6 シズル大原

第86話 大食い美少女と大平原の小さな村

 ◇◆◇


 「うふっ!」

 クリスは今、幸せに包まれていた。

 目の前には、焼き立てのお菓子が皿一杯に積まれている。


 「あの、お客様、お茶のお代わりをお持ちしました」

 カタカタと手を振るわせながらカップを交換する給仕の顔が引きつった笑顔を浮かべる。


 「うむ。良し」

 クリスは手を止めない。


 砂糖のついた指をぺろりと舐める。


 お代わり自由とは言ったものの一体何皿め、何杯めなのか。カウンターの中で店主が頭の中で必死に赤字計算をしている。


 村で唯一の喫茶店でもある。店内にはカップルの姿が多いが、その中で一人異彩を放っているのがクリス。


 物凄い美少女である。

 それが窓際で一人黙々とお菓子を食べている。


 カップルで入ってきた男たちがついついクリスに見惚れてしまい、お怒りの彼女が彼氏の耳を引っ張ったり、脛を蹴る様子があちこちに見られる。


 大食らいだが、食べ方も可愛い。

 いや、何をしてても可愛い。とにかく可愛い。凄く可愛い。


 男たちの視線が釘付けになってしまうので、怒って彼氏を引っ張って店を出て行く客が後を絶たない。


 まずいぞ。

 これは、彼女が居るだけで営業妨害じゃないか?

 しかもお代わり自由のメニューを選んでいるため、そっちの方も既に赤字ゾーンに突入している。


 これほど大食いの娘がこの世界にいるとは!

 このままではまずい。なんとかせねば!


 やれっ!

 店主は給仕に目配りをした。

 作戦Aだ。Aを実行しろという合図。

 

 給仕はごくりと唾を飲む。


 「お客様、お菓子はお気に入りましたか?」

 給仕の若い娘が尋ねた。

 「うむ、おいしい、気に言った」

 親指を立ててウインク。

 ふわあああああああ! と意識が持っていかれそう。

 女ですらその笑顔にクラクラきそうなほどクッソ可愛いが、職業意識で耐える。


 「コホン……、ええと、折角ですので、お店のサービスで二階のテラス席をご用意しました。そちらで召し上がっていただくと、違うお菓子をサービスで一皿ご準備しますが、どうでしょうか?」

