第22話 王女救出クエスト

 ◇◆◇


 囚人都市の帝国軍基地に、恋の歌が響いていた。

 甘く切ない歌声に聞き入る者もいれば、大声で騒いている者もいる。


 ざわざわざわと食堂は大勢の兵士の喧噪であふれている。

 一日の仕事が終わり、酒の入っている集団もいた。食事は無料だが、酒は自腹だ。それを好き放題に飲んで騒いでいるのは無事に任務を遂行し、収入が入ったばかりの輸送部隊の連中だろう。それを羨ましそうに眺める者たちが食器を片付け始めている。


 やがてホールに響き渡っていた美しい歌声が終わると、所々から拍手の音が聞こえる。ささやかな花束をもらい、駆け寄った数名のファンと笑顔で握手を交わした後、ようやく妖艶な歌姫は壇上から姿を消した。


 「どうでした? うまくさぐれた?」

 幕の裏に戻ると、楽器を片付け始めていた男たちの一人にメロイアは小声で話しかけた。


 男はちらちらと周囲に目を配った。

 「まずいです。例の貨物輸送の件はデマのようです。罠です」


 「そうか。そうなんじゃないかと疑っていたのさ。彼が行動を起こす前にわかってよかったのさ」

 そう言いながら、メロイアはその場でステージ衣装を着替え始めた。大勢の男の前でも恥ずかしいなどと言っていられない、そんな逞しさがある。そして周囲の誰もがそれを当たり前だと思っている。


 「連絡しますか?」


 「いや、彼には私から連絡するさ」

 囚人服に袖を通してメロイアが答えた。



 「ーーーー彼って、誰の事だろうな?」


 背後からの、聞き覚えのある粘ついた声にメロイアは唇を噛んだ。


 「おやおや、そんな顔をしなくても良いじゃないか? 君の元の上司だよ。今ではこの囚人都市で魔王軍に君たち囚人の管理を任されているのはこの私なんだよ」

 派手な貴族服を着た男だ。今どきそんな古式な貴族服を着ているのは、王国を裏切って魔族に付いたこいつらくらいなものだ。


 「ラゥダッデ、貴様には関係ない。みんな帰るぞ!」

 メロイアは、今夜の報酬として受け取った食料の入った箱を片手で担いだ。そいつを無視してみんなで廊下に向かう。


 「くくく……無様だねえ、かつては私より格上の貴族家のお嬢様だったのになあ、そんなみじめな囚人服なんか着て。私の話に応じないからだよ」

 後ろからわざと大きな声で嫌味っぽくつぶやくのが聞こえた。


 「勝手に吠えるがいいさ」


 そう言って出ていくメロイアの後ろ姿をラゥダッデはじっと見つめ、ねっとりとその唇を舐めた。



 ーーーーーーーーーーーー


 「今夜はここで解散さ。みんな、今日の取り分を箱から持っていくのさ」


 メロイアは基地の前の広場ですぐに木箱の中の食料を分け始めた。今夜は気前が良かった。一人3人前はありそうだ。

 これで待っている家族に食わせることができると、みな喜んでいる。


 最後の一人が食料を抱えて帰っていった。その背中を見送りながら、砦を見上げる。

 黒々とそびえる砦の背後に青い月が出ていた。


 「さて、帰るか」

 メロイアが最後に残った食料の一つを箱の中から取り出した時、その手を掴む者がいた。

 

 「!」

 「私だよ、メロイア」

 

 ぞっと鳥肌が立った。その手を強引に振り払って、数歩下がったメロイアを男は歪んだ笑みを浮かべて見つめた。


 「ラゥダッデ! 何をするのさ!」

 

 ラゥダッデの手には手錠と縄がある。

 「君が悪いんだよ。私の言う通りにすれば、こんな事をしなくてもいいんだ」


 「人を呼びます」


 「どうぞどうぞ、この辺の帝国兵は顔なじみだからね。私のすることに目くじらは立てないさ。それに、言う事をきかない愛人をしつけけているだけだと言えばね」


 「お前らは人間の風上にも置けないのさ!」

 

 「これで、君も私だけの女になるんだよ!」

 ラゥダッデはポケットから紙きれのようなものを取り出した。闇の中で妖しく光っているそれは呪符のようだ。


 「これはね、女を奴隷化する呪符なんだよねぇ。やっと手に入れた強力な非合法物だよ」


 「この変態!」


 メロイアはラゥダッデを睨みつけたが、じりじりと追い詰められていく。夜ではっきりしないが後ろは元王宮の堀だ。腐敗臭が強くなったのでわかる。

 だが、奴は興奮しているためか、臭いには気づいていないようだ。


 「ひゃははは! 誰も助けには来ないよ!」

 ラゥダッデが護符を押し付けようとダッと駆け寄った。


 「!」

 メロイアはとっさに目の端に映った丸太を蹴った。


 露店でよく使われる丸太だ。明日もすぐ使うつもりで置いて行ったものだろう。片付けられないで転がっていたのだ。


 「ひゃはははあうッ!」

 ラゥダッデが丸太に足を取られた。


 「バカめ! 思い知るがイイのさ!」

 さっと身をかわした脇をラゥダッデがおっとっと、とたたらを踏んだ。その尻を思い切り蹴っ飛ばす。


 音もなくその姿が消えた。 

 ーーあの汚い堀に落ちたのだ。 


 「ああ、危なかった。でも、怖い目に遭ったら急にサンドラットに会いたくなってきた。教えないとならない情報もあるし……、今日は来ないと思っているだろうから、きっとびっくりするのさ」

