第316話 新王国への道
俺たちはリサを新王国リ・ゴイへ連れていくためカサット村を出た。
今はようやく南西の森を抜けたところだ。
目指すは、新王国の都クリスティである。既に新王国にはリサ王女の生存とその帰還を伝えてあるのでどこかで迎えと合流できるはずだ。
俺は隣を歩くリサを見た。
「なあに? カイン?」
「いや、不安はないのかな、と思ってな」
「不安はあるよ。だけど、これでも呪いを受ける前は王女としてそれなりの教育を受けていたの。だから大丈夫よ!」
リサは明るく笑った。
「そうか、杞憂ならいいんだ」
俺はリサを護衛するため、セシリーナとリィルと一緒に新王国へ向かっている。護衛と言っても実際のところは後ろに控えているサティナ、ルミカーナ、ミラティリアが頼りである。彼女たちがいれば何があっても安心な気がする。
セシリーナは妊娠が分かったので戦いからは一歩引いてもらうことにした。しばらくはリサ専属の従者として後見人を務めてもらい、リサが女王として即位した暁には宰相としてリサに仕えることになる。
今の情勢では帝都に戻ることはできないので子どもを産み育てるには新王国が一番だろうという考えである。
カサット村に残ったのは、まだ傷が癒えないミズハ、そして、「二度と君の側を離れない」と歯が浮くようなセリフを真顔で言ったゲ・ロンパである。
ルップルップも何かあった場合に二人を守るため、カムカムたちと共に村に残ってもらった。
3姉妹は、クリスとアリスがミズハの元に残って活動し、イリス一人が俺たちの護衛任務につくことになった。
だからイリスがどこかにいるはずなのだが、あいかわらずイリスの姿を見ることはない。先行しているのか遠くから見守っているのか。
いや、もしかすると俺たちに意識させないだけで、すぐ隣にいたりするのかもしれない。俺は急に挙動不審になってあたりを見回した。
「みなさん待ってください。危険ですよ。またカインが何か仕出かしたかもしれません」
急にリィルが両手を広げてサティナたちを制止した。
「カイン様が何をなさったのです?」
ミラティリアが純真な目でリィルを見る。
「ほら、見るんです! あのお尻の怪しいこと。あの辺りにきっと悪臭が立ち込めているに違いありませんよ」
「まあ、悪臭ですか? 一体どこから?」
ミラティリアは口を塞いだ。
「違います。こんな風に鼻を摘ままないと大変な目に遭いますよ。もの凄い悪臭なのです。この前なんか、みんなして悶え死ぬところだったのです」
リィルは旧公国洞窟での悪夢を思い出したようだ。ルップルップの防殻の中でやったあの一発はかなりきつかったらしい。
「ご、ごうでじょうが?」
ミラティリアが鼻を摘まんだ。
「まったく、二人で何をやっているんですか? みんなに置いて行かれますよ」
ルミカーナが呆れて肩をすくめた。
ーーーーーーーーーー
背の高い草で覆われた草原をかきわけながら進むと、やがて足元に水が湧き出す砂地に出た。
「見えてきたわ。あそこが指定された地点よ」
セシリーナが指差した先、湖沼地帯に面した砂浜に小舟が数隻準備されていた。
「あれですか? 思っていたより小さい舟です」
少しがっかりしたようにリィルがつぶやいた。
「カイン、この湖の先にその新王国という国があるのですか?」
サティナが湖を眺めた。
この湖沼地帯は、かつてダ・カミレーザと呼ばれる小国ながらも美しい国があったところだという。大きな戦で国は滅亡し、大魔法の爆発で生じた無数のクレーターが湖沼になって、今ではその静かな水面の上を蜻蛉が飛び交っている。
「さて、ここから先はこの仮面が必要なのね?」
セシリーナはカサット村で準備した妖精族の仮面を取り出した。認識阻害効果がある魔法具である。新王国の女神だとバレたら大事になるのでクリスティリーナ本人だと勘付かれないようにしなければならないのだ。
「それじゃあ、私たちも同じように変装しましょう」