 キランとクリスの目が光り、ガッと目の前のお菓子皿を抱えた。


 「案内、しなさい」

 二階のテラスは道路に面しており、見晴らしが良い。


 定期市が出ている通りには人が溢れている。

 本来は結婚式や特別なお祝いの時にだけ解放する場所で村一番の豪華さだ。通りを見下ろす花々と緑に囲まれた木製の丸テーブルに案内される。


 「こちらにおかけください」

 勧められるまま腰をおろし、新たに準備された茶をすする。


 「よし、これで危険人物を一階から隔離することに成功した。後は二階に一人がけのテーブル付きのイスをありったけ準備しろ! 急げ! 宣伝魔鏡も展開させろ!」

 「はい」

 店主の号令と共に二人の給仕が忙しなく働く。


 その頃、既に店の外では異変が起きていた。

 突然、店の前に結婚式の中継で使われる魔境が複数出現すると、花に囲まれた美しい少女を映し出す。そして魔境の動きに誘われるように視線を上げていくと、そこには……。


 ざわざわと足を止め、男たちが見上げる。その視線の先には優雅に寛ぐ美少女が一人。


 「誰だ? あれは」

 「凄い美人だ! 今まで見たことが無い」

 「まさかクリスティリーナ様? じゃないよな」


 店の入口で様子を見ていた店主はニヤリと悪い顔になる。


 ドドド……と店内が一気に人で溢れた。

 「お茶セット! 二階席で!」

 「俺もだ! 時間制限なしのやつで」


 「二階は特別席です。料金割り増しになりますけど、よろしいですか?」


 「いいから早く案内しろ!」

 「おいっ! そいつより俺が先だ!」


 「お、お待ちください!!」

 「今、ご案内しまーす!」

 給仕があたふたと対応する。


 そして、あっと言う間に二階が満席になっても、店の外の人混みは減るどころかむしろさらに増えて行く。


 「なんだか、うるさくなった」

 パリッと焼き菓子をかじりながら、クリスはつぶやいた。


 指先をぺろっと舐めると、誰かが倒れる音がした。

 横目で見ると、2、3人の男がひっくりかえっている。クリスのあまりのかわいらしさに失神したのだ。

 「何、してる?」

 しかし、興味はない。すぐに視線を高原から続く道に移す。


 愛しい私のカイン。

 ああ、そろそろ村の入り口近くまで来たころか。

 本当は真っ先に自分が迎えに行きたいところだがイリスに別の仕事を頼まれている。何よりも「会えない時間が愛を育むのよ」というイリスの一言が効いた。


 「カインを、焦らして、次に、お会いした時こそは」

 そうつぶやいてぺろりと砂糖の付いた指を舐める。


 クリスのあまりにも艶めかしい指嘗めを見て、またも卒倒した男たちが店内に回収され、新たな客が案内されている。


 売り上げは一気に数十倍。

 店主と給仕は互いに顔を見合わせ、さらに悪い笑みを浮かべた。


 しかし、高い金を払って席を確保したというのに男共は遠巻きに座ってちらちらとクリスを見るだけで、誰も声をかける勇気のある者はいない。


 美人すぎて近づけないというのが理由だが、クリスの席だけ離れているせいもある。

 クリスの席の手前には寄せ植えの花が置かれて物理的にも近づきがたい。あれを超えてクリスに声をかけられるのは、勇者のごとき魂の持主か、何も考えないアホな奴くらいだろう。


 まんまと店主の策にまった男共はさらに増えて店の外に急いで準備したテーブルも埋まり始めた。


 「お菓子、カインにも、食べさせたい、買って、帰る」

 知ってか知らずか、クリスはカインを想って男殺しの優しい微笑を浮かべる。


 バタン、バタンとその微笑にやられた男共が店の奥に回収される。


 やがて、店を出るクリスの手には何故かお土産として渡された抱えきれないほどのお菓子がある。クリスが姿を見せると店の外の人ごみがクリスを通すためにさっと左右に割れる。


 クリスは何も気にしない。

 お菓子を屋敷に届けたら、すぐ仕事にかかる。


 人などいないかのように通りを歩き始める。

 もちろん尾行されたりはしない。クリスが指をパチンとならすと人々の意識からクリスの姿が消えていく。


 お菓子の店に謎の大食い超絶美少女が降臨したらしいという新たな伝説が村に加わっただけである。




 ◇◆◇


 その頃、俺はサンドラットに命の危機を救われたとも知らず、その元凶となるエロ本(爆弾)を背負いながら、次の街を目指していた。


 高原から続く長い下り坂を経て、つづら折りの道を下るとその先に広い平原が広がっている。かつてのカエウ国の領土だ。


 ここがシズル大原と呼ばれる大平原地帯である。スーゴ高原の北に広がる広大で肥沃な土地で、中央を流れるアパカラ河の畔にかつて多くの小国が割拠していた。


 最大の軍事国家だったネメ国、カエウ国、カンッツ国、カッツエ国、ロウ国、ソウ国、コチョウ国、コエム公国の戦国八雄と呼ばれた国々とその他の属国である。


 ネメ国に匹敵する国力を誇ったエッツ公国という国だけは、シズル大原の南東にそびえる神の山、東コロン山地を挟んで南に広がる旧公国平原という海に面した場所にあったらしい。

 アパカラ河の戦いでネメ国が大敗して以降、人族の国をまとめて魔王国に対抗しようとした唯一の国である。エッツ公国とその同盟国の街や村は大戦で徹底的に破壊され今では無人の廃墟になっているという。このエッツ公国こそ囚人都市で亡くなった老騎士ヨデアスの故国だったのだろうと俺は思っている。


 これらシズル大原や旧公国平原の国々からみれば、魔王の統べる魔王国など歴史の浅い北方異民族の国の一つに過ぎなかったそうだ。

 

 