 そうつぶやいて、彼女はサンドラットの寝込みを襲うべく急いで彼の家に足を向けた。




 ◇◆◇


 ……どのくらい時間が経ったのか……


 俺は木製のベッドの上で目を覚ました。

 ナーヴォザスの部屋である。

 ぎしっとベッドがきしんで、ナーヴォザスが顔を上げた。


 「ようやく目覚めたか。まる2日も寝ておったのだぞ、今は朝方、まもなく日が昇る時間だ」

 「頭がまだ痛む。ひどいな、あんなに痛いとは思わなかった」

 「説明したら、断ったじゃろ?」

 うむ、そのとおり。だれが好き好んであんな雷撃を受ける馬鹿がいるか。


 「お主の根源を成す運命の色を調べさせてもらった。星神の力でな。聞きたいか?」

 「もちろんだ。あんなに痛い目にあったんだぞ」


 「うむ。お前はいわば世界の流れに導かれる者、流れを形づくる者じゃな。魔王はその存在に近づくために世界を変えようとしている、だが、お前のように自然にその力を持つ者が世界には何人もいるのだ。未来を生み出す流れの中にいる者だ。俗な言い方をすれば、お主は男として非常に強力だ。繁殖力旺盛でな……まあなんだ。この先、お前の子はまだまだ増える。その血筋からはいずれ世界の流れを決める者が出る、かもしれんということだ」


 俺の血筋に関するある伝説を母から聞かされてはいたが、昔、あの占い婆が言ったことは案外本当だったのかもしれない。


 「だけど、その占いが正しいなら、俺はここを脱出し、さらに子孫を残すということだな?」


 ナーヴォザスは顔を上げた。

 「うむ、占いによればな」

 「おお、何だか希望がわいてきた」

 朝である、愛しい妻たちを思い出し俺はますます元気になる。


 それに気づいてナーヴォザスがため息をついた。

 「さすがに若いし、本当に無駄に大きいな。まあ、その活力だ、やはりお主に賭けてみるしかないのかもしれんな」


 「一体何のことだ?」


 ドスッ!


 不意にキランと鋭利な刃が光った。


 「!」

 ナーヴォザスは真剣な顔で、机に鋭利な戦斧を突き立てている。かなり使いこまれた斧で刃が冷たく光っている。


 「これは誓いの斧じゃ、わしの話を聞かぬなら、今ここでお前の命を絶つ!」


 「はあ?」


 突然、何を言い出すのだ、この親父という感じである。


 「わしの話しを聞くか? いや、もちろん聞くな? ……キ、ク、ヨ、ナ?」

 その鬼のような形相が怖い。


 「こ、これは恐喝では……」


 「キ、ク、ヨ、ナ?」


 その圧倒的迫力に負けて俺はただうなづく。


 「帝国が監視する塔のある中央神殿……、そこに王国最後の王位後継者で、神の祝福名と王権の正統性を表す名を冠する麗しのリサ王女が幽閉されている。我らがお慕いしていた美しく清らかな女王様の忘れ形見で、今年で14歳になられる御方だ。その王女様を救い出していただけないか? もちろん王女共々、この囚人都市から逃がしてやろう」

 そう言って、一瞬遠い目をして、さっき布で隠した額縁の方を見た。


 むぐっ、なんとここにきてお姫様救出クエストですか? 囚人都市から出られるという話は美味しいが、当然そんな面倒毎に首を突っ込む気はさらさらない。


 「俺の望みは生きてここを脱出することだけだ。そんな王道ファンタジーは柄じゃないんですが?」

 俺は後ずさった。


 ナーヴォザスの目が異様に光る。

 その手がゆっくりと斧の方に伸びた。


 話を聞いた以上、生きてここを出すわけには行かないとか、今にもお決まりの言葉を言いそうだ。


 いや、こいつ、マジだ。目が怖い!


