ボロ長靴貴族の冒険 ――婚約者から逃げた挙句のカイン

水ノ葉月乃

1 囚人都市

第 1話 プロローグ 囚人カイン

 目に映るこれは現実?


 見渡す限りどこまでも広がる廃墟に、立ちすくむ少女の涙はれ果て、その絶叫は風にかき消された。


 ここが、かつて大陸一の栄華を誇った王国の都なのだと誰が信じるというのか。


 実際にこの目にしなければ信じられない現実離れした光景だ。

 それを目の当たりにして崩れ落ちない者はいない。


 わずかな希望が断ち切られる瞬間を、俺は一体何度見せつけられれば良いのか。


 瓦礫の上に立つ少女とその周囲には、たった今置き去りにされたばかりの囚人たちが大勢立ちすくんでいる。




 ーーーーその背後からざわざわと忍び寄る死の気配にも気づかずにだ。


 吹きすさぶ風の中一人の少女が指を組んで祈る、そして彼らの誰もがここがどんなに危険な場所か、まだ何も知らない。


 獲物に群がり集まってきた凶暴な獣の臭いにすら全く気づいていない無垢な連中なのだ。


 俺も馬鹿だ。ギッと唇を噛む。


 生き延びたければ何もするな、動いても無駄だ、それは身に染みてわかっている。自分が何をしようとしているか、それも十分わかっている。


 だが、こんな場面に出くわしてしまえば、素知らぬふりなどできない。俺はそれほど人間ができていないし、賢くも生きられない。

 俺には彼女たちを助けることなどできない、それも分かっている。しかし、こんな俺でも危機を知らせるくらいはできる!


 「そこから逃げろ! 早く!!」


 瓦礫から飛び出した俺の叫びに、人々の意識が向いた。


 振りかえった少女。

 その目が驚愕に見開かれた。

 

 「早く逃げろ! 周りを見ろ! みんな食われるぞ!」


 叫びざまに投げた石が鋭い音を立て、石が影にあたった瞬間、何かが呻いた。


 「何だ!」


 振り返ってどよめく人々の目に石が当たった影が立ち上がるのが映る。影のように忍び寄る幽鬼、そしてその背後から静かに近づいてくる肉食魔獣の群れだ。


 いつの間にか、何かに囲まれようとしている! その事にようやく気づいた人々が、恐怖に駆られ、悲鳴を上げて逃げ始めた。


 だが、余りにも判断が遅い。

 一番後ろにいた男二人が襲われた。

 悲鳴が上がり、血しぶきが上がった。バカ、やめろ! と叫ぶ間もなく、二人を助けようとした屈強な男も一瞬で半身を裂かれた。


 「人に構うな! とにかく走れ! 逃げろ!!」

 奴らに素手で敵う者などいない。武器も防具も何もない。ここに収監された時から全員が死体から剥ぎ取ったようなパンツ一枚、女はそれに加えて胸を隠す布切れ一枚しか渡されていない。


 何が起きたか分からずに呆然としていた人々もようやくパニックになって四方に逃げだした。しかし、そこに次々と猛獣が襲いかかる。


 俺ができるのはこの程度、あとは自分の運しだいだ。ぎりっと歯を食いしばった。この地では自分の身を守るのが精一杯である。誰も他人を助ける余裕などはない。そしてそれは俺も例外じゃない。


 叫んだせいで、こっちも気づかれているのだ。既に複数の影が近づいてきている。一刻の猶予もない。


 抵抗は無駄、全く無意味だ。

 とにかく全力で逃げるしかない。追いつかれた者は死ぬ、ただそれだけなのだ。



 ガルルルル……! 猛獣が数匹追ってくる。

 

 先頭を走っていた中央の奴が一瞬立ち止まる、それを合図に後ろを付いてきた獣がさっと左右に分かれた。先回りして包囲する気らしい。

 舞い上がった砂埃で息が苦しい、肺が悲鳴を上げる。それでも足を止めることは死を意味する。



 ーーーー俺の目の前に悲嘆と絶望が支配する荒野が広がる。

 魔族に最後まで抵抗した人族最大の国はこの地で滅んだのだ。


 今さら嘆いても、なぜだと叫んでも、その事実は変わらない。

 日々新たな囚人がこの街に収監しゅうかんされ、そして誰もがかつての王都の姿に絶望に襲われる。

 

 人々の喜びも悲しみも全ての人の営みを飲み尽くした狂暴な破壊と殺戮さつりく衝動、それがこの街を襲った真実だ。


 今、この地を支配しているのは獰猛な魔獣たちだ。人はもはやその餌でしかない。

 

 俺は壁の隙間で息をひそめ、息を整えながら追ってきた猛獣をやり過ごす。


 体に塗った毒草の臭いが奴の鼻をごまかしているうちに少しでも遠く離れなければ、俺も食い殺されるしかないのだ。

 

 


 ーーーーーーーーーー


 ギャアアアアア…………!

