第18話 男の名はサンドラット2

 俺は、サンドラットの後を追って近道だという路地に入った。


 そこにも広場と同じ空気、ざわついた不穏な気配と、人だかりができている。


 「それをよこせ! この糞族くそぞくがっ!」

 帝国兵がその腹を蹴った。


 転がった男の子の手にパンのようなものが握りしめられている。


 「よくも我らの食料に手をつけたな!」

 「殺せ、殺せ!」

 周囲に集まった兵士が野次を投げる。


 周りの囚人たちは遠巻きに見ているだけで、見て見ぬふりだ。

 誰も何ができるわけでもない。

 何がおきたのか、見ていることくらいしかできないのだ。


 「どうしたんだ?」

 「ああ、子どもが携帯食を拾ってきたらしい」

 「バカな奴だ。帝国兵の物に手を出したら、殺されるのに」


 囚人たちの話声が聞こえた。


 「おい。行くぞ。関わるのはよせ」

 サンドラットが小声で言った。


 あんなに硬い金属製の靴で子どもの腹を蹴っている。痛いはずだ。だが、泣き叫ぶこともない。男の子は生きることすら諦めているかのようだ。

 この都市で生まれた子だろうか、生まれてから、ここ以外の世界を知らないのかもしれない。

 親はどうした? 誰も親らしき行動にでる者はない。


 「おい、よせ、今は関わるな」

 俺の手を引くサンドラットの腕を強引に払って、俺は飛び出していた。


 大きく振り上げた兵士の足が男の子の顔面に迫る。

 誰もが額を割られて吹き飛ぶ子どもの姿を思い描いた。


 「やめろ!」


 グブッ!

 俺は声を上げて脇腹を押さえた。


 「何だ! 貴様は! こいつの親か?」

 帝国兵は俺を見下ろした。

 やはりかなり痛い。兵士の金属製の靴は先が尖っている。それで力任せに脇腹をえぐられた。

 のたうち回りたくなるほど痛いが、俺の背後にはこれを数回も受けた子どもが横たわっている。こんな酷い事を子どもに対して行ったのだ。


 「何だ? その反抗的な目は!」


 「や、やめてください。……相手は子ども、この子が何をしたと言うんです」

 ズキン、ズキンと心臓の鼓動と一緒に痛みが大きくなる。

 息をするのも辛い。

 この子は、こんな痛みに耐えて悲鳴も上げなかったのだ。


 「そいつはな、俺たちの食料を盗んで逃げようとしたのだぞ、この監獄で罪の償いをしている者が罪を重ねれば、相応の罰を受けるのは当然であろうが。それにお前たちは人族ではないか、このゲロい劣等種族め」

 「そうだ、そうだ」

 隣で見ていた兵士も横から口を出した。


 顔つきは人族と同じだが、魔族なのだろう。二人の兵士は槍を手にして全身をフルプレートに包んでいる。おそらく帝国兵の中でも上級の兵だ。それだけに選民意識も強いのかもしれない。

 だが、だからと言って子どもにする事か。


 「たまたま落ちていたパンを拾っただけでしょう? 盗むつもりじゃなかったかもしれない……」

 携帯食を多くの人が拾って逃げたのは知っている。この子もおそらくそうなのだろう。だが、この場は何とか誤魔化す必要があるのだ。

 「口答えしやがって!」


 ボスッ! と再びそいつは俺の腹を蹴った。

 「うぐっ!」

 今度は正面から蹴りを受けてしまった。内臓をえぐられ、痛みで吐きそうになる。耐えたんじゃない。胃が空っぽなので何も吐けなかっただけだ。


 「人族のくせに、恰好をつけやがって! いいかお前たち! 我らに反抗的な態度を見せた者はこうなる!」

 兵は槍を振りあげた。殺すわけではないので石突の方を使ったが、それでもかなりの衝撃だ。


 俺は顎を打たれて吹き飛ぶ。二転三転、地面に転がった所を二人がさらに石突で突く。


 穂先ではないとは言え、石突も丸みを帯びて先端は細い。

 それが容赦なく俺の肉をえぐる。

 周りで見ている者は誰も助けようともしない。


 「バカが、助けようとした子どもにも逃げられてやがる!」

 ひゃはははは……と笑いながら帝国兵は殴打し続ける。周りに集まった兵も笑っている。


 確かに、こいつらが言うように俺が助けようとした子どもの姿が無くなっている。俺が殴られている隙に逃げたのだ。


 でも逃げたということは、思ったより怪我は酷くなかったのかもしれない。それなら良い、ちょっと安心した。

 それに、俺を置いて逃げたことを怒るつもりもない。これは俺が勝手にしたことだ。頼まれた訳でも、助けてと言われたわけでもない。勝手に首を突っ込んだだけなのだ。


 グブッ! 

