第325話:美しいお姉さん


≪使いなさい。私の可愛い坊や≫


 脳裏に響く。その声には確かに聞き覚えがある。


 闇を斬り裂いて豪速で光が落ちてくる。ザガルドアは無意識のうちに右腕をかかげていた。


 光は星々のきらめきまでもその身に宿しているのか、まばゆいばかりの輝きをき散らしている。さらには、天空に輝く淡い光をもあまねく吸収しながら、周囲を明けのごとく染め上げていく。


 ザガルドアは光に照らし出されたまま、その時をただ待つばかりだ。


「やっと逢えた。全く何年待たせるんだよ。二十年近くもつんだぞ、美しいお姉さん」


 ザガルドアのつぶやきは、なぜか周囲の者の耳に明瞭に届いていた。その反応ももちろん一様だ。


 十二将のグレアルーヴ、トゥウェルテナ、ディグレイオが、ラディック王国が誇る三王女が驚きの声、はたまた頓狂とんきょうな声を思わず発している。


 一番大変なのはシルヴィーヌだった。ほぼ絶叫状態だ。それをマリエッタがここぞとばかりにからかって楽しんでいる。相変わらずのセレネイアの妹たちである。



「来い、俺の手に」


 ザガルドアの周囲を覆う漆黒が美しい白に塗り替えらえ、一際ひときわ強烈な輝きが爆縮ばくしゅくする。爆縮はすなわち収束、光は一つの形を創り上げ、音もなくザガルドアの右手に収まった。


 かくして剣化はった。ザガルドアは右手に収まっている剣を軽く握りしめ、つかの感触を確かめる。


(何だ、この剣は。まるで俺のためだけに創られたかのように馴染なじんでいる)


 当然だろう。まさしくこの剣は、美しいお姉さんがザガルドアのためだけに創り上げたものなのだから。


≪坊や、私からのもう一つの授け物よ。ついこの間の私の言葉を覚えているわね。授けた剣をもって見せてみなさい≫


 既にこの地で一度振るっている剣技だ。あの時にセレネイアに見せたヴォルトゥーノ流の剣術は、あくまでザガルドアの我流であって、ヴォルトゥーノ流ではない。いくら鍛えたところで、振るう奥義もまた我流でしかない。


 セレネイアが美しい、羨ましいと想ったのは、あくまでもザガルドアの剣に対する姿勢だ。ヴォルトゥーノ流の型に完璧にはまっていないことなど、セレネイアが一番よく分かっている。


 それでもセレネイアは感嘆した。ひとえにザガルドアの剣勢けんせい、すなわち素直で美しく、ぶれない剣の動きに感動したからに他ならない。


 ヴォルトゥーノ流の神髄は自然と一体化することにある。まさにザガルドアは我流ながらも、その域に達しているのだ。


「ああ、覚えているさ。だから見ていてくれよ、美しいお姉さん。日々の鍛錬を欠かさず、二十年間振り続けてきた俺の剣技を。行くぞ」


 見せるは、もちろんヴォルトゥーノ流奥義の麗流斬風葉舞アフェリシェスだ。風嵐剣界ふうらんけんかいは失われ、ザガルドア自身を護るものは何もない。


「ザガルドア殿、自殺行為です」


 シルヴィーヌが背後から絶叫している。比して、三姉妹を護るように立つトゥウェルテナは無言だ。両の手には一対の湾刀、すなわちイェフィヤとカラロェリを握り、いつでも動き出せるように準備だけはおこたらない。


 風嵐剣界ふうらんけんかい外に出ているグレアルーヴとディグレイオはザガルドアの動きを察知、駆け出しているザガルドアの背後に適切な距離を取って追随している。彼らの使命はただ一つ、ザガルドアの楯になることだ。


「グレアルーヴ、ディグレイオ、無用だ。俺を信じろ」


 まさしく王者の言、グレアルーヴもディグレイオも思わず足を止めてしまう。


「陛下、承知した。ご武運を」


 グレアルーヴの言葉は風に乗ってザガルドアの耳に届いていた。



 ここからが真の意味で本領発揮だ。ニミエパルドとケーレディエズとの距離を測り、踏み込むべき位置を定める。


 ザガルドアは右利き、定めた起点で姿勢を正すと、左脚をはるか前方へと踏み出し、同時に右膝を地に落とす。握った剣は最下段かつ最後方にある。


 剣軌は地をい進んでくる。傍目はためから視れば、極端極まりない不安定な姿勢だ。しかも、剣は大地をえぐるような位置にあり、決して曲がらない剣身は邪魔でしかない。


(自然と同化している俺には何の支障もない。剣は風そのものだ。だから俺は風が好きなんだ)


 ザガルドアが手にする剣はただの剣ではない。美しいお姉さんが授けたザガルドアのためだけの剣なのだ。その辺のなまくらな剣と同じであるはずもない。



≪銘は星光散塵風残斬リュシエヴァント、坊やのためだけにきたえた魔剣アヴルムーティオよ≫


 ザガルドアの口元がほころんでいる。


 星光散塵風残斬リュシエヴァントを握るザガルドアの意を受けて、剣身が風と化し、さらには星屑ほしくずの煌めきを散開させていく。その煌めきはまさしく不可視ふかしやいば光風刃ラヴァリテだ。


