第42話 尾行者の影と爆撃地点

 「はぁはぁはぁ……」

 石塀に背もたれて、荒い息を吐く。

 だいぶ遠くまで走ってきたので、縄を抜けたとしても、もう3姉妹は追って来られない、と思うが……暗黒術師の力は未知数である。双蛇とか言う奴が姉妹の力を封印していたからあの程度だったとしたら、恐ろしい。


 サンドラットの居場所を聞いただけで襲撃を受けた。

 彼が帝国に目をつけられたのは間違いないが、単に彼の脱獄計画が漏れただけなら、リサ王女の行方を追うあの3姉妹が姿を見せたりしないだろう。


 つまり、リサ奪還作戦にサンドラットが関与している、と思っていなければ、あそこで3姉妹が待ち伏せしていた説明がつかない。


 サンドラットかナーヴォサスの同士の誰かが裏切ったか何かして、情報が漏れたということだろうか。

 ナーヴォサスの隠れ家に帝国の奴らが直接踏み込んでこなかった事を考えれば、情報を漏らしたのはナーヴォサスの隠れ家を知らない奴か。それとも、まさかとは思うが例の鬼面の兵が関係しているのかもしれない。


 いずれにしても、サンドラットが何年もかけて練りあげてきた脱獄計画は既に帝国に漏れたと考えるべきだ。それは取りも直さず、その手段はもはや使えないという事だ。

 

 リサ王女を抱え込んで、ここにきて脱獄する方法すら失ったことになる。これはまずい展開である。


 俺自身、まだ顔は割れていないと思っていたのだが、3姉妹にはバレてしまった。セシリーナの言うとおり、神殿にいた連中は体面を取り繕っているのか、リサ王女がさらわれたという話をまだ一般の帝国兵たちは知らないようだ。だが、今後は堂々と歩きまわるのは控えた方が良いだろう。


 「一旦戻るか? いや、まだ後を付けている者がいないとも限らない」


 瓦礫の影や枯れ木の影に誰かが潜んでこっちを見ているような気がするのは気のせいだろうか? 

 

 「!」 


 そう思いながら歩いていると、時々、本当にうずくまっている無関係な男がいたりするからこの街は心臓に悪い。


 よく考えろ。一網打尽にするため、俺を泳がせている可能性もある。追っ手が本当にいないか、慎重に確認してからでないと、ナーヴォサスの隠れ家に戻るのは危険だ。

 

 既に日は暮れようとしている。

 魔物が多くなる時刻になってきたが、わざと遠周りして北東の市街地跡へ向かってみた。

 多くの廃屋が点在しているが、中央区に比べて破壊がひどく、壁もほとんど残っていないので、この辺りに住んでいる囚人はいないようだ。


 道沿いに石塀だけが残っている街を歩く。


 やはり、背後に嫌な気配がする。

 相手は一人か。黒い不吉なマントを頭から被った男が影のように一定の距離を置いてついてくる。


 闇術師の一人か? 奴らは夜行性だとセシリーナが言っていた。刻限的にも奴らの時間だ。これはまずい。


 「ちっ」

 俺は角を曲がると、ダッシュしてすぐに次の角を曲がる。

 そこにあった瓦礫の影に素早く身をひそめてみた。


 ……男は追って、来ない?

 息をひそめてしばらく待つが、誰も来る気配はない。


 「思いすごしだったか? 今日はずっとロクな目に遭っていないから、びくびくしてダメだな」


 「ほう、ロクな目に遭っていないのか?」

 「そうだな……ん?」


 「!」

 屈んだ俺の股間から男の声がした。


 闇の中、真っ黒い地面に不気味な蝙蝠のような男の顔が浮かんでいた。ぞわわわっ! と総毛立つ!

 「うぎぇああああああっ!」

 心臓が飛び出しそうな勢いで俺は跳ね上がった!


 奴はいつの間にか俺の影に溶け込んでいたのだ!