 やばい、口を拭ったら血が出ている。内臓が傷ついたのかもしれない。


 帝国兵は俺が無抵抗だと思って調子づいている。


 いい加減にしろよ、こっちにも棍棒くらいあるんだ。やめる気がないなら、抵抗させてもらう。

 俺は骨棍棒に手を伸ばした。




 「おやめなさい!」


 通りに凛とした女性の声が響いた。

 一瞬で空気が変わった。

 澱みきった路地裏に清涼な風が吹き抜けた気がした。


 ざわざわと周囲の囚人たちの囲みが解け、その奥に馬車が止まっているのが見えた。一頭立ての一見簡易な馬車だが、俺を殴っていた兵士らが佇まいを直した。その態度に緊張感が走ったのがわかる。

 

 馬車から降りた女の将校が二人のお供を引きつれて近づいてきた。


 フードと仮面で顔を隠し、大きめの鎧で上半身を覆っているが仕草と気配だけでわかる。抜群のスタイルの美女だ。


 所属部隊がこいつらと違うのだろう。隣の兵も兵装がまるで違う。背には弓を背負っている。しかし、こいつらの反応を見ると彼女の階級はかなり上位らしい。


 「こんな所で何をしているのです? 貴方たちはこの先のエリア巡視が任務なのではありませんか?」


 「た、隊長殿! この男が反抗的な態度をとりまして」


 「反抗的? そんなことでいちいち私闘をおこさないように。前総督が囚人の扱いに関しては重々注意することと通達を出したのを知らないのですか? 魔王国がこの地を安定した領土にするために今後は人族とも融和が必要なのです。囚人とは言え、みだりに傷つけて良いものではありません」


 「そういう奴だったから更迭されたんだろうがよ」

 ボソッと目の前で不服そうな口元をした槍兵がつぶやいた。


 「何か、言いましたか?」


 「い、いえ! 我々は任務に戻ります!」

 「失礼します!」

 二人の槍兵は敬礼すると、さっさと逃げて行ってしまった。周囲に集まっていた帝国兵も一人、二人と素知らぬ顔で立ち去っていく。


 「そこの貴方、大丈夫ですか? 痛めつけられてしまいましたね」

 この人、帝国兵とは思えない優しい雰囲気がある。捕まって以来、人族の俺の前にかがんで問いかけてきた者は初めてだ。


 「お薬です。飲みなさい」

 彼女はポケットから小瓶を出した。


 「クリスティリーナ隊長、何もそこまでしなくても」


 「カタリア、前総督の命令は今も有効よ。それに間違った命令だとは思っていないわ」

 そう言って、彼女は俺の手にその薬瓶を握らせた。


 「監視塔の上から見ていました。もっと早く駆け付けられればよかったのですが……、でも子どもを助けたのは勇敢でしたよ。さあ、それを飲んでください」

 その声は優しく、本物の気品がある。


 「あ、ありがとう」

 ぽーっと見惚れながら、薬瓶のふたを開け、一気に飲み干した。


 一瞬で全身から痛みが引いていく。これはかなりの高級品だったのではないだろうか。


 驚いた目で見上げると彼女は微笑んだようだ。その瞳だけでわかる、まるで天使のような女性だ。

 身体を触るがどこも痛くない。擦りむけていた皮膚も完全に治っていた。


 「戻ります」

 「はっ」

 三人は現れた時と同じくらいの素早さで再び馬車に乗ると、砂塵を上げて走り去った。


 その後ろ姿は忘れられないくらい美しい。

 最後にちらりと振り返った姿も見事なほどカッコ良かった。

 あんな人も魔族にはいるんだなと思うと、なんだか心が温かくなった。人それぞれ、魔族も同じということか。



 いつまでもその馬車を見つめ、俺はふいに鼻を押さえた。

 ……鼻血だ。


 絶句するほど魅力的に左右に振れる美麗なお尻がまぶたに焼き付いて離れない、美しさを賛美せずにはいられない、これは男のさがか。


 顔も見えず、身体のラインもほとんど分からなかったが、立ち去る彼女を見上げたのが致命的だった。揺れるスカートの裾から見えるか見えないかという絶妙すぎるエロさ。


 まだ胸がドキドキしている。男の下半身は別の生き物なのだ。ぐうおおっと血流が音を立てて渦巻いている。


 そのチラリズムにやられた目に映った刺激的すぎる絶対領域と、その美脚が生み出す理性破壊力抜群のモデルウォーク。

 あれほど凄まじい魅力、吸い寄せられたら最後、男を虜にして絶対に逃がさない色気たっぷりの美麗なお尻が俺を誘っていた。もう、そのお尻だけでわかる、何もかもが神の領域の美女だ。


 俺は何というものを見てしまったのだろう。あれは幻覚だったのか、それとも地上に舞い降りた天女だったのか?


 「やれやれ、お前の性格がわかったよ。厄介ごとに首を突っ込むのが好きらしいな」

 ぽーーっと呆けていると、逃げたはずのサンドラットがいつの間にか脇道の廃墟の奥から出てきた。その背後に数人の一癖も二癖もありそうな連中を引きつれている。


 「見捨てて、逃げたんじゃなかったのかよ?」

 俺は立ち上がって唇をぬぐった。

 鼻血は止まったし、傷は薬で治ったが、口の中はまだ血の味がする。


 「お前を助けるために仲間を呼んだのさ。あの状態で俺も一緒に飛び出したら二人ともやられるのがオチだからな。俺は勝機がある戦いしかしない性質たちでね。見捨てたわけじゃないぜ」


 「そうか、俺のために仲間を集めてくれたのか」

 「ああ、あの将校が止めなかったら一泡吹かせるつもりだったんだがね。さあ、立てるか?」

 彼は俺に肩を貸してくれる。こいつはやはり良い奴なんだな。

 ああは言ったけど、見捨てられた、なんて思う間もなかったな。とにかく痛かった。


 「だが、お前が人のために理屈抜きで動く奴だってことがわかった。良い仲間になれそうだ」


 そうか、俺は彼に信じてもらえたのだ。

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