第97話 ボス戦は突然に

 俺は床の代わりに、何かの蓋を蹴破った!


 「うわあああ!」

 それで落下が止まる訳ではない。

 ドゴオオオオンン!

 激しい衝突音が周囲に響き渡った!


 「つつつつつ…………」

 俺は真下にある弾力のある物体に激突してようやく止まったのだが、その衝撃で思わずちびって、屁まで漏れる。


 「あ……!」

 ふと見ると、目の前で少女が目を丸くして驚いている。その足元から光が発した。割れた四角い物体から七色の光が立ち昇り、光の筋となって近くにあった俺のぼろ長靴と骨棍棒につながった。何が起きたかわからないが、その光は吸い込まれるように細くなって消えた。


 何かが俺の股間でもぞもぞと動く。

 俺はその時ようやく気づいた。俺の下に男がいる!


 俺は男の股間に肘鉄を食らわせていた。

 しかも俺の尻が、大きく開いたそいつの口を塞いでおり、そいつが息が出来ずにもがいている。


 男のでかい鼻の穴が開いた。

 屁がそいつの鼻から深々と吸い込まれた。


 「ぐあういおおおおお!」


 「うわっ!」

 男が跳ね起き、俺は少女の近くに吹き飛ばされた。


 そいつはベッドの上で口から何かを吐きながら喉を押さえてごろごろと左右に転がっている。

 

 「お、おのれ、糞、糞、糞がああ!」

 男はようやくふらふらと立ち上がった。


 「だ、大教祖さま?」

 大教祖の悪態ぶりに少女が戸惑っている。


 「だ、大教祖? こいつが? おいおい、いきなりのボス戦か?」


 「貴様あああーーーー! 許さん、許さんぞ! この高貴な私の口で失禁しやがった、そんな汚物を、おえええ! しかも臭い屁まで!」


 すまん、あんまり怖かったので色々とちびった。

 怒りのあまり大教祖の男の姿が醜悪な本来の姿に戻っている。


 「こ、殺してやる!」

 大教祖が両手の爪を刃のように伸ばした。

 いかん、あれはヤバイ。

 俺は少女を庇いながら、逃げる、逃げる。


 「ちょこまかと、劣等な人間の分際で!」

 大教祖が腕を振り上げた。


 俺は少女を抱きかかえ、素早くベッドの反対側に逃げた。出口の扉は教祖の背中の方に見える。あそこから脱出しないと不味い。少女を庇いながら戦うのは不利だ。


 「逃がしはせぬ!」

 大教祖が何が邪悪な呪文を唱え始めた。かなりヤバい魔法だというのが気配で分かる。闇の魔力が集まってくる。


 これはマズイ、左右に逃げ場所を探した、その時だった。


 「死ぬのだ! ブエラ……ぎゅおえ!」

 大教祖の目玉が飛び出しそうになった。またもやその頭に突如として大衝撃が走ったのだ!


 今度はサンドラットが落ちてきたのだ!

 後頭部にサンドラットの両足キックをまともに受け、大教祖がうつ伏せに倒れた。


 ぴくぴくと動く。

 それでもさすがはボスである。


 「ぐぬぬぬ……」と根性で起き上がった。


 「止めてえーーーー!」

 その背中にトドメの一撃。セシリーナがお尻から落ちてきた。


 男の後頭部を強打! ぐしゃっと音がした。

 床に伸びた男の姿が哀れを誘う。

 

