第88話 <<魔獣討伐戦2 ―東の大陸 サティナ姫―>>
「どうしたというのか?」
旗艦の大車輪の影に入るとマクロガンが振り返った。タームの表情は硬い。よくない話であることは間違いないだろう。
「伝令とは?」
「はっ、第2軍が魔獣の大規模集団の奇襲を受けたとのこと。位置は、我が軍とイクスルベの街の中間地点、只今交戦中とのことです!」
「ふむ、予想よりずっと街に近いな。迂回されたか? さっきの魔獣の移動速度からすれば、別の魔獣の集団だろう。それで戦況はどうなっておる?」
タームは唇を歪めた。
嫌な予感にガルナン伯は眉をひそめた。
「芳しくはないようです。大型の魔獣が主力の第1級母集団に匹敵とのことであります」
「まずいな、さっき交戦した魔獣たちまで合流すると第2軍が壊滅する可能性もある。準備を急がせろ、第2軍のリーガ指揮官は守りに関しては粘り強い男だが、今回だけは厳しいかもしれん」
ガルナン伯は険しい目をした。
「はっ、ただちに準備させます!」
マクロガンは敬礼した。
「ターム、全軍に伝令だ! まもなく出発する、重傷者はここに残らせろ。右翼軍には我が方の位置を常に連絡、本隊の後を追うよう伝えろ。ここで合流を待っていては間に合わないかもしれん!」
「はっ! 了解しました!」
休息用の簡易テントが回収され、慌ただしく準備を整える。傷病テントの前では左翼騎馬隊の生き残りが旗を振って旗艦の出撃を見送っている。
幸い、馬への補給は終わり、装備等の補修も一応済んだ。
装甲騎兵隊が旗艦の前後に、装甲魔獣隊が左右に配置されていく。ゆっくり動き始めた旗艦の指令室でも出発準備が整う。
高い指令塔の四方の窓が開かれた。
「!」
マクロガンは目を疑った。
「あれは」
カルバーネ嬢が思わずイスから立ち上がって叫んだ。
「ガルナン伯、敵です! 囲まれています!」
タームが叫んだ。
冷たい汗が背中を伝った。
第1軍の周囲に魔獣ヤンナルネの群れが蠢いていた。
「数が多いぞ、さっきの生き残りだけじゃないぞ」
マクロガンは唇を噛んだ。別に移動してきた集団とさっき戦闘した集団が合流したのだろう。見たこともないような数に膨れ上がっている。これほどの数がこの地に集合してくるとは想像できなかった。まるで地平線が蠢いているようだ。
「どうします? 成獣だけでも1000匹はいるようです」
命令を待つカルバーネがガルナン伯を見上げた。
その老将の顔にも険しさが見える。
「ここには傷病者がいる。ここを離れ、敵を引き付けるぞ。東へ主砲による攻撃を行う! その後、主砲で穴のあいた地点から脱出する! うまくすればこちらへ向かっている右翼と合流できる。そのまま一旦東へ向かい、第2軍のいる方向から奴らを遠く引き離し、その後に方向転換して第2軍の救援に向かう。今回も必要なのはスピードだ!」
ガルナン伯が指令を下した。
「奴らは包囲しているから、一点だけを見れば数は少ないぞ! 主砲準備! 着弾地点から包囲網を突破する!」
タームが思念で全員に作戦の内容と意図を伝える。
この思念波による即時連携が王国軍の強さなのだ。
通信術や魔鏡による情報把握等の技術はドメナス王国が他国を遥かにリードしている。他国の歩兵が陣形でしか動けないところをドメナス軍はより柔軟に動くことができるのだ。
旗艦サンドビートが突撃方向に向け機首を変えた。
固定主砲が撃てる範囲は限定的である。進行方向に向いた砲塔が仰角を調整している。
蠢く魔獣の包囲網が見る見る縮まってきたように思えるのは、次々と奴らが数を増しているからだ。
それは勇猛な騎士たちですら恐怖が湧きおこるほどの数に膨れ上がっている。
「撃てえ!」
主砲が炸裂魔弾を射出した。
かく乱のため後部主砲も同時に弾を打ち出している。
旗艦サンドビートの前後に黒煙が噴きあがった。
「今だ、行けっ! 止まるなよ!」
間髪入れず、ガルナンが叫んだ。
第1軍本隊が銀色の塊となって、吹き飛ばした包囲網の一角をめがけて走り出した。
「後方攪乱、全主砲発射! 側面大弩、敵を撃て!」
マクロガンが指示する。
魔獣の包囲網の一角が崩れた。
旗艦サンドビートの大車輪が激しく回る。
装甲騎士団が疾駆する。背後の魔獣が方位を変えてサンドビートを追って動き出す。
おかしい?
