第159話:宣戦布告の無効化

 去っていくマリエッタとフィリエルスの後ろ姿を見送りながら、シルヴィーヌがつぶいた。


「マリエッタお姉様とフィリエルス殿、まるで仲のよい姉妹、いえ母娘のよう」


 小さなささやきはセレネイアの耳にも入っている。優しく両手を回して、シルヴィーヌを抱き締める。


「セレネイアお姉様」


 二人の様子を見て、たまりかねたイオニアが口を開こうとする。セレネイアはただ首を横に振って制止する。その瞳が悲しみでわずかに揺れている。


 ザガルドアたちには、遠目でも三人の表情が手に取るように分かった。


「ザガルドア、確か、イオニア殿の奥方は」

「ああ、そうだ」


 ザガルドアがフォンセカーロに向けて手招きする。親子の邪魔をしてはならない。フォンセカーロも察し、すぐにその場から離れ、ザガルドアたちと合流する。


「いささか、見るには忍びない場面ですね」


 ザガルドアもイプセミッシュも黙したままだ。心の思いはフォンセカーロと変わらない。


 シルヴィーヌが、ようやくにして落ち着いたか。頃合いを見て、イオニアがこちらに歩み寄ってくる。セレネイアとシルヴィーヌを伴っている。


「ザガルドア殿、イプセミッシュ殿、大変お待たせした。私の自慢の娘を紹介しよう。第一王女セレネイア、第三王女シルヴィーヌだ」


 またもセレネイアは怪訝けげんな表情を浮かべた。先ほどからの違和感、呼びかける名前の順が逆なのだ。


 ゼンディニア王国の国王はイプセミッシュだ。ならば、イプセミッシュ殿、ザガルドア殿の順で呼ぶべきだろう。


「ああ、なるほど。その表情から見るに、説明はまだのようだな」


 もう慣れたとばかりに平然と言葉を放つザガルドアに対して、イオニアはやや恐縮した感で素直にびた。


「ザガルドア殿、申し訳ない。娘たちには説明する時間がなかったのだ」


 今、父は何と言ったか。セレネイアの目の前に立つ人物は、ゼンディニア国王イプセミッシュその人だ。国王でもある父と対等に話ができる人物が、イプセミッシュ以外であるはずがない。


 実際、ゼンディニア国王と対面したことのないセレネイアは、だからこそ父に紹介を、と頼んだわけだ。


「それなら俺から説明する方が早いな。よいか」


 念押しの確認をイオニアに求める。即座にうなづくイオニアを見て、ザガルドアが続ける。


「セレネイア第一王女、噂はかねがね聞いていたが、こうして対面するのは初めてだ。お初にお目にかかる。俺が現ゼンディニア国王ザガルドアだ。これまで、イプセミッシュと名乗っていたのも、この俺だ」


 セレネイアの言葉を待つまでもない。どうせ、すぐには理解できないのだから。


「俺の横にいる男こそが、イプセミッシュ本人だ。これまで、十二将筆頭ザガルドアと名乗っていた」


 セレネイアは、ザガルドアの言葉がうまくみ込めない。ただ小首をかしげるだけだ。すぐそばに立つシルヴィーヌも全く同様だった。


「姉妹そろって何とも可愛らしい仕草だな」


 ザガルドアの言葉で、セレネイアもシルヴィーヌも正気を取り戻したか、すぐさま態度を改める。


「これは大変なご無礼をいたしました。初対面に関わらず、名乗りもせず申し訳ございません。イプセミッシュ陛下、いえザガルドア陛下でよろしいのでしょうか。第一王女セレネイアでございます」

「第三王女シルヴィーヌにございます」


 二人して、王族に相応ふさわしく優雅な礼をもってザガルドアに挨拶あいさつを返す。


「セレネイア嬢、シルヴィーヌ嬢、丁重な礼に感謝する。俺はこういう男だ。気をつかわないでほしい。それに、俺はまもなく退位する。横にいる王位正当後継者たる真のイプセミッシュにその座を明け渡すためにな」


 衝撃の上にさらに衝撃が重なる。いきなりの退位宣言なのだ。驚かない方が無理というものだろう。


「我が国の軍事戦略家が言うには、アーケゲドーラ大渓谷の決戦を終えた後、その処理に数年を要するそうだ。俺の名をもって宣戦布告していることもある。王国法の定めにより、その間、俺は退位できない。しかし荒業があるということでな。こうして貴国にお邪魔した次第だ」


 あまりに予想外すぎて思考が全く追いつかない。珍しく、セレネイアもシルヴィーヌも右往左往状態だ。


「唐突すぎたな。混乱するのも無理はない。セレネイア嬢、シルヴィーヌ嬢、詳しくはそなたたちの父上から聞いてくれるか。あるいは、あそこで突っ立っているビュルクヴィストでも構わん。喜んで、事細かく、長々と話をしてくれるだろうよ」


