第20話 <ミズハの謁見>

 ◇◆◇

 

 魔王国帝都ダ・アウロゼ。その中央にそびえるのが王宮である黒水晶の塔である。


 高い尖塔は、遥か遠くからでもその優美な姿を見ることができる。都の象徴的な建造物で、前々王朝の遺産でもある。その巨大な塔の中層には高官が滞在する区画が作られていた。


 「あはははは…………嫌ですわ、オズル様」

 「そうですわ、本当にご冗談がお上手ですわ、信じてしまいましたわ」

 「あら、オズル様は本当に私にそうおっしゃったのですわ」

 何人もの若い女たちが笑いさざめいている。


 街を見下ろす広々としたテラスに優雅に座ってグラスを傾ける男の姿がある。魔王の腹心である魔王一天衆筆頭、貴天オズルである。まさに貴族のお手本のような非の打ちどころの無い容姿端麗さで、多くの女性を虜にしている。

 その美麗な姿からは想像もできないが、脳筋のうきんの多い一天衆の中でもその武力はトップクラスの実力者だ。


 今も彼の周囲には華やかなドレスを纏った美女が何人も侍っていた。誰もが貴天オズルの気を惹こうとその魅力を振りまき、笑顔でおしゃべりをしている。オズルの軽妙な会話も彼女たちを紅潮させている原因だ。


 カラン、とテラスに誰かが入ってきたことを知らせる鐘が静かに響いた。


 「?」

 美女の腰を抱いていたオズルの眉が寄った。


 すると今まであれほどにぎやかだったのが嘘のように沈黙が辺りを支配した。取り囲んでいた美女たちは人形のようにオズルから離れ、背後に一列に並ぶ。その表情からは一切の感情が抜け落ちていた。


 「任務先から戻られたばかりでおくつろぎのところ失礼いたします、オズル様。しばらく前に魔王二天のミズハ様が帰城し、このような魔王様への面会申請を出しております」

 執事服の男が姿を見せ、書面を手渡した。


 「ミズハがもう戻ってきていたのか? ずいぶん早いな。例の案件を処理するにはあと半年はかかる見込みだったのだがな。流石はミズハと言うべきか。むしろ、あれと一緒に海を渡らせれば良かったかな?」

 書面の裏には数日前の日付とミズハの名前が記されている。


 オズルはもう一人の魔王二天、赤いドレスをまとった妖艶な美女の姿を思い出し、グラスを掴んだ。

 まるで、精密な機械人形のように、控えていた美しい女の一人が無言で酒を注いだ。


 「都から遠ざけるため、また何か難しい仕事を準備いたしますかな? 鉱山の権利を巡って騒いでいるクダノラ族との交渉などはいかがです?」


 「まあ、待て。ミズハに今疑われるのは得策ではない。もう少し帝都で羽を伸ばさせて、俺に付く見込みがあるのか、動向を探らせるのも良かろう。今あいつに勘づかれて実験の邪魔をされても困る。どうやらやっと上位の成功体が出そうなのだよ」


 「おめでとうございます」


 「ところで檻は完成しているな? もし成功すればせっかくの異能種だ。捕まえても逃げられたり死んだりされると困る」

 「郊外に快適な檻を準備させております。没落貴族の邸宅ですので警備は万全、近づく者もいないかと。あとはご命令どおり、逃亡を防ぎ、仲間を呼ぶのを防ぐ結界器具を配置するだけでございます」


 「よし、獣の檻の工事はこのままお前に任せる。準備は急がせろ。鬼天配下の者たちがじきにそいつを捕獲する予定なのでね」


 そう言ってオズルは片手でその書面を開いた。


 魔法で書かれた文字が立ちあがってくる。その文字の向こう側にこれを書いた者が透けて見える。もっとも警戒すべき相手、大魔女の美少女だ。彼女は一筋縄ではいかない。いかに策を弄してもそのさらに上を行くやつだ。彼女は丁寧に一礼すると書面の説明を始めた。


 説明を終えると再び一礼して、書面が自動的に閉じた。

 オズルの表情からは書面の内容に興味を持ったのか否か、読み取るのは困難だが、ミズハは囚人都市のある南郡に言及していたようだ。思索する主人の言葉を執事の男は待った。

 オズルは頬に指をあてたまま動かない。その瞳は何を考えているのか。




 ーーーーやがて、ふいに物思いから呼び覚まされたように書面をテーブルに投げ置くと、「これはね、東の大陸の西方の特産品だそうだ。飲んだ事があるかな? カルディ?」とオズルが琥珀色の液の入ったガラス瓶を揺らした。


