第248話:生死を懸けた賭け

 高位ルデラリズとの距離が三メルクを切る。イプセミッシュは左脚を前に半歩踏み出し、固い圧雪路あっせつろを叩く。


 右八双の構えを解くことなく、左脚を軸にして身体を宙に躍らせる。渦巻く雪氷嵐せっぴょうらんの中に己の全身を溶け込ませたイプセミッシュが四肢ししを解放した。


 かかげた両刃もろは大長剣の剣身を氷粒こおりつぶち、騒がしい音をき散らす。


 イプセミッシュは呼吸を止めた。本来であれば止めるべきではない。この環境下だ。大気を吸い込めば吸い込むほど肺がてつき、全身から力ががれていく。


 やむをまい。その代わりに体内をけ巡る魔力にのみ集中する。魔力を循環させ、隅々すみずみにまで行き渡らせていく。


(力はやや落ちるが仕方ない。行くぞ)


 イプセミッシュは両手持ちの両刃大長剣を最上段から高位ルデラリズの頭上へと振り下ろす。無言だ。雪氷嵐の吹き荒れる音だけが周囲をざわつかせる。


 渾身こんしんの一撃だった。イプセミッシュが最も得意とする終驟雨竜破閃虹ウ=ルズ・エクァンティオではない。無名の奥義だ。


 かつての師でもあるロージェグレダムの鬼のごとき修業に耐え抜いた末に編み出した己だけの奥義は、まさしく一撃必殺の剣技でもある。名など必要ない。


 未完の終驟雨竜破閃虹ウ=ルズ・エクァンティオとは比べものにならない。確実に敵をほうむるための血と汗の結晶なのだ。


 高位ルデラリズの視界は雪氷嵐によってさえぎられている。圧雪路から飛び上がって、滞空状態のイプセミッシュの姿も確認できない。当然、落ちてくる両刃大長剣も見えない。


「視界などどうでもよいわ。魔剣アヴルムーティオ以外の攻撃など、いくら受けようと痛くもかゆくもないわ」


 高位ルデラリズいた言葉どおりだ。視界が閉ざされたところで一切影響はない。一撃必殺の剣技であろうと、高位ルデラリズを倒すには及ばない。


 魔術付与された程度の通常の剣では核をれない。たとえ断てたとしても、最も重要な根核ケレーネルを的確に見つけ出し、破壊しない限り、即座に再生してしまうのだ。


 豪速で振り下ろされた両刃大長剣が剣軌けんきを消した。落ちてきた豪剣が無音のまま高位ルデラリズの脳天に食い込む。


 真っ二つに割断かつだんしていく。


 肉を斬った手応てごたえはない。粘性液体で構築された身体なのだ。高位ルデラリズは剣が当たる瞬間、弾性を無にする一方で粘性を急激に高めていた。


 一時的に再生が中断されるものの、割断部位の保持を優先した結果だ。高位ルデラリズの身体は見事なまでに縦に二分割され、雪氷嵐にあおられながら揺らめいている。決して倒れない。


(イプセミッシュ、どうする。それでは奴の核は斬れないぞ)


 割断を終えた両刃大長剣を手にイプセミッシュが圧雪路に降り立つ。高位ルデラリズに時間は与えない。すぐさま剣身を斜めに倒す。そこから間髪をいれず、振り上げと振り下ろしを絶え間なく繰り返す。


 そのたび高位ルデラリズの身体が斜めに切断され続け、音を立てて圧雪路に落ちていった。


「意外にやるではないか。それに、よいものを持っている」


 根核ケレーネルが正常である限り、高位ルデラリズはどのような状態になろうとも何度でも再生を繰り返す。


 先ほどとは逆だ。弾性を最大に、粘性を無に瞬時に変化させた。斬り刻まれて圧雪路に転がる幾つもの粘性液体のかたまりが互いに手を取り合い、またたく間につながっていく。


 導かれる結果は即時再構築だった。


 立ち上がった高位ルデラリズが全身の粘性液体を細く鋭く変成させていく。それらはまるで触手のごとくうごめき、分裂を繰り返しながら数を増やし続けていく。


 およそ百を超えた辺りで高位ルデラリズはそれら全てを一気に解き放った。標的は言うまでもなくイプセミッシュだ。


「逃げられはせぬぞ」


 高位は勝利を確信している。


 ルブルコスは瞬時に気づく。はなから分かっていたなら、当然警告していた。あまりに一方的になぶりすぎたため、高位ルデラリズの今の攻撃を見るまで思いつかなかったのだ。迂闊うかつにもほどがある。


 既にイプセミッシュと高位ルデラリズの一騎打ちに移行している。無闇むやみに手出しするわけにもいかない。


「距離を取れ。触れさすな」


 助力はしない。助言だけだ。


 万が一にも介入しなければならない事態におちいったなら、躊躇ちゅうちょなく行う。それは最終局面、イプセミッシュの命に関わる時のみだ。知己ちきウェイリンドアとの約束でもある。


 細く鋭いむち状の粘性液体がイプセミッシュをからめ取ろうと四方八方から押し寄せる。ルブルコスの助言どおり、絶対に触れさせてはならない。イプセミッシュも理解している。


「さすがに多すぎる。魔力を消費するが、やるしかない」


 イプセミッシュの両刃大長剣には三つの魔術が付与されている。魔剣アヴルムーティオではないものの、業物わざものであることに間違いはない。鍛冶職人の名も分からない。もちろんめいもない。


