第85話 魔物を退治した護符?

 ゾゾゾゾ……と目の前に虫が迫る。


 足元にうずくまったままのリサとセシリーナが危ない。

 奴らの捕食行動はわかっている。こいつらは東の大陸でも厄介者だ。旅をした者ならその危険性は十分把握しているし、こいつと戦った経験がある者は多い。


 奴らは最初は一撃離脱で肉を少しずつ齧り取っていき、動けなくなったところで一斉に襲いかかってくる。まずは斥候が相手の動きを調べ、次に本格的に数で押してくる。そして動きの悪い者から先に喰われていく。今回、狙われているのはもちろん気を失って動かない彼女らだ。


 だが、俺はそれだけはさせない。意識を集中して殺気を高める。二人は最後まで守る。


 「こっちだ、俺に向かって来い!」

 いくら戦いが下手でも、これくらいの意地はある。動けない二人の代わりに自分に向かってくるように気を引く! 

 

 「カイン、来たぞ!」

 背後からか!

 しまった! サンドラットの一瞬の隙をついて、カサッと黒い影がセシリーナめがけて飛んだ。サンドラットは気配を隠すのが上手い、それが仇になった。


 「どけっ、サンドラット!」

 振り向きざまにサンドラットを押しのけ、渾身の一撃で棍棒を振り切った。奇跡だった。棍棒の直撃を受けて砕け散った虫の肉片が、後ろにいた数匹に突き刺さった。


 「セシリーナとリサは絶対に俺が守るっ!」

 まるでドラゴンを倒した英雄のような顔で俺はポーズを決めた。うん。倒す前でなく、倒してから言ったところが姑息かもしれない。倒す前に決めセリフを言って、もし攻撃が外れたらかなり恥ずかしいからな。


 「今の一撃は凄かったな。見ろ、今のカインの気迫に押されて虫の群れが少しだけ後ろに下がった。さて、ここからどうするか、だな?」

 骨棍棒の独特の衝撃音が奴らをビビらせたらしい。だが、所詮は焼け石に水だ。虫はこっちの力を見切ったところで一斉に襲いかかってくるだろう。


 しかし、注意を引くと言う点では成功した。骨棍棒に付着した奴らの体液が俺を攻撃対象だと強く意識させる。


 ギチギチ言いながら俺の前に奴らが集まって来た。

 

 どうする?

 一斉に襲われれば、振りほどくこともできないだろう。一匹一匹の動きを捉えることは人間の目には不可能だ。そう、人間の目には…………。あ、あれ? そう言えばアイツがいたんじゃないか!


 「そうだ! たまりん! たまりんはいるか?」

 俺は不意に思い出した。

 今ここにいる味方はサンドラットだけじゃない、見えていないだけで、こいつがいたのだ。こいつの目なら全体を俯瞰し、敵の動きを全て把握することだって可能かもしれない。


 「ここでーす。いや~~っ、これは、まさに危機ですね~~?」

 頭上に金の光が呑気にまたたいた。


 「この状況、どうしたらいい? こいつらの動きを把握できるか? お前、導く者なんだろ? それとも何か起死回生の方法があるか?」


 「そうですねえ~~。動きは全部把握できますけど人間の脳では処理できずに間違いなく頭が爆発しますね~~。ふ~~ん。ああ、あれですよ、あれ。ほら、よ~く見てください。この虫たち、統制がとれてますよね~~~~」

 「だからどうした? こいつらが一斉に動くのは当たり前だろ?」


 「いやいや、やだなぁ。一斉に動くのは、つまり群れにリーダーがいるってことですよ~~、わかってますよね?」


 「そうか、そいつを倒せばいいのか!」

 背後でサンドラットが剣を振りながら叫ぶ。

 

 「そうですねえ~~、ボスを倒せば~、少なくとも~~行動がバラバラになるか~~、ビビッてぇ、退散するんじゃないですかねえ」


 「そいつはどこだ? 探せるか?」

 俺は骨棍棒を縦横に振って牽制する。


 「簡単でーーす。ほら~~、あの部屋の隅っこにいる~~、ちょっと大きい虫。あれですよ~~」

 あいつか!