タームが異常に気づいた。魔獣の連携行動が異様に早すぎる。まるで指揮されているようだ。普通なら一匹が動いた後にそれに引きずられるように後続が動くのに、たった今のこいつらの動きは同時だった。
「司令! これは妙です! この動きはまるで。ぶっ……!」
そう叫んだタームが不意に鼻から血を垂らして崩れ落ち、片膝を床についた。
「ターム!」
側にいた通信士カルバーネが脇からとっさに支えた。
「こ、これは魔獣の思念攻撃です。指揮に混乱が……」
そう呟いてタームが気を失った。
「ガルナン様! 思念攻撃を受けています!」
カルパーネの叫び声が指令室に響き渡った。
「くそっ、魔獣の中に特異体がいたか!」
ガルナンは指揮台を叩く。
特異体は魔獣の中に稀に発生する個体で、様々な特殊能力を獲得している。これは精神攻撃に近い思念攻撃だ。しかも奴らの行動が思念で一体化しているとすれば恐ろしい事態である。
早くも旗艦の周囲の装甲騎士団の統率が乱れた。
装甲魔獣隊に至っては逆走まで始まってしまった。
全体としてはまだ東へ走っているが、既に強固な一体感は失われ、隊列が乱れたために速度が大幅に落ちる。
こちらは混乱しているのに、奴らは統率がとれているのだ。
魔獣は命令されたように一直線にサンドビートめがけて集まってきている。もはや、一旦開いた包囲網が閉じる前に突破することは無理だ。
「主砲前方へ連続砲撃! 側面弩は全方位へ支援攻撃を開始しろ! 騎士を死なせるな!」
マクロガンが叫ぶ。
「右翼隊の到着はまだか?」
「通信途絶中です!」
カルバーネが答える。
「敵、左右から攻撃! 挟まれます!」
その声にマルネが窓の外を見た。
膨らみ過ぎた隊列の両翼から魔獣の群れが襲いかかった。
「振り切れません!」
足並みが乱れた装甲騎兵がなすすべもなく魔獣に打ち倒されていく。倒れた騎馬に大車輪が乗り上げ、旗艦が大きく傾く。
「うわっ!」
指令室は悲鳴に包まれた。
カルバーネたちは必死に周りの物を掴んで耐えた。
横転しなかっただけマシだったが、被害は大きい。
「主砲、砲弾庫で荷崩れ発生です! 前方、再発射まで時間がかかるとのことです!」
マルネが倒れたタームが転がらないように押さえ、艦内からの伝令を受ける。本来ならカルバーネが受ける伝令だが、通信網にも混乱が生じている。
旗艦サンドビートは大きく上下に振動し始めている。
車軸が破損した可能性がある。車軸が折れれば移動すらできなくなる。そうなれば終わりだ……。ガルナンは唇を噛んだ。
「旗艦の速度低下! 何かが引っかかっている模様です!」
「装甲騎兵隊、応戦中! 装甲魔獣隊、同じく交戦に入りました!」
カルバーネが叫ぶ。
突撃態勢のまま側面から攻撃を受けることは大きな犠牲を払うことになる。
旗艦の周囲で血しぶきが舞い、黒い魔獣の巨体が縦横に蠢く。
それでも旗艦を守ろうと騎士たちは走りながら応戦している。
「突破できるか?」
前方の魔獣の数が減った。まもなく包囲網を脱する。早く、早く抜けろ!
「今一息だ! みな耐えろ!」
司令塔上にある拡声器がガルナンの声を響かせた。今となってはこの原始的な方法しか伝達手段が無い。
突然、ガンッ!! と大きな衝撃が足元から湧きあがり、ガルナンたちは強い力で壁際に吹き飛ばされる。カルバーネも椅子から叩き落された。
轟音が響きわたり、粉塵が湧きあがった!
装甲騎兵たちは巻き込まれないように馬を操るのに必死だ。
ーーーー旗艦サンドビートは砂塵を巻き上げながら横転していった。その絶望的な光景に、巻き込まれなかった騎士たちは息を飲む。
車軸に絡まっていた魔獣の肉塊が周囲に飛び散り、外れた大きな車輪の一つが砂漠の上を慣性のまま転がって行った。
ーーーーーーーーー
「ガルナン伯! マクロガン副官!」
カルバーネはぐらぐらする視界の中で上官の姿を確認した。
二人とも無事のようだが意識がない。
自分も額から血が出ているようだ。血が目に入ってしまう。
指令室は真横になっている。旗艦は止まっているようだ。
タームとマルネも壁際で気を失っている。
「しっかりしてください。今、救助を呼びます!」
カルバーネはガルナン伯の肩を担いで、ドアが吹き飛んで開き離しになった入り口から身を乗り出した。
その顔に血しぶきが降りかかった。
周囲はまさに地獄絵図である。
騎士たちも魔獣も次々死んでいく。
しかし、不利なのはこちらだ。魔獣は包囲に回っていた新手が次々と集まってきている。その圧倒的な数に対抗できるだけの戦力はもはや残っていない。全滅……そんな言葉がカルバーネの脳裏をよぎる。
だが、その愛らしい瞳が絶望に染まる寸前に、その目が遠くに何かを見つけた。
「あれは?」
身を乗り出すカルバーネ。
その背後に、黒い巨大な大顎が音もなく近づいていた。
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