第060話:かつての三賢者

 ビュルクヴィストはまだ動かない。いつでも動ける状態を維持しつつ、合図を待つだけだ。


「ビュルクヴィスト、もうよいぞ。そなたの力、しかと見せてもらおう」


 レスティーの言葉を受けて、ビュルクヴィストが突き出していた両手を頭上にかかげた。


「お待ちしていましたよ、レスティー殿。では、参ります」


 霧散していた霜の嵐が、掲げた両手に導かれて急速につどっていく。


霜嵐結氷凍細滅獄ピルシュディアナム


 発動、解き放つ。


 それは魔霊鬼ペリノデュエズの直上で全てを閉じる吹雪ふぶき、凍える氷嵐ひょうらんと化し、瞬時にくだった。


 雷撃と熱炎によって身体の自由をわずかに奪われていた魔霊鬼ペリノデュエズに、なすすべはなかった。けることさえできず、完全にみ込まれていく。


 ビュルクヴィストの魔術は、その身体を容赦なくてつかせ、粉々に砕いていった。


 魔霊鬼ペリノデュエズの周囲を漂う水蒸気がことごとく結晶化、差し込む光に照らされ、きらめきを発している。それだけ見れば幻想的な光景だ。


 実際には、凄惨せいさんなそれが展開されている。無論、魔霊鬼ペリノデュエズに対する同情心など誰も持ち合わせていない。


「これがビュルクヴィスト様のお力か。さすがは元賢者であらせられる。儂も本物の魔術というものを初めて見たが、何ともすさまじい限りだな」


 感嘆の声を上げているのはホルベントだ。賢者の噂は色々と耳に入ってくるものの、肩を並べて戦うことなど滅多めったにない。それゆえ眉唾まゆつばものの噂も多い。


 こうして、目の前でその力をまざまざと見せつけられると、噂の全てが真実だと思えてならない。それほどまでにビュルクヴィストの魔術は圧倒的だった。


「ホルベント、もっとめてもよいのですよ」


 魔霊鬼ペリノデュエズの身体は音もなく崩れ去っていた。唯一、音を立てて落ちたもの、それこそが核だ。分厚ぶあつい氷に覆われ、融解不可能状態で魔術固定されている。


 ビュルクヴィストの魔術制御能力がいかに高いかを示すあかしでもあった。


「いかがでしょうか、レスティー殿」


 ビュルクヴィストのはしゃぎようが何とも言えず、まるで褒められるのを待っている子供のように思える。レスティーは苦笑を浮かべるしかなかった。


 彼の実力は申し分ない。賢者時代よりも円熟味を増しているように感じられる。ここは素直に褒めるしかない。調子に乗るのは困りものだが。


 そう思った矢先のこと、空間に亀裂が入った。ビュルクヴィストが咄嗟とっさに構える。


 魔霊鬼ペリノデュエズが出現する時のものではない。紛れもなく、魔術転移門が開く際の独特の音だ。


「我が主レスティー様、来たようです」

「いったい誰ですか。直接、この場に魔術転移門を開ける者はごく限られているはずです」


 首をひねりながら、ビュルクヴィストが自問自答している。正しく答えられるレスティーもカランダイオも、もちろん無視を決め込んでいる。


 開ききった魔術転移門から二つの影が降り立つ。一人が足早にビュルクヴィストに歩み寄ると、いきなりその膝頭を蹴り上げた。


「あ痛っ」

「ビュルクヴィスト、どういうつもりだ。あたしゃ、既に賢者を引退した身だ。こっちのオントワーヌもおんなじだ。それを今すぐ何をおいてもラディック王国の王宮に来いとは、いったいどういう了見りょうけんだ。事と次第によっちゃあ、あんたでも容赦しないよ」


 激高気味の女の言葉にビュルクヴィストは慌てる以上に面食らっている。あまりに予想外のことが起きているからだ。


「え、は、はい、ちょっと、待ってください、ルシィーエット。いったい何を言っているのですか。私は貴女もオントワーヌも呼び出したりはしていませんよ。完全なぎぬです」


 相も変わらず、沸点の低いルシィーエットは一切聞く耳を持たず、ビュルクヴィストに魔電信を突きつける。


「ここにしっかりあんたの名が記されているじゃないか。それでもしらを切るつもりなのかい」

「だから、私ではありませんって。オントワーヌ、貴男もなのですか」


 こうなってしまった以上、ルシィーエットと話をしていてもらちがあかない。堂々巡りなだけだ。ビュルクヴィストは、すがるようにオントワーヌに目を向けた。


「私のところにもルシィーエットと同じ内容の魔電信が届いた。だからこそ、こうやってけつけたわけだが、貴男はそんなことはしていないと言う。いったい、どういうことであろうか」


 全く意味不明な状況で困惑しきりのビュルクヴィスト、強制的に呼び出されて怒るルシィーエット、終始落ち着いている冷静なオントワーヌ、態度は三者三様だ。


「お二人には申し訳ない。その魔電信は、ビュルクヴィスト殿の名を借りて、私が送信したものです」


 ルシィーエットとオントワーヌ、それにビュルクヴィストの視線が、一斉いっせいに声を発した者、カランダイオに突き刺さった。


 標的をビュルクヴィストからカランダイオに変えたルシィーエットが、早速突っかかってくる。


 彼女はそこで硬直してしまった。カランダイオのすぐそばに立つ人物に、ようやくにして目が行ったからだ。


「えっ」


 彼女の口から間の抜けた、ささやきにも近い声が一言だけれた。


「久しいな、ルシィーエット、オントワーヌ。およそ百年ぶりだな。また、そなたたちに会えて嬉しく思う」


 そこからのルシィーエットの行動は尋常ならざるものがあった。


 ビュルクヴィストとオントワーヌの二人を除き、ここにいる誰もが呆気あっけに取られることになる。ルシィーエットは目にも止まらぬ早さで、オントワーヌの背後に隠れてしまったのだ。


