第83話 白き手

 翌日、街道は朝から深い霧に包まれていた。


 この季節としては珍しいが、大原の湿った風が高原に向かって吹くとこのような濃霧になるのだそうだ。日は既に高く登っているはずだが、石畳の道は白い霧に吸い込まれるように見えなくなっている。


 「ねえ、カイン、本来ならとっくに次の野営地点を過ぎているはずだけど……案内版もなにもないわね。もしかして道が違うのかしら?」

 セシリーナがふと足を止め、今来た道を振り返った。


 「道はずっと一本道だったろ? 石畳の道から外れないように歩いていれば着くはずだよな?」

 「街道につながる脇街道も多いからな、どこかで気づかないうちに本街道が曲がっていて、知らず知らず脇道に入っていたのかもしれんぞ?」

 サンドラットが辺りを見回す。


 「今いる地点がどこなのか、分かればいいんだけどな、この霧じゃあな」

 「あっ、カイン、あそこに何かあるよーー、ほら、ほら、あそこだよ!」

 リサが指差すが、白い霧で覆われて良く見えない。


 「ほらほら! 見て!」

 んー、試しにリサと同じ視線になってみると、なるほど、地面近くの方が霧も薄いようだ。


 「リサの言うとおりだ。この向こうに建物があるみたいだ。この辺りに村なんてあったかな?」

 「村ねぇ? 軍事上必要な町とか村は大概覚えているんだけれど、こんな所に村なんてあったかしら? もしかすると村じゃなくて大昔の遺跡かもよ、生活の匂いがしないわ」

 セシリーナがくんくんと鼻を鳴らした。


 「見て!」

 リサが叫んだ。

 さあっと風が舞い込んで霧が薄くなった。

 街道の石畳に立ち止まって話をしていたつもりだったが、こうして霧が晴れてくると、やっぱりだ。

 俺たちは周囲を古い石壁に囲まれた広場のような遺跡にいる事に気付いた。


 「ここは?」

 「うーーむ、これは、最近の村じゃないな、人が住まなくなって百年以上は経っているような感じだ」

 「やっぱり遺跡かしら? たしか大森林の中には大昔の遺跡があったような気がするわ」

 「じゃあ、ここは大森林の中なのか? いつの間にか西に反れたってことか?」

 街道の石畳だと思って歩いてきたはずが、いつの間にかこの遺跡へ向かう道に迷いこんでいたらしい。


 「どうやら迷ったらしいな」

 「引き返すか?」


 「見て、後ろの道も真っ白だよ!」

 リサが指差した。

 再び濃霧が隙間を埋めるように流れ込んできていた。


 たった今通って来たばかりの道がすっかり霧で覆われ、まったく先が見えなくなっている。うかつに進むとまた迷いそうだ。


 「困ったわね。どうする? 少し早いけどここで野宿しちゃう?」

 「視界がまったくない中で、匂いや音で襲ってくる魔物がいたら危険だな」

 「野宿するにしても、少しでも安全なところを見つけないとな」

 霧の中に崩れた石壁が重層的に広がっている。


 「カイン!」

 辺りを見回していた時、リサが俺の手をぎゅっと掴んだ。

 「あれを見て!」

 セシリーナが声を上げた。その時、霧だと思っていたものに異質な何がが混じっていることに気づいた。


 周囲を取り囲む瓦礫の壁から生えた何かが動いているのだ。


 「!」

 白い手だ。壁から手のようなものが生えて、ゆらゆらと俺たちを招いているようだ。


 「おい、何だあれ? 化け物か? あんなの見たことねえぞ」

 サンドラットがそう言って斧を手にする。


 「囲まれている、不気味だな。亡霊なのか?」

 「でも敵意や危険は感じないわ。気持ち悪いけど」

 「ゆらゆらして不気味ーー」


 霧が集まり、次第に白い手が周りに増えていく。

 俺たちは武器を手にしたが、白い手は揺れ動くだけでそれ以上何の変化もない。それ自体、霧が集まってできているように見える。


 「ねえ、セシリーナ、誰かが助けを呼んでるみたいだよーー」

 リサが急にセシリーナの足にしがみついて見上げた。


 「助けですって?」

 「あの白い手が助けを呼んでいるのか?」


 「違うよ。もっとずっと奥の方から、ほら、聞こえるよ」

 リサは消え入りそうな声を手繰りよせるかのように耳をそばだてる。「本当だ」とセシリーナが手を耳にあててうなずく。


 俺にはまるで聞こえない。サンドラットの顔を見るが、俺もさっぱりだというリアクションだ。俺だけが聞こえないわけではなさそうだ。


 「子ども、子どものようだわ。男の子よ!」

 「呼んでる、あっちだよーー」


 「あっ、リサ、待てよ!」

 俺が止める前に、壁の割れ目をぬけて、タタタとリサが走りだしてしまった。

 