 中央大陸一の穀倉地帯に続く長い一本道を進むと、最初の集落が遠くに見えてきた。周囲には良く手入れされた畑と果樹園が広がっており、土地の肥沃さが実感できる。


 「ここまで一人の帝国兵にも出会わなかったな。俺たちは運がいいぜ」

 サンドラットが振り返った。

 「この分なら、お昼前にはあの集落に着きそうだ、やれやれ。良い宿が見つかるといいな」

 と俺は重い荷物を背負い直す。


 「そうね。リサは疲れが出たみたい。頑張って歩いたからでしょうね。今日は早めに休ませましょうよ」

 オリナは、サンドラットが抱っこしているリサを覗き込んだ。ついさっき抱っこされたばかりなのに、もううたた寝している。


 「それにしても少し腹が減ってきたな。カイン、燻製肉はもう残って無いのか?」

 「朝、俺の分まで食ったのはお前だろ? あれで最後だよ。次の街で売り買いして、保存食とか色々補充しないと」


 「素材が高く売れるといいんだがな」

 「私は自信あるな」

 「今度こそ、俺が一番もうけるからな。見てろよ」

 「おっ、カイン、珍しく妙に自信ありげだな?」


 「そうさ」

 ここまで来る途中の草原で薬草採取や薬の材料集めにいそしんだんだ。それはもう必死に。

 だから荷物が重いのは別にエロ本やヌルヌル液のせいだけじゃない、今回はちゃんと売り物になる収穫物が入っている。


 「俺やセシリーナも今回も負ける気はしないぞ?」

 「そうよ、私の毛皮だって高いんだから。高級素材なのよ」

 と背負った毛皮の束を見せる。


 得意の弓で、草原スカンベという鼠とウサギを合わせたような魔獣を狩って、そのモフモフの毛皮をなめしたもの。言われて見れば毛皮は高級かもしれない。


 サンドラットは小川で砂金採集していたが、宝石の原石を見つけたとか騒いでたな。


 うーーむ、今度は誰が一番儲けるか。

 だが、今度は俺にも自信がある。何しろ俺には秘密兵器があるのだ。

 

 薬草採取をしながら森に入った時、食肉植物に食われた大型魔獣の大きな骨を偶然見つけた。骨に肉は残っていなかったが、膝から生えた黒く光る鋭い角に見覚えがあったのですぐに分かった。

 そう、あれだ! 

 デッケ・サーカの街の薬草店でハベロが売っていた、なんたらとかいう魔獣の角! ハベロの店でキザな魔族のケツに刺さったあれ! 一番の高額商品だったことはしっかり覚えている。


 ただ、ちょっと違うのは縦に一条の白い線が入っている。そのせいで粗悪品だと言われないか、それだけが少し心配だが、その程度は個体差だ……と信じよう。


 なにしろこれは壮絶なモンスターと戦って奪い取ったアイテムなのだ。あれは恐ろしい戦いだった。思い出しただけで気持ち悪くなる。

 「おっ! これは角!」と拾ったら裏に肉を齧る気持ち悪いミミズみたいなのがウニョウニョ! 人差し指よりも太くて長い太長虫が何匹もいて、思わず「へうぎゃあああ!」と悲鳴を上げて角を放り出した。


