第21話 穴熊族の元神官じじい

 朝、俺は通りを歩きながら昨晩聞いたサンドラットの脱獄計画について考えていた。

 

 彼の計画は、簡単に言えば荷物に紛れて軍港から船で逃げるという内容だった。「俺のオハコの作戦だから任せておけ」と豪語していたものの、やはり不安だ。それに、荷物に隠れて逃げるのがオハコって、どういう経歴の男だよ?


 しかし、問題はそこではない。

 昔と違って軍港の警備は極めて厳しくなっている。それを分かっているんだろうか?


 許可の無い者は帝国兵ですら街から桟橋さんばしまで降りることもできないだろう。港から上陸させられた俺は、何重ものゲートを通ってその警備体制を見ているので分かる。


 それに対し、サンドラットが覚えている港の姿は数年前のものだ。その頃の警備体制を基準に脱獄計画を考えているとすると、やはり危ない気がする。港は修復が進み、かつての要塞のような姿を取り戻しつつあるのだ。


 それに、この街から外に持ち出す荷物なんてたかが知れている。人が隠れられるほどの大きさの荷物なんてそもそも無い。

 産業もなく、輸出品もない。ここはただの監獄である。

 あるとすれば軍事物資くらいだが、そんな軍用貨物に紛れこむこと自体、かなり難しそうだ。軍用貨物に近づくそぶりを見せただけで容赦なく射殺されるだろう。


 だが、他にそれ以上の脱獄案がないのも事実だ。とりあえず今はサンドラットの策に同意することにして、様子を見るしかないだろう。


 幸い彼の仲間は多い。サンドラットは色々な情報を集め、慎重に行動を起こすかどうか、動くとすればその日時は、と検討しているようだ。

 特に重要な情報、ーーーー荷物の種類や、それが積み込まれる日時、具体的な警備体制といった情報収集のために、近々メロイアが再度砦に潜り込むことになっている。

 

 そして俺はと言えば、こうして街をぶらついている。

 もちろん、単に暇を持て余しているわけじゃない。


 手始めに、この一帯の地理や帝国兵の配備を見て回ることにしたのだ。これからどんな行動を取るにしても、帝国兵の配置や動きを知っておくのは基本である。相手の動きを予測できれば、こっちの対応策も増えるのだ。


 老騎士ヨデアスが生前言っていたように、王宮からの秘密の抜け道はあるのだろうか? そんなのがあれば一番良いのだが……。そんな事を思いながら頭の中に地図を作っていく。


 囚人都市は、大きく四つから五つのブロックに分けられる。中央はここ帝国軍の基地が置かれた旧王宮エリア、東はコロニーと重犯罪人地区だ。西には王都の三分の一を消滅させた巨大なクレーターがあり、大戦の犠牲者が埋められた死霊漂う危険な墓地になっているらしい。北は人の住まない帝国軍元駐屯地の荒地と工場地帯の廃墟群である。

 都市は海に面しており、東の城壁はその海辺の断崖の上に造られている。軍港はその崖の下にある。


 囚人都市の中央広場の向こうには天を突く高い尖塔がそびえ立っている。

 あれはかつての大神殿だ。六大神のいずれかの神殿だったのだろう。塔の高さと鋭角な屋根から見て男性神の神殿らしい。女性神を祀っていたなら乳房を思わせる丸い屋根が乗るはずだ。


 六大神…………、癒しの神アーマイリア、美と知恵の女神アプデェロア、自然を司る神アーヴュス、大地と農作の女神アデローデ、戦いと金運の神アーベロイス、そして最高神にしてアーマイリアの妻である天空の女神アマンデア神である。

 アは女性神、アーは男性神を示す。神に魔族、人族の区別は無いが、その姿を像にする時は各民族に近い姿で造られることが多い。


 その聖なる塔の手前には、魔王国の象徴でもある白亜の巨大な戦勝記念オベリスクと異国の建物、つまり砦がこれ見よがしに建てられている。


 その砦にはキラキラ光る甲冑を来た兵士が出入りしており物々しい雰囲気だ。外からは中の様子はまったく見えず、侵入できそうな雰囲気はまるでない。



 ーーーー広場の端で辺りを眺めながら、俺はゆるゆるのズボンとパンツの紐を締め直した。この紐は限界だ。いつまたブチっと切れるか、かなり頼りない。このままではまずい。


 何をするにしても、まずは丈夫な紐を調達する必要がありそうだ。帝国の施設に潜り込めれば、紐だけでなく様々な装備が手に入りそうだが、それはどう考えても簡単ではないだろう。