 オントワーヌにだけ聞こえる声量で問いかける。


「ちょっと、オントワーヌ。レスティー殿がここにいることを貴男は知っていたの」


 先ほどまでの口調とは一転している。オントワーヌはあえてそこには触れず、答えを返した。


「いえ、私もここに来て初めて知ったところですよ。それよりも、ルシィーエット。貴女はなぜ私の背後に隠れているのですか。レスティー殿にようやく会えたというのに」


 オントワーヌに女心は分からない。分かるはずもない。ルシィーエットは即答で返した。


「こんな恥ずかしい姿で出られるわけないでしょ。あれからもう百年よ。私は老いているのに、彼は出会ったあの当時のまま。私の髪はつやを失い、肌にもしわやたるみが。あまりに悲しすぎるわよ」


 ルシィーエットがレスカレオの賢者を当代の者に移譲したのは、今から七年前のことだ。それまでは、常に魔力を活性化させ続け、全身にみなぎらせていた。その効果は唯一無二だ。


 肉体を老化させることなく、最盛期の状態を維持し続けられるのだ。引退後はその必要もなくなる。魔力を沈静化させなければ、身体を害することになるからだ。


 特に、ルシィーエットは漲らせた魔力を一気に放出、失ったらまた全身にめ込んでまた放出という魔術を繰り返し行ってきた。従って、反動も大きかった。他の魔術師に比べ、肉体の老いが早く出てしまったのだ。


 彼女自身、それを決して後悔しているわけではない。


「レスティー殿、本当にお久しぶりですね。私も再び貴男のお姿を拝見でき、大変嬉しく思います」


 筋骨隆々たる岩のようなオントワーヌは、その身体に似合わず、実に控えめで寡黙かもくな男だ。これだけの言葉を口から発するのは珍しい。


 オントワーヌはレスティーに敬意を示すためにひざまずいた。いきなりの行動だった。オントワーヌが低姿勢になったため、ルシィーエットの姿が丸見えになってしまっている。


「ちょ、ちょっと、オントワーヌ、いきなり何するのよ」


 慌てふためくルシィーエットが可愛らしくも見える。


「あのようなルシィーエット様は初めて見ます。まるで乙女のようなルシィーエット様、とても可愛いです。いえ、いつも以上に美しいですわ」


 ルシィーエットに魔術の手解てほどきを受けている第二王女のマリエッタは、この一件以降、さらにルシィーエットに陶酔とうすいしていくことになる。それはまた別の話だ。


「オントワーヌ、そのようなことは無用だ。私に跪く必要などない。以前にも言ったはずだ。それに、ルシィーエット、なぜ急にオントワーヌの背後に」


 レスティーの言葉をさえぎるように、オントワーヌが重ねる。


「そ、それはですね、ええ、はい、ルシィーエットも女だということです。ああ見えて、彼女は乙女、いえ淑女なのですよ」


 咄嗟とっさに助け舟を出すなど、口下手のオントワーヌには無理な話だ。当然、レスティーには全く意図が伝わらなかった。


 このやりとりに、ビュルクヴィストがたまりかねて大笑いしている。


「オントワーヌ、ちょっとめてくださいよ。私を笑い死にさせるつもりですか。腹がよじれてたまりませんよ。いや、それでは全く助け舟になっていませんからね」


 即座にルシィーエットが鋭い視線をビュルクヴィストに向ける。そこにはあふれんばかりの殺意が込められている。


 さすがに笑いすぎたか。ビュルクヴィストが気の毒なルシィーエットのために言葉をつむぐ。


「レスティー殿、ルシィーエットは貴男の前に出るのが恥ずかしいのですよ」

「なぜ、恥ずかしいのだ」


 レスティーは理解できないとばかりにビュルクヴィストに問い返した。


「それが女心というものです。ルシィーエットが貴男と出会ったのは、今からおよそ百年前です。あの時のルシィーエットの姿と、今の姿を比べると、言わずもがなです」


 レスティーにとって、時の流れは無意味だ。だからと言って、人族にとっての時の流れを無視しているわけではない。限られた命の中で、精一杯生きる人族は、ある意味、レスティーにとって眩しい存在でもある。


「ああ、そなたの言いたいことは私にも分かる。魔力がもたらす肉体変化、特に老いは、人族にとって避けては通れぬものだ」


 レスティーはビュルクヴィスト、オントワーヌの順に視線を動かし、最後にルシィーエットの揺れる瞳を真っすぐに見つめた。


「ルシィーエット、そなたは美しい。百年前に会ったその時から何も変わっておらぬ。確かに外見の変化はあるだろう。人ゆえに避けられぬことだ。それで、そなたの内面が変わるわけではあるまい」


 一言、一言、噛み締めるように言葉を紡ぐ。決して同情からの言葉ではない。それは十分にルシィーエットにも伝わっている。


「私が断言する。そなたは美しい。いや、百年前よりもその美しさにみがきがかかっている。それでも、そなたは私に今の姿を見せてはくれぬのか」

「レスティー殿、貴男という御方は」


 ルシィーエットは、いまだ跪いたままのオントワーヌの横に、同じく跪くのだった。

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