第089話:次期国王たる者の行く末

 玉座の間は騒然となっていた。


 何があったか。


 玉座の間に、彼らにとってのザガルドアが、イプセミッシュの護衛を兼ねて入ってくる。彼はいつもどおり、玉座の右手に立つと、十歩離れた位置でひざをついて控える十二将を感慨深かんがいぶかげに眺めた。


 イプセミッシュも、やや遅れて玉座に腰を下ろす。


「ゼンディニア王国が誇る十二将よ、よくぞつどってくれた。お前たちには、今後の王国を左右するであろう重要な話をしなければならない。エンチェンツォ、お前たち文官もだ。十二将の背後に移動しろ。玉座からの距離は気にしなくてよい」


 言われるがままに、エンチェンツォたちが移動を開始する。その最中さなか、文官最古参さいこさんの老人が、いきなりイプセミッシュを指差しながら大声を発した。


 あまりの突然の行動だった。無礼千万ぶれいせんばんなこの老人を、誰も止められなかった。


「お、お、お主は」


 さえぎったのはザガルドアだ。


「控えよ、ベンデロット。速やかに命に従うのだ。発言は一切認めぬ。よいな」

「お、おお」


 嗚咽おえつとも、歓喜とも思える声を発し、ベンデロットと呼ばれた老人は平身低頭のまま微動だにしない。エンチェンツォに促され、ようやくにして、ゆっくり歩を進めるものの、その視線はザガルドアに釘づけだ。


 ベンデロットは最古参の一人でもある。当然、彼も妖精の黄昏オルムラクヴィユを受けていた。記憶が再反転、元に戻った今、ザガルドアこそがイプセミッシュだと認識できたゆえの行動だった。


 ザガルドアがイプセミッシュに耳打ちしている。状況説明をしたのだ。イプセミッシュは鷹揚おうよううなづいてみせた。


 ベンデロットの一件があったからか、文官たちが何かと騒がしい。序列二位フィリエルスが振り返り、エンチェンツォをにらみつつも、わずかな苦笑を見せる。彼女の目が、お前が何とかしなさい、と告げている。


「ベンデロット老、落ち着いてください。さあ、早くそちらへ。陛下もザガルドア様もお待ちです。急いでください」


 ようやく大人しくなったベンデロットが最後尾に控えた。エンチェンツォは胸をで下ろし、フィリエルスに視線を転じる。


「ザガルドア、もう大丈夫のようよ。私は忙しいの。早く始めてくれないかしら」

「うむ、承知した。では、陛下」


 ザガルドアの言葉を受け、イプセミッシュが立ち上がる。そのまま玉座を離れ、十二将たちとの距離を詰めていく。


 これまで、ザガルドアを除けば、十二将といえど十歩間の距離は必須だった。それを自ら取り払い、三歩間のところまで歩み寄る。


「ゼンディニア国王イプセミッシュ・フォル・テルンヒェンの名において、お前たちに最後の命を下す。此度こたびのラディック王国との戦いの終結をもって、俺は退位する。そして、その座を、ここにいるザガルドアに禅譲ぜんじょうする。これは決定事項だ。一切の反論は認めぬ。そう心得こころえよ」


 玉座の間が、水を打ったように静まり返る。


 ここにいる誰もが、理解するまでに相当の時間を要した。そこからだ。国王といえども関係ない。イプセミッシュに対する集中砲火が始まった。


 この際、序列など関係ないとばかりに、口火を切ったのは序列二位フィリエルスだ。


「陛下、何をおっしゃっているのか理解できませんわ。ゼンディニアは、陛下あってこその武の王国、ここに集った十二将は陛下だからこそ従ってきたのです。勝手に退位など、私に言わせれば、それこそ許せない裏切り行為ですわね」


 序列四位グレアルーヴが引き継ぐように言葉を続ける。


「俺も、おおむねフィリエルスに同意する。確かに、陛下に世継ぎたる子はおらぬ。ゆえに、誰かが後を継がねばならぬ。その継承順位は、王国法で定められているはずだ。俺個人としては、ザガルドアならば何の問題もない。だが、そうもいくまい」


 グレアルーヴの視線がエンチェンツォに向けられる。


「確認しようではないか。エンチェンツォ、この場合、王国法はどのように定めているのだ」


 突然の指名にも、エンチェンツォは慌てる様子も見せずに立ち上がる。記憶力抜群の頭脳から、王国法の該当部分だけをいとも簡単に引き出してくる。


 まずは、王国法で定められている王位継承順位を説明する。


 一位は嫡出子ちゃくしゅつし、二位は嫡出子の嫡出子、三位は国王の兄弟姉妹、四位は国王の父にして先代国王ウェイリンドアの兄弟姉妹、と辿たどっていく。


「ご存じのとおり、陛下は未だ独り身です。必然的に一位、二位が除外されます。さらに、陛下には兄弟姉妹がおらず、また父君ウェイリンドア様の兄弟姉妹はもちろん、その方々の嫡出子、嫡出子の嫡出子も、残念ながら既にお亡くなりになっておられます」