 「ま、待て! 分かった! 引き受けた! 承諾した! 俺に任せておけ!」


 叫んだ俺の前で、ナーヴォザスは斧の手前にあった鼻紙を取って、ブーーと鼻をかんだ。


 「では、王女様をお救いくださると?」

 コクコクと俺はうなづいた。


 「流石は恐れ知らずですな、はっはっは。まあ、失敗しても死ぬだけですからご心配めさるな、きちんとわしが弔ってさしあげよう」


 おいおい……成功よりも先に失敗する話しをしているよ、このじいさん。


 「まあ、まあ。そんな顔をするな。成功して、もしも姫と結ばれれば、その御子が国を再興する勇者になるかもしれんでな」

 ナーヴォザスはニヤっと笑った。


 「それでは、手のひらを前に」

 「こうか?」

 俺が手を出すと、ナーヴォザスは小指ほどの小さな杖を振るった。


 ばちっと火花が散った。


 「うわっち! 痛いじゃないかよ」

 「これで契約がなった。お主が王女救出を実行しなければ、この呪いがお主の魂を地獄に堕とす。頑張ったが救出失敗という場合は……まあ、そうだな、気にするな」


 「気にするなだって? 失敗したらどうなるんだよ?」

 「大丈夫、能力なしと見て、呪いは効果を発揮しない。ーーーー多分な」

 「多分って、かなり不安だな」


 「お主の幸運に期待しよう」

 「結局、運頼みなんだな、何か神殿に潜入する方法とか知らないのか?」


 「うーーむ、正面からは無理じゃな。神殿にも定期的に物資が運び込まれているようじゃが、砦と違ってどんなルートで運ばれているかはわからん」


 「そうか物資の搬入口か、商人に聞くのが早いかもしれないな……」


 「うまく王女の救出に成功したら、ここで合流じゃ。合流できそうにないときは何としても連絡をよこせ。そうすれば仲間が囚人都市の外に脱出させる手筈だ」


 「ああ、わかった」

 そう言って俺は部屋を後にした。


 その背を見送ったナーヴォザスはぼつりとつぶやく。


 「うまくおだてたが……これで15人目の挑戦者、未だ成功者なし。果たしてどうなることか……」




 ーーーーーーーーーー


 やれやれ、面倒なことになった、と外に出ると、早朝、まだ早い時間帯のようだ。


 手の平を開くと、真ん中に禍々しい蜘蛛の姿をした呪いの紋が浮かんでいる。


 「はあ、余計な依頼と嫌な呪いを受けてしまった。まったく、呪い好きな国だよな」


 広場は朝から何やら騒がしい。


 なんでも堀に落ちて、糞尿ヘドロに頭から突っ込んで窒息死した男の死体が見つかったらしい。帝国軍の下っ端役人だったらしいが、周りの囚人の話ではかなり評判の良くない男だったようだ。

 

 「よう。サンドラット」

 俺は店の準備をしているサンドラットに声をかけた。


 「ーーお、お前か! まだ生きていたのか? 数日姿を見せないから、てっきりどこかであっけなく死んだと思って、諦めかけてたぞ」


 サンドラットはなぜか目に隈ができている。

 かなり驚いた様子で持っていた空っぽの木箱を地面に置き、腰を数度叩いてうめいた。首元にいくつもキスマークがある。どうやら昨晩は腰を激しく使いすぎたようだ。


 「なあ、この都の王女の噂は聞いたことがあるか?」

 俺は周囲をうかがいながら、小声で尋ねた。


 サンドラットは目を細め、深いため息をついた。


 「ああ、カインよ、お前もか……」


 「は?」


 「たまにな、来るんだよ。この滅んだ国の王女が生きていて助けを待っているとかいう奴がよ。どこでそんなホラ話を吹き込まれたのか知らないが、かなり必死な形相でな。お前で一体何人目なのか」


 「その人たちはどうなった?」

 「みんな消息不明だな、まあ、どこかで死んだんだろう」


 「神殿に潜り込みたいんだが、物資の搬入口がどこにあるか知らないか?」


 「無理だな、神殿への搬入は帝国兵の砦の中を通っている。メロイアの話では砦内の警護はかなり厳重だ。行ったら間違いなく殺されるぜ?」


 「ちっ、そこから潜り込めるかと思ったのにな……」


 「ああそうだ、さっきの王女の話だが、連中の一人が残していった紙があるぜ。それに何か書いてあったような気がする。紙も貴重だからと、物々交換に応じた物なんだが、たしかこの辺にあったはず……」


 ゴソゴソとツボを掻きまわしていたサンドラットが薄汚れた紙を引っ張り出した。


 「これだぜ」


 「んー。確かに何か小さな文字が書いてあるな? だが、読めん、こんな文字は見たことがないぞ……」


 「どれどれ、これは盗賊が使う文字だ。『解呪不可……蜘蛛の呪い……』、こっちはどうも地図みたいだ、書いてある文字は『倒壊家屋、庭園水路と神殿の排水溝……』だな」


 ピンときた。


 それは、俺と同じくナーヴォザスに蜘蛛の呪いをかけられた者だろう。同じクエストだ。それが今持って未達成ということは、そいつは失敗したに違いないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る