第84話 奴は魔物

 「ちっ、罠か……」


 サンドラットは瞬時に状況を把握したようだ。ただ単純にケツを逆さに落ちている俺と違って流石だ。


 「いててて……」

 「大丈夫か、カイン」

 砂煙が収まってくるとようやく状況が分かった。1階の床全体がそのまま地下に落ちた感じなのだ。


 その床の真ん中に意識のないセシリーナとリサが互いに背を預けて座り込んでいた。


 「大丈夫か? おい、しっかりしろ!」

 肩を揺すってもセシリーナはまったく目覚めない。

 「リサ、おい、どうしたんだ!」

  二人とも起きない。深く眠っているかのようだ。


 「ふふふふ……魔族はちょっと厄介だからね。先に眠ってもらったのさ。僕の蔦は魔族だけに聞こえる精神波で攻撃できる。魔族の感覚は敏感だからね。一度そうなると、すぐには起きられないよ」


 穴のあいた天井から太い蔦に乗って、するするとあの子どもが下りてきた。


 もうわかった。こいつは蔦を操る魔物だ。

 さっきの人食い植物の蔦も自ら操っていたに違いない。


 「てめえ! よくも」

 サンドラットが斧を構える。


 「おやおや、いいのかい? 僕はこの子どもの純真無垢な体を利用させてもらっているだけだよ。殺す気かい? 斬れば死ぬのは子どもなんだよ?」

 

 憑依型の魔物か?

 それとも嘘か……。


 「ほら、どうぞ、斬ってごらん。僕はそうだな、次はそこの娘の身体でも頂こうか?」

 そいつはリサを指差し、ニヤリと笑った。


 サンドラットがぎりっと唇を噛んだ。

 俺も動くに動けない。奴の言う事が本当なら何も知らない男の子を殺してしまうことになる。


 「ね、何もできないだろ? なに、心配しないでくれよ。僕は君たちを直接殺したりはしないよ。手を汚せば子どもの純真な精神がなくなるからね」

 

 「何が目的だ!」


 「なんてことはないよ。この体を生かすためには食い物がいる。食料を得るためにちょっとばかり金目のものを頂くだけさ。そのアホ面の男が薬をたくさん持っているんだろ? これを頂くことにするよ」

 そう言って、落ちていた俺の背負い袋に手を伸ばす。


 「結局、ただの盗人かよ!」


 「失礼だね、これでも昔は邪神の眷属として知られていたのだけどね?」


 「邪神?」

 「邪神だって?」


 「君たちが知るはずもない偉大なる御方だ。かの御方の気配が南に立ち上るのが見えたので馳せ参じるのさ。また、この世を我らの手で……ああ偉大なる双頭の邪神様。でも君たちは心配しなくても良いよ。どうせここで死ぬんだから」

 そう言って、子どものくせに邪悪な笑顔を見せた。

 こいつは無事に俺たちを帰す気などさらさらないようだ。


 「思い通りにさせるか!」

 俺は手にした玉を投げつけた。

 さっきからポケットの中で感触を確かめていた火炎玉である。

 子どもの乗る蔦に命中して発火、あっと言う間に炎を上げた。


 「おっと!」

 男の子は慌てて蔦から飛び降りた。

 太い蔦が蛇のようにのた打ち回りながら燃え上がる。


 「やってくれたね」

 そいつは太々しく俺を睨みつけた。


 「カイン、お前いつの間にあんな物を買っていたんだ?」

 「まあ、色々あってね」


 あれはデッケ・サーカの街の路上で声をかけられた男に無理やり買わされたものである。火炎玉5個を定価の倍で買えば、例のアイドルの無修正本をおまけに付けるとそそのかされたのだ。だが、買ってみれば確かに無修正だが修正の必要が全くない水着集だったりする。そのことを言うのが恥ずかしいので黙っていた。