 キャアアア……!


 遠くから人間の断末魔の声が次々と聞こえてくる。


 さっきの連中だろう。あの中で明日まで生き延びられるのは何人か。残酷な運命だと冷たく割り切るしかないにしても、あまりにも悲惨な最後、まさに悪夢だ。


 そう、未だにこの地の悪夢は終わっていない。


 悪夢、ーーーーこの悪夢は突如、南下を開始した魔王軍がもたらしたものだ。それは人族の国にとって最悪の悪夢だった。


 繁栄を極めた人族の国々はおごり高ぶった。

 つまらぬ意地の張り合いのような紛争を繰り返し、互いの憎しみを増やした結果がこれだ。


 王侯貴族の身から出たさびだ、というにはあまりにもその代償だいしょうは大きすぎる。


 小競り合いを繰り返していた国々は、“魔族の王による偉大なる国”、通称「魔王国」の軍が大挙して押し寄せても手を取り合うことはなかった。

 魔王国などに抜かれるはずがないと自負していた鉄壁の要塞、セク北方要塞が敵の手に落ち、人族の防波堤と称されていた軍事大国ネメ国の軍がアパカラ河の戦いで大敗を喫すると、平原にどっとあふれ出た魔王の大軍をもはや押さえることができず、まとまりを欠いた人族の軍は各個撃破された。


 その10年にも亘る戦争によって人族の国々は滅び去り、大陸は魔王国によって統一された。大戦が終結したのは5年前。それはもはや歴史である。そして、大陸全土を掌中に収めた魔王国を今や人々は畏怖を込めて帝国と呼ぶ。


 帝国に捕らえられ、新たに収監された者たちが逃げまどう。恐怖で正気を失った者は笑いながら立ちすくみ、或いは虚ろな目で通りに彷徨さまよい出る。


 ーーーーそして誰もかれも容赦なく魔獣の餌になっていく。


 生きて明日の朝を迎えられるのは10人に一人か。


 囚人を送り込んだ帝国軍の鋼鉄の檻車かんしゃが整然と隊列を組んで帰っていく。降ろしたばかりの囚人たちが貪り食われているが見向きもしない。


 あの少女は逃げのびただろうか。


 だが、俺はそれを確かめるすべもない。


 おびただしい新鮮な血がまたも大地に浸み込んでいく。王都決戦が行われ、魔族、人族、双方の血と涙が大量に流れたこの地を覆うのは呪いなのだろうか。


 生肉を骨ごと貪り食う音と怨霊がすすり泣くような風の音が世界を支配している。


 「はぁはぁはぁ…………」

 息が切れる。

 心臓が破裂しそうだ。汗が目に染みる。


 だが、俺を追ってくる気配が断ち切れない。野獣にかなり鼻の利く奴が混じっていたらしい。かなりまずい状況だ。


 俺は痙攣しそうな両足を叩き、できる限りの行動をとる。水たまりを走り、毒草地帯を抜ける。これで追跡者を振り切れなかったら俺の負けだ。


 奴が俺を見失ったかどうか、それはまだわからない。さらに遠くへ、風下へと逃げる。しかし、もう逃げる場所はない、これ以上は追い詰められてしまう。


 そんな俺の行く手を分厚い石壁が阻む、かつての栄光の都の痕跡を唯一残す絶望という名の巨大な城壁である。そしてその周囲には殺伐とした破壊の爪痕だけが広がっている。


 「!」


 城壁を前に呆然と立ちすくんだ俺の背後で、砂利を踏む乾いた音が静かに響いた。


 灼熱の太陽にあぶられた廃墟から黒々とした陽炎が怨念を具現化したように立ち昇る。ここは、中央大陸バザスで犯罪人が最後に辿りつく場所。



 ーーーー帝国がと呼ぶ地獄なのである。





―――――――――――――

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