第090話:エンチェンツォの役割

 今日、二度目となる。再び玉座の間が水を打ったように静まり返った。先ほど以上の沈黙が流れている。呆然ぼうぜん唖然あぜん、誰もが言葉を失った状態だ。


「察しのよいお前たちだ。気づいただろう。そうだ、俺がザガルドアだ。まあ、これも本当の名かどうかは分からぬがな」


 ザガルドアとイプセミッシュを除く、全ての者が混乱している。イプセミッシュであったザガルドアが続ける。


「俺は貴族でも何でもない。裏路地の掃きめに捨てられていた孤児だった。物心ついた時から、暗闇の中にひそんで生きてきた。親の顔はもちろん、兄弟姉妹がいるかも分からない。常に孤独だった」


 初めて聞かされる話に誰もが衝撃を受けている。


「そんな中で出会ったのが、このイプセミッシュだった。俺が八歳、こいつが七歳の時だ」


 ザガルドアの昔語りに、皆の意識が集中している。語り始めると一気だった。途中で休むことなく、二人でこの玉座に戻ってくるまでの全てを語り尽くしていた。


 およそ二ハフブルは費やしただろうか。誰もが微動だにせず、じっと耳をかたむけ続けた。


 時折、すすり泣きのような声も聞こえてきた。ザガルドアは一向に気に止めなかった。同情されるのは好きではない。これが己の人生だったからだ。


 長らくしゃべりすぎたか。ザガルドアは喉が痛くなっていた。


「陛下、どうぞお飲みください」


 冷たい水で満たされた容器をザガルドアに差し出す。文官たちが用意した容器に、ヴェレージャが水系魔術によって生み出した水を次々と注いでいく。


「お、有り難うな、ヴェレージャ。いつもながら、お前はよく気がくな」


 あまりの口調の変化に、ヴェレージャが戸惑っている。


「無理もないな。これが俺のだ。嘘の記憶が付与されていたとはいえ、よくも俺に国王が務まったものだと感心しているところだ。お前たちにもさんざん迷惑をかけてきただろうよ」


 序列五位のソミュエラが、ようやくにして口を開く。普段、無口なだけに、一度開けばせきを切ったように言葉があふれ出す。


「私にとって陛下は陛下です。たとえ、ザガルドア様に正当王位継承権があろうともです。ここにいる十二将たちは、きっと私と同じ思いでしょう」


 聞かされた話を、そのままただちに受け入れるのは到底不可能だ。あまりに壮大すぎるうえに、記憶の封印と付与など理解の範疇を超えている。そこに妖精族が関わっているなど、想像を絶するというものだ。


「すぐに理解するのは無理ですが、理解するように務めます。そのうえで、心からお願い申し上げます。陛下、どうか退位などとおっしゃらないでください」


 ゼンディニア王国はまさに今後の命運を左右する重要な局面に立たされている。いくらラディック王国との戦いの終結後とはいえ、ザガルドアが退位を宣言した事実は到底隠しきれない。噂が広がるのも時間の問題だろう。


「陛下のご退位は、王国全体の士気に多大な影響を及ぼします。どうか、ご再考いただけないでしょうか」


 ソミュエラの真摯しんしな思いが十二分に伝わってくる。ザガルドアは真正面から受け止める。


「ソミュエラ、有り難う。お前の思いはしっかり受け止めた。そのうえで、先に言ったとおりだ。撤回するつもりはない。ないが、お前の言ったとおりでもある。その返答をする前に、お前たちにもう一つだけ伝えなければならない」


 いよいよここからが本題とも言えよう。ディリニッツが問いかけた此度こたびの戦いの真意だ。これについては、ザガルドアは未だ誰にも話していない。


「イプセミッシュ、お前も聞いてくれるか」


 玉座にいるせいか、どうも調子が狂う。ザガルドア自身、ヴェレージャに告げたとおり、よくぞ国王などという重責が務まったものだと心底思っているのだ。


「承知した、陛下。そして、ザガルドア、今はまだお前が陛下なのだ。私への遠慮は一切無用にしてもらいたい」


 イプセミッシュは、ザガルドアに向けていた身体を再び正面に戻す。


「陛下を差し置いての発言を許してほしい。ここにいる全ての者に告げる。確かに、私がイプセミッシュ・フォル・テルンヒェンだ。それを証明するものがここにある」


 皆の眼前に取り出したのは焔光玉リュビシエラだった。妖精王女に見せた時から全く変わらず、美しい輝きを保っている。楕円形の石の中で、まるで炎が躍っているようでもあった。


「おお、それは、まさに焔光玉リュビシエラ。王家の者のみが手にすることができる、まごうことなき王族たる証」


 立ち上がったベンデロットが声を震わせて叫ぶ。エンチェンツォが慌てふためき、ベンデロットのすそを引っ張りながら腰を下ろすように働きかけるも、まるで鉄塊てっかいのごとくびくともしない。