 結果的に、継承者不在という事態なのだ。


 当然、継承者不在を想定して、王国法に例外規定が存在する。そこに記載されている内容を、エンチェンツォが説明する。


「すなわち、陛下のご遺言ゆいごんです。生前、死後を問わず、公正証書として残す必要があり、陛下を除く内政関与者三名以上の同意と立ち合い、そして署名が必須となっています。この証書さえあれば、ザガルドア様に王位を禅譲することが可能となります」


 エンチェンツォの説明を聞いても、十二将の大半がお手上げ状態だ。頭が爆発しそうになっているトゥウェルテナが、エンチェンツォにからんでくる。


「ちょっと、坊や、そんな小難こむずかしいこと、言われても分からないわよお。もっと簡単に分かりやすく、説明できないのかしら」


 トゥウェルテナは相変わらずだ。この自然体こそが彼女の本質であり、意図的な言動はどこにもない。


 それが、かえってエンチェンツォを狼狽ろうばいさせている。まるで、魅了の魔術にかかってしまったかのようだ。彼女の不思議な魅力にあらがえない。


 しかも、今日に限っては、なぜかフィリエルスの冷酷な、明らかに侮蔑ぶべつを多分に含んだ視線が強烈に突き刺さってくる。


 訳が分からないまま二人に視線を向け、頭を下げるエンチェンツォだった。悲しいかな、あっさりと二人に無視されてしまう。


「陛下、まずは聞かせてください。退位などという、くだらない言葉を吐いた理由を。当然、理由如何いかんで私は反論します」


 序列七位エランセージュが至って冷静に回答を要求する。顔の一部しか出ていない彼女は眼光鋭く、イプセミッシュからの答えをただ待つ。


「この際だ。他の者はどうなのだ。お前たちの声を聞くのも、これが最後になるだろう。言いたいことがあるなら、今のうちだぞ」


 エンチェンツォが説明した王国法における王位継承順位は、イプセミッシュにとって何の問題にもならない。だからこそ、彼は悠然ゆうぜんと構えていられるのだ。


「陛下のご意思のままに。国王たる者の責務、我らごとき、凡人には想像もつかぬ激務であろう。我は反対せぬ。また、ザガルドアならば適任であろうと確信している」


 だからこそ、王国法の定めにのっとった手続きが必要なのだ。それだけは、遵守しなければならない。ゼンディニア王国は無法国家ではないのだから。


「武の王国であろうと、法を無視する王国であってはならぬ。民たちに示しがつかぬではないか」


 淡々と述べたのは序列六位ブリュムンドだった。レスティーに受けた掌底波しょうていはの影響はなさそうだ。


 彼はその巨躯きょくに似合わず、朴訥ぼくとつとした人柄で、大の子供好きでもある。彼も他大陸から渡ってきた一人だ。


 ゼンディニア王国で認められている重婚の反対論者でもある。十二将唯一の妻帯者で、ただ一人の妻をひたすら愛し、二人の間には七人の子供がいる。


「退位の理由次第では、私も反対いたします。王国の行く末は、陛下の双肩そうけんにかかっております。何より、陛下は此度こたびの戦いの真意を、我らに話されておられません。それも直接、陛下の口より聞かせていただきたく存じます」


 序列九位ディリニッツの言葉だ。彼だけが真実を知っている。レスティーから聞かされているからだ。


「陛下、仮定の話となってしまい恐縮です。退位はよくよくのことと想像いたします。王国法の定めはさておき、仮に退位が認められたとして、この先、陛下はいかがなさるおつもりでしょうか」


 しばしの間、誰からも発言がないことを確認したエンチェンツォが問いかけた。


 彼にとって、イプセミッシュは従来の国王の概念をくつがえすような存在なのだ。他の大陸から渡ってきた右も左も分からない若造を、ここまで取り立てた事実一つを取っても、明らかに異質だろう。


 身分を問わず、己自身の目で見極める。決して、他者の意見に左右されない強靭きょうじんな意思を持つ男だ。


 その一方で、国王という立場をかえりみず、戦場に出ては先陣を切るような刹那的せつなてきな部分もあったりする。


 まさに、摩訶まか不思議と呼ぶに相応ふさわしい。そして、畏怖いふの念をいだかせる国王なのだ。


「よし、出そろったな。お前たちが理由を問うのは当然だ。だから答えよう。何、簡単なことだ。俺がゼンディニア国王イプセミッシュ・フォル・テルンヒェンではないからだ。本当のイプセミッシュは、ここにいる男だ」


 ザガルドアを指差すイプセミッシュだった。

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