 黒々とした甲殻を光らせた大物が仲間に埋もれている。


 「ありがとう、あとはなんとかする」

 「貴方がたが生きていたら~~、またお会いしましょうーー。死んだら、おさらばですけどね~~~~」

 まったく嫌なことを言う。

 そしてたまりんはパッと消えた。


 「あれが群れのボスか。ちょっと遠いな。サンドラット、あそこまでたどり着けそうか?」

 「おいおい、無理を言うんじゃない、虫の群れを突っ切る前に身体中かじられて、やられるのがオチだろうな」


 「だよな」

 二人はほとんど同時に肩をすくめた。


 「よし、こうなったら、俺がこの骨棍棒を投げる! 当たらなくても、一時的にひるませることができれば……。その隙にリサとセシリーナを抱えて階段へ走るぞ。サンドラットはリサを頼む」


 「いいのか? リサで? 俺の方が力はあるんだぜ」


 「この国の未来には王女が必要なんだろ、リサの命が最優先だ。それにセシリーナは俺の妻だ。俺は彼女を守る! 命にかけてもな!」

 「へえ、カインにしては、やけにカッコいいことを言ったな。こりゃあ死亡フラグってやつだな?」


 「こんなときにまた嫌なことを言う!」

 「少し和んだだろ?」

 ふっとサンドラットが肩の力を抜いた。つられて俺もちょっと力み過ぎていた身体が動くようになった気がした。


 「よし、投げるぞ! 準備はいいかサンドラット! 投げるぞ、投げるぞ、投げるぞ!」

 俺は両足をガニ股に広げ、狙いを定める。

 サンドラットは片手でリサを抱き上げる準備をしている。

 投げたらすぐにセシリーナを抱き上げて走る!


 頼む、我が骨棍棒よ、今回は何としても虫のリーダーに当たってくれ! 

 

 「サンドラット、行くぞ!!」

 俺の声を合図に片手に剣を持ったまま、サンドラットがさっとリサを抱きかかえた。


 「今だッ!」

 棍棒を大きく振り上げ、投げようとした、その瞬間だった!

 俺の股間が、いきなり吠えた!

 いや間違った。

 俺の股間で、何かが吠えたのである。


 股間から魔術をまとって放たれた銀色の光が、蠢く黒絨毯の上の淀んだ空気を切り裂き、ガッ! と壁に突き刺さった。

 鮮やかな一閃。

 矢が虫の頭部を貫いている。

 壁に串刺しになった虫の後脚がピクピクと動いていたが、すぐに動きが止まり、そいつの触覚がだらりと下がった。


 ぞわわわわ……と虫の囲いが解ける。虫の集団が壁の亀裂の中に戻って行った。


 俺は自分の股間を見た。

 足と足の間からわずかに鱗のある白い手が見えた。振り返ると、座ったまま矢を放ったばかりのセシリーナが俺を見上げていた。


 「カイン、ありがとう」

 セシリーナは微笑んだ。



ーーーーーーーーーー


 俺たちは、まだ良く動けないセシリーナとリサを抱きかかえ、虫が再び戻ってくる前に急いで地上に這い上がった。幸い虫たちは明るい地上には出てこないようだ。


 「顔に水しぶきがかかって意識が戻ったの。体が動くようになるまで時間がかかっちゃったけどね」

 寝ているリサの隣でセシリーナが俺を見上げた。

 そうか、どうやら俺の水魔法も無駄ではなかったらしい。


 「助かったよ。あの一撃がなければどうなっていたか」

 俺はセシリーナの隣に腰を下ろしてその肩に腕を回した。

 「必死に守ってくれていたでしょ? あの後ろ姿、勇敢でカッコ良かった。とってもうれしかった」

 彼女は頭をちょこんと俺に預け、優しく微笑んだ。

 二人はどちらからともなく手を伸ばし、指を組んだ。


 「ーーあのくそ餓鬼、俺たちをはめやがって。今度会ったらどんな目にあわせようか!」

 サンドラットは土を蹴ってまだ悪態をついている。




 「はうアーーーーーーーーーッツ!!」


 その時だ、ちょっと向こう側から子どもの叫び声が聞こえた。


 今のあの声はさっきの子どもの姿をした魔物ではないだろうか? 俺たちは顔を見合わせた。


 「俺が見てくる、カインはリサたちを守っているんだ」

 サンドラットはそう言って駆けだした。


 「気をつけろ! 無理はするなよ!」

 「おうよ!」

 