 すれ違う帝国兵の多くは男も女もすっぽりと頭に被るタイプの兜を装備していて顔がよく見えない。たまに顔を出している兵もいるが、まさかまじまじと見るわけにもいくまい。


 東の大陸には魔族はほとんどいなかった。


 そのため魔族は恐ろしい化け物で人間を食うとか、生き血をすするとか色々言われていたが、この大陸では昔から魔族と人族が共生しており、意外にも魔族というのは単に魔法が得意な人々という程度の感覚らしかった。


 見た目も人族と変わらない。

 この前、俺を助けてくれた人は抜群のスタイルだった。


 思い出すとまた鼻血が出そうになった。女神アプデェロアが俺を救うために天上世界から舞い降りたのだと言われても、信じられるほどの美尻だった。

 広場や砦の周囲には魔族の女兵士の姿も多いが、いくら見回してもあれほどのスタイルの女性は皆無である。魔族がみんなあんなに凄いのではなく、やはりあの美女が神がかり的だったのだ。




 ーーーーーーーーーー


 歩き回る俺に砦の上から鋭い視線が集まってくる。

 砦の窓から弓を手にした帝国兵がこっちを見ている。なぜか脂汗が出る。歩くルートを間違えれば命が無い、そんな雰囲気だ。


 辺りには汚水の臭いが漂い、元王宮を囲んでいる堀の底には汚泥水がよどんでいた。


 「これはひどいな」

 覗いてみると、堀に落ちて死んだ囚人はほったらかしのようだ。あちこちに死骸がある。


 その腐臭に排泄物の臭いが混じる。汚泥水の周囲だけに緑色の気持ちの悪い植物が繁茂しており堀は深い。泥の中にも何か大きなものが蠢いていて、とても堀に入って抜け道を探そうなんて気は起きない。


 砦から向けられる嫌な視線をぴりぴりと感じながらも、オベリスクの先に広がる景色を眺めた。そこが元の正門だったのだろう、堀の向こうに巻き上げられた橋が見える。


 その先に何かがある…………

 正門の方に足を踏み出す。


 「お主、それ以上進むと長生きできないぞ」


 「うわっ!」

 無警戒だったところに、突然背後からの声だ。


 驚きのあまり思わず飛びのいたが、その動きが帝国兵を刺激したらしい。砦の上の兵士が殺気だって、矢をつがえ始めた。


 「そのポーズをやめろ。本当に死にたいのか?」


 かなり低い位置からの声だ。その主はめったに見かけない穴熊族あなぐまぞくのじじい、ひげ面の年寄りだった。


 穴熊族は、人族だが洞穴を主な生活の場とする種族のため大人でも通常の人種の子どもくらいの身長しかない。東の大陸の高地に住むという少数民族のインムト族に近い種族だが、こいつらは毛深いので少し違う。


 「ここから先に立ち入ると殺されるぞ。死にたくなければ、ゆっくりと動いてわしについて来い。これ以上、奴らを刺激するな」




 ーーーー砦からだいぶ離れ、男は素早く瓦礫の陰に入った。そこから俺を手招きする。

 

 「無茶な奴だな。好奇心は若い証拠とも言えるがな……」と瓦礫の陰から覗いて、後をつけてくる者がいないか確認している。


 「危なかったのか?」


 「あと数歩も進んでいれば射殺だったな。あの先の広場は処刑場だ、今は誰も近づいちゃならんのだ。人間の目には見えない規制線がある。あれ以上神殿に近づいたら問答無用でこれだ」