 「あばばば……!」

 思わず四つん這いで逃げようとしたが、「逃げられぬぞ」とそいつの青白い手が俺の股間に伸びた。


 「はあぅっ!」

 ぐにゅっと睾丸を握られた。もう後は声も出ない。

 しかも、これは毒だろうか、痛み、いや、それとも違う妙な感覚が股間を支配していく。


 ああ、どうせ同じことをされるなら、さっきの3姉妹にされたかったな、などとこんな時に邪心を抱くのは、まだ余裕があるせいか。

 

 「けけけけ……どうじゃ? 必殺、急所縛り! わしが術を解かぬ限り、お主はもはや逃げられんぞ」


 そう言って、ゆらりと立ち上がった影男は、下半身が痺れた俺のこめかみを細長い指でわしづかみにした。


 「離せ、この馬鹿!」


 腰が抜けたようになって足に力が入らないが腕は動く、俺はそいつの手を掴んだ。引き離そうとするが、痩せているくせに何という力か。びくともしない。


 「お前の脳から直接リサ王女の居場所を吸い出してやろう。おお、何も心配することはないぞ、お前は脳がカラっぽになるだけじゃ。ほれほれ、不安も何もない。もうじきモドキになるのだからな」


 その男は野卑な笑みを浮かべ、さらに俺の後頭部を掴んだ。両手で頭を鷲掴みにされ、俺はそのまま持ち上げられた。


 「ぐあっ!」


 ぶらぶらと足が空中に漂う。

 頭を万力で締め上げられるような力で頭蓋骨が軋む。


 男の口から細長い針のような気持ち悪い舌が伸びて、俺の鼻の穴に迫ってきた。

 ーーーーこいつ、俺の鼻の穴から侵入して脳を吸い取る気じゃないのか? 

 

 「や、やめろ!」 


 「おっと、その紋は危険じゃな。だが、必要なのは頭部のみ、首から下を別の封印で封じれば、頭部で何が起きてもその紋の加護は発動すまい」

 男は手を動かし、俺の首に黒い霧状の輪っかを出現させた。


 これは、本気でまずい。今まで俺を奇跡的に守ってきた紋の加護が鳴りを潜めたのが感覚的に分かる。婚約紋も婚姻紋も俺の危機を感知していない。これが闇術師か。

 

 「くくく……それでは、記憶をいただくか」

 ぬめぬめと舌先が鼻の穴に入ってきた。そこから鼻腔を突き破って脳に侵入する気なのだ。


 「くそっ、離れろ!」


 そいつの顔を押しのけようとするがまったく動かない。

 腹や胸を殴りつけても全く平気のようだ。奴はむしろそんな抵抗を試みる俺の様子を愉しむゲス野郎である。


 「この野郎、離せ!」

 ぎりぎりと頭蓋骨が軋む。鼻の穴から生臭い舌が潜り込む。


 「無駄じゃ、無駄じゃ。ーーーん?」

 俺がそいつの顔を数度殴った後だった。

 

 そいつの顔に手が生えた。


 いや違う、そいつの顔を後ろから掴む手が現れたのだ。

 その手は皮膚が爛れ、骨が露出している。初めて、目の前の蝙蝠男の表情に驚きの色が見えた気がした。


 「!」

 突然、俺の顔に奴の鮮血が噴きかかった。


 「ぎゃあああああーーーー!」

 奴は俺を突き飛ばして悲鳴を上げると、肩に噛みついたそいつの頭を掴んで引きはがそうとした。


 地面に突き飛ばされ、転がった俺は恐ろしいものを見た。


 地面を這うように数匹の幽鬼、いや、幽鬼型の人間くずれが蝙蝠男の背中に掴みかかっていた。肩に噛みついた人間くずれは血まみれの歯をガチガチ言わせて、さらに肉を食いちぎった。


 「ぎやあああああーーーー!」

 蝙蝠男は押し倒され、生きながら食われている。


 幽鬼型の人間くずれは、足音も気配もしないで忍び寄る。一旦捕まれば逃げられない、生きたまま食われるのよ、と以前エチアが言っていたとおりだ。遠くでさらに獣の遠吠えが聞こえたような気がしたのは幻聴か。


 帝国兵から逃れて隠れていた人間くずれが夜とともに活動を再開したのだろう。

 