 かなり離れた位置でたたずみ、状況を見守っているビュルクヴィストを指差す。その動きに釣られて、二人が振り返る。当然、ビュルクヴィストと目が合う。


 それを合図と取ったか、嬉々とした面持ちでこちらに向かってくる。


「噂をすれば、だな。あちらさんからやって来てくれるようだ。ああ、二人には済まない。少し我慢してくれ。俺の目的は二つだ。一つは既に達成できた。もう一つはビュルクヴィストの話が終わってからになるな」


 三人が三人ともあきらめにも似た表情を浮かべ、ため息をつく。国王らしからぬ国王ザガルドアを前に、シルヴィーヌも落ち着いたか、質問を投げかける。


「ザガルドア陛下、質問をしても、よろしいでしょうか」

「ああ、何なりと。それと陛下は不要だ。もっと気楽に話をしてくれ」


 相手は一国の国王だ。気楽にと言われても、不敬な真似はできない。シルヴィーヌは悩みながらも、最低限の線引きだけは忘れない。


「陛下は却下ですか。不敬すぎるのも問題ですし、それでは月並みですが、ザガルドア殿とお呼びいたします。先ほどおっしゃった、二つの目的とは」


 気配も感じなかった。シルヴィーヌは突然、背後から声がかかって飛び上がらんばかりに驚いた。いつの間に来ていたのか、ザガルドアを差し置いて、答えたのはビュルクヴィストだ。


「ビュルクヴィスト様、心臓に悪いことはおめください」


 しっかり文句をつけることを忘れない。


「これは失礼を。ついつい、いつもの癖で。シルヴィーヌ第三王女、目的の一つはですね。貴女方、三姉妹です。私がザガルドア殿に提案したのですよ」


 今日、いったい何度目になるだろう。セレネイアもシルヴィーヌも戸惑うしかない。訳が分からないといった表情をありありと浮かべている。


「シルヴィーヌ嬢、そういうことだ。貴国が誇る優秀な三人の王女、噂に聞く三姉妹を見たくてな。もはや我が国と貴国は、敵ではなくなった。それゆえ、そなたたちがいったいどのような存在なのか、この目で確かめたくなった」


 驚愕きょうがくで目が開く。敵ではなくなった。確かに、国王自らが言い切ったのだ。セレネイアとシルヴィーヌの視線がイオニアに向けられる。


「ザガルドア殿の申すとおりだ。ゼンディニアとラディックは、敵同士ではない。互いに、共通の敵を前に共闘する」


 イオニアの言葉を受けて、ザガルドアが続けた。


「ビュルクヴィスト、魔術高等院ステルヴィア院長の権限をもって、俺が先に発布したラディック王国への宣戦布告を無効化してもらいたい」


 ザガルドアは一本の巻物を取り出し、ビュルクヴィストに預ける。


「代わりになるものだ。我がゼンディニア王国と、友好国たるラディック王国が互いに手を取り合い、共通の敵、すなわち魔霊鬼ペリノデュエズどもと戦うための共同布告だ」


 これこそがエンチェンツォが考え出した荒業だった。記憶を取り戻したザガルドアだからこそできた荒業とも言えよう。


 自ら胸襟きょうきんを開き、宣戦布告を撤回する。そのうえで、敵国たるラディック王国国王の同意を得たうえで、魔術高等院ステルヴィアの権限において一切を無効化してもらう。


 立ちはだかる難関は大きいものの、成せたならば戦後処理に時間を費やすこともなくなる。従って、ザガルドアの退位そのものが容易になるのだ。


 ファルディム宮玉座の間に一瞬の静寂が広がる。そして、訪れる歓喜と安堵、ここに集った者たちの胸にゆっくりと浸透していく。


「ビュルクヴィスト殿、既に申したとおりだ。我がラディック王国に、いささかの異論もない。今、この場において、ラディック王国はゼンディニア王国を敵対国ではなく、友好国として認めることを国王として宣言する」


 ビュルクヴィストは、視線をザガルドア、イオニアに向け、満足げに何度もうなづいてみせた。


(これにより、こちら側のうれいはほぼ取り除けましたね。それにしても、ここまで全てあの御方の手のひらの上ですか。我ら、盤上を動く駒にすぎない、というのも、あながち間違いではなさそうですね)


 もったいぶっているのか、ビュルクヴィストはわざとらしく一度咳払せきばらいをすると、おだやかに言葉をつむいでいく。


「両国の国王が、異論なく同意したのです。よろしいでしょう。では、お二人がお持ちの宣戦布告を、私に」

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