 そいつは親指で首を掻き切る仕草をして見せた。


 「お、恐ろしい」

 本当なら危ない所だった。もう少しで終わっていたらしい。


 「それで、お主は何者だ? ここの常識をまるで知らぬようだが」


 「俺はカイン、見ての通り囚人だ」


 「この場所では帝国兵以外は皆囚人じゃ。わしは穴熊族のナーヴォザス、これでも元は王宮付きの神官だ」


 「えっ、王宮の神官様ですか?」


 まさか、この貧相な髭面ひげづらじじいが王宮付きの神官とは……。いや、簡単に信じるのはまずいかもしれない。ここは犯罪者の街なのだ。もしかすると嘘ということもある。


 「ついてこい。お前には色々と尋ねたいことがあるのでの」

 そう言うとナーヴォザスは足元の瓦礫をどけて、地下水路の蓋を開けた。


 どうすべきか、だが、いざとなったら俺の腕力でも勝てそうな気がする相手である。俺はとりあえずついていくことに決めた。


 縄梯子なわばしごを降りると、廃棄された下水道が続いている。

 灯りもないところを迷わずに進み、少し大きい空間に出た。

 魔道具の灯りが天井から下がっている。そこがナーヴォザスの家だった。


 「さあ、そこに座れ」と、つぶれた油樽あぶらだるを指さす。


 俺は大人しく座って、周りを見渡した。


 壁には見たことのない呪術的な文字が描かれている。星を模した木製の飾りが正面の壁の出っ張りに置いてある。


 「あれは星神ほしがみの祭壇じゃ。さっきお前が見た中央大神殿にも祀られていた……」

 どうやら元神官と言うのは本当らしい。単なる趣味にしては凝り過ぎている。


 反対側の壁を見ると、額縁に収められたレースのパンティーが一枚……


 「うおっ、これは何でもない、気にするな!」

 そいつは慌てて布で覆った。うーむ、妙な趣味の持主か? こいつ。


 「ところで、どうして俺を助けた?」


 「貴殿の顔にな、吉兆きっちょうが見えた……というのは嘘じゃ。正直、お主は顔も女みたいでカッコ悪いしな」


 「ああ、そうでしょうよ。どうせ俺はこっちで言う美男子じゃないですよ」


 面と向かって容赦なく酷いことを言う奴だ。だが、穴熊族の考える美男子とはどんな顔なのだろうか? もしかすると俺たちの美意識とはさらに大きく違うのでは?


 「まあ、顔はともかくな。気になったのじゃ、お主のそのケバい背後霊が……ゴホン!」


 なんか、今こいつ背後霊とか言ったぞ。かなり気になる……。時折ちらっと俺の背後を見るところがイヤな感じだ。


 そこに何かいるのか? と思って振り返っても当然何もいない。


 「いや、お主の周りに妙に強い霊気や神聖な気配が漂うのが見えてな、これはただの男ではないと思ったのじゃ」


 「神聖な気配?」

 うーーむ、なんとなくその原因がわかる気がする。おそらく腹の紋のせいだろう。


 「とにかく、お前には何か特別なものを感じるのじゃ。とりたてて特別な力があるというわけではないが、何かしでかす男だという感覚だ。そうじゃな、何かしでかすというより、やらかす男なのかもしれんが」


 見事な眼力だ。さすがは元神官というところか。たしかに、俺は色々とやらかす男だろう。


 ナーヴォザスは湯気が立っている鍋から汁をよそると俺に手渡した。


 「これでも食え、力が出る」


 「ありがとう」

 何気なく受け取ったが、なんと肉も野菜も入っている、これは、こっちに来て初めてのまともな食事だ。思わず夢中で食う。


 「ヘマばかり打ちながらも、ここまで生き延びてきた逞しい生命力と悪運。そして何よりも凄まじく旺盛な繁殖力が見える。何というか、お前の血筋は古く、そして異常に強い。まだまだ増える。ここでは絶対に絶えない気がしたのだ」


 繁殖とか増えるとか、まるで人をネズミのように言う……


 だが、あれか、英雄シードの影響か。

 ナーナリアと街を脱出する前に、路地裏の胡散臭うさんくさい占い婆さんが俺に言った言葉だ。

 英雄シード……その血筋からは、いずれ子孫に英雄が生まれるとされる。ナーナリアがそれを聞いてから俺を見る目が変わったんだっけ。


 長い間、美しい容姿ながら虚弱な人種と言われてきた妖精族にとっては、伝説的に語られる英雄シードの子を産むことは一族の願いなのだという。本当に俺が英雄シードの持ち主なのかどうかはわからないが、幼いころからその話を聞かされていたナーナリアに俺への憧れが生じたのは自然だったらしい。


 もっとも俺が英雄になるわけではないというのが最大のオチなのだが。


 「少し占わせてくれまいか? その顔でなぜわしが興味をひかれたかをな」


 「いいよ」


 もぐもぐ食いながら俺は軽くうなづいた。なんといっても久しぶりの温かい飯である。意識が食う方に集中している。


 「なんとも危機感のない男じゃな」

 その様子にナーヴォザスはため息をついで、机の上にクリスタルと水鏡を準備した。


 「ほれ、これを握れ。わしが離して良いというまで離すなよ」

 そう言って皿を空にした俺の手に鉄の棒を握らせた。


 「準備できた。久々の念潜ねんもぐりといくかの」

 ナーヴォザスがにやりと笑った。


 「!!!!!」

 その瞬間、バチバチバチッ! と衝撃が走る。まさに雷撃である。両手に鉄の棒が吸いついて離れない。


 「いかん、いかん、調整を間違った」


 ナーヴォサスが慌てる様子もなく言うが、その隣で、全身ガクガク震わせながら、悲鳴を上げる暇もなく俺は気絶した。

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