第19話 男の名はサンドラット3
脱げ落ちるズボンを押さえながら、ようやくたどり着いたサンドラットの店は、広場の端にある小さな古い荷車を改造したものだった。
「ちょっとそこで待ってな」
サンドラットはマントを脱いで杭に引っ掛けると、俺に背を向け、ポケットから茶色い実を出すと棚に並べ始めた。
それも食料の一つらしい。
改めて周りを見ると店には見たこともない変な形の実や毒々しい色の雑草、骨か小枝のようなものが並べられている。
まともな果物や食料品など一切ない。足元の木の箱には様々なゴミ……失礼、商品が入っている。物々交換が取引方法だと言っていたが、こんなのと交換するのだ。
「さてと、改めて自己紹介といこう、俺はサンドラット。この辺りでは少しは知られた名だ。もちろん本名じゃないがな。お前はこの辺ではあまり見かけない顔立ちだが、どこの出身なんだ? 西方の山岳地帯か?」
サンドラットは店の商品を並べ終わって布切れで手を拭いている。
「東の大陸さ。ミミッカの港町から来た」
「え?」と俺の言葉に初めてその表情が変った。
何か変なことを言っただろうか。いや、今どき海を渡ってくる者などいない、そのせいだろうか。
「東の大陸だって? ……まさか、戦争捕虜じゃないだろうな? 始まったのか? 戦争が。他にも仲間がいるのか?」
周囲を見回すその表情は硬く、不安の色がよぎっている。戦争捕虜という言葉が唐突に出てきたのも気になる。
「いや戦争捕虜じゃない。乗った船が遭難してね、暴風でこっちに流されて、帝国軍に領海侵犯で掴まったんだ。仲間はいたが、みんなバラバラに収監されて。たぶん生き残っている者は……いない、と思うよ」
脳裏に船長や船員、それに自分以外の乗客の姿がよぎった。トムやボルンの最後を思い出して胸が苦しくなる。指先に触れた骨棍棒の感触だけが少し気を落ち着かせる。
「そうか……良かった。東の大陸は平穏なんだな」
「なぜそんなことを聞く?」
東の大陸に感心がある者がまさかこの大陸、ここ囚人都市にいるとは思わなかった。
「ああ、少し前から魔王が東の大陸に戦争をしかけたという不穏な噂が聞こえてきてね。実を言うと、俺も生まれは東の大陸なのさ。大砂漠のほとりで生まれ、北方の国で育ったんだ」
「ええっ?」
大砂漠とは東の大陸内陸にある大ハラッパ砂漠のことだろう。北方の国で育ったということは、彼は砂漠の北にすむ遊牧民だろうか。言われてみれば顔つきは北方民族に近い気がする。妻のナーナリアが暮らすマガンの街で、遊牧民の人々が交易に来ているのを何度か見かけたことがあった。見かけは荒っぽい盗賊まがいの連中だったっけ。
「そうか、同郷なのか。俺の名はカイン。カイン・マナ・アベルト、アベルーロ連合国の小貴族出身で、一応旅商人だった。よろしくな」
「ふーーん、南にある国だな。お前、見かけによらずお貴族様かよ。……まあいいか、ここに座れよ」
サンドラットは、載せていた荷物を脇にどかして、丸太をポンと叩いた。
「囚人同士が集まっていると、兵士に目をつけられる。ほら、これでも食えよ。客なら少し話をしていても不自然じゃないだろ」
サンドラットは並べたばかりの木の実を一つ取ってポンと俺に投げた。
そんな二人をさっそく帝国の巡回兵がじろっと睨んで行く。
「これは何だ? これ食い物なのか?」
不気味な形状をしている。まるで何か獣の
「おいおい、知らないのか? これは
「こうやって硬いしわしわの皮をむいて、中の実を噛み砕いてすぐに飲み込む。ーーーーほら、やってみろ」
「へえーー、こうか? ーーおお、なんだか力がみなぎるような気がしてきた。これが特殊効果か?」
サンドラットがにへらと笑った。
「うそだぜ。そんな効果があるわけあるか。だが不思議な事に腹は膨れるだろ?」
「こ、こいつ、商売上手な奴だ」
「さて、どうせ金や交換できる物は持っていないだろう? 情報交換しようぜ。俺は情報も売るんでな」
サンドラットは目だけ動かし、周囲の様子を確認した。
「何が知りたい?」