 俺は、人間くずれが獲物に夢中になっている間に、急いでその場から離れた。人間くずれの発生地点から遠ざかるように逃げる。闇術師も危険だが人間くずれも相当ヤバいのだ。



 ーーーー走る。


 ーーー瓦礫を乗り越え、走る。


 やがて、廃墟の先に円塔群が見えてきた。今までの場所とはだいぶ様子が違う。ここが住宅地でないことだけは確かだ。工場地帯だったのだろうか。


 周囲は鉄塀で囲われていたらしいが、塀はほとんど倒れている。頑丈そうな石造りの円塔だけが墓標のように幾つも突き立っており、その周囲には所々に大きな穴が開いて泥水が溜まっている。


 ぶるっと背筋に冷たいものが走った。

 なにか嫌な気配だ。

 あの塔には近づくなと本能が言っている。俺は様子を見て少し離れた所で石小屋の残骸に潜り込んだ。


 「まさか人間くずれに助けられるとはな。ここなら頑丈そうだし、一晩は隠れられそうだな」


 俺はすぐに周辺の瓦礫を集めた。

 入口を瓦礫やレンガを二重に積んでふさぐのは、ここに来てからの習慣だ。分厚い石に囲まれ、俺はようやく一息入れて仮眠をとることにした。



 ーーーーーーーーーー


 ……ガリガリガリ……

 その深夜、何か異様な音がして俺は目が覚めた。仮眠をとるつもりがすっかり寝入ってしまったらしい。


 「!」

 レンガの隙間から外をのぞくと、かなりまずい状況だ。

 周囲に危険な魔物が集まってきている。この一帯には魔獣の巣があったらしい。


 「おいおい、こんどは魔獣かよ、今日は一体どうなっているんだ。何か悪い物でもくったか?」


 隠れ家を出てから、これでもか、というくらい次から次へと襲われ続けている。魔王国というだけあって、なんでもかんでもすぐ呪いをかける国だ。俺も気づかないうちにどこかで不幸の呪いでも踏んだのだろうか?


 気ぜわしそうにあたりの地面をひっかいていた一匹の蜥蜴のような奴が、こっちに近づいてきた。舌をせわしなく出し入れしており、何かに気づいたらしい。


 ヤバい! そう思って動こうとしたら、ピシッ!! と全身に盛大な筋肉痛が走った! 大激痛だ!


 「ぐおおお……」と悶える。


 「げ、原因はきっとあれだ、3姉妹に襲われた時、サティナモードとか言って、俺の身体能力を遥かに超越した動きを強制させられたせいだ。それしか考えられない」

 今頃になってその影響が出たのだ。地獄のような筋肉痛だ!


 「おううう、足がツル! ツリそうだ!」

 どうにも動けない俺は、足の親指を必死に押さえ、息を殺して、早くあっちに行けと願うばかりだ。だが、無情にも魔獣たちが俺の隠れる崩れた石小屋の周囲に集まってきた。


 チロチロと長い舌を出し入れしている。無情な目玉がぎろりとこっちを見てべろりと舌なめづりしりをした。


 気づかれた? ……この場所ではまさに袋のネズミだ。

 見つかる!


 その時だった。突然、蜥蜴どもの姿が消えた。


 「何か起きたのか?」


 次の瞬間、物凄い光と爆音が離れた場所で轟いた。少し遅れて地面が揺れた。遠くで雷のような音が響いた。


 「これは雷撃? まさか演習か? これって帝国軍の砲撃音だよな。おいおい、まさか、この付近が演習の爆撃地点だったのか! ヤバいぞ!」


 ここにいては死ぬ! そう思った瞬間、激しい砲撃の音が連続した。


 「ぎゃああああ! まずい!」

 逃げようとして転がった。揺すぶられて動けない!


 さらに風切り音が接近し、地面が揺れる、もはや四つん這いにもなれない。動けない。凄まじい音と爆風が辺りを舐めていく。

 その重低音と衝撃波の圧力たるや、脳みそをぶん殴られているみたいだ。逃げた魔物の群れが消し飛ばされている。


 ひゅるるるる……赤く燃えた砲弾が頭の上を飛び越えていく。


 背後の円塔の壁に直撃、壁を失った円塔がゆっくりと折れて崩れていく。大地が揺れ、体が上下に跳ねる。


 いつの間にか股間が熱い。圧力のせいで漏らしたようだ。俺は口を開け、急いで耳に粘土をこねて詰める。


 ひゅるるるる……再び砲弾が飛んでくる。


 「これは、まずい! 死ぬ!」

 そして、俺は気絶した。

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