 俺は荷物を背負い直して後を追うが、セシリーナの方が早い。彼女は素早く白い手の壁を飛び越え、リサの後を追った。


 白い手は見た目は不気味だが、実はほとんど霧と同じだ。

 近づくと煙のように存在がぼけるが無くなるわけではなく、まるで壁から湧き出しているようだ。振り払ってもまた同じように生えてくる。


 「こう霧が深くっちゃあな。見失ったぞ、どっちに行ったかわかるか、カイン?」

 「おーーい、セシリーナ! どこだ!」

 叫んでみたが返事はない。ただ白い手が俺とサンドラットを取り囲むように蠢き、濃い霧が視界を埋めていくだけだ。


 この濃霧のせいでリサを追ったセシリーナまでどこに行ったかわからなくなってしまった。


 「た…………助けて…………」

 その時、初めてその声が聞こえた。子どもの声だ。


 「おい、今の聞こえたか?」

 「ああ、この近くだ」


 「た…………助けて…………」


 「わかった! こっちだ、この後ろだ!」

 サンドラットが苔むした倒木の上を飛びこえた。

 俺もすぐ後に続く。


 「いたぞ! あれだ!」

 サンドラットが駆け寄っていく先に、壁の白い手にからめとられている男の子が見えた。


 「坊主、大丈夫か?」

 服装からすると旅人ではない、ごく普通の村の子どもという感じだ。こんな所に村があるとは思えないが。 

 「白い手に掴まっているのか?」

 俺も駆け寄って短剣を手に取る。


 「これは擬態だ。白い手に似ているが、こいつは人食い植物の一種、蔦を周囲の環境に似せる奴だ。白い手に化けていたんだ」

 そう言って、男の子の腕を掴んでいる蔦に斧を振りおろした。


 「我慢しろ! 怖くないぞ!」

 俺とサンドラットが短剣と斧を振るたび、金切り声に似た音を放って蔦が切断され、緑色の粘液がぼたぼたと地面に落ちた。

 最後に足に絡みつく太い蔓を切って、ようやく俺たちは子どもを蔦から引っ張り出した。


 「もう大丈夫だ、危なかったな」

 「どれ、脚を見せてみるんだ」

 男の子は膝に怪我をしている。大した傷ではないが、この付近は衛生的とは言い難い環境だ。雑菌が入ったらまずいだろう。


 「少しみるが我慢しろよ」

 俺は背負い袋を地面に置くと、ガチャガチャと薬瓶を取り出して薬を塗ってやる。


 「坊主、どうしてこんな所にいるんだ?」

 斧の柄を軽くベルトにはさんでサンドラットが屈んだ。


 「この先に村があるんだ。この遺跡には貴重な薬草が生えるのでたまに来るんだよ」

 男の子はふぅふぅと傷に息を吹きかけた。


 「薬草だって? 見かけなかったなぁ」

 俺がつぶやきながら薬を収納すると、男の子はすっと立ち上がった。


 「おじさんたちは商人? どこから来たの? 隊商で来たの?」

 「隊商じゃないんだ。旅人さ」

 「ふーん、隊商じゃないんだ」

 男の子が首をかしげた。


 「そう言えば、リサとセシリーナはどこに行ったんだ? 俺たちより先に行ったはずだよな、おかしいな?」

 「こう霧が深くては……」


 その時、わずかな風が霧の中を吹き抜けた。

 

 「いたぞ! カイン!」

 すぐ隣の空き地にセシリーナとリサが互いに背もたれ、座りこむように倒れているのが見えた。だが、どうも様子が変だ。気を失っているのか、周りの四方の壁から白い手が伸びている。

 

 「セシリーナ! リサ!」

 俺は叫んで思わず駆けだしていた。

 「おいっ、気をつけろ! 何か妙だぞ!」

 背後からサンドラットの声がした。



 ーーーー男の子の口元が微かに上がった。


 俺とサンドラットがその空き地に入って彼女らに駆け寄った瞬間、四方の壁の根元から静かに土煙が上がった。


 「何っ? これは!」

 「わっ、落し床だ!」

 

 「ちっ」とサンドラットが手近の木の枝につかまろうと手を伸ばすが……。


 「残念、それ幻なんだよね」

 楽しそうな子どもの声が聞こえた。

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