第87話 <<魔獣討伐戦1 ―東の大陸 サティナ姫―>>

 「奴らの尻を蹴っ飛ばせ!」

 「うおおおっ!」

 魔馬に跨った騎士たちが一斉に剣を抜いた。巨大な虫が砂の中から次々と姿を現した。


 ーーーードメナス王国魔獣ヤンナルネ討伐軍の出陣から約1カ月余りが経過し、魔獣討伐戦は佳境に入っていた。


 各個撃破されていた魔獣たちが集まり始め、大きな群れをつくって、ドメナス王国北部、大砂漠の畔に位置する大都市イスクルベを目指して南下を始めたのである。


 これまでの戦況は悪くはない。王国軍の損失は想定の範囲内である。だが、魔獣たちも知恵をつけた。

 集団戦は熾烈を極め、その戦闘規模も次第に大きくなってきていた。


 群れをなしたため単独で倒すよりも困難さは増したが、集まってくれたことで虫の総数や行動形態は次第に明らかになってきている。


 現在、おびただしい魔獣の大群は目の前の群れの他、現在2~3群に分かれて大砂漠を南下中なのである。



 ーーーーーーーーー

 

 大砂漠中央部まで突出したドメナス王国第一軍は、その大規模集団の一群と会敵し、激しい戦闘状態に入っていた。


 「魔獣ヤンナルネの第1級母集団を確認! 右翼抜刀! 展開を開始しました!」

 第1級母集団と言えば、虫の群れの全体の三分の一に相当する巨大な群れだ。旗艦の指令室に緊張が走った。


 指令室の前方の空間に青白く透けた四角い枠が浮かんでいる。それは副官のマクロガンが展開した魔道鏡である。


 彼は家柄や身分ではなく、その能力と才能を買われて副官に任命された優秀な男である。その能力は遠隔魔鏡だ。上空を行く使い魔の視点で戦場を見下ろすことができる。


 「よし、右翼を援護射撃! 初弾の着弾を合図に、中央に装甲魔獣隊が突撃! 初撃で集団を率いている雄を仕留めろ! 左翼の戦況報告はきたか?」

 今回の討伐隊の第一軍指揮官、大貴族のガルナン伯が通信士カルバーネ嬢を見た。


 カルバーネは溌溂とした雰囲気のムードメーカーの女性通信士だ。昨日までとその印象が違うのは、決戦を前に髪を短く切りそろえたからだろう。

 まだ独身ながら、面倒身の良さと持ち前の明るさで部隊員の心を掴んでいる才女である。


 「報告はまだです!」

 そのカルバーネが深刻な顔をして首を振る。


 遭遇戦が始まって数刻である。

 魔獣の集団から奇襲を受けたという通信を最後に左翼からの連絡が絶えている。嫌な予感がする。指揮所の空気が重くなってくる。


 「我が本隊は、左翼の支援に向かう。旗艦を中心に錐陣に移行せよ!」


 ガルナンは杖で床を小突いた。


 本隊通信士のターム・ラロがその能力で思念波を発すると、旗艦の前後を走っていた装甲騎馬隊が隊列を変えていく。


 「本体、北西10へ進路変更! カルバーネ、後陣のマルネを旗艦に呼べ、彼に左翼の状況を確認させる」


 「はい、騎士マルネを召集します」

 カルバーネが反唱する。


 魔獣ヤンナルネ討伐部隊の第1軍旗艦サンドビートは、片側の大車輪を空転させるほどの勢いで方向を変える。




 ーーーー旗艦サンドビートは、装甲魔獣10頭が引く楼閣式大型戦闘指揮車である。


 炸裂魔弾の主砲は前後で4門、側面には片側6門の大型弩と12門の通常速射型の連弩を備えている。陸上の戦艦と呼ぶべき機動兵器でドメナス王国以外にこれを保有する国は無い。砂漠での戦闘を想定して車輪は大型で幅が広いものに換装済みである。


 「騎士、マルネの乗船を確認しました」

 カルバーネが魔法を展開して叫んだ。


 少し間をおいて、指令室の扉が開き、階下から登ってきた銀の甲冑に身を包んだ騎士が姿を見せた。

 マルネもマクロガン同様に魔鏡の使い手である。


 「マルネ、命により参上しました」

 「よし。通信士タームはマルネを補佐しろ、マルネは使い魔を前方左翼の予定位置へ放ち、魔境を展開、左翼の戦況を確認しろ! 急げ!」

 ガルナン伯が指揮台の上で叫ぶ。


 訓練された部下たちの動きは機敏だ。


 「右翼、攻撃成功! 中央を装甲魔獣隊が切り崩しています。右翼、援護のため側面から魔獣ヤンナルネB集団の攻撃に移行!」

 訓練通りの的確な動きだ。


 その時、ざわっと指令室の空気が変わった。

 マルネが展開した魔鏡に前方の景色が映し出される。


 「左翼確認、状況は…………」

 マルネの声が詰まる。

 「どうした?」


 「左翼、敗走中です! 被害は…………」

 

 聞くまでもない。

 魔境に映し出されたのは、おびただしい友軍の死体だ。


 ヤンナルネの成獣の集団が黒い巨体で群れをなし、砂漠の表面がまるで海のように波打っている。


 「あれがこの群れの主力、成獣の群れだったか!」

 ガルナン伯が杖をぐっと握りしめ、眉をひそめた。


 先行部隊の報告にあったのは、若い個体約50匹からなる群れが3群移動中ということだった。それぞれの位置を把握し、各個撃破のうえ本隊である成獣の群れを探す手はずだったのだ。