 サンドラットは用心深く、瓦礫に身をひそめながら声のした方角に向かった。


 どうやらそこは崩れた民家の跡らしい。壁際に残った半分壊れた竃の向こう側に白い足が見えた。それは真っすぐに伸びた子どもの足である。


 「また、罠か何かか?」

 サンドラットは斧を構えながら遠巻きに様子を探った。子どもの姿をしているが奴は魔物である。十分警戒しなければならない。


 竃の脇に例の子どもがぺたんと座ったまま動かない。

 霧が少し晴れてくると、その様子が見えてきた。

 何かがあったらしい。……どうやらそいつは気を失っているようだ。


 「何があったんだ? こいつ」

 サンドラットは警戒しながら少しづつ近づいた。

 子どもの姿をした魔物は、傍らにカインの背荷物を置いたままぐったりと気絶している。


 「うっ、くせえ!」

 近づいてみると変な匂いがした。

 玉ねぎの腐ったような強烈な臭いだ。


 その匂いの元は……。

 子どものお尻のあたりから伸びた黒い汁が、少し離れた場所に人型の染みを作って地面を汚している。それが強烈に臭うのだ。だが、これはどう見ても魔物が死んだ痕跡だろう。


 『邪悪な者はな、この世に存在できなくなって消滅する時に、媒介として使っていた物質が残る場合があるのじゃ』とサンドラットが育った里の呪術師婆さんが講義していたのを思い出した。これがきっとそれなのだろう。


 気絶した子どもはカインの背負い袋を開けて乱暴に搔き回したらしく、その周囲には護符か呪札のような紙片がバラバラと散らばっている。


 「なんだ、これ? これが魔物を退治した護符か?」

 

 しかし、よく見ると子どもの足元に散らばっている紙片は、アイドル時代のセシリーナの水着姿が写った視紙だ。どうみても護符ではない。


 「こいつ、何を握り締めている? これが護符か何かだったのか? カインの奴、袋に魔物を撃退するほど強力な護符でも入れていたのか?」


 そう言って、ぎゅっと固く握りしめたまま気絶している子どもの手から、その紙片を取り上げ、表側を見てみた。


 その瞬間、サンドラットも思わずぎょっとした。


 「うわっ、これか! なるほど、そうか……取りついている子どもが純真さを失うほど衝撃を受けたら、その無垢な精神に取りついていた魔物は死ぬ、ということか!」

 

 子どもが手に握っていた視紙は過激なエロ本の切り抜きである。子どもには刺激が強すぎたのだ。

 そこに写っているのは見知らぬ美女の大胆な絡み合い、無修正版エロ視紙だ。大人のサンドラットですら鼻血ものである。


 「なんてものを隠しもっていたんだ、カイン!」

 これがとどめを刺した1枚に間違いない。

 これはかなりヤバい代物だ。これがもしセシリーナに見つかったら、カインもとどめを刺されるかもしれない……。


 だが、まあ、今はそんな心配をしている場合ではない。


 サンドラットは散らばった紙片を集めた。セシリーナの水着と一緒に、様々な美女の無修正モロ視紙も多く混じっている。

 いくら何でも子どもが目を覚ました時にこれが一枚でも残っていたらまずいだろう。


 「まさか袋の中身がこんなに大量のエロ本の切り抜きだとは思わなかったんだな。哀れな奴だ」


 カインのお宝が悪い魔物、古の邪神の眷属を撃破したのである。サンドラットは魔物退治の決め手となったエロ……いや、カインのお宝をさっさと袋に戻すと、その場を後にした。


 子どもは、しばらくは目覚めないだろうが、この付近にはあれ以上危険な化け物はいないようだし、蠢く白い手は意味不明の存在だが、直接害はないようだ。放っておいても大丈夫だろう。


 第一こっちは逃亡者なのだ。これ以上、面倒事に首を突っ込む必要はない。


 戻ってみると、セシリーナとカインがどうやって背負い袋を取り戻したか聞いてきたが、サンドラットの口は固い。


 カインのお宝の無修正エロ本が魔物にトドメを刺したなどとセシリーナの目の前で言うわけにはいかないのである。


 友を危険な目にはあわせられない。ーーーー男気のあるサンドラットなのであった。




―――――――――――――――――――――――――――――


『帝都ダ・アウロゼの何でも屋騒動記―― 恋する魔女は魔法嫌い』の第4章 『畑の真ん中で魔女は叫ぶ ―それって美味しいの!』の話が、この話の前日談扱いになります。よろしかったらそちらもお読みください。

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