「ベンデロット、発言は一切認めぬと言ったはずだ。此度こたびは許すが、次はないぞ。座るがよい。エンチェンツォを困らせるでない」


 深々と体を折り曲げる。ベンデロットはイプセミッシュの命にすみやかに従った。


「私は、王位継承順位一位の者ではあるが、今さら国王の座に就くつもりはない。もとより未練もない。私は卑怯者なのだ。父ウェイリンドアと再会したあの時、父がこれまでになってきた国王として責務を目の当たりにして、私には耐えきれないだろう、そう思ったのだ」


 イプセミッシュの前には、ザガルドアの幼き頃からの夢があった。いつか国王になってみたいという、無邪気な彼の夢が。そして、イプセミッシュはそれに迷わず飛びついたのだ。


 ザガルドアの夢をかなえることは、すなわちイプセミッシュ自身が時期国王にならなくて済む、ということだ。だからこそ、記憶の封印、付与も彼自身が進んで妖精王女に切望した。


「私は、ザガルドアの幼き頃の夢を叶えるという、大義名分たいぎめいぶんを盾に逃げたのだ。こんな私が国王になるなど誰も認めはせぬよ」


 なか自虐的じぎゃくてきなイプセミッシュの告白に、真っ向から反論したのは、他ならぬザガルドアだ。


「イプセミッシュ、それは違う、断じて違うだろ。お前は確かに国王になりたくなかったかもしれない。俺も薄々うすうす感じていたからな。だが、俺の夢を盾にしたというのは、明らかにうそだ」


 なぜなら、イプセミッシュはザガルドアの本当の夢を知っていたからだ。それは二人だけの秘密だ。


 確かに、ザガルドアは王になりたいとは言った。厳密に言えば、そうではない。それもイプセミッシュは知っている。


「あの時、俺はこう言ったのだ。『お前の父さんを助け出し、そして俺たちが生きていたら、俺を王様にしてくれよな。ああ、永遠になんて言わないからさ。あの椅子に座るのはお前だ。俺はほんの少しだけ座らせてくれたら、それだけで満足なんだ』とな」


 こういった時、中立的立場から意見を述べるはずのフィリエルスが、今回に限っては黙したままだ。彼女はその役割をエンチェンツォに押しつけた。


「陛下、それにザガルドア。ああ、もう、ちょっと混乱するわね。だから、今までどおりに呼びますわ。イプセミッシュ陛下、十二将筆頭ザガルドア、お二人にエンチェンツォから話があるそうよ」


 視線をエンチェンツォに向けることなく、ただ右手で彼を指し示す。


 イプセミッシュからの強引な丸投げに慣れてはいるものの、さすがにフィリエルスのこれには面食らった。まさか自分に振ってくるとは思わず、何も考えていなかったからだ。


 この一瞬で、エンチェンツォは全速力で頭を回転、必要な記憶の引き出しを次々と開けては閉じ、語るに相応ふさわしい言葉へと整理していった。


 フィリエルスと同様、まずは従来どおりに呼ぶことを前置きしたうえで、エンチェンツォが口を開く。


「ゼンディニア王国は、ラディック王国並びに魔術高等院ステルヴィアに対し、陛下の名において宣戦布告を発布、すなわち国家緊急事態下に置かれています。かくの状況において、陛下の意思に関わらず、王位継承はもちろんのこと、退位も認められておりません」


 いったん言葉を切る。エンチェンツォは一同の理解を確かめるため、一とおり彼らの顔を見回していく。そして続ける。


「終結後も、様々な処理が残ることが想定され、それら全てを履行し終えるまで、陛下の退位は無効化されます。全て王国法によって規定されております」


 先のラディック王国を端にする五大国の戦乱では、全ての戦後処理を終えるまで、およそ七年を要している。


「七年です。これが意味するところは、お分かりかと存じます」


 フィリエルスが賛辞のための拍手を送った。


「よく言った、エンチェンツォ。さすがは軍事戦略家を目指す男だな」

「恐縮でございます、フィリエルス様。いきなりの指名は、あまりに心臓に悪いので、今後はお控えいただければと」


 実に珍しい。フィリエルスが上機嫌だ。手を軽く口に添えて、笑みを殺している。


「えっ、ちょっと、いつの間に。フィリエルス、どういうことかしらあ」


 突っ込むのはいつもトゥウェルテナの役目と決まっている。


 ヴェレージャ、ソミュエラ、エランセージュ、トゥウェルテナ、十二将の女は、皆が等しく同じ思いを抱きつつ、フィリエルスを横目で眺めていた。

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