そう言ってサティナたちも布製の仮面を取り出した。サティナたちも顔を隠すのは、セシリーナだけが妙に浮かないようにするためと、無用な騒動を起こさないためである。何しろ新王国には大陸中から若い男が集まったのだ。そこにサティナたちのような美女が現れればどんなことになるか知れたものじゃない。
「この仮面のデザインは元々は私の故郷の祭りで使われるものなのです」
俺が珍しそうに覗きこんでいると、ミラティリアが教えてくれた。
鼻から上を隠す装飾性の高い仮面はミラティリアがカサット村に滞在中に急いで縫ったものだ。
砂漠地帯の国々の伝統的な仮面らしいが、美少女が付けるとこれから仮面舞踏会でも始まりそうだ。かえって目立つような気もするが、確かにセシリーナだけが注目されることはなくなりそうだ。
はたから見れば仮面の女騎士に護られた王女一行という感じになって神秘的に見えるかもしれない。異世界の存在のような雰囲気をかもしだして盗賊でも襲うのに躊躇しそうだ。そう考えれば護衛上の効果も期待できそう。
「そうそう、カインの分もあるのですよ」
リィルが思い出したように袋をがさごそと探った。
「へぇ、珍しく用意がいいな、リィル」
「ほら、これです。どうでしょう?」
リィルがニヤニヤしながら引っ張り出した仮面は、象鼻が滑稽な喜劇用の舞台仮面である。垂れた鼻がいかにも何かを連想させる。ぱおー-ん!
「お前、楽しんでいるだろ?」
「まさか」
「だって、お前な。俺がこれをつけて歩いたら、笑いものになるのは間違いないぞ。きっと、通りすぎる者の目が痛いぞ」
「みんなを笑顔にさせる仮面ですよ。顔がパオーンだなんて、いかにもカインらしいじゃないですか? それにカインの仮面に度肝を抜かれて、セシリーナたちが目立たなくなりますよ」
「それはそうかもしれないけど。うっ、裏面に何やら不気味な文字が描かれているじゃないか。もしかして呪いの仮面じゃないだろうな?」
「まさかそんな事あるわけないじゃないですか」
なぜか目を反らすリィルである。
怪しい、やはり何か企んでいるに違いない。
「今なら、この尻尾もあるのに……」
そう言ってさらに取りだしたのは尻尾のアイテムだ。何が悲しくてそんな物を尻につけねばならないのだ。
そう言えば、村はずれに新しい雑貨屋が出来ていたが、あの店から買ったものだろうか? 酒場でリィルと店主の親父が妙に意気投合しているのを見たような気がする。
「準備は良いわね? みんな舟に乗って」
そう言ってセシリーナはリサと舟に乗りこんだ。
「じゃあ、俺も、ん……」
続けて乗り込もうとした俺の手をサティナが握った。
「舟は二人乗りです。カインはこっちですよ」とにっこり笑うので、俺はサティナと同じ舟に乗ることになった。
ルミカーナとミラティリアの舟にはリィルが乗りこんだ。リィルは軽いので三人乗船しても大丈夫だろう。
「おお、動いた!」
全員が乗り込むと、櫂を漕ぐまでもなく、ひとりでに舟が水面を滑りだした。
「これは予め設定した目的地まで移動する魔法なのかしら?」
サティナが爽やかな風に髪を揺らした。
「そうなんだろうな。これは楽でいい」
俺は前を行く2隻を見た。
そんな俺を見て、サティナが自分の隣の座板をぱんぱんと叩いた。
ここに来て。という事らしい。
そう言えばこっちにサティナが来てから二人だけの機会というのは中々なかった。夜は結婚式の前日までずっとセシリーナとベッドの中だったし。
仕方が無い奴だな、と俺は少々大人の余裕で立つ……。
「おわわわわ!」
立つと舟が左右に揺れて思わず落ちそうになった。
「あ、あぶねーー!」
俺は船縁を掴んで何とか踏みとどまった。
「危なかったわ」
サティナも口元を押さえて目を丸くしている。
俺は格好付けるのを止めて、這うようにして移動するとサティナの隣に座った。
サティナは大剣を膝に抱えたまま俺の肩に頭を載せ、「やっと二人きりになりました」と幸せそうにつぶやいた。
ーーーーーーーーーーー
3艙の舟は美しい青色の湖の真ん中をわずかに波を立てて一列になって進む。
横目で見るとやはりサティナは美しい。
良い香りが鼻をくすぐる。
ふと見ると大剣の柄をサティナがにぎにぎしている。
サティナも緊張している?