「ここに連行される途中の街の様子はどうだった? 戦争が近いなら兵の配置替えで混乱や隙が生まれるかもしれない。俺はこんな所で朽ち果てるのは嫌だからな。お前もそうだろ? だから重犯罪人地区からも逃げ出した、違うか?」
「もちろんだ。すぐにも逃げたい」
「俺は、お前のような奴が現れるのを待っていたんだ。どいつもこいつも、いざとなると意気地の無い奴ばかりでな。ーーそれで? 何か気づいたことはあったか?」
「気づいたことか? どこも不景気そうだったけどな。そう言えば俺たちが連行された港には、雷石や氷光鉱を大量に積んだ船が出入りしていたな」
「そりゃあ軍事物資だな。うーーむ。同士にそっち方面の情報を探るように伝えよう」
「同士? さっきのような仲間か?」
「一人ではこの街からの脱獄は無理だからな。色々と仲間は必要なんだぜ」
サンドラットは、ペッと皮を吐きだした。
「おいおい、そんなことをぺらぺら話して大丈夫かよ? 実は俺が帝国のスパイじゃないかとか思わないのか?」
「さっきのお前の行動も、俺を信じさせるためのヤラセじゃないか、ということか? なぜ初めて会ったばかりの人間をそんなに簡単に信用するんだと?」
「そうだ」
簡単に大事なことを漏らすようではこの先、本当の事は言えない。信じやすいことが今は美徳とは言えないのだ。
「さっきのお前の行動を見て、俺の評価は決まっているんだがな。まあ、確かに同士でも、俺が脱獄を計画していることはごく少数しか知らないぜ。大半の連中は帝国のやり方に反感をもっていて、変革したいと考えているだけだ」
「じゃあどうして会ったばかりの俺にこんな話をする?」
ニヤリと笑うとランドサットは急に服をめくって、その腹を見せた。
「これを見ろよ」
そこに幾つもの俗紋が浮かんだ。最後にその中央に発現したのは少し大きめの半紋、間違いなく婚約紋だ。
「この紋を良く見ろよ。ほら、見覚えがあるだろ?」
「それは……まさか妖精紋か?」
独特な神聖文字が
「そうお前と同じさ。これは妖精の婚約紋。俺は生まれこそ砂漠だが、妖精の多い北方育ちなんだ。俺の愛しのニーナの半紋だよ。ニーナは幼な馴染みで、美人なんだぜ。へへへ……」
ランドサットは少し照れ笑いを浮かべた。
その気持ちは物凄くわかる。
妖精族は基本的に美形な人種だ。ちょっと線が細いが人間にはない高貴で神聖な雰囲気がある。官能的かといわれれば控えめだが、その知性と品性が醸し出す神秘的な色気とか優美さはまさに妖精、他種族にはない圧倒的な魅力なのだ。
「妖精族は保守的な種族だから、心の底から相手を信頼して特別な存在だと認めない限り、他種族と結ばれることなんてないんだ。だから、人族が妖精族と結婚できるなんて、めったにないレアケースなんだぜ」
「そ、そうだったのか?」
俺は愛しい妻、ナーナリアの紋を見た。意識していたわけではないが今は発現しており、緩々のパンツの端から見えている。
「しかも、お前のその紋だ」
サンドラットは俺の腹を指さした。
「何か変なのか?」
「変? バカかお前。ーーーーその紋な、三重線で囲んだ最上級神官紋だろ? いや、びっくりしたぞ。わかるか? 俺の受けた衝撃が? 王族を示す単重紋ですら希少なのに、三重紋だろ? 初めて見たぜ。それは普通ありえないぜ」
「そ、そうなのか?」
これが普通だと思っていた。そういえば他の妖精紋を見たのはサンドラットが初めてかもしれない。彼の紋には周囲を囲む線は入っていない。いわば中身だけだ。
「最高ランクの神官紋だぜ? 結婚しないだろ普通。王族よりも高貴な存在とされるんだぜ。それが、その地位も名誉も捨てて、たった一人の男を選ぶなんてな。……つまりな、本来であれば最高位の神官長になれたほどの妖精がお前と一緒に生きることを選んだんだぜ。だから分かるだろ? そんな人が選んだ人間だ、それだけでお前を信頼するには十分すぎるぜ」
「なるほど」
この紋のおかげで、どれだけ俺は救われるのだろう。俺は遠い空の下にいる美しい妻の笑顔を思い出した。
◇◆◇
「ねえ、サンドラット、こいつ誰なのさ?」