 成獣の数は発生日から計算して200~300匹と予測されていた。若い個体を1匹倒すには5人、成獣を1匹倒すには10人の歩兵が必要だ。だが、左翼を攻撃した成獣と若い個体はそれぞれ500匹以上いるように見える。


 こちらには装甲魔獣隊と装甲騎兵隊があるが、左翼を失った第1軍が総力を挙げて攻撃しても駆逐するには既にぎりぎりの数だろう。


 「成獣の群れは左翼を襲った集団の若い群れの中にひそんで移動していたようです!」

 タームが状況を分析して伝達した。


 「奴らも賢くなったものだ」

 前方の魔獣ヤンナルネは既に圧倒的な数的優位に立って、抵抗を続ける騎士たちを次々と血祭りに上げている。この地点だけで既に予測の数倍の数である。他の地点で目撃されている群れも同じような数であったとすれば、恐ろしい事態だ。


 既に左翼は軍の形を成していない。散り散りに逃げる者は次々と魔獣の餌になっている。


 「くそう、乱戦では主砲も使えないか」

 ガルナン伯は攻略手段を練る。右翼が合流する時間的余裕は無い。本隊だけではあの数の魔獣ヤンナルネの成獣を駆逐することは難しい。


 できるとすれば敵に一撃を加えつつ、左翼の生き残りを救えるかどうか。


 「指令する! 本体はこのまま錐陣であの魔獣の群れに突撃、左翼の生き残りを拾い上げつつ、そのまま前方に突き抜ける。良いか! けして止まるな! 今回は敵の殲滅が目的ではない! 信号弾を上げろ!」


 一旦、この敵の主力は見逃すしかない。


 魔獣たちは南にある街イクスルベに向かっていることは間違いない。右翼と合流後に後方から追撃し、第2軍、第3軍と挟撃するのが考えうる最善の策だろう。


 信号弾が放たれ、上空で大音響を響かせた。

 これに気づいた左翼の兵が合流を図るはずである。


 「行けえーー!」

 指令室の誰もが一斉に叫んだ。

 先頭の装甲騎馬隊が血まみれの状態で混戦の場へ突入する。


 主に歩兵と騎兵の混成からなる左翼とは異なり、機動力と突破力が本隊の強みである。


 魔獣ヤンナルネの血肉が前方で四散する。

 旗艦サンドビートの側面の大型弩と連弩が周囲の敵を貫く。虫が肉片となって吹き飛ぶ。


 疾駆するサンドビートの後方から、普段は車体底に格納されている2隻の大型砂舟が射出された。


 砂舟は長方形の陸上舟で、本体を停止することなく物資の搬入等を行う目的で装備されている。その舟に左翼の生き残りたちが次々と走り込んで乗り込む。


 1隻ずつ交代で綱が巻き取られ、砂舟は旗艦の後部に接舷し負傷兵を回収していった。 


 装甲騎馬隊も一人二人と生存者を載せる。

 しかし、そのため全体の進撃速度が低下していく。


 「主砲、前方後方、同時発射!」

 ガルナン伯の声に呼応して、炸裂魔弾が射出された。

 魔力射出のため音も反動もないが、着弾地点に大きな火柱が上がる。吹き飛んだ魔獣の四肢が宙を舞う。主砲で開けた前方へ一団となった本隊が抜けていく。


 「後方、敵魔獣の追跡の気配なし!」

 マルネが魔鏡を見て叫ぶ。




 ーーーーーーーーーー


 「ふぅわあー、助かったあーーーー」

 通信士カルバーネがようやく額の汗をぬぐった。


 その間の抜けた声に、周囲で笑いが起き、ガルナン伯も初めて自分の手もこわばっていたことに気づく。


 ーーーー本隊は止まらずに、そのまま砂漠の所々にある岩場の平原まで進み、ようやく歩みを止めた。これまでの経験から魔獣は岩場には入って来ないことが分かっている。

 

 「右翼合流まで時間がある。左翼の生存者の手当てを行え、各自馬を休ませろ。かなり疲弊したはずだ」

 ガルナン伯は指示を出すと副官マクロガンの肩を叩いた。


 「よくやったな」

 「あ、ありがとうございます」

 マクロガンはようやく肩の力を抜いた。


 彼はずっと右翼の隊長に指示を出していたのだ。魔鏡には母集団から分れて移動していた中規模集団を駆逐してこちらに向かう右翼隊の姿が映っている。


 すぐに岩だらけの平場に布で簡易な日よけがつくられ、負傷者を休ませるが、左翼1000人中、生還者は今のところ100名弱だ。全滅と言っていい状況である。後方に輜重部隊と共に残してきた兵力を補充しても優秀な隊長クラスの人材をほぼ失った左翼部隊の立て直しは絶望的だ。


 「負傷者テントの周囲に魔具で結界を展開させておけ。戦況によっては、彼らを一時ここに置いて行かざるを得ない。左翼隊の生き残りも集まってくるかもしれん。左翼騎馬部隊の生き残りをここの警護に付かせろ!」


 ガルナンは頭の中で残存兵力の再編を行う。


 特に左翼の装甲魔獣隊を失ったのは痛い。

 力押しが難しくなった。

 今の状態では第1軍が総力を挙げてもさっきの魔獣の群れと相討ちになるのが関の山だ。ここで辛くも勝利しても戦闘の継続は不可能になる。後続の第2軍、第3軍と力を合わせるしかないだろう。 


 「ん?」

 マクロガンと共に負傷兵の様子を見て回るガルナン伯の元に、息を切らせてタームが走ってきた。


 「ガルナン指揮官、伝令です!」

 その様子がおかしい。


 「ここではまずい話か? あっちで聞こう」

 マクロガンは不安を感じながら言った。

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