 唯一分かるのは剣身をかたどやいば極希少ごくきしょう鉱物たる黄灰銅輝ジュヴルューヌからるということだ。


 黄灰銅輝ジュヴルューヌは様々な効能を併せ持つ。高硬度でありながら柔らかくしなやか、魔術適応力に優れ、高温にも低温に強い。


 イプセミッシュは両刃大長剣を握り直すと、付与した魔術の一つを起動する。起動条件は己の魔力を剣にそそぎ込むことだ。全身の魔力を右手に集中、手首を柔らかく使って風車のように剣を高速旋回せんかいさせた。


 至極すごく単純な対抗方法だ。全方位攻撃には、こちらも全方位攻撃をもって迎撃すればよい。イプセミッシュは両刃大長剣をたくみにあやつり、上下左右に振り回しつつ、粘性液体のむちを斬り落としていく。


(堂々巡どうどうめぐりだな。あの厄介きわまる再生能力を封じねば、いずれまれてしまう)


 先読みのイプセミッシュらしく、既に結果が見えている。何十もの分岐点がありながら、帰着する先は全て同じだ。すなわち、先にイプセミッシュの力が失われ、高位ルデラリズの粘性液体の鞭に捕捉ほそくされる。そうなれば、悲惨な結末が待ち構えている。


 そして、まさにその帰着点に向かって事態が刻一刻と動き出しているのだ。イプセミッシュが十二将筆頭、比類なき武の達人であろうとも、人である限りはいずれ限界を迎える。


「どうした、イプセミッシュとやら。目に見えて動きがにぶくなっているぞ」


 問題は体力ではない。魔力だ。極悪な環境下で動き続けるには絶えず魔力を使わなければならない。さらに剣に付与された魔術を行使するために、さらなる魔力を消費しているのだ。


(魔力消費が大きすぎる。そろそろ限界か)


 イプセミッシュの動きに遅滞ちたいが生じつつある。はたから見れば分からないほどの微妙は変化だ。ルブルコスにも高位ルデラリズにもはっきりと見えている。それが強者たる所以ゆえんなのだ。


 ルブルコスは左腕に装着した氷霜細降龍凍リディグニファダラに右手を添えている。まだ仕かけはしない。イプセミッシュが易々やすやすとやられるはずもない。信じているのだ。


 高位ルデラリズは時間をかけて獲物えものを弱らせたうえで仕留めるつもりでいる。粘性液体の鞭は、いくら斬り落とされようとも再生を繰り返し、新たな鞭となってイプセミッシュを追い詰めていく。


 イプセミッシュの体力、魔力が枯渇するその時をただただ待つだけでよい。


(まずい、このような時に。頼む、私の身体よ、もう少し)


 突如としてイプセミッシュの左ひざが崩れた。口からは大量の吐血とけつ、圧雪路を鮮やかな赤で染めていく。剣を握る右手から力が急速に薄れていく。


「もらったぞ」


 この好機こうき高位ルデラリズのがすはずもない。おびただしい数の粘性液体の鞭がイプセミッシュをとらえ、細く鋭い先端部分が容赦なく全身を穿うがっていく。


 吐血に加えて、噴き出す鮮血が全身を濡らしていく。イプセミッシュの右手から両刃大長剣が落ちる。


(馬鹿な、あれは。イプセミッシュ、いつからだ)


 ルブルコスは初めて魔眼まがんらして、つぶさにイプセミッシュの体内をる。いや、る。血液の流れ、魔力の流れ、そららの循環と補完、あらゆるものをだ。


(私の失態だ。魔眼を開いたその瞬間に気づくべきであった)


 イプセミッシュの身体を穿った粘性液体の鞭は突き刺さったままだ。それらが不規則に脈打っている。不透明の粘性液体の中を泳ぐようにして何かが移動しているのだ。高位ルデラリズ根核ケレーネルから生み出されたそれらは鞭の先端を経て、イプセミッシュの体内へと侵入していく。


「終わりだな、イプセミッシュ。そいつらを生きているうちに引きがせた者はいないのだ」


 蠢動しゅんどうするのは肉眼ではとらえられないほどの微小な生物だ。対象者の血管内へ侵入すると同時、またたく間に成長を遂げ、宿主の身体を作り変えていく。


「最悪に最悪が重なるか。こ奴、体内に魔食血蟲マグトゥジェを飼っているのか」


 もはやこれ以上は待てない。ルブルコスは意を決し、氷霜細降龍凍リディグニファダラに添えた右手を解放する。その右手には一本の氷刃矢フィシュラムが現出している。


魔食血蟲マグトゥジェをお前の心臓に到達させるわけにはいかぬ。ゆえにしばし死んでもらうぞ」


 ルブルコスがイプセミッシュの心臓めがけて氷刃矢フィシュラムを放つ。


 心臓に突き立てると同時、瞬時に凍結、一時的な仮死状態に置く。そのうえで血管内を心臓に向かって突き進む魔食血蟲マグトゥジェを完全凍結させるのだ。


 ルブルコスにとってもイプセミッシュの生死をけたきわどいけとなる。


 心臓を仮死状態にできる時間は僅か五メレビルだ。それを過ぎてしまうとイプセミッシュの心臓は今度こそ壊死えししてしまう。時間との戦いでもあるのだ。


「行け、氷刃矢フィシュラム

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