第052話:美しき風舞い

 シュリシェヒリは里の内外を結界で遮断、異属とのまじわりをかたくなに禁じてきたということは以前に述べた。


 ジリニエイユによって持ち出され、現在はパレデュカルの手元にある銀麗の短剣スクリヴェイロが半永久的に失われてしまった今、結界を構成している魔術式は高位魔術師なら容易に破壊できるものだ。


 それでも、一般的な人族の出入りをはばむ程度としては十分だった。


 レスティーの姿は既に結界内にあった。


 パレデュカルが一度破壊した後、自己修復された結界に異常があったわけではない。レスティーが結界の前に立つやいなや、結界が自動反応、人一人が十分通り抜けられるだけの空間を作り出したのだ。


 つまり、結界自らがレスティーの通行を認めたことになる。


 さも当たり前のごとく、レスティーは里内を進んでいく。パレデュカルのように、魔術によって姿を隠蔽することもしない。


 ゆえに、しばらく進んだところで必然的に騒動となった。


「そこの者、止まれ。何者だ。いったい何用があって、我らがシュリシェヒリに入ってきたのだ」


 姿はない。声だけが聞こえてくる。


 彼らエルフ属にとって、里内は大小様々な樹々に守られた一種の要塞ようさいでもある。樹々をうようにして流れ行く風も、また彼らの味方だ。庭とでも言うべき場所で彼らと戦うとなれば、圧倒的不利以外の何ものでもない。


 かくのような状況下であっても、レスティーには全く支障がなかった。


「レスティーが会いに来た。そなたたちの長老キィリイェーロに伝えてほしい」


 敵意がないことを示すため、レスティーは両手を上げて見せた。帯剣しているが、二刃はさやに納まったままだ。彼らを無駄に刺激する必要はなかった。


(ここから二十メルク近く離れた樹々の上、全部で六人か。別々の位置で弓を構えているな。よく訓練されている。あの者が隊長格か)


 レスティーから見て正面やや左だ。この周辺で最も高い樹木の上にひそむエルフに直接語りかける。


≪そなたが責任者か。私に敵意はない。キィリイェーロに話があって訪ねただけだ。他の五人にも、弓をおろすよう言ってくれないか≫


 突然の出来事に驚きを隠せなかった。直接、脳内に言葉が流れ込んできたのだ。危うく弓を放ちそうになったところを、何とかぎりぎりで持ちこたえる。


 エルフの男は慌てて周囲を見渡した。他の者たちにも伝えるべきか。決して、こちらのことは分からないだろうと高をくくっていた。自分も含めて六人という正確な数を把握されている。必然的に、各々がどこにひそんでいるかも知られているわけだ。


≪そなたたちが弓で狙っていることも分かっている。その程度では、威嚇いかくにさえならないがな。私も時間を無駄にしたくない。この方法で話がしにくいなら、姿を見せてくれ≫


 逡巡しゅんじゅんしている。自分たちをつかわした上の者からは、決して姿を見せるなと厳命されていた。何しろ、結界を素通りしてくるような相手なのだ。


 外からの侵入者は、まず結界に阻まれて終わりだ。万が一、結界を破壊して侵入したとしても、その瞬間に里内全域に警報が行き渡る。これによって十分な警戒態勢を確立できるのだ。


 レスティーに限って言えば、完全に想定外だった。結界自らが招き入れるなど前代未聞だ。


 これほど短時間のうちに、彼らがレスティーを取り囲めたのか。単純明快、レスティーが姿を隠すこともなく、堂々と歩いてきたからだ。


 シュリシェヒリの里内には、魔弓まきゅう警備隊なる組織が存在する。その名のとおり、魔術、弓術に秀でた者たちで構成された子供たちにとってのあこがれの組織でもある。


 彼らの一員が里内に立ち入った部外者、つまりレスティーを発見、ただちに上層部へと報告したのだ。


 隊長格の男は、しきりに両手の指をたくみに使って他の五人に指示を出し続けている。エルフ属特有の指手申伝ダルドゥラと呼ばれるものだ。


(なるほど、上の者の指示をあおぐことになるか。この者にはそこまでの権限が与えられていないのだな。仕方がない。先に進むとするか)