俺が改めてその顔を見ると、目と目があった。
その麗しい紅の唇が魅力的だ。
サティナは瞳を閉じた。
俺はもちろんその意味は分かる。俺はその肩を抱いてキスをした。
「……」
赤くなってもじもじするサティナがとても可愛い。いかん、股間がサティナを意識して元気になってきた。
「それにしてもその剣、やっぱり凄い剣だな」
話題を逸らそうとして俺はピンクのリボンが巻かれた大剣を見た。
「この先っぽに象嵌を入れたんだよな」
俺はリボンに触れようとした。
「だめよ、危ないわ」
サティナがそれを止めた。
「これは魔剣よ。選ばれた者以外が触れると恐ろしい目に遭うと言われているの」
「そうだったな。恐ろしい目か、どんな目に遭うのだろう?」
「魔力のある者は魔力を失うとか、男は狂戦士化するとか、色々な伝説があるのよ」
「ほう。やはりそれは危ないかもしれない」
俺は思いとどまったが、その時、急に強い風が吹いて舟が揺れた。
「あっ」
「危ない!」
体勢を崩したサティナが俺の胸に抱きついた。サティナの運動神経を考えればわざとかもしれないが、俺はとっさに彼女を抱きしめた。思わず右手でつかんだほわほわの美乳の感触がなんとも素晴らしい。
「大丈夫か?」
サティナの上半身を抱き起こそうとした時、俺は思いがけず何か堅いものをつかんでしまった。それが何なのか理解した瞬間、ドクン! と俺の心臓が音を立てた。
「うわあああああ……!」
俺がつかんだのは、呪いの大剣の柄だ。
「危ない! 早く、手を離して!」
慌ててサティナが大剣を俺の手から引きはがした。
だが、既に遅かったらしい。
「サティナ! こ、これは……! これが呪いか!」
俺の身体に明確な異変が起きていた。
「や、ヤバい! これが狂戦士化だ! うおおおおお!」
俺は両手の拳を握って、天に吠えた。
俺のそれを見たサティナが次第に顔を赤くしていった。うん、俺の股間がぎんぎんだ。天に向かって吠えている。まさにこれぞ狂戦士状態!
サティナの胸を揉んだからではない、これが大剣の呪いなのだ。男だけが狂戦士化するとはこういう意味だったか! と思わず感心するが、これはヤバい状態異常だ。
「男を狂戦士化するとは! これは何という恐ろしい剣なんだ」
へたをするとザコ貝より強力かもしれない。俺はサティナに向かって激しく自己主張する股間を両手で隠したが、到底隠しきれるようなナマクラ刀ではない。これは魔王級なのだ。
「いいから、カイン、そっちを向いていて」
サティナは視線を合わせないよに湖面を見たがその顔が赤い。
どうすんだよ、これ!