 「蔦は燃えちまったぜ、形勢逆転かな? 坊主」

 サンドラットは壁際に立つ男の子に向かって言った。


 子どもは俺の背負い袋の肩紐を持って、右手に見える階段を見た。


 「逃がさないぞ、いくら魔物でもご自慢の蔦がなければ非力なただの子どもだ」

 「へぇ、そうかな?」

 男の子は俺たちをにらんだ。


 「そんな口がきけるのか?」

 サンドラットが子どもを取り押さえようと近づいていく。


 「きけるんだよ」

 子どものくせに顔が怖い。その手が真横に伸びる。


 「ふふふ……これなのさ」

 そいつはそう言うと、壁の菱形の石を押し込んだ。


 「はははは……じゃあ、せいぜい頑張りな」

 子どもの顔に邪悪な笑みが浮かぶ。


 その瞬間、ガコン! と音がして部屋の四方の壁の下に隙間が生じ、そこから黒い物がゾワゾワとはい出してきた。


 「あまり金目のものは持っていない様子だけど、旅を続けるためには金がいるんでね、この荷物はもらっていくよ」

 そう言うと俺の背負い袋を担いでさっと階段に姿を消す。

 

 「しまった俺の荷物が盗まれた!」

 「くそう、だましやがって!」

 サンドラットが叫ぶが、見る間に床が黒い虫で覆われて行く。


 「やばい、こいつは!」

 ぎちぎちと大顎を打ち鳴らして迫ってくる。


 俺とサンドラットは真ん中にセシリーナとリサを挟んで背中合わせて武器を手にした。


 ざわざわざわ……と大牙油虫おおきばごきぶりが集まってくる。


 セシリーナとリサは気を失ったままだ。

 魔族にだけ効果があるという精神攻撃のせいだ。リサも魔族と人間のハーフだからその影響を受けたのだろう。


 「どうする? 囲まれたぜ」

 サンドラットが飛びかかる虫を剣で叩き落とした。


 「二人を傷つけたりさせない。おりゃおりゃおりゃ!」

 俺はやけくそ気味に骨棍棒を振りまわした。スマートな攻撃じゃないがそれでも何匹かの虫を打ち払った。

 しかし、取り囲む虫の数はさらに増えていく。死んだ仲間の死骸はあっと言う間に無くなる。


 「うちらで一番強いセシリーナ嬢がいないとキツイぞ。一発逆転の方法を考えないとやばい! 何かないか? やつらを少しでもひるませる方法! 上へ逃げるだけの時間稼ぎが必要だ。さっきの火炎玉はもうないのか?」


 奴らの撃退は無理でも、あの階段まで駆けこむ時間が欲しい。地上に出ることができれば、ここで包囲されて一斉攻撃されるよりはマシだろう。


 「1個しかポケットに入らなかったんだ。残りは盗まれた背負い袋の中だ」

 「ちっ、どうする?」


 「こうなれば、一か八かだ。俺の水魔法! “水しぶき” をお見舞いしてやるっ!」

 俺は指を3本前に出して、魔法の詠唱を始める。


 マリアンナに特訓を受け、血のにじむ思いで唯一覚えることができた魔法だ。妻になる前のマリアンナが色っぽい姿で手取り足とりして教えるので、水の代わりに時々鼻血が出た。まさに血の滲む努力の成果だ。


 「魔法だと! お前、魔法が使えたのか!」

 少し驚いた様子が新鮮だ。


 「静かに! 気が散る! うんたらかんたら……ごにょごにょ」

 サンドラットが苦戦しながら、俺たちを庇っている。


 「早く、こいつらを水で押し流してくれ!」

 「なんたらかんたら……ごにょごにょ」

 俺は下手なので魔法が発動するまで時間がかかる。何度もゼンマイをまわし続けてようやく動くという感じだろうか。


 「はやくしてくれ」

 「もったらくったら……ごにょごにょ」

 「もう持たんぞ! 早く、早く!」


 「むむむむむ……」

 バッ! と俺の目が大きく開く!


 「発動っ! くらえっ、水しぶきっ!」




 ちょろろろろ……俺の指先から水が!




 立ちしょん、いやそれ以下である。

 その最後みたいな、しょぼくれた水滴が宙を舞う。


 「出た! 出たぞ! 見ろ。ハッハッハ!」


 成功に喜ぶ俺に対し、冷たい視線。

 「バカヤロー! 期待したじゃねえか! 今のロス時間でむしろ虫の包囲が狭まったぞ!」


 すまん、何の役にも立たなかったようだ。

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