 「あっ、カイン無事だった? あれ、その子は何?」

 セシリーナがそのままの態勢で言う。


 「下、下を見ろ」

 サンドラットが指さす。

 「うわっ、何かぶよぶよして気持ち悪いと思ったら。何よ、この男」

 「大教祖だ」

 俺はほぼ死んでいる大教祖をつついた。元々はカエルかトカゲのような顔の魔族だったらしい。大教祖は白目を剥いて完全に意識がない。


 「あー、真っ先にボスを倒したって感じ?」

 「やっちまったものは仕方がない。こいつをそこのベッドに縛っておこう」

 俺とサンドラットはほとんど全裸の大教祖をずるずるとひきずると立派なベッドの足に縛り付けた。縛るための縄や拘束具は部屋に元々あったものだ。


 「さて、お嬢ちゃんは大丈夫だったか?」

 サンドラットが俺の背後で息をひそめている少女に声をかける。

 「大丈夫、俺たちは人間だよ」

 「そうよ、私は魔族だけど」

 少女は不安そうにセシリーナを見る。


 「彼女は俺の妻だよ、安心して」

 俺の言葉に少女は無言でうなずいた。


 「俺たちは誘拐されてきた子を助けたいんだ。君も攫われてきたのかい?」

 少女はうなずく。


 「みんながどこにいるか分かるか?」

 少女は無言で扉の方を指差した。


 「よし、それじゃあ、まずは結界の魔導具を停止させるわよ。魔導具はきっとこの向こうよ」

 セシリーナがそう言って扉の前に立ち、少し開いて外の様子を伺って親指を立てた。間違いなかったのだろう。


 だが扉の隙間からは重々しい唸り声が漏れてくる。発生元がすぐ近くにあるらしい。


 「これは……あっ! あいつがいるわ。唸り声はあいつらか! その力を魔導具に溜めていたのね」

 セシリーナの目に危ない光が灯った。


 「あいつ? 誰のことだ?」

 「あの馬よ! 絶対に許さないわよ!」

 俺が止める間もなくセシリーナが飛び出して行った。


 「サンドラット!」

 「任せろ!」

 俺の脇をサンドラットが走る。

 俺は少女をおんぶして、恐る恐る扉から顔を出した。


 可哀そうなのはそこに集まっていた一角馬たちだ。


 一匹の雄の周りに5匹の雌馬が集まっていた。

 セシリーナがこの前の借りを返すといった勢いでわざと馬たちに抱きついていく。

 馬は悶えて振り払おうとするが、セシリーナには敵わない。

 抱きつかれた馬が一匹、また一匹と泡を吹いて倒れていく。パニックに陥った一角馬が騒ぎ出す。


 サンドラットは馬の番をしていた男を捕らえた。

 男は錯乱した馬に蹴られたらしい。顔に見覚えがある。この前俺たちをだまし、リサをさらった奴だ。


 「カイン、馬番の一人が逃げた! 俺が後を追う、お前は魔導具の停止だ! 中央の光っているやつだ! それを止めろ!」

 サンドラットが叫ぶ。


 「そっちは頼むわカイン!」

 セシリーナはあと2匹というところまで追いつめている。


 「おう! 魔導具を止めるんだな!」

 俺は円形ホールの中央で光る台座に走った。


 見たこともない複雑な文様に囲まれた丸い台座の中央に紫色に光る丸い玉が浮かんでいる。

 クリスタルでできている容器が宙に浮かび回転している。操作するようなボタンも何もないが、これが装置の核となる本体なのだろうということは分かる。鬼面の男たちが運んでいた箱にちょうど収まるサイズだ。