股間をギンギンにさせたまま、やがて舟は入江状になっている砂浜に近づいた。
ーーーーーーーーーー
「こちらでございまーーす!」
誰かが大きく手を振っているのが見えた。
舟は砂に乗り上げて停止した。砂丘の上に厳めしい防塁が築かれているところを見ると、この一帯には魔王国の討伐軍と戦う陣地が構築されているらしい。
「これは、これはリサ王女様、よくお戻りになられました。私はリ・ゴイ王国のシュウ・ウカと申します。こちらの男はこの湖沼地帯方面軍の指揮官クリウス、その隣が今回王女の身の回りの世話を命じられたリイカと申す女官です」
知的な顔立ちのシュウが拝礼した。
その隣に見覚えのあるクリウスと、何となくどこかで見たような若い女性がかしづいている。
リイカと言ったか? 慣れないのにかなり気合を入れて化粧してきたという感じで唇がやけに赤い気がする。
そして、シュウたちの背後には大勢の兵士が整列し、俺たちの到着を見守っている。
「お出迎え御苦労です。こちらがリサ・テェンティー・ルミカミアーナ王女、ご本人はリサと名乗っておられます」
セシリーナが答えた。
シュウとは既に顔見知りなのだが、周りで多くの兵士たちが見ているので、互いに始めて会うという設定である。
「リサです。よろしくお願いしますね」
リサはそう言ってにっこり笑った。
その笑顔にシュウとクリウスが心を射抜かれるのが見えた。これは偉大なるカリスマスキルの影響だろうか。
「私はセシリーナと申します。リサの後見人です。その隣は私の夫であるカイン。クリウス殿とは既知のはずです」
俺は腰を引いた妙な姿でクリウスに手を振ったが、その隣にいたリイカという美女が自分に手を振ったとでも思ったのだろうか、何故かぷいとそっぽを向いて横目で俺をみた。
いや、やけに顔が赤い気がする。もしかすると乙女の勘か何かで俺が腰を引いている理由に気づいたのかも知れない。
そのリイカの視線の先を見たルミカーナがぎょっとした表情になって、さり気なく俺の隣に来た。
「カイン、どうしてそうなった? と言いたいところだが、元がでかいだけに誰が見てもバレバレです。これで隠してはどうです?」
ルミカーナがそっと手荷物の布袋を手渡してくれた。さすがルミカーナ、よく気が利く。
「後ろにいるのが森の妖精族のリィル、そして護衛の騎士であるサティナ、ルミカーナ、ミラティリアの三名です」
「初めまして皆さま。それではご案内いたします。こちらへどうぞ。丘の上に馬車をご用意させてございます」
「へぇ、あれが迎えの馬車か……」
シュウの後を連れだって歩き始めた俺たちの足が止まる。そこに数台の馬車が停まっていたのだが……。
大型の白い馬車の側面一杯にクリスティリーナがステージで歌っているシーンが描かれている。ミニスカートから覗く健康的なふとももが恥ずかしいほどリアルである。
「い、痛い、これは痛い」
痛馬車と言うやつだ。初めて見た。
「しかし、これは……」
俺は思わず目を覆った。隣を見るとセシリーナが顔から火が出るほど赤くなっている。
「このセンス! 新王国、やはり恐ろしい国なのです」
リィルですらたじろいでいる。
サティナたちも背後で苦笑いしていた。
「何をしているの? 早く乗ろうよ、カイン」
そんな中、リサだけは気おくれすることなく堂々と馬車のステップに足を乗せた。アレに動じないとはさすが王女。
さっそくリサに続いてリィル、そして俺とセシリーナとサティナが馬車に乗った。新王国側の代表としてシュウ、クリウス、リイカが同乗して満席だった。二台めの馬車にはルミカーナたちが乗り込んだ。
「さっそくですが、念のため確認させてもらいます。」
馬車が動き始めると、リサの正面に座ったリイカが宝石で象られた木箱を開け、中から白布を取り出した。
「これは王家に伝わる鑑定アイテムです。正式な確認は大神殿において皆の前で行われることになりますが、リサ様が正当なルミカミア・モナス・ゴイ王国の王女であるかどうか証を立てなければなりません。これは簡易な聖布になりますが、旧王国に代々伝わってきた血統の聖布でございます。失礼ながら、少し血を分けていただけますか?」
リイカは小さな針を見せた。
ごくりとリサが息を飲む。
「大丈夫なのか? 毒針ってことはないよな?」
「カイン様、我々を信用ください。リイカは信頼できます」
シュウがリイカの隣で言った。
「いいわ、カイン。心配してくれてありがとう。リイカさんお願いしますね」
リサが人差し指を差し出した。
「では、失礼いたします」
ちくっと針先が指の先端に刺され、血の雫がぷくりと膨らむと聖布に一滴落ちた。真っ白な布に赤いシミが広がって、それはすぐに消えていく。
「ほう!」
「確認できました。リサ様は間違いなく旧王国の王家の血筋をひくお方です」
リイカが深々と頭を下げた。
「これはどういう仕組みなんだ?」
「”純白は純白”に”王の血筋は王の元に”というアイテムなのです。王家の者以外の血では白布は汚れたままになります。王家の血だけに反応して真っ白になるのです。リサ様は旧王国の王族で間違いないということです」
シュウがリイカから白布を手渡され、満足そうにうなずいた。
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