 レスティーは、上げたままの両手を下すなり姿をくらました。魔術転移を発動したわけではない。


 エルフの里内をける風の力を少し借りただけだ。身体の周囲に風をまとうことで迷彩めいさいを作り出し、彼らの視覚認識をずらしたのだった。


 いくらエルフ属が常日頃から風と親しみ、また目がよいとはいえ、レスティーの前では赤子も同然だ。


「馬鹿な。姿が、消えただと」


 驚愕きょうがくの声が四方から上がった。指示を出していた隊長格の男以外は、油断なくレスティーを注視していた。にも関わらず、六人が六人ともレスティーの姿を完全に見失っていた。


「あり得ん。あの者は、いったい何をしたのだ」

「こうしてはおれん。すぐに戻るぞ」


 彼らの衝撃は大きかったものの行動は素早かった。巧みに樹上を移動しながら、里の奥へと疾走しっそうしていく。


「行ったか。この程度の目くらましを見抜けないとはな。エルフ属の質も落ちたものだ。あれ以降、無為に時間を過ごしてきたか。それとも」


 彼らの姿がすっかり見えなくなったところで、レスティーは纏った風を解放した。風がレスティーを優しく包むようにして樹上へと吹き抜けていく。


≪ねえ、私の愛しのレスティー、ここの子供たちは穏やかで優しいわ。さすがにエルフの隠れ里なだけはあるわね≫

≪同感だな。風をいつくしむエルフ属ならではというところだろう。フィア、解放しようか。久しぶりに、フィアの風舞いが見たい≫


 レスティーは右腰の魔剣アヴルムーティオラ=ファンデアを抜くと、しなやかな一振りをもって、フィアを第一段階アペロフセリスィ状態で解放した。


「私の愛しのレスティー、ご所望しょもうのままに。私のために奏でてくれるかしら」


 顕現けんげんしたフィアが、両手でレスティーのほおに触れ、離すと同時に風舞いへと入る。どこから取り出しのだろうか。レスティーも楽器を片手に、五本の弦を爪弾つまびき始める。


 フィアの全身が緑の中に溶け込み、時折陽光を浴びて薄青碧はくせいへききらめく。優雅な舞いと相まって、幻想的な美妙みみょうかもし出していた。


 レスティーのかねでる調べは軽快でありながら、しっとりと落ち着いている。緩急をつけた旋律せんりつに合わせて、フィアが舞い続ける。


 いつしか、里内の風がフィアの周囲に集まり始めていた。フィアの長く伸ばした両の腕に流れる風たちがゆるやかに巻きつき、そして離れていく。揺れる髪とたわむれ、楽しそうに舞い続ける。


 レスティーは短音と和音を織り交ぜながら、即興そっきょうで音色を空へと届ける。フィアを見つめるレスティーの目は、ここまでの旅路で最も穏やかだ。そこには親愛の情が多分に込められている。


 フィアはレスティーを見るまでもなく、その眼差しが自分に向けられていることを知覚している。


 いつしか、フィアとレスティーを憧憬しょうけいの思いで見つめ続けている部外者がいることも認識していた。彼らは息をするのも忘れるぐらい、目の前の信じ難い光景から視線を外すことができないでいる。


 本来はフィアとレスティーこそが部外者なのだが。


 フィアが空中をけながら、流麗りゅうれいに舞う。風の子供たちは名残惜しそうにフィアの周囲でひとしきり踊った後、樹々の枝や葉を軽やかに揺らしつつ遠ざかっていった。


 子供たちの様子を見届けたフィアがレスティーのもとへと戻ってくる。


「ねえ、私の愛しのレスティー。どうだったかしら」


 レスティーの背にもたれかかるフィアがややつやを含んだ、それでいて澄み切った声で尋ねてくる。


「フィアの風舞いには、いつもせられる。言葉にすると陳腐ちんぷだが、フィアの美しさがいっそう際立ってれする」


 フィアは無言のまま、ただレスティーの背にその身体を密着させた。それだけで十分だった。フィアの意思はレスティーに伝わっている。


 白碧はくへきにも見えるフィアの姿が、次第に透明と化していく。


「さて、始めようか。出てくるがよい」

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