 「これ、どうやって止めるんだ? セシリーナ、わかるか?」

 セシリーナの返事は無い。


 壁際で1匹の馬と熾烈な鬼ごっこをしている最中だ。

 台座の下をのぞく。特に何もない。

 俺の背中で少女が落ちないようにしがみついた。

 やはりこの妙な文様が操作に関連しているのだろう。

 魔族語の一種だろうか、見たこともない文字が刻まれている。


 脂汗が滲む。

 じっと見ていると、どこかで見たことがある気がする。どこだったか? もう一度台座の裏側を見てみる。取扱説明書が……あるわけがない。


 やはり手がかりは台座の文字だ。

 体を伸ばすと、その拍子に俺の背中から少女が落ちた。

 しがみつくが力尽きたらしい。

 少女の手が俺のズボンにひっかかって脱げる。


 「危ない!」

 パンツはぎりぎりで止まった。


 「!」

 その時、俺は気づいた。

 どこかで見たことがあるような気がしたのは当たり前だ。

 台座の文様は、俺の婚約紋に使われている模様に似ていたのだ。婚約は言わば、拘束と似ている。


 ピンと来た。前にマリアンナに教えてもらった拘束プレイの……はどうでもいいとして、これは拘束の術式だ。

 これがその類の術式なら、プレイ後の解除法もしっかりとマリアンナに覚えさせられている。


 「なんとかなるかもしれない。ありがとう」

 俺は少女の頭を撫でる。


 パンツを下げそうになったのに褒めるなんて……少女はなぜか少しだけ後ろに下がった。


 「行くぞ、ここをこうして、こうなるから、こうすれば」

 俺は記憶をたどって文字を指でなぞる。次々と表示が変化する。ほわんと目の前の玉が光って、回転が徐々に止まっていく。


 「あ! 結界が無くなったみたいよ!」

 旧敵の馬を悶えさせている最中のセシリーナが叫んだ。


 「やったか! あとは彼女らがやってくれるな」

 結界が無くなったことに気づけばすぐに3姉妹が突入してくるだろう。


 俺もやるじゃないか、と自慢気になる。

 その背後で丸いクリスタルが次第に膨らんでいるのに気付かない。


 「あ!」

 少女が俺の後ろを指差した。

 その目が丸くなっている。


 「なんだい?」

 振り返った俺の頭上に今にも破裂しそうなほど大きく膨らんだ球体が……。


 「あ」

 パアアーーーン!!

 耳をつんざく破裂音!

 口から心臓がとび出そうなほどの衝撃である。


 ぱーん、ぱーん、ぱーんと耳鳴りが続く。

「ぱーん、ぱーん、ぱおーん。ぱおーん!」

 音が続く。


 いや、ちょっと違うぞ、ぱおーんは違う。

 開いた俺の目に紫色に光る球体が映る。

 どこかで見た事があるような大きさと形だ、これは?


 「お前か、今、ぱおーんと言ったのは?」

 「そうよ。だって、ぱおーんじゃない。ぱおーん。ぱおーん」

 パンツが落ちていた。

 爆発の衝撃で紐が緩んだらしい。


 「た、たまりん!」

 俺は呼んだ。

 頭上に金色の光が発生した。


 「おお、これはーー、リンリンじゃないですかーー?」

 「あらら、○□□○□○兄さんじゃない」

 紫の玉が金の玉のまわりを飛び交う。


 「今はーーたまりんと呼ばれておってなーー」

 「凄いわ、兄さんもやっと私のように “名前持ち” になったのね」

 「やっとはないだろーー、やっとはーー」

 「だってえ、私はすぐに名前をもらった優等生だけど、お兄さんはいつまで経っても……」

 「それ以上、言うなーー」

 「もげもげもげ……」

 金の玉が紫の玉を押さえつけている。


 というか、こいつら兄妹だったのか?

 「このリンリンとか言うのは妹なのか?」

 「まあ、そんなーー感じですーー」

 「もげもげもげ……」

 「何で、こんな事になっていたんだ? シールドとか結界を発生させる魔導具になっていたんだぞ、それ」


 「あー。それはーー、使い道があるーーということでえーー魔族に利用されていたようですねーー。どうりでぇーーしばらく姿を見かけないとーー思っていたんですよーー」

 「どんな使い道だよ」


 「実は、リンリンはーー、ものすごーーく口が悪いんですーー。イタズラ好きでーー、よく、その毒舌でーー、色々やらかすんですよーー。そのひねくれた力がーー悪い魔術には適していたんでしょうーー」

 「もげもげもげ……、はあ、やっと話せる。ひどいわ。兄さん。せっかく百年ぶりに外に出たんだから、これからこの男の顔について、立ち直れないくらい批評してやろうと……」