 「いえ、私は飲んだ事はございません」

 カルディは慇懃いんぎんに頭を下げる。


 「こんなものだが、向こうのある大国の大貴族とやらがニロネリアを通じて頼み込んできた、あるお願い事への礼だそうだ」


 オズルは背後にいた美女に瓶とグラスを手渡した。

 「飲んでみろ」

 美女はグラスにそれを注ぐと、一息でその酒を飲み干す。その表情に変化はない。毒が入っていないことを確かめたのだろう。


 「うむ、問題はないか」


 オズルは改めて自分用のグラスにそれを注がせると初めて口をつけた。


 「これはこれで悪くはないな。良い酒だ。少し樽の木の香りが強いが……」

 こんなものが贈られてくるくらいだ。ニロネリアの工作活動は順調らしい。大国の大貴族も取り込んで暗躍している。歴史ある貴族制の大国ほど硬直化して根幹から腐る、それはどこも同じらしい。そこに付け込む隙がある。小さな枝は集めて火をおこし、大樹は中から腐らせるのに限る。向こうも、そしてこっちもだ……オズルは口元に笑みを浮かべた。


 「それで、それは何でございます?」


 執事のカルディはテーブルの上の漆黒に輝く壺を見た。初めて見る物である。それも届いたばかりの荷物に入っていたものだろう。


 オズルは布を取り出すと、それを磨いた。


 「ふむ、これは “支配の器” という天下の名品だよ。魔力の無い者でも強力な闇魔法を使えるという魔道具だ。ニロネリアは向こうに渡っても色々と私に心遣いしてくるな。かわいい奴だ」


 「そのようでございますな」


 カルディは、胸の奥の主人のお気に入りリストにその壺を書き止める。しばらくは興味を惹くであろう、その後はどこに置いておくか。いずれ倉庫の奥で埃をかぶるであろう壺の収納場所を脳裏に巡らす。何をどこに置いたか執事としては熟知しておかねばならない。


 「だが同じ魔王二天でも、一方のミズハは俺には全く無関心だな、全然こびを売ったりしない。クーラベとは仲が良いんだろうがな。クーラベを使ってミズハを動かすというのも面白いかもしれんが、お前はどう思う?」


 クーラベは魔王一天衆6人のひとり、武天と呼ばれる男である。


 気骨のある男で、一天衆を統べる貴天オズルにさえ真正面から意見するほどである。その武力は貴天オズルと同等かあるいはというレベルだ。武天クーラベと大魔女ミズハたちがかつて魔王様と同じパーティ仲間の冒険者だったことは知らない者はいない。それだけに扱いづらい男である。


 「申し訳ございません。クーラベ殿の友人関係は存じておりません」


 「ふむ、まあそうだろうな」

 「申し訳ございません」


 「まあ良い、ではこの面会の件だが、第二式典ので執り行うよう準備をさせろ。詳細は美天ナダに任せる。魔王様には私から直に伝えよう」


 「畏まりました」

 カルディは頭を下げたが動かない。


 「まだ何かあるのか?」

 執事がすぐに立ち去らないのは別件があるのだろう。


 「はい、雑事とは存じますが、もう一件オズル様と直に話がしたいとの連絡がございまして」


 「申せ」


 「はっ。実は祭司長ゾルラヅンダからでございます。アパカ山麓の調査隊の件で至急指示を頂きたいとのことでございます。用件については封書が届いております」

 その言葉にオズルの眉が少しだけ動いた。


 前魔王の命により神殿組織が解体され、表向き神官はいなくなった。だが、実際には祭りやある種の儀式を行わせるためには祭祀遂行集団が必要である。そのために帝国直轄組織として存続させている神官集団がいくつかある。ゾルラヅンダはその一つの長だ。


 カルディはパンと手を叩いた。


 一体どこにいたのか、花壇の影から美しい女官が現れた。

 カルディ配下の暗殺スキル持ちの美女スティシアだ。ほとんど隠す機能のないミニスカートの下は、赤面しそうなほど煽情的なパール付きのレースのバックホールショーツである。


 以前、貴天を襲ったバカな女で返り討ちにして屈服するまで辱め、精神支配した。


 意識はわざと残してあるので今でもオズルへの復讐心に内心煮えたぎっているはずだが、体は言う事を効かず、オズルの愛人にされている。死にたいと願うほどの羞恥心に身を焦がす美女の様子を見てオズルは楽しんでいるのだ。それがこの貴公子の正体である。


 カルディはその女官が大事そうに盆に載せていた封の押された美麗な装飾の小箱を手に取ると、恭しくオズルに差し出した。


 「ふむ」

 オズルは小箱を開き、中にあった巻き紙を開く。


 ーーその顔に笑みが浮かんだ。一見天使の微笑みに見えるが、その陰にはどろどろとした邪悪な気配が隠れている。


 「司祭共が、ようやく邪神竜の封印場所を突き止めたようだ」


 古代の神竜、大昔に世界を支配していた国が今は失われた技術で生み出した強大な力を持つ5匹の竜である。今は邪神に堕ち邪神竜と呼ばれるが、その力を手にする者は世界を支配するという。