 ケーレディエズが目に視えない何十、何百本もの鋼糸を巧みに操ろうと、所詮しょせんは有限でしかない。一方、星光散塵風残斬リュシエヴァントが生み出す光風刃ラヴァリテは自然そのもの、すなわち無限だ。


 無限に対して有限が勝てる道理などない。正面を埋め尽くすほどの鋼糸であろうと、無限を創り上げる魔剣アヴルムーティオを前にしては無力同然だ。


 剣軌は右下方から左上へと抜ける斜め袈裟けさに転じ、鋭くり上がっていく。剣軌に沿って光風刃ラヴァリテが明確な意図をもって散りばめられていく。


 耳障みみざわりな甲高い悲鳴にも似た衝撃音が宙をけ抜けていく。ケーレディエズが放った鋼糸の物量攻撃は、光風刃ラヴァリテの圧倒的威力をもってことごとくが細切れに寸断されていった。


 状況が全く理解できないケーレディエズが半狂乱状態で泣き叫んでいる。ニミエパルドでさえ制御できない現状、ケーレディエズの命はもはや風前の灯火ともしびだ。


 ザガルドアは一気に片をつけるつもりで、最上段に振り抜いた星光散塵風残斬リュシエヴァントを、たくみな手首さばきによってわずかにひるがえし、今度は逆軌道、つまりは右上部から左下部へと斜め袈裟に斬り落とす剣軌へと導く。


 そこに一切の無駄もない。そよぐ風のごとく、ザガルドアの身体は自然の中に完璧に溶け込んでいる。もはや勝負はついた。



 ザガルドアの剣勢を一瞬たりとも見逃すまい。セレネイアはまるで魅入みいられてしまったかのように、ひたすら剣軌を追い続けている。両横に立つマリエッタとシルヴィーヌがセレネイアの手を強く握り、同じように凝視している。


 トゥウェルテナはそんな三姉妹を護りながら、僅かに振り返る。


(本当に不思議な子たちよねえ。これがラディック王国が誇る三王女なのねえ)


 彼女たちを微笑ましく見つめ、トゥウェルテナもまた視線を主たるザガルドアに戻す。両手に持つイェフィヤとカラロェリが突如として震え出す。


≪イェフィヤ、カラロェリ、どうかしたの。震えているじゃない≫


 落ち着かせようとおのが魔力を注ぎこもうとして拒絶された。


≪ちょっと、どうしたのよ。まさか、もう私から離れて≫


 トゥウェルテナの意思はそこで強制的に断ち切られる。イェフィヤとカラロェリ、二本の湾刀がいきなりトゥウェルテナの手を離れ、凄まじい勢いで宙に弾け飛んだのだ。


≪諾。歓喜。姉妹使役。除主様≫


 カラロェリの言葉はトゥウェルテナの心に入ってくる。ならば、トゥウェルテナの制御から完全に離れたわけではない。安堵のため息をつきつつ、トゥウェルテナもケーレディエズ同様だ。この状況が理解できないでいる。


≪トゥウェルテナ、大人しくしていて。今から面白いものを見せてあげるわ≫


 イェフィヤの言葉を受けて、トゥウェルテナは渋々ながらにうなづくしかなかった。


 弾け飛んでいったイェフィヤとカラロェリは上空で留まっている。まるで何かの合図を待っているかのようでもある。


 刹那せつな、上空より一直線に嵐が降ってくる。そう、嵐に視える何かが、だ。


 既にザガルドアの星光散塵風残斬リュシエヴァントは全ての鋼糸を駆逐くちくし終えている。今や眼前にさえぎるものはなく、ケーレディエズとニミエパルドが立ちはだかるのみだ。


 手首を柔らかく返したザガルドアは、風の中で星光散塵風残斬リュシエヴァントをもって左上部から斬り下ろす動作に入る。


 このまま斬り下ろすのみだ。そうすればケーレディエズは剣軌の流れのままに光風刃ラヴァリテによって細断されるだろう。ザガルドアには魔霊鬼ペリノデュエズの心臓ともいうべき核の位置は視えない。


(関係ない。あの女が魔霊人ペレヴィリディスであろうと、魔剣アヴルムーティオの力からはのがれられない。核もろとも細斬こまぎれにしてやるぞ)


 勝利を確信、ザガルドアが星光散塵風残斬リュシエヴァントによる必殺の剣軌をなぞろうとしたその時だ。


 ザガルドアの真正面、正しくは対岸の断崖絶壁だんがいぜっぺきだ。竜巻が垂直のがけを猛烈な速度で落ちてくる。明らかに自然界の現象ではない。


 ザガルドアの瞬きと同時、竜巻を構成する風嵐ふうらんが爆風となって弾けた。



「坊や、そこまでよ。その娘をやらせるわけにはいかないの。後は任せなさい」


 竜巻の中から姿を現したのは、ザガルドアが逢いたかった、あの美しいお姉さんだった。しかも、あろうことか宙に浮かび上がっている。


 ザガルドアは無意識のうちに星光散塵風残斬リュシエヴァントを静止させている。およそ二十年ぶりに視る、全く容姿の変わらない美しいお姉さんを呆然ぼうぜんと見上げ、ただただ苦笑を浮かべるしかなかった。

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