 だが、そこは俺も騎士の端くれ。

 俺は勇気を奮い立たせ、棒きれ片手に悪戦苦闘、ようやく虫どもを一匹一匹排除して奪い取った戦利品なのだ。これが安かったら泣ける。だが、目論見どおりならば……。


 「ふふふ……今度こそセシリーナとサンドラットがびっくりしている顔が目に浮かぶぜ」

 にやにやしながら歩いているとサンドラットが立ち止まる。


 「おう、見ろよ、どうやら村に着いたようだ」

 「やっと着いたかぁ。何か食えそうかな?」

 なだらかな丘を越えると集落が見える。町と呼ぶには気が引ける素朴な家並みが広がっている。


 「あれがとりあえずの目的地、アッケーユ村よ」

 「早く行こうぜ」

 「ああ」

 腹が減っている俺たちの足取りは自然と早まる。


 集落の入口には目立つ大きな門柱が街道を挟んで向かい合うように立っている。

 集落を囲むような城壁も無く素朴な風景が広がっている。

 丸太を立て並べた柵が村の内と外の境になっている。その柵の間近まで果樹園が続いており、のどかな田舎村といった風情だ。


 もちろん村の入口には出入りを取り締まる帝国兵の姿もなく、砦や監視塔のような建物も見当たらない。囚人都市近くの南郡のあの厳しさが嘘のようだ。


 俺たちが近づいて行くと、村の門柱の背後に人だかりができている。


 「何かしら?」

 「何だろうな?」

 目を細めて見ると、門柱の前で手を振っている人の姿がある。


 「誰だ? 誰かの知り合いか?」

 サンドラットが怪訝そうにつぶやいた。


 顔が知られているのはセシリーナだが、今はオリナに化けているので違うはず。もしも人違いで手を振っているとしたら、何だかすごく気まずい。


 「本当に誰かしら? あ……」

 「あ……」

 「ヒュー」とサンドラットが口笛を吹いた。


 それが誰なのかわかった。特にサンドラットは既に目がハートになっている。


 「マスター! ご到着をお待ちしておりましたーーっ!」

 大きく手を振っている紺色のメイド服。

 あのポニーテールはどう見てもアリス。


 アリスの背後では門柱に隠れるように――というか人数が多すぎてさっぱり隠れていないが――村中の男共が集まっているようだ。


 帝都でもめったに見かけないほどかわいい美少女が村の入口に立っている、というので噂になり、野次馬や年頃の若い連中が押し掛けて、朝から大騒動になっていたのである。


 誰が先に声をかけるか、押しあいしているが、結局誰も声をかけそびれている。


 「目立つ行動はやめろと言っておくべきだった?」

 「何言ってんの、今さらでしょ?」

 俺たちは注目を浴びるのは非常にまずい。


 人違いです、と知らんぷりして引き返して、別の街に行こうかとふと思うが、考えてみると俺はこのロッデバル街道しか道を知らない。


 道に迷って危険地帯に踏み込んだら、真っ先に死ぬのは自分だろうという妙な自信だけはある。


 そんな俺たちの気持を知ってか知らずか、3姉妹で一番乙女チックなアリスが無邪気に駆け寄ってくる。


 「カイン様ーっつ! お待ち申し上げておりました! 少々予定よりお時間がかかったようですが何かありましたか?」

 アリスは息を弾ませ、なんと俺に抱きく。

 その勢いに負け俺は一回転半。


 ようやく止まると目の前にアリスの澄んだ瞳と潤んだ愛らしい唇がある。俺の首に腕を回し、まるでキスをせがんでいるかのような体勢にむっとしたオリナが頬を膨らませ俺の袖を引っ張る。


 「あー、アリス!」

 リサが目を覚まして手を伸ばす。

 「リサ様! ご無事でなによりです」

 「アリスぅ!!」

 リサはアリスに飛び移って頬ずりする。


 「まさかあの娘の子どもか?」

 「あの男との、子か? まさか。まさかな」

 ずももも……と門柱の方から何だか不穏な気配が立ち上るのは気のせいだろうか。


 「お待ちしていたんですよ。さあ、こちらへ。ご案内します」

 そう言うとリサの手を引きながらアリスはさりげなく俺に腕を回す。そして腕組みしながら意気揚々と歩き始める。

 左右に人ごみが自然に別れ、その中を俺とアリス、オリナとリサ、サンドラットの順に進む形になった。


 アリスは嬉しそう。

 俺を覗き込む瞳が輝いている。誰が見ても恋する乙女の顔。

 ぐさぐさと周囲から俺に視線が突き刺さる。


 背後からのオリナの視線も痛い。

 目立たないようにしなければならないと言うのに。最初から敵意丸出しの視線の出迎え?

 

 しかもオリナは俺の背後を取り、それ以上くっついたら、お尻蹴っ飛ばすぞ! という気配を放っている。うむむ、俺のケツの危機は間近に迫っているようだ。

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