 「くくくく……、その制御法の鍵となる古き血の情報が手に入ったこのタイミングで……、この世界はよほど俺に気があるようだな」


 「それでは?」


 「わかった。この件に関しては追って指示する。お前はもう下がって良いぞ」

 そう言ってオズルはグラスを一気に空にした。

 カルディが女官を引きつれテラスから姿を消すと、美女たちが再びオズルの周りで嬌声を上げ始めた。



 ◇◆◇

 

 黒水晶の塔の中層にある第二式典の間は質素な作りである。


 魔王国の威儀を示すため過剰なまで豪華に作られた上層の第一式典のとはそもそも目的が違う。

 実務用の広間で、主に魔王が自国の配下と面会する際に用いられる。天井から下がる灯りも必要最低限になっており、逆にその薄暗さが壇上の帝王の光り輝く王座の見事さを見る者に印象付けている。


 その光り輝く玉座には誰もいない。


 壇上の王座の左右には、一天衆の6人が威儀を正して並んでいた。


 魔王一天衆、貴天オズル、獣天ズモー、鳥天ダンダ、鬼天ダニキア、武天クーラベ、美天ナダである。

 獣天は獣系の亜人、鳥天は鳥のような魔族である。他の4人は魔族だが、鬼天は暗殺部隊等の帝国の闇を支える集団を率いている男で、その部下と同様、常に鬼の仮面をつけておりその素顔を見たものはいない。

 全員が揃っての謁見など中々あるものではないが、それだけ今回謁見を申し込んだ者が帝国にとって重要人物、いやもしかすると危険人物と見なされているということである。


 ホールの壁沿いに居並ぶ衛兵たちはいつにも増して緊張の色を隠せない。やがて第二式典の間の扉が重々しく開かれ、謁見者が姿を見せた。


 黒い質素な魔女服姿、さすがに魔女帽は被っていないが、そのため、逆にその美しい銀髪が輝いている。清楚可憐な美少女のようにも見えるが、一見優しく柔和な顔立ちの中に底知れぬ知性と品格が薫る、彼女こそ帝国の英雄と称賛される美しき大魔女ミズハである。

 貴族出身でないため人を見下すことがなく、親しみ易いのか、民衆の間で人気が高い。その強大な魔力攻撃は帝国軍全軍の火力に匹敵するという噂話を信じている者が大勢いるほどである。


 ミズハはホールの入り口に立ち、一礼すると歩き出した。若い衛兵たちは戦場でのミズハを見たことがないため、恐ろしい魔法を使うと信じ込んでいる者も多い。その緊張と好奇心に満ちた目が美しい魔女に集まる。 


 居並ぶ一天衆、さらに壇の下には美天ナダの指揮下にある魔王近衛騎士が槍を手にして侍っており、広間の左右の壁際にもずらりと近衛兵らが並んでいる。


 臣下の私一人にこれほど大げさに武威を示す必要があるのか?


 ミズハは沸き上がった感情を押し殺し、壇の前まで続く絨毯の上を歩く。やがて重圧感を感じながら壇の下で膝をついて恭しく臣下の礼をとった。


 「魔王様入場!」

 王座の脇の扉が開けられ、黒い人影が現れた。衛兵たちにさっと緊張が走るのがわかる。


 頭を下げている身では、玉座に進む気配しか感じられない。


 「魔王二天、魔女ミズハよ、顔を上げい!」

 貴天オズルの声がホールに響き渡り、ミズハはようやく顔を上げた。


 期待はしていなかったが、久しぶりに見る魔王の顔はあまりにも無表情だった。全てを超越した者の目だと言うが、ミズハを見下ろすその眼差しは氷のように冷たい。


 懐かしいかつての友の顔を見ても、何の感情の色もないようだ。陽気だった頃の彼を知っているだけに、魔王を継承した後の彼の姿は何度見ても慣れることはない。


 魔王に就任する儀式では、歴代魔王の思念がその身を依り代に結合し、超人的な魔力をもたらすと引き換えに、まったく別の人格に生まれ変わるのだと聞いたが、彼は既にミズハの事すら覚えていないのかもしれない。


 付き従う魔王一天衆の視線にも歓迎の色は無く、かつて苦労を共にした旧友の武天クーラベですら唇をきつく結んでいる。


 いつの間にこの宮廷はこれほど寒々しい空気が支配するようになっていたのか。思わず涙がこぼれそうになる。


 ミズハは唇を噛みしめたくなるのを我慢する。この場で不機嫌な表情をつくることは反逆の意思ありと思われる可能性があるのだ。


 「早速ですが、陛下に申し上げたいことがあります。南郡の戦後処理の危機的現状についてであります」


 ミズハは決意すると、心に蓋をして重い口を開いた。


 ◇◆◇

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