脱獄計画について、ひそひそ話をしていた時だった。
急に色っぽい声がして、サンドラットの肩に少し派手めな化粧をした巨乳の女がしなだれかかった。
「なんだよ、メロイアかよ。今日はダメだぜ」
「誰も四日連続で今夜も楽しいことをやろうよ、なんて言ってないさ。今夜はお得意様からお声がかかっているのさ」
そう言いつつ、サンドラットの前に回って向かい合うと、慣れた雰囲気で彼の上に大胆に跨って抱きついた。
「へぇ、そうかい、そうかい。それで何だよ?」
「だからさ、……こいつは誰なのさ?」
サンドラットの頬にキスをしながら俺を睨む。
「こいつはカイン、新しい仲間だぜ」
「よろしく」
そう言いつつ俺はメロイアの巨乳に目を奪われた。囚人服が今にも内側から張り裂けそうだ。片手ではつかみ切れないほどのボリューム感に圧倒される。
「私はメロイアさ、この男にとって都合の良いだけの、これさ」
そう言って小指を立てた。
「酷い自己評価だな。ーーこいつはメロイア、俺の愛人ってとこだ。こんな派手な化粧だが娼婦なんかじゃないぜ、歌姫なんだ。主に帝国軍の基地の中で歌って稼いでいる。それと同時に情報収集の方もな」
「おっと、それを話しても大丈夫な奴なのかい?」
サンドラットの胸を撫でて少し上気したメロイアが俺をちらりと見た。
「ああ、こいつは信用できるぜ」
「へぇ、これは珍しく惚れたもんだね。私のことも、もっともっと惚れてくれて良いんだけどね、私にとって男はあんただけなんだからさ」
そう言って身体を密着させながら妖艶に口づけを求めた。
「ごちそうさまって感じだな」
日中からこうも堂々と目の前でイチャイチャされるとかなり気まずい。
「今でこそ色気たっぷりに振る舞っているが、メロイアは旧王国の貴族出身で、元はかなりお堅い仕事をしていたエリート高級官僚、生粋のお嬢様だったんだぜ」
濃厚なキスのあと、息をついて、サンドラットは言い訳するように言った。
「ああ、そんな時代もあったね。でも才能は残酷さ。いくら頑張っても、才能のある連中は軽くその上を行く。努力など無意味だとばかりにね。人に取り入るのがうまい者も才能さ。百万年真面目に仕事をこなしても、一回のおべんちゃらの方がはるかに強いのさ。十年頑張ってふと周りを見ると、うまく立ち回ってゴマを擦っていたそいつらがいつの間にか上役さ。地道に積み上げてきた功績なんか誰も見向きもしない。それじゃまずいって上層部がようやく気づいた時にはもう国は滅んでいたのさ。その結果、こんな街になってしまったけど、何も変わらなかった。国を滅ぼしておきながら、あいつらはここでも魔族に対して同じことの繰り返しなのさ」
「それで、全てに疲れた。だが、生きていくには何かしないと飯のタネがない。こいつがそんな風になって死んだ目をしている時に俺たちは出会ったんだぜ」
「サンドラットは私の唯一の男、私の生き方を変えた男さ。その恩は一生忘れない。しかし、こいつはここを出たがっている。だから、私はそれを精一杯応援するだけさ。私はここの生まれ、父も母もこの街で眠っている。だから、どんなに裏切られても、結局この街を捨てられない女なのさ」
「いつも言ってるが、俺と一緒に外の世界に出てもいいんだぜ、俺の国に行かないかと誘っているだろ?」
「わかってるさ。でもこれは私の最後に残った意地なのさ」
「ふっ、バカだよ。だが、お前の分の妻の席は、いつでも空けておくぜ」
「ああ」
サンドラットは彼女の頭を包み込んだ。二人には二人しか知らない、強い絆があるようだ。単なる愛人ではないのだろう。
「この安心できる腕の感触はどんなに離れても忘れないさ。それにサンドラットのおかげで、この国をもう一度昔のように、いや昔以上に輝く国にしたいという気持ちを取り戻したのさ。これは仕事じゃない、これが私の今の思いなんだよ」
そう言ってメロイアはサンドラットを上目づかいで見た。
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