 「もういい。帰れ」

 「じゃあーー、そういう事でぇーー。ほら行きますよーー」

 「あ、待って兄さん」

 ほわーんと二つの光が消えた。


 消えたと言っても見えなくなっただけで、どうせ面白がって見ているに違いない。


 「凄いじゃない、良くやったわ」

 セシリーナがついに最後の一匹を気絶させて駆け寄った。宿敵は倒したという感じで機嫌が良い。一段落である。


 あとは、リサたちを3姉妹が救出してくれるはずなので、俺たちはこっそりとここから逃げるだけだ。


 そう、こっそりと逃げるだけなのだが。


 「うおおおおおーーーー!」

 そう思った俺の目に、必死の形相で全力疾走、こっちに向かって走ってくるサンドラットの姿が映る。


 「こいつは敵! こいつは敵!」

 ドドド……その背後に、手に棒やくわを持った信徒たちが群がる。その鬼気迫る表情! 完全に常軌を逸した連中だ。


 「や、ヤバイぞ! 逃げろ!」

 サンドラットが叫ぶ。


 「バ、バカ! なんでこっちに連れてくるんだよ!」

 俺はセシリーナと少女の手を取って壁際の吊階段を駆け上がった。サンドラットも後に続く。


 ドドドドド……と土煙が上がる。

 それほど丈夫そうには見えない木造の吊階段が激しく揺れる。


 「お先に!」

 サンドラットに追い抜かれた。

 セシリーナと少女は俺の前を走っている。

 結局足の遅い俺が最後尾だ。階段を上がるのはキツイ!

 ひいひい言いながら登る。


 振りかえると、冗談じゃない顔をした怖い連中が、既に俺のケツを突かんばかりに迫っている。怖い、怖すぎる。


 階段は長い。

 「あ!」

 俺は見た。上からも暴徒と化した信徒が駆け下ってくる。


 追い詰められた!

 セシリーナが立ち止まる。サンドラットの足が止まる。

 俺は息を切らしてやっと追い付いた。


 じりじりと信徒らが上から、下からにじりよる。

 吊階段がギイギイと軋みだす。重さが限界を超えている。


 嫌な予感がする。

 この高さから落ちたら普通死ぬよな。吊階段が切れて落下死か、信徒にボコなぐりにされて死ぬのか、どちらにしてもおしまいだ。


 信徒たちが棒を振り上げる。

 もうだめだ。

 ……観念して眼をつぶったが、いつまで待っても痛くない。

 眼を開けると、横壁に丸い穴が開いており、イリスが身を乗り出していた。


 「あら、あら、ちょっと早かったかしら?」

 いやいや、遅いくらいです。

 そう言いかけたが、地獄に仏とはこのことだ。


 「リサ様たちは救助しました。あとはみなさんだけです。こちらへどうぞ、カイン様」

 イリスが微笑んだ。


 我に返って後ろを見ると、クリスとアリスが展開した透明な膜に信徒どもが顔を張り付けてもがいている。

 先頭の信徒が後ろから押されているらしい。

 透明な膜なのでその変顔が丸見えだ。


 「早く、イク」

 「どうぞどうぞ、行ってください」


 「では遠慮なく!」

 俺たちはイリスの後を追った。

 瞬きすると、ここはどこだ? と言いたくなる。

 広々とした草原の真ん中に俺は立っていた。

 ここはアッケーユ村の郊外だろうか。


 今のは空間転移の術なのだろう。

 何と言うあっけなさ。直前までの絶対絶命の危機はどこへやらだ。


 「わーーい! カー、イー、ンー!」


 突然、リサが飛びウサギのように俺の胸に飛び込んできた。

 「リサ! 大丈夫だったか? 怪我はないか? ひどい目にあわなかったか?」

 「うん」

 リサが俺に頬ずりして、愛らしい笑みを浮かべた。



 ーーーーーーーーーー

 やがて、草原の道を何十人もの少女たちが手を振って帰って行く。


 彼女たちの洗脳を解いたのはリンリンだ。

 リンリン得意の毒舌は教団の精神支配を打ちやぶるほど強烈だったらしい。


 「でも、あの協会は今後もあんな悪事を続けていくよね? 今の私たちでは、あれを壊滅させたり、裁いたりすることができないのがちょっと悔しいわね」

 少女たちに手を振りながらセシリーナは俺を見た。


 「大丈夫ですよ。リサ様を誘拐するような悪の組織はゆるしませんよ」

 俺の背後でアリスが明るく言った。


 「ええ、手は既に打ってあります。だからセシリーナ様も心配しないでください。さて、カイン様、リサ様がだいぶお疲れのようですから屋敷に戻りましょうか」

 イリスが涼しげに笑った。


 「アリス、何か、した?」

 クリスが妹の顔を見る。

 アリスは遠くを見て微かに口元に笑みを浮かべた。


 俺の知らないところで一体何をやらかしているのだろうか。

 アリスの顔を見つめたが、いつものかわいい笑顔が返ってきただけだった。

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