。


 心の中で波打つ感情が穏やかになっていく。正だけではない。負だけでもない。器はただ満たされるだけでは何の効力も発揮しない。満たされ、そしてまぎれもない一つの確固かっこたる意思となって、初めて真の力を目覚めさせる。


 互いの両極にあるものが、ようやくセレネイアの中で一つとなりつつある。あとはきっかけだけだ。そのきっかけが、まもなくやってくる。


「マリエッタお姉様」


 シルヴィーヌの叫び声が聞こえてくる。マリエッタに振り返る余裕はない。暴風をまともに浴びながら、右手にイェフィヤをかかげた状態で立っているのが精一杯なのだ。


「この私に、任せなさいな。イェフィヤ、私に力を貸して」


 たった一度きりの契約はったのだ。必ず力を貸してくれる。マリエッタは確信している。だからこそ、迷いなくイェフィヤを掲げたのだ。


退しりぞけ」


 片手では支えきれない。マリエッタはすぐさまつかに左手も添え、さらに両脚を開いて暴風に吹き飛ばされないよう耐える。はしたないとか言っている場合ではない。


≪カラロェリ、イェフィヤは大丈夫なの≫


 イェフィヤを天に突き上げたままのマリエッタに変化は見られない。皇麗風塵雷迅セーディネスティアから吹き出す暴風は嵐と化し、一向に収まる気配がない。


≪無問題。炎風呑。即時。拓路≫


 カラロェリが言うなら間違いないのだろう。そこにイェフィヤの意思が流れ込んでくる。


≪抑え込むわよ。備えて≫


 次の瞬間だ。イェフィヤの剣身が鳴動めいどう紅蓮ぐれんの炎が渦を巻きながら荒ぶる波となって広がっていった。


 炎の勢いはとどまるところを知らず、皇麗風塵雷迅セーディネスティアが生み出す風をも燃料と変えていく。


 主物質界における理論的かつ物理的高温に上限はない。まさしく天井知らずに活性化しているのだ。


 一瞬の出来事だった。周囲の風を全てみ込んだイェフィヤの炎嵐が、セレネイアへと繋がる路を切りひらいていく。


≪終わったわよ。行きなさい≫


 今、マリエッタの目の前に広がる路は完全なる無風状態だ。あらゆるものがぎとなり、マリエッタをさまたげるものは何もない。


 ただ一つだけ懸念材料がある。イェフィヤにもそれが伝わったのだろう。


≪貴女は貴女の役割を果たしなさい。あれに用があるのは貴女じゃない、この私よ≫


 言っている意味がよく分からない。マリエッタは問い返そうとしたものの、イェフィヤは既に契約履行済みとばかりに意識を閉ざしている。


 さらに、あろうことかマリエッタの右手から離れ、はるか上空へ浮かび上がり、そこで制止したのだ。呆気あっけに取られるマリエッタは、すぐさま意識を切り替える。


「私の役割、そうね。私が一番大切なのはセレネイアお姉様」


 振り返る。目を合わせ、うなづく。


「行くわよ、シルヴィーヌ」


 二人が同時にけ出す。


 どうしたことだろう。


 凄まじい勢いで吹き荒れていた風が穏やかになっている。皇麗風塵雷迅セーディネスティアからは、変わらず風が流れ出している。その全てが何かに吸収されてしまったかのような感覚を受ける。


 セレネイアは深呼吸を続けながら、全身に大気を取り込み、血液を循環させている。血液の流れはそのまま魔力の循環にもつながる。魔力とは、いわばもう一本の血液なのだ。互いに作用し合い、互いを補い合う。


(私の中の魔力が。まだよくは分からないけど、少しだけつかめたような気がします)


 今のセレネイアには無意識化での制御は不可能だ。だからこそ、深呼吸を伴う意識下で身体に覚えさせる必要がある。


 少しずつこつつかみつつあるセレネイアが、体内を巡っている魔力を右手へ、さらに指先へと慎重に導いていく。


 今度は導いた魔力を、皇麗風塵雷迅セーディネスティアへとゆっくりと注いでいく。


≪ようやくよ。ようやくつながったわ。貴女、いったい私が何度呼びかけたと思っているのよ≫


 セレネイアの脳裏を甲高かんだかい声が走り抜ける。しかも相当に立腹している。心臓が止まりそうなほどに驚愕するセレネイアは、その声がまぎれもなく皇麗風塵雷迅セーディネスティアからだと認識できた。


≪貴女の魔力をもって私を満たしてみせなさいよ≫


 セレネイアは不思議な感覚にいだかれている。まず感じたのが、どうしてここまで上からなのだろうということだ。


 所有者と魔剣アヴルムーティオは対等な関係のはずだ。確かに、皇麗風塵雷迅セーディネスティアからすれば、セレネイアは頼りにならない所有者かもしれない。


 そして、皇麗風塵雷迅セーディネスティアは自分を満たせと明言したのだ。セレネイアは頭を抱えるしかなかった。


≪満たす方法を教えてくれますか。私には自分の中にある魔力を制御する方法が分からないのです≫


 率直に打ち明ける。皇麗風塵雷迅セーディネスティアから大きなため息が聞こえてくる。


≪貴女ね、そんなことで私を扱えるとでも思っているの。敬愛してまない主様のたってのご希望だったから渋々認めたけど、どうやら間違いだったわね≫


 何とも気の強い皇麗風塵雷迅セーディネスティアなのだった。そこへ飛んできたのがイェフィヤの声だ。もちろんセレネイアには全く聞こえない。


≪今、何と言ったのかしら。よりによって我らの主様のご依頼を渋々とは、どうやらまた説教を受けたいようね。いえ、それよりも主様に直接お知らせすべきね≫


 セレネイアにも確実に伝わっている。イェフィヤの声を受けた皇麗風塵雷迅セーディネスティアが震えているのだ。それは恐怖から来るものか。


≪ね、ね、姉様、聞いていらっしゃった。駄目です、駄目です、絶対駄目です。主様にそんな≫


 震えが止まらない皇麗風塵雷迅セーディネスティアの慌てぶりにセレネイアは戸惑いを隠せない。イェフィヤと会話しているなど、セレネイアには全く分からないからだ。


≪この話は後回しよ。あの二人がその娘を導くわ。貴女も受け入れなさい。いいわね≫

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